彦馬が丈瑠との会話から朝食の間に戻る。 見ると、千明が丈瑠の座布団にちゃっかり座っていた。 「丈瑠ってさあ」 千明は、丈瑠の残した、潰れた出汁巻き卵を手で摘まんだ。 「もとの黙阿弥………ってやつ?」 彦馬は改めて自分の席に座り、隣の千明を見つめた。 「なんか、初めて会った時の、俺たちと一線引いてる殿さまに戻ってる気がするんだけど?」 口の中に出汁巻き卵を放り込み、黒子に親指を立てながら、千明が呟く。 「二ヶ月前別れる時は、な〜んか気持ちががっつり繋がった………って感じたし」 それから、千明は身体の後ろに両手をついて、天井を見上げる。 「だからこそ、丈瑠を超えるために俺、死ぬ気でガンバローって………」 そこまで言うと千明は、今度は両拳で顔を覆った。 「それだけじゃなくて、やっぱ俺、丈瑠に前を歩いていてもらわないと、なんか物足りなくて。丈瑠と離れてそれを実感しちゃったんだよな。だから、これからも俺、丈瑠の傍にいたいし、それに丈瑠の役に少しでも立ちたいし、とか考えたのにさ。それ言う隙もねえよな。それでいて、俺が役に立たねえってあんなにはっきり言うし。そんなの昔っから知ってるけど………」 落ち込む千明の肩に、流ノ介が手を置いた。 「千明」 千明が拳を外して、赤い目を流ノ介に向ける。それに流ノ介は深く頷いた。 「お前が役立たずなのは、誰もが知ってることだ。安心しろ」 「………なっ、何だよ、それ!!」 流ノ介に掴みかかろうとした千明だったが、流ノ介がぱっと後ろに下がったので、畳に倒れこんでしまう。そのすぐ先に、勝ち誇ったように流ノ介が立つ。 「りゅーのすけーーーー」 恨みがましい目で、見上げる千明に流ノ介は言った。 「だいたい、お前は予備校生だろうが。予備校生とはつまり、浪人。浪人とはつまり、殿には仕えることができぬ者。殿がお前の話など聞く訳もないだろう」 胸を張って言う流ノ介の言葉に、朝食の間にいた全員が、唖然とした。 「りゅーーーーのすけーーーー、お前はーー」 千明が畳に爪を立てて、唸る。 「それって差別だろうが!!」 「差別ではない、区別だ!!殿は区別なさっているのだ!!」 流ノ介の言葉に、彦馬がはっとする。食事の直前に、丈瑠に怒鳴られた言葉が、頭に浮かぶ。 『爺は二ヶ月前と今の区別がついていない!』 流ノ介は同じことを言っているのか?彦馬は思わず、流ノ介を見上げた。 「とにかく、殿はもとの黙阿弥などではない。殿は一年前とはまったく異なる次元から、また我々に接しているのだ」 「………異なる次元?」 彦馬が聞きたいことを、千明が口にする。それに流ノ介は顎に片手を当てて、考えるような格好をする。 「だいたい、殿がこういう態度をとられることくらい、お前は予想していなかったのか?」 「えっ?」 「私は当然、予想していたぞ。だいたい公演の招待状も受け取って頂けるとは思っていなかった。だから事前に、殿がああ言ったらこう。こうしたら、こう………と出方まで考えてきた。そして首尾よく受け取って頂けたのだ。ははははは」 高らかに笑う流ノ介に、千明も彦馬も、ただ茫然とした。 「流ノ介。お前は本当にそこまで考えていたのか?」 彦馬が聞くと、流ノ介は胸を張った。 「当然です!!ドウコクを倒した今、殿が我々のために、我々を闘いから遠ざけようとする………なんてのは、あの殿の性格からして予想済み!その想いが過ぎれば、殿は我々をこの志葉家からも遠ざけようとするでしょう。それを殿に如何にさせないか、これがこれから殿にお仕えする重要ポイントなのです!」 人差し指を立てて叫ぶ流ノ介に、千明が疑いの目を向けた。 「………本当かよ。本当にお前はそこまで予想してきたのか?」 「当然!!いいか、千明。ここはきっと、来年のセンター試験にも出るから、きっちり押さえておくんだぞ。というか、お前は本当に、こういう風に殿がでられることを予想していなかったのか?」 流ノ介の余りに下らない冗談に呆れつつも千明が頷くと、流ノ介はまたも高笑いをした。 「ははははは!!これでは千明は、来年もとても大学に受かりそうもないな。残念だな。来年も浪人で、殿にお仕えは無理………」 「ちがうーっ!」 ついに我慢できずに千明が叫んだ。 流ノ介も思わず黙る。千明が起き上がって、あぐらをかいた。 「俺は!!俺は、丈瑠を超えたいんだ。超えたいけど、超えたいんだけど、丈瑠の役にも立ちたいんだよ!!」 「だから浪人の間は無理と………」 「だから、ちがう!!って言ってんだろ!!」 千明が涙目で叫ぶ。 「何が違うんだ!浪人は駄目なんだって!お前、侍のくせに日本史もだめなのか?