花 影  11














 一瞬の間があった。
 最初に怒鳴ったのは、もちろん、千明だ。
「何だよ!!丈瑠!てめえ、どういうつもりだよ!!」
 丈瑠の剣道着の襟首を取ろうとした千明は、その手を流ノ介に遮られる。
「なにすんだよ、流ノ介!俺はこの丈瑠の馬鹿に!!」
「いいから!」
 流ノ介はそう言うと、丈瑠の前に再び跪いた。
「殿!役に立つか立たないかは………」
「手合わせをしてみろと言うのか?」
 それに流ノ介は、深く頭を下げた。
「いいけどな」
 そう言うと丈瑠は、縁側で丈瑠たちのやりとりを聞いて青くなっている黒子に目をやる。黒子が飛んできて、流ノ介にも木刀を渡しかけた。千明も、唇を噛みつつも、一歩下がった。
 その時、
「流ノ介。言っておくが真剣勝負だ。寸止めではなく、俺を倒すつもりでやれ。いいな」
 丈瑠が自分の木刀の刃筋を確認しながら言った。それを聞いた黒子と流ノ介、そして千明の動きが一瞬止まった。黒子は手に木刀を持ったまま、丈瑠に視線を流す。それを見た丈瑠が嗤った。
「………なんだ?竹刀の方がいいか。流ノ介、俺だけは竹刀にしておくか?」
 流ノ介の顔が引き締まる。そして黒子に首を振る。
「馬鹿なことを言わないでください」
 そう言いながらも、丈瑠は木刀でどこまでやりあうつもりなのか、まさか本当に相手が倒れるまで打ち据えるつもりなのかと不安になる。その顔を見た丈瑠が、冷たい目で流ノ介を見つめた。

「流ノ介」
 木刀の握りを確かめていた流ノ介が、顔を上げる。
「ショドウフォン、持っているか?」
「………ええ。もちろんです」
 流ノ介が警戒しながら、答える。庭の隅に立つ千明も、顔を険しくした。その二人の顔色を見て丈瑠が薄く笑う。
「勘違いするな。ショドウフォンを取り上げようって言うんじゃない。流ノ介、シンケンブルーになれ。そして、シンケンマルで俺に向かってこい」
「………えっ?」
 流ノ介が戸惑いの声を出した。
「殿と………シンケンレッドとブルーで手合わせするのですか?」
 それを丈瑠は鼻で笑い飛ばす。千明が横でむっとした顔をした。
「馬鹿言うな。俺と、シンケンブルーとでやろうと言っている」
「………ばっ!馬鹿か!丈瑠!!」
 我慢できずに、丈瑠に飛びついて来た千明は、しかし丈瑠に避けられて、庭に転がってしまう。受け身を取って起き上がった千明が、振り返って丈瑠を睨みつけた。
「丈瑠!お前、おかしいぞ。シンケンブルー相手に、生身の丈瑠が勝てるはずないだろ!頭おかしくなったのかよ」
 叫ぶ千明に向ける丈瑠の視線は、とても冷たかった。それは、まるで一年前。初めて丈瑠と侍たちが出会った時と同じくらいに。
「そう思うのなら、お前もシンケングリーンになって、二人で俺を倒してみろ」
 丈瑠は冷たい瞳のまま、千明と流ノ介を交互に見た。
「………えっ?」
 丈瑠のあまりに無謀な提案に、千明も呆然とする。
「できるなら、やってみろ。もちろん、本気で。寸止めなしで、だ。できたら、認めてやる。お前たちが役に立つと。そうしたら、連れて行ってやる。闘いにも!!」
 どう考えても、あり得ない提案。丈瑠が勝てるはずもない、勝負。それなのに、丈瑠は勝つ気でいる。流ノ介と千明は互いに顔を見合わせた。

