花 影  17














 流ノ介の言葉に、朝食の間は水を打ったように静かになった。

 今では、志葉屋敷の者、誰もが知っていること。でも決して口にしないこと。それは必要がないから。互いに心の奥に秘めておけばよいことだから。何故なら、丈瑠が志葉家の血を引かないことは、丈瑠が真の志葉家十九代目当主であることの支障には、今となってはならないのだから。
 しかし流ノ介は今、敢えてそれを口した。そして流ノ介は言うのだ。だからこそ、丈瑠は今の在り様なのだ、と。

 流ノ介の話に一番衝撃を受けていたのは、彦馬だった。彦馬は己を恥じていた。多分、彦馬も同じようなことを感じていた。いや、本当は心の底では、解っていた。しかし彦馬は、丈瑠が志葉家の血を引かないということを、どれほど気に病んでいるかを、明らかにしたくなかったのだ。
 丈瑠の存在の根源にも繋がる丈瑠のコンプレックス。これは丈瑠が本来持ち合わせたものではなく、彦馬や志葉家が、丈瑠に押し付けてしまったものだ。丈瑠自身の努力ではどうにもならないこと。それでも、丈瑠はそれを乗り越えようとしている。
 考えてみれば、ドウコクとの闘いの最中のあの状況で。闘いの士気が著しく低下し、志葉家が混乱し意気消沈している時。丈瑠が『十九代目当主に就くこと』への要請を断れるはずがなかったのだ。あの時丈瑠は、何を思ってそれを受けたのか。それは、世の中を、人々を守らねばならない、シンケンジャーの侍たちをこのまま無駄死はさせられない、ただそれだけの気持ちだっただろう。そこには、己の望むところは、なにひとつ入っていなかった。
 彦馬は、十七年間、丈瑠を育ててきたのだ。丈瑠の考えることなど、本当は否が応にも解ってしまうのだ。全てが明らかになった後で、志葉屋敷に残ることも、もう一度当主の座に就くことも、あの丈瑠が望むわけがなかったのだ。影武者の役目が終わった所で、丈瑠は自分の存在も、終わらせてしまいたかったのだろうから。
 けれど彦馬はそうは思いたくなかった。自分がそう育ててしまったのに、そう思いたくはなかった。だから、それから目を逸らした。丈瑠が、今まで育てられてきた矜持に真っ向から立ち向かい、新たに自分に課せられた役目、務めを、どこまでも真っ直ぐに見つめる中で、それでも彦馬は、そんな丈瑠から眼を背けたのだ。その上、彦馬が考えたことは、丈瑠とは正反対。丈瑠のために、むしろ十九代目当主を下りては………とまで思ったのだから。

 丈瑠は、志葉家や彦馬に十八代目当主として仕立て上げられたことで、自身の中に闇を抱えざるを得なかった。しかし今、真の十九代目当主になったことにより、その闇はより深くなってしまったのだ。己の運命に真っ直ぐに向き合ったからこそ、丈瑠は、より深い闇へと足を踏み入れることとなってしまったのだ。
 





 彦馬も、千明も、その部屋にいた黒子たちも、黙って流ノ介をみつめた。
 やがて、初めに口をひらいたのは、千明だった。
「………それって」
 流ノ介が千明を見る。
「何を驚く、千明」
「そ、そんなのってない………と思う」
 千明が首をぶんぶんと振って否定する。流ノ介が怪訝な顔をした。本当は丈瑠が大好きな千明だから、もっと違う反応をすると思っていたのだ。
「何故だ?我々の殿が、我々の志葉丈瑠様こそが、歴史に名を残すシンケンレッドになるのだぞ?」
 本当は、こんな軽い言葉で言える話でないことを百も承知の上で、流ノ介は言う。それに、千明は悔しそうに唇を噛んだ。それから腕を組み、部屋の中を行ったり来たりし、やがて呟いた。
「いや、でも………それじゃ、俺、丈瑠を超えるなんて、無理っぽくね?」
 ああ。と流ノ介は千明の態度に納得する。そして、にやりと笑った。
「まあ、無理だろうな。そんなの当然だ。三百年の歴史を殿が塗り変えようと言うのだから………な」
 それに千明がまた悔しそうに、唇を突き出してくる。またも睨みあう二人に、暫く考え込んでいた彦馬が話しかける。
「しかし流ノ介。それは………」
「何でしょうか?彦馬さん」
 流ノ介が千明を押しのけて、すぐに彦馬に向かった。だいたい、この話は彦馬に対してしているのだ。彦馬もそれを判っていた。彦馬は顎に手を当てて、言葉を探す。
「それは、可能なのだろうか?」

 彦馬は、改めて自分が目を逸らしていた丈瑠の思いを再認識した。そうすると彦馬の不安はいや増してしまう。結局、彦馬の心配は同じ場所に返ってしまうのだ。丈瑠が今の方向に進んでいけば、丈瑠はいつか………
 とにかく、この思いをどう表現したらいいのか。適切な言葉はなにか。考えながら、彦馬は話す。