センター試験で取る科目、よく考えろよ。でも侍だったらやっぱり日本史Bはとらないとな。そして、浪人とはつまり………」 千明のあまりに真剣な様子に多少おされながらも、流ノ介も頑固に態度を変えない。 「だーかーらー!違うんだよ!!俺の話聞けって!!」 千明が立って、流ノ介に顔を突き付けた。 「だから、何が〜〜!!」 流ノ介も同じように、千明に身体をぶつけていく。本当に相変わらずで子供のような二人の間に、彦馬が割って入る。 「お前たち、いい加減にしないか!!」 流ノ介がはっとして、すぐに引く。そして彦馬に頭を下げた。 「彦馬さん。申し訳ありません」 しかし千明は、まだ流ノ介に手を伸ばしていた。 「だから………だから!!俺は!俺は、親父の後を継ぐことにしたんだよ!!」 「………へっ?」 下げていた頭を起こして、流ノ介が目を見開く。それに千明が悔しそうに叫ぶ。 「だから俺は親父の後を継ぐの!!そう決めたんだ!!」 「千明の父上の後を………か?」 流ノ介が、千明の父である蔵人を思い出す。しかし、思いだせるのは、その姿ばかりだ。確か着ていたものはアロハシャツ?剣の腕前はかなりらしいが、それでも、侍としてはかなりいい加減な感じの友達親父? 「あの父上の後を継ぐ?その継ぐ商売………って、何だ?サーファーとか?いや、海の家でもやっているのか?ちょっと見方を変えて、テニスのコーチとかもありそうかな?じゃあテニスクラブ経営?それともスポーツ店経営か?」 流ノ介があまりにいい加減な想像を連ねる。 「あのなあ!!………って、でも確かに店には、サーフボードとかラケットとか置いてたかもな?でも!くっそお!!」 千明が朝食の間を行ったり来たりしながら、流ノ介にどう言ったらいいのかと苛つく。彦馬がそれをなだめようとするが、千明はそれでも治まらない。その時、流ノ介が両手をぽんと叩いた。 「ああ!そういうことか!!」 「何だよ、判ったのかよ?」 千明が忌々しそうに流ノ介を見た。流ノ介が、またも得意そうに胸を張る。 「判った。父上の店を継ぐ。つまり、大学受験は止めた………ということだな」 「ああ、もう!!だから、違うんだよ!!」 千明が両手を振って怒るが、流ノ介はその千明の頭を、嬉しそうに抱え込んだ。 「いい、いい、千明。お前の気持ちはよーく判った。つまり、いつでも殿と共に闘える体制を取ると、そういうことだ」 そこまで言った流ノ介は、はっとして、その言葉を自分で噛みしめる。 「そうか!そうだったのか!!千明!!」 そこまで言うと、流ノ介は俯いてしまった。 「え?何だよ、流ノ介!!」 千明と彦馬が、俯いた流ノ介を覗きこむと、流ノ介がぱっと顔を上げた。その瞳から、涙がぽろぽろと流れていた。 「お前は偉い!偉いぞ!!それに比べて私は………」 流ノ介はそう言うと、千明の両肩に手を置く。 「歌舞伎と殿にお仕えすること。これらをなんとか両立できないかと、私は未だに迷いから抜けられぬ。とは言え、迷ってばかりもいられないので、とりあえずこうして、殿にアタックしている訳だが」 あああ。ううう。そう言ってそのまま俯いてしまう流ノ介。流ノ介の真下の畳には、ポタポタと涙がこぼれる。千明は思いっきり顔を歪めて、両肩にのる流ノ介の手を払い落した。 「千明」 涙目を隠すこともせずに、千明を見つめる流ノ介。 「ああ!もう!!お前………何言ってるんだが、さっぱりだよ。お前の想像、全部、間違いだから」 「いい。いいんだ、千明。お前の気持ちは判った。よし!!」 当然だが流ノ介は、千明の話など聞いていない。今度は千明の肩に手を回すと、そのまま天井に向かって指をさした。 「それならば、話は早い!!やはり、どんなに殿に疎まれても、共に殿について行こう。それが志葉家に仕える侍の務め。千明、あの殿の星を目指して!!」 「あああああ〜!うぜえんだよ、流ノ介!!」 千明が叫ぶと共に、流ノ介に足技を賭けて、流ノ介を引き倒す。しかし流ノ介もそんなものには掛からない。すぐに体勢を整えて、千明に向かい合った。 「何をするんだ、千明」 今まで涙を流していたかと思うと、今度は怒っている流ノ介。そこで千明がふと真面目な顔をした。 「なあ、ちょっと待てよ」 それに流ノ介も真面目な顔に戻る。 「お前さあ、丈瑠の反応、予測してたんだろ?それで、昨晩、泊って行こうってしつこかったのか?」 流ノ介は頷いた。 「それって、朝稽古で丈瑠と手合わせして、丈瑠に認めさせようとしたってこと?それも計画していた訳か?」 それにも流ノ介は頷く。 「朝稽古とは限らなかったが、殿が今日、出かけるらしいと黒子さんたちに聞いて、そうなった。