花 影  14














 丈瑠が一気に語ったこと。
 多分、丈瑠がずっと考えてきたことなのだろう。
 流ノ介たちが花見で志葉屋敷を訪れると聞いた時から、どのように彼らと接したら良いのか。今後はどう付きあって行けばいいのか。新たな関係性を確立するためには最初が肝心と、彼らへの接し方も思案し続けてきたのだろう。
 昨日、そのように対応したつもりだったのに、朝からまた纏わりつかれた。ここできっちり線を引かねば、後がまずいと思った丈瑠は、迷って迷って、でも最後には、丈瑠らしいやり方しか思いつかなかった。
 丈瑠のあの気迫は驚くべきものだが、それよりも、丈瑠はあの時、全身全霊を賭けてでも、彼らに圧倒的な強さを誇示して、彼らを退けねばならなかったのだ。昨年、まだ侍たちが闘いに慣れていない頃、兜ディスクを使えないのに使えると偽ってでも、侍たちの士気を鼓舞した時の丈瑠と同じように。
 けれどあの時と違ったのは、侍たちを引き連れるためか、拒絶するためか、という点だ。だから彦馬は今、丈瑠のやり方に賛成の立場にいられない。丈瑠の側に立てる唯一の彦馬だったが、それでも、これだけは賛成しかねた。もちろん、丈瑠自身のために。






「殿」
 彦馬が真剣な眼差しで、丈瑠をみつめる。
「殿の仰りたいことはよく判りました。彼らを思いやる殿のお心遣いはご立派。しかし彼らはそれを望んではおりません。今でも殿の忠義の家臣、殿をお守りするためなら命を賭けると………いえ、実際にはそこまでできなくとも、そうありたいと望んでいるのです」
「馬鹿な!」
 丈瑠が言下に切り捨てる。
「馬鹿なことではありませんぞ」
 しかし彦馬も引き下がらない。丈瑠は彦馬を睨みつけた。
「何が忠義の家臣だ。一年前だって、そんなことは考えるなと俺は言った。ましてや千明なんか、そんなことを思うはずもないだろう」
「いえ。千明だとていろいろ考えているのです。そして、この一年、ドウコクとの闘いを経たからこそ、彼らが新たにした想いと言うものもあるのです。殿もそうだったのではないのですか!?侍たちとの絆こそが、ドウコクを倒す力だったとお思いだったのでは?それを今、殿は彼らの想いも聞かずただ拒絶されるばかり」
「違う!ドウコクを倒した時とは違う!!」
 丈瑠がドンッと右足を膝立てた。
「いいか、爺。あいつらが何と言おうと関係ないんだ」
「何と仰る………」
 彦馬も丈瑠を睨む。二人は暫く睨みあった。負けたのはいつもと同じ、丈瑠だ。丈瑠は出した足をそのまま投げ出し、横を向いた。
「いいか。あいつらは、もう一般人なんだ。俺たちが関わってはいけない領域の人間なんだ!」
 彦馬の腰が思わず浮く。彦馬は目を見開いて、廊下の板間から、丈瑠がいる座敷ににじりよった。
「殿!?彼らを………殿は一般人と仰るのか?彼らは侍ですぞ!侍として生きることを運命づけられて………」
 その瞬間、丈瑠が叫んだ。
「しつこい!同じことを何度も言わすな!!あいつらのことは、一般人として扱え!そうしたらもう、爺もあいつらを屋敷の中に入れるなんてことは考え付かないだろう!」

 一瞬、丈瑠の部屋の周りで物音がしなくなる。廊下に足を踏み入れかけていた黒子までもが、動けなくなっていた。
 丈瑠は彦馬がここまで食い下がるとは思っていなかったらしく、唇を噛みしめる。
「俺だけでいいんだ!ドウコクを倒した今、それでも外道衆と闘うだけの生活なんて………そういうのは、俺だけで十分なんだ。志葉家当主というのは………それこそ、そういう役回りなんだから!」
 それは、志葉家当主として育てられ、そして一度は当主の座から外れたにも関わらず、再び当主として立たねばならなかった丈瑠だからの言葉。もう、やらされている当主ではない。運命の当主でもない。志葉家十九代目当主は、これだけは、自分で選びとった道なのだ。
「俺だけでいいんだ………」

 彦馬はこの丈瑠の言葉に衝撃を受けた。
 先ほど、丈瑠が流ノ介たちの『将来の夢』『希望』というような言葉を出した時、彦馬は丈瑠にこそ同じ言葉を返したかった。千明や流ノ介が、普通の生活に戻れて、それが当然と言うなら、丈瑠は何故そうであってはいけないのか。しかし今、丈瑠はそうあるべきではないと、丈瑠だけが闘い続けるべきと断じた。丈瑠が志葉家十九代目当主だからそう考えるというのなら、そんなものは捨ててしまった方が丈瑠のためなのではないのか?彦馬は、そこまで思った。
 しかし、こればかりは軽々しく口にできる言葉ではない。

