◆◆◆ ロケ地 探訪 ◆◆◆
■東京
撮影専用の日本家屋 2 −廊下・縁側・居間−
■志葉家、丈瑠の実家 として使用
撮影専用の日本家屋 2 です。
一旦、玄関に戻り、玄関から見て、右奥に伸びている廊下に入ります。
この先に奥の棟(お屋敷の一番大きな棟)があります。
こちらが、その奥に伸びている廊下を見通した写真です。
廊下の左側は、このお屋敷の事務所になっております。
この廊下の写真を見ただけで
「あれっ?これ、どこかで見たような………?」
と思われた方、記憶がよろしいですね♪
その記憶の映像については、多分、次回(か、次次回)に紹介いたします。
廊下の突き当りで、廊下は右に折れます。
ガラス張りの廊下なので、明るいです。
ちょうど廊下の突き当りの角で、お庭を見ると………このようになります。
右側に見える板壁の建物は、「撮影専用の日本家屋 1」で
紹介しました客間(密談をしていた部屋)のある棟になります。
廊下の角を曲がったところで、振り返って撮影。
この角度での映像は、シンケンジャーでは使われていませんでしたが
多分、いろいろなドラマに使われている気がします。
本当にガラスが多用されていて、明るいです(^^)
さて、右に曲がった廊下の端に立ち、廊下を見通した写真です。
奥の棟の南側を貫いている、長い廊下&縁側です。
右側には、奥行きのあるお庭が拡がり、左側には、手前から八畳、八畳、十畳と部屋が並んでいます。
ちなみに、この南廊下と並行して、北側にも同じように長い廊下&縁側があります。
そちらにも、手前から六畳、十畳、八畳と部屋が並んでいます。
ちょっと判りにくいのですが、この棟の構造としては、以下のようになります。
六つの和室が、東西3室×南北2列に、くっついて並んでいて、
その南側、北側の両外側を、長い廊下が走っている………という感じです。
さて、この長い南廊下、シンケンジャー内でも、いろいろ使われておりました。
この写真と同じ撮影方向から使用されていたのは、以下です。
第三十八幕 対決鉄砲隊
彦馬に、一年に一度きりの休日を楽しんでもらうため、丈瑠たちが画策します。
お腹に、偽物とすり替えた、本物のスキマセンサーを隠した源太と流ノ介が
漫才をしながら歩いている志葉家の廊下が、こちらになります♪
ちなみに、正面はトイレです。
彦馬に対する言い訳は
「便秘」
でしたから、逃げてきた方向的には、正しい!?………のか!?
長い廊下を進み、一番初めに左側に出てくるのが、こちらの和室。
八畳のお部屋です。お部屋の奥側から、南廊下を見たところです。
何故か、ソファセットなどがあります。
ここは、シンケンジャーでは使われていなかったと思います。
さらに南廊下を進み、次に出てくる和室が、こちらの八畳です。
これも、お部屋の中から、南廊下を見たところ。
このお部屋の襖の柄を見て、
「………んっ?」
と思ったあなたは、シンケンジャー通?
この八畳の部屋から、まっすぐに庭を見たところ。
正面右側に見える建物が、客間のあった建物です。
さて、この八畳から、左側に視線を移すと………
南廊下の一番東側に位置する、十畳の部屋が、見えます。
その十畳の部屋に近づいて行きますと………
うむむ?
こ、これは、まさか!?