「は?完全無欠なシンケンレッドが殿に可能か?………と仰っているのですか?」
 流ノ介も、彦馬の言わんとするところを掴もうとしていた。
「彦馬さんにそう言われては、殿も………」
「いや、そういう意味ではない。わしも殿の………その………才能や器量を疑うとか、そうではなく………」
 彦馬がそれに手を振って否定する。
「では、どのような意味です?」
 流ノ介に問われて、彦馬は言葉に詰まった。これを、この不安を、どのように言葉にすればいいものなのか。
「………そこまで完璧なものに………そこまで揺るがない強さに………人はなれるのだろうか」
 逡巡しつつ、でもここまで来て、曖昧な言葉を使う訳にもいかない。真摯に応えようとしている流ノ介のためにも。彦馬は、自分の杞憂かも知れない、けれど本当にそうなった時のことを考えると、いてもたってもいられない思いを告げた。
「そこまでのものになった時、殿は、人で………いられるのだろうか」






 何を言っているんだ!と笑い飛ばしたかった千明は、しかし、真剣に向き合う彦馬と流ノ介の雰囲気に、笑いごとではないものを感じた。
「それって………」
 どういう意味なのか?そう問おうとした千明を無視して、流ノ介が言い切る。
「それだからこそ、私たちが必要なのです!」
 彦馬が流ノ介をじっとみつめる。
「それだからこそ、私たちが、殿をお守りするのです」
 重ねて言う流ノ介に、彦馬が首を振る。
「いや、殿が外道衆にやられるとか、そういう心配ではなく」
「判っております!!」
 しかし最後まで言わないうちに、流ノ介が彦馬の方に一歩踏み出した。
「えっ?」
「彦馬さんの御心配は、わかっております」
 流ノ介は頷いた。
「ですから、殿が、殿の望まれる道を全うできるように、私たちが殿をお守りする。それは外道衆からばかりではなく、場合によっては殿ご自身からも」
 はっとする彦馬の横で、千明が不審そうな顔をした。
「丈瑠自身?」
「そうだ。かつて彦馬さんに言われたことがあっただろう?」
 流ノ介が千明の方を向いて説明する。
「モヂカラは大きくなればなるほど、制御が難しくなる。場合によっては自分のモヂカラで自らを損なうこともある………と」
 千明が腕を組んで、昔を思い出す。
 そう、あれは確か………
「兜ディスクの………頃だっけ?確かに、モヂカラが大きくなってくると、こっちが油断していると、自分のモヂカラに巻き込まれることもあったな………」
 使えない兜ディスクを勝手に使おうとして、彦馬にこっぴどく叱られた。けれど、あのことが、千明にモヂカラを目覚めさせた。その時に、実感したこと。大きなモヂカラを使うには、それだけの覚悟もいるのだと。
「そしてどこまでも強くなろうとしたら、モヂカラだけではなく全てにおいて、時には人の域を超えねばならぬ時もある。私たちだってある意味ではそうなのだ。モヂカラを操るという意味では」
 千明はやっと彦馬と流ノ介の話が見えてきたと思う。
「そうか。そうだよな。そして丈瑠は、俺たちより、もっともっと高い次元で、それをしようとしている………ってことか」
 流ノ介は、千明に頷くとともに、彦馬に視線を戻した。
「殿のモヂカラ、そして殿の目指されるもの。それには、とてつもない力が必要。私たちの次元では、考えが及ばぬほどの。でも殿には、それをやりきるお覚悟がある。でも、そのとてつもない力に殿が自分自身を見失われる時には………」
 流ノ介が右拳を握り腕を曲げた。そこに千明が、ガッとばかりに自分の腕を絡めて、引いてくる。
「俺たちが、丈瑠を引き戻せばいいのか!」
 流ノ介は千明に対抗して腕に力を込めながら頷いた。

 ドウコクとの決戦で最初の攻撃を仕掛けた時も、もっと遡ってウシロブシとの闘いの時も、こうやって千明と流ノ介はタッグを組んで丈瑠を守った。千明と流ノ介の気持ちが丈瑠に向かってひとつになった時、二人は大きな力を発揮することができる。

「そうだ。殿のおられる次元に行けなくとも、殿をお守りすることはできる。殿を手の届かぬ場所へ行かさぬよう引き留めることもできる」
 言ってから流ノ介は、千明の絡んだ腕を、さらに自分の方へと引っ張った。千明が、流ノ介が言っている言葉の真の意味を理解していないことを承知の上で、流ノ介は自分の間近に千明の顔を寄せる。
「いや、できると信じるんだ。これが、殿に仕える侍の役目。志葉家家臣の真実の在り様。もちろん、歴代の家臣の在り様とは違ってくるだろう。それは仕方ない。殿の目指されるシンケンレッドは、今までになかったほどのものなのだから。そこが、私たち殿の家臣に必要となる、新たな覚悟だ」
 これは、流ノ介が自分に言い聞かせるための言葉でもあった。千明も大きく頷いた。
「判ったよ。つまり、どんなに丈瑠に疎まれても、丈瑠にしがみついてけってことだよな」
 そこで流ノ介が千明の腕をぱっと放す。千明がよろけるのを見ながら、流ノ介は肩をすくめた。
「しがみつくだけでは、単なる殿の邪魔。そういうのは、いらない」
 せっかく、いい雰囲気になっていたのに!と頬をふくらます千明に、流ノ介は首を振った。
「そうではなく、殿の盾になるのだ。殿自身の力が殿を傷つける場合には、殿自身の力の盾にもなるのだ。これは、もはや家臣にしかできぬこと」