「殿?そんなことは、さすがにできません。いくらなんでもハンデが付きすぎです!!」
 流ノ介の言葉を、先ほどと同じように丈瑠は鼻で笑った。
「そういうことは、俺に勝ってから言え。さあ、早くシンケンブルーになれ!そうしないと、認めない」
 煽る丈瑠。丈瑠の精神状態に不安を抱く流ノ介。流ノ介は丈瑠を見つめる。丈瑠も流ノ介を睨み返した。ここまで来ては、丈瑠はもう引かないだろう。しかもこれほど煽られては、何もせずには治まらない。流ノ介は俯いて、首を振った。どうにもならない。そう思いつつ、流ノ介はともかくショドウフォンを出した。
「一筆奏上!!」
 懐かしい言葉を、これほど苦々しい思いで叫ばねばならないとは。そう思いながら、流ノ介はシンケンブルーになった。それを心配そうに眺める千明と黒子たち。顎を上げて冷たく見つめる丈瑠。
 シンケンブルーになった流ノ介は、明らかに仕方ないと言った風情で、シンケンマルを中段に構えた。それに対して丈瑠も、木刀を構える。ブルーを正面にして、丈瑠はすっと両手を上げて、上段に構えた。






 そこに朝っぱらからの騒ぎを聞きつけた彦馬が、ドタドタと足音も大きく駆けつけてきた。
 広い志葉邸の中を駆けてきたために、縁側の柱に手をついて荒い息をつきながら、庭で相対する丈瑠とシンケンブルーを見て、彦馬の顔は青くなる。
「殿!!何をしておられる!?」
 彦馬は履物も履かずに庭に下りて、二人の間に割って入った。
「殿!これは、どうしたことです?流ノ介も何だ!?」
 叱りつける彦馬に、シンケンブルーは助かったとばかりに、すぐさま片膝付いて控える。しかし丈瑠は険しい表情のままで、彦馬を睨みつけた。その丈瑠の様子に、彦馬も久々に丈瑠を怒鳴りつける。
「殿!朝から、何のおつもりか?こんなみっともない真似は、殿のなさることとは………」
「爺」
 しかし丈瑠は怯まなかった。
「何故、昨日、流ノ介たちを泊めた」
 丈瑠が表情のない顔で、彦馬を見つめる。
「………はっ?」
 彦馬が驚いて言葉に詰まった。確かに昨晩、丈瑠に相談なしで、勝手に流ノ介たちを志葉屋敷に泊めたのは彦馬だった。しかし、それは丈瑠が早々に寝室に引っ込んで、出てこなかったせいでもある。
「いや、それは………」
 結局は、丈瑠に甘い彦馬。丈瑠に睨まれると、しどろもどろになってしまう。
「俺たちが泊めてくれって、爺さんを脅したんだよ。爺さんのせいじゃない」
 見かねた千明が、助け船を出した。しかし、それを丈瑠は鋭い眼差しと共に遮る。
「お前には聞いていない、千明!俺は爺に聞いている」
 それはある意味、彦馬と丈瑠の間に千明など入りこませるものか、という丈瑠の意思表示でもあった。そんな屈折した丈瑠の気持ちも解る彦馬は、ここは素直に引き下がる。
「申し訳ありません。殿のご許可は頂きませんでしたな。爺の独断でした」
 丈瑠は上目遣いに彦馬を見て、すぐにそっぽを向いた。
「爺が泊めたから、こんなことになっているんだ」
「殿」
 それでも、丈瑠のしようとしていることが、いまひとつわからない彦馬が、丈瑠の真意を質そうとすると、丈瑠が彦馬を睨んだ。
「とにかく、爺は黙ってろ」
 それだけ言うと、丈瑠は顎をくいと上げて、流ノ介に立つように指示する。そして再び、二人で向かい合った。
 千明が爪を噛みながら呟く。
「だいたい、丈瑠が生身でいたんじゃ、流ノ介だって本気出せねえよ。そんなこと、少し考えれば判るだろうっつーの」
「どうかな」
 彦馬が相対する二人から眼を離さずに応える。
「殿がそんな状況を許されるとは思えない。流ノ介に闘うように仕向けるのだろう」
「どうやって!?」
 千明が彦馬をみたが、彦馬は険しい顔のまま首を振った。