「殿!一年前にも爺はお伝えしたはずですぞ。殿だけではやりきれない部分がいつか出てくると………」
 だから、他の理由で丈瑠の翻意を図ってみる。
「そんなことはない!」
 当然、丈瑠は納得しなかった。
「ドウコクはやっつけた。後はナナシと、出てきてもたいしたことのないアヤカシだけだ。時間と共にアヤカシの力も衰えて行く。そう言ったのは爺だろうが!」
「それはもちろん、そうですが………」
 彦馬もこれには頷くしかない。
「だったら俺一人で対応できる。それにもし………いつかまた、ドウコククラスの奴が出てきたとしても」
 そこで丈瑠は、拳を握りしめた。
「俺はやる。ひとりでやれる。外道衆の誰にも、爺や黒子に手出しさせないし、流ノ介や千明を危険な目にも合わせない。そのために………もっと、もっと………俺は強くなる」
 丈瑠は、自分の拳をじっと睨む。それを彦馬が心配そうに見つめた。やがて丈瑠が顔を上げて、彦馬を見た。そして子供のようなあどけない顔で微笑む。
「だから安心しろ、爺。俺一人で絶対にやりきるから」
 それを聞いた彦馬の眼には、涙が滲みそうになった。


 丈瑠の硬い決心。
 これは、そう簡単に翻せるものではない。

 彦馬はそう思うしかなかった。しかしこんな決心を、彦馬が望んでいる訳ではない。丈瑠の悲壮な決意に、感動の涙が滲むのではない。
 十七年前から彦馬が丈瑠に望み続け、志葉家も丈瑠に望んだ、まさしくそれを体現する目の前の丈瑠。そんな丈瑠が、今となっては哀しくて仕方なかったのだ。強制されているならまだしも、今の丈瑠は自ら、自分を闘うだけの存在にしてしまっている。そして、それをもっともっと推し進めて、誰よりも強くなると言うのだ。
 確かに、わずか一年前、兜ディスクすらまともに扱えなかったことを思うと、今の丈瑠になるために、丈瑠がどれほどの努力をしてきたのか。それだけでも想像を絶する。そういう、ひたむきな丈瑠を褒めてやりたいと思う。誇りにだって思う。
 しかし一歩外から見た時、丈瑠のこの生き方は、外道衆と同じではないのか?人々には迷惑をかけないし、人々を守っているという意味では、外道衆と正反対だろう。しかし、一人の人間としての在り方、生き方として見た時には、丈瑠と外道衆たとえば腑破十臓と、どこに違いがあるというのだ?
 ただ闘いのみを自らに課し、ひたすら強さを求めるその姿は、斬り合いだけを求める十臓となんら変わりないではないか。
 彦馬は思わずぞっとする。いつの間にか丈瑠は、目に見えない底なしの闇に足を踏み入れているのではないだろうか。







 彦馬が黙り込んだ隙を狙って、黒子が部屋に入って来た。黒子が彦馬に、朝食の準備が整ったことを告げる。それを聞いた丈瑠が頷き、すぐに立ちあがった。まだ話を続けたかった彦馬だったが、とはいえ何をどう丈瑠に話せばいいのか見当もつかない。まさか、十九代目当主を下りては………とは言えないだろう。
 彦馬も仕方なく、丈瑠の後ろについて朝食の間に向かう。
 爽やかな風が薫る朝の廊下だったが、彦馬の心には重石が乗ったようだった。


 朝食の間に足を踏み入れた所で、丈瑠の顔が大きく歪んだ。
 上座に丈瑠の膳。少し離れた横に彦馬の膳。それはいいが、それと向かい合う下座に、当り前と言った顔をした流ノ介と千明がいたからだ。普段着に着替えた彼らは、もちろん朝食の膳を前にしていた。

「どういうことだ!」
 丈瑠が怖い顔で彦馬を振り返るが、彦馬が何か言うより早く、口の早い千明が叫ぶ。
「あ、爺さん関係ないし!だってお泊りして朝飯なしって、ないでしょ?って黒子ちゃんに言っちゃった」
「久々に志葉家の朝食が食べたくなりまして。無理をお願いしてしまいました〜〜!!」
 それに続く流ノ介も、先ほどの手合わせのことなどなかったかのような能天気さで、頭を下げる。
「昨日のごーかな食事もいいけど、やっぱ朝はこれだよね。ご飯に味噌汁!焼き魚に焼のり、大根おろしが添えられた出汁巻き卵に、煮物とお浸し。納豆。それにお茶!!あー、日本の朝ごはん!!」
 千明に言われて朝食の膳を見ると、確かにそれらが並んでいる。丈瑠と彦馬だけの朝食のメニューより明らか多い。侍たちがいた頃、二ヶ月前の男子朝食メニューだ。だいたい、丈瑠だけなら朝からこれほど食べることなど無理だ。
「メニューまでこいつら仕様か………」
 丈瑠が忌々しげに彦馬を睨むが、それこそ彦馬は首を振って自分は知らないと告げる。丈瑠が廊下に立ちつくしていると、千明がさも迷惑そうに丈瑠を睨んだ。
「ちょっと早く席についてくれない?丈瑠が席につかないと、黒子ちゃん、飯食わせてくれないんだぜ。知ってるだろ?俺、五時起きで腹ぺこぺこなんだからさあ」
 それに流ノ介が呆れる。
「お前はいつでも、腹をすかしているんだな」
「へっ。悪うござんしたね。放っとけっての!」
 千明は箸を握りしめて、早く座れと丈瑠に指示する。
「おまえら………」
 丈瑠が怒りを顕わにしても、千明は全く悪びれなかった。丈瑠が座ると同時に
「はい、はい。いただきまーすっ……と!」
 とご飯をかき込み始める。
「だ〜か〜ら!侍は、返事は一回!!食事は、よく噛めと言っているだろうが!!」
 そして流ノ介も、いちいちそれに反応する。
「本当にあんた煩いね。黙って食えないのかよ、流ノ介」
 千明がまたそれに対抗する。
 そんな二人を目の前にした丈瑠は、もう呆れ果てて物も言えない。いつもの静かな朝食の時間は、そこには存在しなかった。