そうです。
この映像です。
シンケンジャーの中に繰り返し、繰り返し出てきた映像。
第十二幕 史上初超侍合体
何度も出てくるので、一例でしかありませんが、この幕に出てくる、丈瑠の幼い頃の記憶。
実の父に、折り紙のひこうきを折って貰いながら
「志葉家十八代目当主を背負え」
と言われた場所です。
丈瑠は無言のまま、父を見ています。
あの折り紙を折っていたのが、ここ。
つまり、丈瑠の『本当の家』が、ここなのです。
お庭に降りて、ちょっと離れて見たところです。
ちなみに、シンケンジャーでは、この部屋と北側の和室の間の襖は閉じていました。
襖が開いていると、北側の八畳、北廊下を通して、裏庭まで素通しになります(^^)
とっても風通し良さそう♪
でも、冬は、とーっても寒いでしょうね A^^;)
裏庭も、結構な広さのお庭だと判りますでしょうか。
ちょうど、ここあたりに、幼い丈瑠と、実の父親が座っていたのです。
丈瑠の回想に出てくる、丈瑠の実家のシーンは、このシーンしかありません。
きっと丈瑠の、実家での記憶は、これしかないのでしょう。
そのたったひとつの思い出を、何度も何度も繰り返し、頭に思い浮かべる丈瑠。
丈瑠の心情を思いやると切ないですが、その切なさに応えてくれるような
懐かしさを刺激されるような、そんな素敵な雰囲気のお屋敷です。
はるかな昔。
お天気の良い日には、小さな丈瑠が、この縁側に転がったりしていたのでしょうか(ToT)
小さな丈瑠は、きっと、ここから庭に降りたのでしょうね。
その頃には、丈瑠用の小さなサンダルも、あったのかも知れません。
丈瑠と実父が、折り紙を折っている頃、
志葉家では、『影武者作戦』の密談がされていた訳ですが………
その密談場所は、実は、目の前の建物でした A^^;)
視界を右に転じると、玄関に向かう廊下が見えます。
このお家は、ちび丈瑠が、庭のどこで遊んでいようとも、
どこかしらか、見えていそうですね。
親としては、かなり安心かな?
裏庭に行かれても、和室を貫いて見えますからね(^^)
丈瑠の記憶の中に、この縁側と共に、イメージとして大きく残っている情景。
紙飛行機。
そして、青い空に泳ぐ、こいのぼり………
あの記憶の中のこいのぼりのポールは
多分、木のベンチあたりに立てたものだろうと思います(^^)
お庭から、部屋に戻ります。
南廊下に立って、
一番東側の十畳から、北側の八畳を通して、北廊下、裏庭まで撮ったものです。
夏は、さぞかし涼しいでしょう。
しかし、冬の寒さは、この二台のガスファンヒーターが、物語っているのでしょうかA^^;)
日本家屋は、夏向きに造られると言いますので、仕方ないですね。
さて、この東南の角という、間取り的にはお屋敷の中でも一番良い場所にあるお部屋の中は………
なんだか、とーーーっても、見覚えがありますね!?
こちらは、『志葉丈瑠の部屋』なのです。
『ちび丈瑠の家』ではなく、『志葉丈瑠の部屋』です。
この微妙な違いを、どうか認識して下さい A^^;)
第十七幕 寿司侍
丈瑠が習字(モヂカラ?)の練習をしていた部屋も………
第四十幕 御大将出陣
十臓に「弱くなった」と言われたことを、彦馬に相談していた部屋も………
第四十一幕 贈言葉
ドウコクにやられた傷で、丈瑠が寝込んでいた部屋も………
第四十四幕 志葉家十八代目当主
裃黒子の持ってきた書状を彦馬と読み、迫りくる運命に、いたたまれない思いをした部屋も………
第四十五幕 影武者
裃黒子に、ディスクやインロウマルを、取り上げられた部屋も………
全て、こちらの部屋です。
丈瑠が、志葉丈瑠となって以降、ずっと過ごしてきたのが、この部屋なのです。
とっても感慨深いのですが、
「なんだ、丈瑠の部屋って、志葉家(旧堀田邸)じゃなくて、実は丈瑠の実家の方にあったのか………」
なんて………ちょっとややこしくも、意味不明なことを考えてしまいます……… A^^;)
ちなみに、志葉丈瑠の部屋の北側に位置する部屋には、
シンケンジャーの映像で、よく丈瑠の部屋の左側の床の間に飾ってあった
瀬戸物の置物までありました。
………というか、あれ、何だろ?
