ここは、志葉屋敷から離れた天澄寺近くの桜の園。 昨日のナナシとの戦闘現場である、枝垂れ桜が咲き誇っている丘の下に、丈瑠と四人の黒子は来ていた。 白澤家の私有地内、それもまだ午前中も早い時間とあって、昨日と同様にその周辺に人はいなかった。 白澤家の象徴と言われる枝垂れ桜を、再び目にした丈瑠は眉を寄せた。枝垂れ桜の花はピンク色をしていた。昨日は、もっと薄いピンクだったが、今日ははっきりとピンク色だ。 「やはり………か」 丈瑠はそう呟くと、周囲を見回す。枝垂れ桜だけでなく、周辺の桜も、明らかに昨日より色が濃くなっていた。丈瑠は黒子を振り返った。 「他の桜の木も調べろ。多分、他も………」 そこまで言って、丈瑠は首を傾げた。 「他の桜の木もアヤカシ?いや、そんなにたくさんのアヤカシが一気に出てきたことなど、ない。………そうすると、他の桜はこの枝垂れ桜に影響されているのか?」 丈瑠は考え込む。 これからどうするか。 枝垂れ桜を調べてもいいが、昨日と同じように何もないということになっては、話にならない。 どう考えても枝垂れ桜が怪しいとの結論は出ているのだから、いっそのこと斬ってしまうか? それで何も出てこなければ、それはそれで良いし、アヤカシが正体を現わせば、そこから闘うだけだ。 しかし、この巨大な枝垂れ桜がアヤカシだとすると、このアヤカシは一の目はどれほどの大きさなのだろうか。 果たして、シンケンマルで斬れるものだろうか。 丈瑠が枝垂れ桜の幹の太さを確認しようと、丘に登りかけた時だった。丈瑠の着物の袖を黒子が引いた。丈瑠が振り返ると、黒子が少し離れた場所を示す。枝垂れ桜と天澄寺の門を結ぶ一本道に、灰桜色の着物を着た女性が立っていた。昨日、倒れた丈瑠を天澄寺へ運ぶよう言ってきた女性、天澄寺の住職が『白澤様』と呼んでいた人物だった。 「昨日の………」 丈瑠は丘に登るのを止めて、その人の方に歩き出す。黒子も後ろに従った。 「丁度いい。了解が貰えるかはわからないが、一応伝えておくしかない」 公共の場や街中ならば、政府や自治体との合意があるので、シンケンジャーが何かを破壊しても問題にならない。しかし今回は私有地の私有財産を破壊することになる。事前了解が得られるのなら、それにこしたことはなかった。ただ、了解が得られるかは微妙だ。なにしろ、この枝垂れ桜は、白澤家の象徴だというのだから。 白澤家の女性は、丈瑠が歩いてくるのを、道に佇んで待っていた。 「おはようございます。昨日の今日で、またいらしたのね。お身体はもう大丈夫なのかしら?」 女性はそう丈瑠に呼びかけた。 女性は彦馬よりも年上とみられたが、背筋がピンと伸び、動作は機敏。灰桜色にところどころ桜の絵柄が散る草木染めの着物をきっちりと着こなした姿は、年齢を超えて美しく、また清々しかった。さすがに江戸時代から続く武士の家系の女性と言ってもよいのかも知れない。しかし丈瑠は、その女性の雰囲気から、武家の女性のそれとはどこか異なる印象を受けた。どちらにしろ、彦馬と同様に、薙刀か何かでもやっていそうな動きであり、表情にも目付きにも鋭さがあった。もちろん声にも張りがある。 しかし一見、近寄りがたい印象すらあるその女性が丈瑠を見る目は、決して険しくはなかった。 「昨日は、お世話になりました」 丈瑠はその人の間近まで来てから、会釈をする。 「ところで、お話があるのですが」 丈瑠は前置きもなく、話し始めた。 昨日は、挨拶だけだったこともあって、丈瑠はこの女性と言葉を交わさなかった。黒子が礼を言っただけだ。その時に女性の方から、この枝垂れ桜について話を始め、それを丈瑠と黒子は聞いていた。だから、今日初めて、丈瑠とその女性は言葉を交わすこととなった。 「まあ。志葉のお殿さまからお話とは。何なのでしょう」 女性が微笑む。丈瑠が顔をしかめると、女性はまた微笑んだ。 「昨日、白澤の家の方にも、あちらの寺の方にも、御礼状と御礼が届きました。『志葉丈瑠』様のお名前でね。