 あまりに突然の環境の激変に、丈瑠まで、醤油のついた焼き海苔を落としたり、出汁巻き卵を箸で潰してしまったりする。丈瑠のその動揺ぶりに、険しかった彦馬の顔もやっと緩んできた。
 侍たちと同居生活を始めた頃の丈瑠が、まさしくこうだったことを彦馬は思い出す。丈瑠にとっては、流ノ介や千明の在り方、それは食事ひとつとっても、カルチャーショックだったのだ。
 もしも丈瑠が、彦馬の手の届かぬ世界に足を踏み入れかけているのだとしたら、そこから丈瑠を引き戻すことができるのは、丈瑠とは全く異なる、けれど丈瑠を思ってくれるこの侍たちしかいないのではないか。彦馬は味噌汁椀を手に持ったまま、じっと三人を眺めた。

「何、丈瑠?箸使い、下手になったんじゃねーの」
 丈瑠がボロボロと焼き魚を落としているのを見た千明が、席から立ってわざわざ丈瑠の右横に覗きに来た。
「ああ。やだねえ。こんなにこぼしちゃって」
 硬直している丈瑠の膝に落ちた魚の欠片を、千明がつまんで自分の口に入れる。
「ああ。美味しいのにもったいねえな。おい、丈瑠!食べ物は大事にしろって、爺さんに習わなかったのかよ!作ってくれている黒子ちゃんにも悪いだろ!!」
 激しく憤慨はしているものの、一言も言い返せず、千明を呆然と見上げる丈瑠。その丈瑠の様子に、暗かった彦馬ですら、丈瑠の横で必死に笑いを堪える。
「殿!!どうかなさったのですか!?」
 流ノ介が突然叫ぶに至っては、丈瑠は思わず持っていた茶碗を手から転げ落としてしまった。黒子がすぐに駆け寄ってきて、落とした茶碗を持ち去り、こぼれたご飯も片付けてくれる。丈瑠はこんな粗相をしたのがあまりに記憶の彼方なので、もう、どうしていいかわからず、ただ黒子のされるがままになっていた。それを見た流ノ介がまた
「殿〜〜!!」
 と丈瑠の左横に跳んできた。そして丈瑠の左手首を自分の手の上に、やさしく取る。
「右手も、左手までも………痛められておられるのですか!?」
 流ノ介がそう言って、丈瑠の手首をやさしく撫で始めるに至っては、丈瑠の全身に寒気が走った。
「あ”あ”あ”あ”あ”〜〜」
 ついに丈瑠は、勢いよく流ノ介を跳ね飛ばす。
「殿!?」
 後ろに尻もちをついたまま、驚いている流ノ介。
「殿、どうされたのです?」
「気色悪いことは止めろ!!うわっ!!」
 丈瑠の最後の叫びは、流ノ介に向かっている間に、今度は丈瑠の右横にいた千明が丈瑠の右手首を取ったからだ。
「や、やめろ、お前、何を………」
「丈瑠、蕁麻疹出てるぜ。ほら、どうしたんだよ」
 そう言って、自分の手のひらを顔の前に突き出されて、丈瑠の我慢も限界を超えた。
「いい加減にしろ〜〜〜!!!!」

 丈瑠は勢いよく立ちあがった。
「俺はもういい!!お前たちだけ、食べてろ!!」
 それだけ言うと、丈瑠は部屋を出ようとする。それに慌てた顔で流ノ介が聞いてきた。
「殿!どちらへ?」
「どこへだっていい!!!」
 丈瑠は叫ぶ。
「お前たちは、朝食を食べたらすぐに帰れ!!いいな、すぐに帰るんだぞ!!」
 そうして丈瑠は、今度は笑いを堪えている彦馬を睨んだ。
「爺!!こいつら、ちゃんと帰すんだぞ。それまで変なことをしないように、見張ってろ!!そして門から出したら、二度と絶対にこいつらを屋敷に入れるな!!」
 それだけ言うと、丈瑠は廊下に消えて行った。

















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2010.05.19