もしかして、火鉢?
それにしてもシンケンジャー本編では、旧堀田邸とこちらのお屋敷を、本当に上手く使い分けて撮影しています。
シンケンジャーの録画映像を見た感じでは、旧堀田邸に行く時間がないから、こちらで撮影した………等では、ないように思えます。
丈瑠の部屋は、こちらのお屋敷の、この部屋!!
と、最初から決めていたとしか思えません。
同じ○○幕の中でも、丈瑠の室内風景はこちらで撮影し、
一歩廊下に出た映像は、旧堀田邸まで行って撮影………となっているのです。
とても細かく、手が混んだ撮影をされているように、感じます。
それだけ、シンケンジャーというお話の雰囲気を大事にして、大切に映像化して下さったのでしょうか。
丈瑠の部屋から、お庭を見たところです。
シンケンジャー本編で、こういう角度での映像は、ほとんどありませんでした。
シンケンジャーでは、この部屋の障子の向こうは、旧堀田邸の庭に繋がっていることになっていたのですから。
この部屋の障子は、「どこでもドア」になっていたのです。
この廊下から庭まで見える風景が、シンケンジャーに出てきたのは、私の記憶にある限り、一度だけ。
第四十幕 御大将出陣
丈瑠が彦馬に
『十臓に弱くなったと言われた』
と相談している部屋に、バタバタと、源太と茉子が押し掛けてきた時です。
あの時だけ、廊下と庭の映像が映り込んでいます。
源太と茉子は、丈瑠と言葉を交わす暇もなく、彦馬にすぐに追い返されてしまうシーンです。
他では、『志葉丈瑠の部屋』の前の「廊下&庭」として、このお屋敷は使われていません。
『志葉丈瑠の部屋』から一歩出た瞬間、映像は旧堀田邸になるのです。
でも、なんとなーーく、ここを『丈瑠の部屋』にした気持ち(誰の気持ちか知りませんが A^^;)、判るような気がします。
丈瑠の部屋は、本編でも、基本「シンケンジャーの家臣たちは、立ち入り禁止」だったと思います。
丈瑠にとって。
常に『影武者』という偽の自分でいなければならない丈瑠にとって。
家臣たちが足を踏み入れることのない自室にいる時だけが、心安らげる時。
その時だけ、丈瑠はほんの少し『素の自分』『真実の丈瑠』に戻れていたではないでしょうか。
そんな時丈瑠は、思い出の中におぼろにしかない、『真実の自分』が存在していた、あの家に想いを馳せると同時に
時空を超えて、あの家に帰っていたのかも知れません。
もちろん、こんな弱音は、誰にも言うことなどできなかったでしょう。
彦馬だけは、そんな丈瑠の心情を、察してあげていたかも知れませんが。
けれど、いくら彦馬が察したところで、丈瑠の帰る家は、もうどこにもなかったのでしょうし、
幼かった丈瑠には、あの家がどこにあったのかも、わからなかったでしょう。
丈瑠の本当の家………
本当の自分になれる場所………
それは、今となってはもう、丈瑠の記憶の中にしかなかったのです。
そう思ってみていると
この陰影のある風景が、いやに懐かしくも切ないものに見えてきます。
それにしても、志葉丈瑠としての部屋と、丈瑠の心象風景が、実は同じ場所だったとは………
そこはかとない東映のこだわりというか、策謀と言うか………そんなものを感じてしまうのは、考えすぎ!?
それとも、志葉家の人々が、丈瑠が育って家に似せて、丈瑠の部屋を改装してくれたということも、あるかも知れないですね。
………とか、いろいろ書いてきましたが………
実はここは、丈瑠だけの部屋でもなかったのです。
こちらの写真。
丈瑠の部屋の前の廊下から、丈瑠の部屋を通して、丈瑠の部屋の西側の八畳と、その八畳の北側にある十畳を撮ったものです。
注目をするのは、鴨居の上、欄間の位置です。
欄間の高さの一番右はじ。欄間がない部分。
ここに、シンケンジャー内では、神棚が設置してあった時が、ありました。
記憶が蘇りましたか?