少しは役に立つと認めて頂けると思っていた」 そこで千明が首をひねった。 「じゃあ、あの様は何だったんだよ?」 それはもちろん、朝稽古で流ノ介が丈瑠に完敗したことだ。しかし流ノ介は悪びれる様子もなかった。 「あれは、つまり、失敗したということだ。殿が強すぎた」 あまりに簡単に負けを認める流ノ介の態度に、千明の顔が歪む。 流ノ介がかなりの剣の使い手だと言うことを千明はよく知っている。その流ノ介がこうも簡単に丈瑠への負けを認めるとしたら、自分など到底丈瑠にはかなわない。それが想像つくだけに、自分より強い流ノ介には、もう少し丈瑠に対抗して欲しいのだ。 「何だよ〜。予想していて、あれだったのかよ〜」 千明が悔しそうに言うと、それでも流ノ介は平然としていた。 「それだけ殿が凄かった………ということだ」 流ノ介にとっては、今の丈瑠は、到底自分の手に届く範囲にないことが、はっきりと判る相手だった。千明程度の腕では、それが判らない。あるいは、丈瑠に対抗しつつ、実は丈瑠が大好きで丈瑠に近づきたくて堪らない千明だから、手が届かないことを認めたくないのかも知れない。しかし、そんな幼稚な感情を、流ノ介は持っていなかった。実力差を認めない限り、上達も望めないことを、流ノ介は今までの稽古で思い知っている。 「大方の所は、殿の行動は私の予想通りだったのだが………私が思っていたよりも、ずっと殿は深く真剣に考えていらっしゃるのだろう。そのお覚悟で毎日、ご自分を鍛えていらっしゃる………それが、殿にあそこまでの気迫を………」 そこまで言った時だった。流ノ介の前に、彦馬がずいと歩み出た。その威厳に、思わず流ノ介も千明も、話を止めて彦馬を見る。 今まで、流ノ介と千明の漫才同様の喧嘩を、呆れつつも見ていた彦馬だったが、どうしても流ノ介に聞きたいことがあったのだ。 「流ノ介」 彦馬はじっと流ノ介を見つめた。 「お前には、殿のお気持ちがわかるのか?」 くるくると表情が変わり、どれが真意が計りかねるところもある流ノ介。だが、今流ノ介が話していることは、彦馬にとってとても大事なことだったのだ。どれほどふざけているように見えても、流ノ介がいつも大真面目であることも、この一年でよく判っている彦馬は、真っ直ぐに流ノ介に向かう。 「はい」 そのような彦馬の様子を感じ取った流ノ介も、本当に真面目な顔で応えた。 「殿は………殿は………何を考えておられるのだ?」 彦馬は上擦りそうになる気持ちを必死で抑えた。 「はい?」 流ノ介が首をかしげる。彦馬はもどかしい思いをしながらも、あまりに焦って、流ノ介に何かを悟られてはと思いつつ、でも、聞かずにはいられない。 「殿は、いったいどこへ向かおうとして………おられるのか」 しかし、さすがは流ノ介だった。彦馬の思いをさっと汲み取る。それは、流ノ介も同じ思いを抱いていたから。同じ思いを、ずっと悩んできたから。丈瑠が影武者と知った時、流ノ介は人生最大の衝撃を受けた。あの時、今までの全てを失ったと思ったのは、何も丈瑠だけではないのだ。 そして流ノ介は、彦馬とは立場こそ違えど、丈瑠に対する思いは負けないと自負している。彦馬は実際の戦闘以外については、あらゆる面で丈瑠をサポートしている。しかし彦馬は、闘いの最中の丈瑠をサポートすることはできない。だからそれこそが、彦馬には絶対にできない自分の役目と、流ノ介は確信していた。 流ノ介は、彦馬をじっとみつめた。彦馬が欲しい答えは、きっとこういう話なのだろう。そう思って応える。 「殿は、志葉家十九代目当主を、真っ当されるお覚悟」 あまりに当り前の答えに、彦馬が少し拍子抜けしたような顔をした。しかし流ノ介は構わず続ける。 「それも殿が目指されるは、完全無欠な当主、シンケンレッド。例え封印の文字が使えなくとも、そんなことが問題にならないほどの、歴代の当主よりもレッドよりも、さらに完璧に。誰よりも強く揺るがないシンケンレッド」 そこまで言った時に、彦馬の顔色が変わる。横に立つ千明は、今一つ、話の方向性が見えないと言う顔だった。しかし彦馬は、食い入るように流ノ介を見た。 流ノ介はそこで、ひとつ息を吸う。これは、あまり言いたくないこと。しかし、丈瑠の思いを表すには、言わずにはいられない言葉。だから。この彦馬や、ここにいる黒子たち。そして千明の思いが同じものであると信じて、もう二度と口にしたくなかったことを、敢えて流ノ介は口にした。 「それが志葉の血を持たぬのに、改めて自ら、志葉の当主に就かれた殿のお覚悟なのです」 小説 次話 2010.05.26 |