風呂敷に家紋もありましたし、『志葉家』と聞けば、知っている者にはわかります」 ああ、そうか、と丈瑠が黒子に眼をやると、丈瑠の後ろに跪いて控えている黒子が頷いた。そのやりとりを見た女性が、また微笑む。 「よく出来たご家来ですこと。余程、しっかりお家を仕切られているようですね。お殿さま」 そう言われて、丈瑠は言葉に詰まる。どう考えても、黒子の采配を取っているのは彦馬。今回のことは彦馬が指示した訳ではなく、黒子が先回りしてやったのだろうが、そういう風に黒子を教育してきたのは彦馬だ。そういう意味では、この件に関して、丈瑠の功績は全くといっていいほどない。素直に戸惑う丈瑠を見て、また女性は笑う。 「ああ。お殿さまはそういうのはなさならいのね、きっと」 そこまで言われて、丈瑠は自分がからかわれているのかも知れないと気付く。丈瑠が軽く唇を噛むと、女性は目を見開いた。 「あらあら、ごめんなさい。かわいいお殿さまとお話しできたのが嬉しくて、つい………」 相手が彦馬だったら、丈瑠は横を向いて膨れっ面で黙り込むところだ。しかし今の相手は一般人。それも、これから無理なお願いをする相手となると、そうもいかない。それでなくとも、外部の人間と話す機会が極端に少ない丈瑠にとっては、彦馬や黒子を介さずに、このような会話をするのは苦手中の苦手なのに。 「と、とにかく、あの枝垂れ桜について、話がしたい」 丈瑠は咳払いをしてから、なるべく威厳があるように話す。それを女性はにこにこしながら見つめた。 「突然だが、あの枝垂れ桜には異変が起きています。非常に危険な状態になる可能性がある。そうなったら、斬り倒す必要があります。その了解を頂きたい」 「………異変?それで、斬り倒す?」 肝の据わった女性と見えたが、丈瑠のあまりに単刀直入な上に稚拙な依頼には、さすがに驚いたようだった。丈瑠も言いながら、この話の持って行き方は如何にも拙いと認識し、慌てて付け加える。 「見て判るように、白いはずの花がピンク色になっている。これだけでもおかしいとは思われませんか?」 丈瑠が一目瞭然の事実を示すが、それを言った瞬間、女性の顔が苦笑いになった。 「ええ。まあ………そうですわね」 歯切れの悪い回答。そこに、丈瑠は何かを感じる。 「………そう言えば、昨日話されていた時には………既にピンク色をしていたのに、あなたは何も仰られなかった。おかしいとは思われなかったのですか?それは何故です」 丈瑠が昨日からの疑問を呈すと、女性はばつが悪そうな顔をした。 「そうね。昨日、言わなかったのは………この桜の花が本当は白いと言うことを、あなた方は知らないと思ったからです。桜ってピンク色が多いですから」 一瞬、丈瑠は黙り込んだ。女性の言い訳の意味がわからなかったのだ。丈瑠は怪訝な表情で、女性を見つめた。 「それは、私たちに白い桜がピンクになったことを隠そうとしたということですか?それは、何故です!?」 まさかとは思うが、この女性は………いや、白澤家とは外道衆と関係でもあるのか?外道衆の仕業を、丈瑠たちに隠そうとするとは?そう疑う丈瑠の顔を見て、女性は困ったような顔になる。 「そう。まあ、何と申しましょうか。大騒ぎするほどの話でもないと思ったの。こういうのは、時々あることですから」 「えっ?」 返ってきた答えの意外さに、思わず丈瑠は、女性の顔を覗きこんでしまった。後ろに控えている黒子も、きょとんとしている。 「時々………あること?」 「この桜は、昔から変な桜でしてね」 女性が、悪戯がばれた子供のような顔で、枝垂れ桜の方を向く。 「変………な桜?」 丈瑠と黒子も、枝垂れ桜を見上げた。 「時々、花の色が変わるの。いえ、ここ二十年近くはなかったのだけれど。最後におかしくなったのは………もう何時だったかしら。でも、色が変わるのが正常な訳ではないのです。桜がおかしくなっているのは確実で………放置しておくのは危ない。この桜の変調に呼応して、不都合が起きることが多いので。いろいろな意味でね。それも判っています」 女性は枝垂れ桜を、愛おしそうな目で見上げた。 