第十九幕 侍心手習中
源太が監視していた、流ノ介の志葉家での私室です。
さらに
第三十八幕 対決鉄砲隊
本物のスキマセンサーを隠したのは、この欄間の向こうの八畳間の押し入れ。
源太と流ノ介が眠りこけていた(多分、流ノ介の部屋)のも、この丈瑠の部屋でした。
ううむ。
これを知ると、ちょっと、残念な気持ちに………
いやいや。
似たような建てつけ、内装のお部屋がたくさんあるのでしょう。志葉家は………A^^;)
とにかく、旧堀田邸に匹敵するほど、志葉家のあちこちとして使われていた、このお屋敷。
しかし、私の中では、ここはまさに、『ちび丈瑠の家』です。
旧堀田邸が『志葉家』だとしたら、
こちらは、もちろん志葉家としても使われていますが
やはり『ちび丈瑠の家』なのではないか。
ちょっと胸が詰まるような気持で、思いました。
でも、丈瑠の心の中にしかないはずの、丈瑠の実家に行くことができたと思うと、ちょっと嬉しくもあります。
2 としての最後に。
この南廊下は、いろいろ使われていたと前に書きましたが、
今回は、東の端から、玄関に向かう方面を見通しました。
この角度での映像が、シンケンジャーで使われていたのは………
第五幕 兜折神
ヤナスダレに散々やられた後、意気消沈し、闘いに恐怖し始める家臣たち。
彼らを奮い立たせるために、兜ディスクを使えばヤナスダレを倒せる………と告げる丈瑠。
今までの倍以上のモヂカラが必要という彦馬の言葉にも
「俺ならできる!!」
と言い放ち、座敷を後にする丈瑠。
その丈瑠が、私室に向かう途中に呟く言葉。
「俺ならできる………か」
自嘲気味な、この言葉。
できないものを、できると嘘をついている………と言うだけではなく………
『本当の当主なら、自信を持って言えたに違いない。
本当の当主ならば、こんなディスクひとつに、手こずるはずもない。
だけど、俺は………
だから、あの言葉は、本当にはったりでしかないのだ』
そんな思いも含まれていたのではないでしょうか。
本当の当主だって、実は丈瑠と同じなのです。
きっと先代だって、新しいディスクを使用する時には、努力しなければならなかったことでしょう。
でも丈瑠には、そうは思えなかった。
そんな丈瑠が、ひとりごちたのが、この廊下です。
後ろ正面の壁は、別のボードかなにかで赤くしていたものと思われます。
ロケ地廻りをするときは、
シンケンジャーの映像をつぶさに見て、目に焼き付けてから、ロケ地に赴きます。
(技がないので、録画映像を持ち歩きできないのです A^^;)
しかし、見学に行った先の旧堀田邸で、見つからなかった映像中の数々の部屋。
「丈瑠の部屋がない!ここ(旧堀田邸)には、ない!」
と、たけちん様が、『かむろちゃん』のいる部屋で呟かれていたのが、昨日のことのように思い出されます。
丈瑠の部屋と、丈瑠の実家のロケ地は、是非とも見てみたかったのですが、
旧堀田邸内には、見当たりませんでした。
旧堀田邸のそれらしき場所の写真と、シンケンジャー映像を、ためつすがめつしても、どうにも一致しない………
その見つからなかったお部屋の数々が、ほぼ、このお屋敷の中にあることが判り
今回は、とても嬉しかったです♪
そういう意味では、あとひとつ。気になるのに、見当たらない部屋があるのですが………
こちらも、いつかどこかで、めぐり会えるといいな………と思っています(^^)
2011年 秋 撮影
2012.04.08 UP