志葉家の朝食の間。 既に朝食の膳は片付けられ、苺にコンデンスミルクをかけたデザートを食している流ノ介と千明だった。 千明がフォークで苺を潰す手を、ふと止めた。そして、潰れた苺とコンデンスミルクをじっと睨みつける。唇をすぼめて何かを考える千明。やがて何を決心したのか。千明は再び、苺を潰しながら 「あのさあ………」 と、デザートのガラス器から顔を上げた。そして気付く。 「あれ?爺さんは食わねえの」 千明の正面に座っていた彦馬が、苦笑いをする。 「殿に先ほど怒られたから、やめておく」 「………えっ」 千明のフォークを持つ手が、再び止まる。 「怒る………って、丈瑠、怒ってたけどサ。苺とどう関係があるんだ?ああ?丈瑠の分を残しとけってか?」 その瞬間、流ノ介が肘鉄を千明に喰らわす。 「いってー!だから、何なんだよ、流ノ介!」 睨む千明を余所に、流ノ介は空になった苺のガラス器を黒子に渡す。 「お前じゃあるまいし。殿が、そんなに食い意地がはっている訳ないだろう」 「何だよ〜、俺が食い意地がはっているみたいじゃないか」 「はっているだろうが!!!」 そこでまたも言い合いを始める二人に、彦馬はため息をついた。 「ごちそうさまでした」 デザートも片付けられ、やっと落ち付いて話ができる状態になったところで、流ノ介が尋ねる。 「それで彦馬さん。殿は奥のお部屋ですか?」 「殿は、とっくの昔に出掛けられたが?」 丈瑠が出掛けることが判っていて、これほどのんびりと朝食を摂ったあげくに尋ねることかと、彦馬がまたも呆れて答えると 「ええええーーーー」 と、両手で顔を挟んで、ムンクの有名な絵画のようになった流ノ介が叫んだ。 「そんなああああーーーー」 それを千明が睨む。 「やっぱ、こんな奴と一緒に闘うとかって、俺、すっげー嫌かも………」 そういう千明を押しのけて、流ノ介が彦馬に近づく。 「殿はやはり、昨日捜索をされたと言う場所へ出掛けられたのですか?」 彦馬が頷くと、千明も流ノ介を押しのけて、彦馬の前ににじり出てくる。 「というと、あの銘酒の枝垂れ桜の場所………かよ?」 「そうだ」 それに千明が、再び考え込むような仕草をした。流ノ介がそんな千明を馬鹿にした目で見る。 「千明。お前はな、考えるより行動した方がいいぞ。こういう諺があるんだが、知って………」 「なあ、爺さん」 流ノ介を無視して千明が彦馬を見る。 「何だ、千明」 「外道衆ってさ、必ず赤いよな」 「ん?」 彦馬が身体を乗り出してくる。 「ほら、ナナシも頭とか赤いだろう?アヤカシもそうじゃね?必ずどこか赤いよな」 千明が自分の頭や髪の辺りを指し示す。 「ああ、そうだな」 彦馬が頷くと、千明はそこで少し声のトーンを落とした。 「赤いの………って、外道衆だっていうことを表していたりしないかな」 自分の発言にいまひとつ確信がないのだろう。しかし、それに彦馬はにっこりと笑った。 「千明。よく気付いたな。まさしくその通りだ」 「えっ?」 彦馬の間髪いれずの返事に、千明が一瞬うろたえる。そんな千明を優しい目で見た後、彦馬は目を瞑って、顎に手をやる。 「外道衆の赤い色の部分は、妖怪が生まれるもととなる奇怪な『現象』を表している。妖怪生成の工程がそのまま妖怪になっている………と古文書にも書かれている」 「えっ?マジかよ」 千明の顔がぱっと輝く。その千明の横から、流ノ介も嬉しそうに声を上げた。 「外道衆絵巻ですね!?それの第一巻に書かれています!!」 「そうなのか?」 驚いて振り返る千明に、いつものように流ノ介が誇らし気に胸を張る。 「ああ、もちろんだ。お前はだから、勉強不足と言うのだ」 「ちぇっ」 「千明。自分でそれに気付けたのは偉いぞ。そういう見方を常にできること、それが大事なのだ」 「あ、うん」 子供っぽい競り合いを繰り返す二人に呆れつつも、彦馬が千明を褒めると、千明は正直に嬉しそうな顔をした。 