「ですから、完全におかしくなる前に、白澤では清め………と言いますか、桜を鎮めるための儀式をするのです。そうすれば、桜の花は元に戻ります。昨日、娘の墓参りに来て、久々に桜がこんなことになっているのに気付いたので、今日はその儀式を行うかどうかの検分に………私は参りましたのよ」 「清め………」 昨日の志葉家の花見の席で流ノ介が言っていたことが、丈瑠の脳裏に蘇る。白澤の名で、時々醸造される酒がある。その名が千年枝垂れ桜。 「その清めの儀式とは、酒を………」 丈瑠が呟くと、女性が丈瑠に視線を戻した。 「ええ。ご存じなのかしら?この枝垂れ桜の元の木………が別の場所にあるのだけれど、その桜のエキスを封じ込めた酒を醸造して、この桜の根元にかけて………鎮まりの儀式をしているの」 それでは、この枝垂れ桜に何かを感じるのは、それが理由なのか?アヤカシではないのか?アヤカシではなく、『変』とはどんなことなのか!?そして、それを鎮めるとは!? 「その儀式は白澤家の方が………それとも、誰か別の方が行われるのですか………」 女性は頷いた。 「今は私がやっております」 そう言うと、女性は自分が来た道を振り返った。その先には、昨日丈瑠が世話になった寺の門がある。それを女性は指差した。 「あの寺に白澤の墓なんぞありますけれど、私の血筋は、古くからの神社で巫女や神主をやっている家系なのです。ですから、そのような儀式も執り行えます」 丈瑠がその女性に感じた、武家の女性とは異なる清々しさは、これだったのだ。神に仕える巫女の、神聖な雰囲気。それが、この女性の醸し出す雰囲気だったのだ。 丈瑠は、考えた。 丈瑠の感じていた、怪しい気配。なんとも言えぬ違和感。それは、この周囲全てから漂っていた。丈瑠には、その元凶が枝垂れ桜にしか思えなかった。しかし、それはアヤカシではなかったのか。目の前の白澤家の女性が言うところの、『昔から変な桜』だから?それも、鎮めの儀式を度々行わねばならぬほどの危険な桜だから? でもどれほど危険であるとしても、アヤカシでないのならば、そして、『昔から変な桜』の対処法を白澤家が持っているというのなら、門外漢の丈瑠にできることはないはず。 「しかし………」 丈瑠は呟く。 「昨日、ここにナナシが現れたのも、また事実」 「………ナナシ?」 考え込む丈瑠に、女性が疑問を発した。丈瑠は女性を見る。 「怪物………妖怪………そのようなものです。それが昨日、ここに出たのです」 『昔から変な桜』という言葉を使うくらいだ。分かってもらえるかもしれない、と丈瑠は思った。しかし女性から返って来た言葉は、丈瑠が予想もしないものだった。 「それは、外道衆がここに出たと言うことなのですか?」 「えっ?」 丈瑠が驚くと、それを見た女性が頷いた。 「存じております。外道衆に対する志葉家のお役目も。ご当主であられるお殿さまのお役目も」 先ほど、この女性が『志葉家と聞けば、知っている者にはわかります』と言っていたことを、丈瑠は思い出す。 「そうなの。だからあなた方は昨日、ここにいたのですね。外道衆を退治して下さったということですね。それでお殿さまが倒れられた………」 女性は枝垂れ桜を見上げた。 「お殿さまが、あれに何かをされた………と言うことですか?」 それに丈瑠は首を振る。女性がそれを見て首を傾げた。 「何かをされた………のかは、わからない。それが外道衆の仕業かもわかりません。あなたが仰られるように、外道衆ではなかったのかも知れない。ただ………」 丈瑠は、真剣な眼差しで女性を見つめた。 「大丈夫ですか?白澤家の方にお任せしても?」 白澤家の女性も、丈瑠を真っ直ぐに見返す。 「とても危険なものを、あの桜に感じる。それに、ここに外道衆が出たことも気になる。やはりあの桜を『外道衆』という視点からも調べるべきではないかと思うのだが」 丈瑠の提案に、白澤家の女性は暫く思案していたが、やがてゆっくりと頷いた。 小説 次話 2010.06.02 |