 途中までは、流ノ介と彦馬の会話だった。しかし今、流ノ介は千明に自分の覚悟を語り、千明を同じ道に誘っている。
 それは、彦馬には驚くべきことだった。丈瑠が、彼らを傷つけたくないばかりに、彼らを退けようとする時、流ノ介は同じ傷つく状況に、千明を誘うのだ。
 これが、流ノ介と丈瑠の違いだった。丈瑠が持てない強さを、流ノ介は持っている。丈瑠とは違った意味で、またとても大きな覚悟をする度量を、流ノ介は持っている。それを彦馬は痛感する。

 流ノ介の言葉に感じ入っていた千明だが、ふと思う。
「でも………丈瑠はやっぱり、嫌がるよな。そういうの。自分のことは自分で守る………って、それが丈瑠だもんな」
 いつも丈瑠は、侍たちが自分の盾になるのを嫌っていた。それは丈瑠が影武者であったからであって、今は違う。そう思いたいが、多分、そうではないだろう。だからこそ、千明や流ノ介を闘いから遠ざけようとしているのだ。
「殿の目指されるものは、殿一人では行きつけない。私はそう思う。だからいいのだ、殿がなんと仰られても」
 しかし流ノ介はそう言う。
「それに、なんだかんだと仰っても、殿はきっと我々が盾になるべき時をよくご存じのはず。今までも必要な時は、殿は躊躇せず我々を盾としてきた。だから心配はいらない」
 流ノ介の言葉に、彦馬が目を見開く。それに気付いた流ノ介が、彦馬に向かって笑った。
「そうです。殿が本当に覚悟された時は凄い。そんな時、殿は平然と我々の屍をも乗り越えていくでしょう。お会いした当初から、殿のスタンスはそうだった。それが人でないとは、私は思いません。もっとも、そんなことは、ドウコクを倒した今起こり得るとは思いませんが」
 流ノ介のその笑みは、ドウコクとの最終決戦に向かう時、不安を隠せなかった彦馬に向けられた笑顔と同じだった。流ノ介はあの時も、そして今も、丈瑠を、そして自分を信じているのだ。
「とは言え、ドウコクレベルのアヤカシが、これからも誕生しないということはない。歴史がそれを証明していますしね。ですから、この世の平和を守るために、殿がどこまでも強くなろうと言うのは、志葉家当主としてあまりも正しいお考え!!」

 流ノ介の言葉に、彦馬はわからなくなってくる。
 彦馬も、ただ丈瑠を信じていればいいのか?そして侍たちを信じて、丈瑠が目指すものへ邁進するのを、共に見守っていればいいのか?
 しかし今の敵は、ドウコクではない。そうではなく、今の向かわねばならない相手は………丈瑠自身?それでも………それでも?

 考え込む彦馬の横で、千明が首をひねった。
「なあ。本当にいいのかよ?丈瑠が嫌がってるままでも?」
 それにも、流ノ介は大げさに頷く。
「千明!!お前、いい加減な生活をしている割には、こういうところは細かいのだな!殿に意見を述べるも、忠義の家臣の大切な役目。別に殿とこれについて意見が合わなくてもいいのだ。とにかく、殿にお仕えする!それが大事。殿には、嫌でも何でも認めて頂くしかないだろう。はははははは」
 これには、千明も彦馬も、唖然とする。

 流ノ介のこのいい加減さ。詰めの甘さ。これで本当に大丈夫なのだろうか、と思える言動。しかし、これこそが余裕なのかも知れない、と彦馬は思いなおした。
 隙のない完成されたものは、そこで終わりだ。隙だらけで、あちこちに穴があって。でも、だからこそ、どこへでも向かうことができる。新しい何かを掴むことができる。未完成だからこそ、どこまで行けるかわからない可能性を秘めている。
 丈瑠のように、思いこんだら命懸けで、他の何もかも捨て去ってそれだけに没頭するより、歌舞伎も家臣としての務めも両立したい、でもどうやって両立したら………と悩む流ノ介の方が人間的ではある。その、人間的だと言う所が「余裕」なのかも知れない。

 しかし千明の感想は違ったようだった。
「でも俺は、丈瑠にちゃんと認めてもらった上で、一緒に闘いたいけどな」
 そして冷たい目で、流ノ介を見る。
「それに、流ノ介のその笑い声聞いていると、お前の方が悪魔かなにかで、丈瑠にとり付こうって感じに見えてくるな。なんか、丈瑠が哀れに思えてきた」
「何〜!!」
 そしてまた、掴みあいを始める二人だった。

















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2010.05.29