 流ノ介が戸惑いながらも、改めてシンケンブルーのまま中段にシンケンマルを構える。流ノ介の中では、丈瑠への対応に迷いがあった。もちろん、生身の丈瑠に対して、本気でシンケンマルを振るえる訳はない。しかし軽く丈瑠をいなせるとも思えなかった。丈瑠がこんな挑発をしてくるには、それなりの勝算があるのだろうから。
「私はどうすれば………」
 心の中でそう呟いた瞬間だった。
「流ノ介、迷っているな!!」
 丈瑠の声がして、衝撃が脳髄に走る。
「………うっ」
 よろめいて片手を地面についた流ノ介の視界に入ったのは、シンケンブルーの面を打った丈瑠の姿だった。
「馬鹿」
 丈瑠は軽く言う。
「俺と向かい合っているのに、気を抜くな」
 丈瑠はシンケンブルーのマスクを、さらにこつんと叩いた。
「………はっ」
 シンケンブルーは頭を垂れる。
「参りました、殿………」
 と言い終わらない内に、再び丈瑠の木刀がシンケンブルーの頭を襲う。シンケンブルーはそれを横に跳んで避けた。片膝付いたまま顔を上げると、そこには呆れたような顔の丈瑠がいた。
「今ので、何が参った、だ。いい加減にしろ。ちゃんと向きあえ!!」
「あっ………はい………」
 これだけでは許してもらえないことが分かったシンケンブルーは、仕方なく丈瑠の前に立った。それでも、丈瑠にどう向かい合ったらいいのか、決められない。それを見た丈瑠が、ため息をつく。
「流ノ介、本気を出せ」
 流ノ介は困り果てた。
「しかし殿、私はこれでは………」
 ついに泣きごとを言い始めた流ノ介を、丈瑠がきっと睨んだ。
「できないのか?手合わせを願い出たのはお前だ。それでこの様か!?それでも侍か!?」
 丈瑠は、流ノ介の信条を刺激するような言葉を連ねた。シンケンブルーは俯いてしまうが、それでも丈瑠に対して真剣に向き合う気持ちはないようだった。丈瑠がわざと刺激的な言葉を使っているのが、流ノ介には判っていたから。そしてそういう流ノ介の心の中が見えてしまう丈瑠も、さらに苛つく。
 丈瑠は唇をかむと、左手に持った木刀で、シンケンブルーの頭の上ぎりぎりの高さで、勢いよく真横に空を斬った。シンケンブルーはびくりとしたが、それ以上は動かなかった。そして丈瑠を見上げる。
「なるほど。そういうことか」
 丈瑠はシンケンブルーを見降ろし、皮肉そうに口の端を上げた。
「判った。お前にはもう二度と、志葉家の敷居はまたがせない!」
「そ!そんな!!殿〜!!」
 さすがにこの言葉には、流ノ介も反応した。情けない声が庭に響く。
「それでも私には無理です!!殿〜〜」
 いきなり丈瑠の袴の裾に縋りついたシンケンブルー。瞬時に後ろに飛びのいても追い縋ってくる。あまりに強い力に、しっかりと穿いているはずの丈瑠の袴が、ずれそうになる。これには、さすがの丈瑠も作戦を変えるしかなかった。
「判った!流ノ介!!判ったから、離せ!!」
 袴を押さえながら、丈瑠が妥協案を出す。
「寸止めでもいいから、本気になれ!!」
 それにシンケンブルーが突然、態度を変えた。
「………あっ。寸止めでもよろしいので?」
 まっすぐに顔を上げて、丈瑠を見つめるシンケンブルー。
「ああ。仕方ない」
 この流ノ介の余裕は何なのだろう、と袴を直しながら丈瑠は不快に思う。丈瑠の答えに、シンケンブルーはすっくと姿勢よく立ちあがった。
「それだったら、大丈夫です」
 流ノ介が嬉しそうな声を出した。
「殿!!お覚悟を!!」
 能天気に、元気よく、気勢を上げる流ノ介。

「なんなんだよ、あれ。馬鹿じゃねえの」
 千明が呆れたように呟く。
「………流ノ介らしい、というか、何と言うか」
 彦馬も苦笑いする。しかし流ノ介はその熱さで、あれだけ煽っていた丈瑠から譲歩を引き出したのだ。それに強く感じ入る彦馬だった。

 シンケンブルーと丈瑠は、やっとお互いに本気で向かい合った。











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2010.05.08