「それで?」 彦馬が腕を組みなおす。 「何なのだ?お前は、何か言いたかったのだろう?」 彦馬が問うと、千明が立ち上がった。 「あっ、そう!そうなんだ!赤い色が、そういうことを示しているんだったら、やっぱり丈瑠が昨日言ってた枝垂れ桜って、アヤカシじゃね?」 「どうしてそう思う?」 彦馬が千明を見上げる。それに千明は焦ったような顔をした。 「だって丈瑠言っていたじゃん。白い桜が、ピンクになったって………」 「………そうか!!」 彦馬の顔が険しくなった。流ノ介がきょとんとしている横で、千明が頷く。 「爺さん、今言ったよな。『妖怪生成の工程』って。だんだん赤くなっていくんじゃねえの?アヤカシができてく過程なんじゃねえの?その桜ってばさ」 「そうか!!」 次に叫んだのは流ノ介だった。 「千明ーーー!!お前もたまには役に立つじゃないか!!」 流ノ介も立ち上がり、千明の頭を抱え込もうとする。千明はそれを振り払うと、 「じゃあ、急がねえと!丈瑠が桜に何か仕掛ける前に!!」 と言って彦馬を見る。しかし彦馬は腕を組んだまま、天井を睨んでいた。 「どうしたんだよ、爺さん」 千明が彦馬の前まで戻った。彦馬は天井から千明に視線を移すと、首をひねった。 「どうも解せんのだ。ドウコクが倒された今、新しいアヤカシが生まれるとは、とても思えないのだが………『妖怪生成の工程』とは………」 「そうか。それはそうですよね。うん。確かにおかしい!!」 流ノ介も腕を組んで首をかしげる。 「じゃあ、前からいたアヤカシが、その枝垂れ桜にとりついたんじゃあ?それがだんだん………進んで行ったとか?」 「ふうむ?」 彦馬はそれにも納得しかねるようだった。 「でも、今はそんなことは、どうでもいいだろ!!その枝垂れ桜がアヤカシなら、やっぱ丈瑠だけに任しておくんじゃなくて、俺たちも行くべきだと思うんだ」 確かに、何時まで考えていても、答えが出るものでもない。千明が言うように、まずは行動と言うこともあるだろう。彦馬はパンッと両手で正座している両膝を打つと、立ち上がった。 「そうだな。千明、流ノ介。殿を頼む………わしも後から行くから」 「判ってるって!」 彦馬の言葉に、千明が叫ぶ。流ノ介も頷いた。 「殿のもとへ!」 駆けだす二人の背中を見送ろうとした彦馬だったが、自分でも何を思ったのか 「待て!流ノ介!千明!!」 思わず彦馬は二人を呼び止めてしまった。振り返る二人。それなのに彦馬は、次の言葉に詰まってしまう。 「………む」 自分が何を言おうとしていたのか。それを彦馬ははっきり認識していた。しかし、これを言うことは、さすがにどうなのだろう。そう思うと、それきり言葉が出てこない。黙りこんでしまう彦馬に、流ノ介と千明の二人も顔を見合わせた。 「………どうされたんですか?」 流ノ介が気真面目な顔で、彦馬の方に数歩戻った。流ノ介も千明も、彦馬を真っ直ぐに見つめてくる。彦馬はそんな二人から一瞬、顔を逸らした。そんな彦馬の様子に、二人は違和感を感じる。 「何だよ、爺さん」 千明も不審そうな表情を浮かべながら、彦馬の方に戻って来た。 「う、うむ………」 戦闘を前にしているにも関わらず、彦馬がこういう話し方をする時は、余程言い難いことがある時。丈瑠が影武者であった時とか、それくらいしか思いつかない。だから、二人は彦馬に迫りつつも、緊張していた。本当は聞かない方がいい話なのだろうか?そんな思いも頭にもたげてくる。 「爺さん!言えよ!!言っておいた方が良いことなら、言ってくれよ!」 それでも、どんなことでも、それが真実で、丈瑠のためになることなら、聞いておきたい。そう思った千明が、彦馬に迫る。千明の後ろで、流ノ介も厳しい顔で彦馬を見つめた。 彦馬も観念する。 「たいした話ではないのだが………言っておいた方がいいかな、と思ってな」 昨日からあまりにもいろいろ有りすぎた。その上、彦馬には珍しく、煮え切らない態度ばかりをとっている。迷いから抜けられない。自分自身それを痛感しているからか、苦笑いが漏れる。 そうだ。全てを話す必要はない。それでも、この侍たちなら判ってくれるに違いない。先ほどの流ノ介の話の後の今ならば。彦馬は決心をする。 「殿が言われていた枝垂れ桜。アヤカシかも知れない、その枝垂れ桜だが」 流ノ介と千明は、息をひそめて彦馬の話に聞き入る。 「殿の………殿の父上や母上の………多分、唯一の思い出の場所、思い出の樹らしいのだ」 流ノ介の眉がぴくりと動いた。千明も、顔をしかめる。 「ただ殿には、そのようなことは記憶にないらしく、それをお伝えしても………」 「そんなの関係ねえ!」 千明がさも気に入らないと言う顔で、唇を尖らす。 「って顔してんだろ。どうせあいつは!!」 彦馬が頷くと、流ノ介もあからさまに顔を曇らせた。 「一応、聞いとくけどサ」 千明が彦馬を上目遣いに見る。 「その丈瑠の父上、母上って、まさか十七代目当主とか、姫様のことじゃねえよな」 彦馬が頷くと、今度は流ノ介が前に出た。 「つまり殿の真実の………」 それにも彦馬が頷くと、流ノ介が唇を噛みしめた。千明もため息をつく。 「殿は………」 「判ってるぜ!爺さん」 千明はそう言うと、彦馬にウィンクしてみせた。それから神妙な顔をしている流ノ介の肩に、手を掛ける。 「行くぜ!流ノ介」 「あ、ああ」 流ノ介が応え、二人は彦馬と目を合わせ頷きあった後、駆け出す。その後を黒子が追った。 二人が出掛けた後の、誰もいない廊下。 そこに彦馬は暫く立ちつくしていた。 「殿………」 やがて彦馬が呟いた。 「爺も………引退時なのかもしれませんな」 彦馬はそこにいない丈瑠に話しかける。 これからの丈瑠を補佐し、守り、そして流ノ介が言ったように、時に諌めて行くのは、もう彦馬の役目ではないのかも知れない。 一年前は、あまりにも頼りなかった侍たち。しかし今、これほどに成長した姿を見せてくれた二人。丈瑠も、もう彦馬の腕にしがみ付いて泣く子供ではない。 十七年前に受けた時には、先が見えなかった丈瑠の後見人=爺としての役目。永遠に続くかと、そうでなくとも丈瑠と命運を共にするとまで覚悟した役目だったが、今、それも終わりを迎えようとしているのだろうか。 むしろ、このまま彦馬が爺として居座り続ければ、今日のような彦馬の迷いが、煮え切らない態度が、丈瑠を間違った方向に導いてしまうこともあるだろう。それが闘いに影響することになれば、丈瑠の命にも関わってくる。 「爺こそ、よくよく考えねばならないのかも知れませんな」 彦馬が十七年間教え込んだことを必死に守り、志葉家が望んだ役目を、どこまでも完璧にやり遂げようと躍起になる丈瑠。それを今となっては、見ていられない彦馬。当主の座を降りた方が、丈瑠の幸福ではないかとまで考えてしまう彦馬。 丈瑠に、志葉家当主として以外の生き方を教えてこなかった張本人の彦馬が、今の丈瑠の在り方を否定したら、丈瑠はどうすればいいのか。ずっと丈瑠の世界には、志葉家と彦馬、そして外道衆しかいなかったのに。今更、それ以外のことを丈瑠に望むのはあまりにも酷。 そう分かっていても、大切な丈瑠がこのまま突き進んで行くのが、怖くてしかたない彦馬だった。この『怖い』という感情こそが、彦馬を迷わせ、判断を鈍らせる。重々分かっていることだが、恐怖は、全てを悪い方へとしか導かない。 「殿の足手まといになり、殿にご迷惑をお掛けするくらいでしたら………爺はもう殿のお傍にはお仕えできない」 そう言う彦馬の視線は、誰もいない廊下に注がれたままだった。しかし彦馬の瞼には、幼い丈瑠の、彦馬に抱かれたくて腕を伸ばしてくる、泣きべそをかいた丈瑠の姿が、くっきり映っているのだった。 小説 次話 2010.06.05 |