白澤家の女性は目を細めて、目の前の丈瑠を見上げる。 白い着物に紺の袴を身に付けた、志葉家の当主である丈瑠。まだあどけない表情をすることもあるが、端正な容貌。漆黒の澄んだ瞳。すらりとした身体は、背筋も伸びて美しい。そして若いながらも威厳のある、凛々しい若武者の姿。 どこかに影があるようなところも見え隠れするが、それでも、志葉家当主として、大切に大切に育てられてきたのだろう育ちの良さが、丈瑠からは滲み出ていた。 そんな丈瑠に、女性は半分見とれながら、もう一度ゆっくりと丈瑠に頷いた。 「そうね」 女性は丈瑠に笑いかけた。 「志葉家のご当主様が、ここまでお出ましになって仰るのですから………あの枝垂れ桜には、何かがあるのかも知れない。前とは異なることが」 その言葉に、丈瑠と共に、後ろに控える黒子もほっとする。 「それでは………」 丈瑠が、再び、枝垂れ桜を見上げた。 「まずは、確認をさせて頂きます。その上で、枝垂れ桜が外道衆と判明した場合には………」 「斬り倒されても仕方ない………のかしら」 全てを言い終わらない内に、女性が寂しそうな表情で、丈瑠を見る。それには、丈瑠も次の言葉が継げなくなる。丈瑠は暫く考えた上で、 「斬り倒さない方法も考えます………が」 と続けた。 「それはかなり難しいことだと思います」 あれほど巨大な枝垂れ桜。あれがアヤカシだとしたら、最初から、通常の二の目に対するような闘いが必要かも知れない。しかし、それではどうやっても桜を斬り倒す以外、方法はない。それよりも、あれがアヤカシとなった時点で、斬り倒すとかそういう問題ではなくなっているような気がする。 そういう意味では、今の丈瑠の言葉は気休めに近かった。それはきっと、女性も感じているだろう。 「是非、それはお願いしたいわね。あの木は………」 それが判っていても女性が言う。 「あの枝垂れ桜は、亡くなった娘の思い出の木なの。白澤の家の象徴でもあるし………出来ることなら」 丈瑠も頷いた。 この女性が、あの桜にそのような思いを抱いているかもしれないことを、丈瑠はどこかで予想していた。だからそれを今ここで聞かされても、丈瑠には特に感じ入る所はなかった。残せる可能性があるなら残すし、それが難しかったら残さない。それだけだ。 「わかりました」 とりあえず丈瑠は頷く。 「それでは、まずはここを離れて頂きたい。何が起きるかわからないので」 「いいえ」 女性が即座に答えた。眉を寄せる丈瑠に、女性は顔を真っ直ぐにあげて言う。 「申し訳ないけれど、私はここにおります。あの枝垂れ桜がアヤカシなのか、そうでないのか。そして、あなたがどうなさるのか、見ております。お殿さまのお邪魔にはならないようにしますから」 結局それは、丈瑠の行動を監視しているということなのか。思い出深い樹をどうされるかが気になるのだろうが、丈瑠にとっては迷惑な話だった。戦闘になった時に、余計な気を回す必要ができたのだから。 「………仕方ない。それでは黒子をひとり残して行きますので、もし戦闘が始まった場合は、黒子の指示に従ってください」 丈瑠が振り返って黒子に頷く。黒子が一人すっと出て、女性の傍に付き、少し後方に下がるように要請した。女性と黒子は、道を少しばかり天澄寺の方に戻る。それを確認してから、丈瑠は枝垂れ桜の丘を登り始めた。 黒子三人と共に丘を登りながら、丈瑠はもう一度考えた。 果たして、あの枝垂れ桜がアヤカシだとして、アヤカシを退治するが枝垂れ桜をそのままにする方法などあるのだろうか?しかし、丈瑠には上手い方策など思いつかなかった。 仕方ない。アヤカシだったら、枝垂れ桜の温存などは考えずに、闘うしかない。丈瑠がそう思った時、 「ああ。志葉のお殿さま」 丈瑠の背中に声が掛かった。丈瑠が振り返ると、丘の下に立つ女性と目があった。 「あの枝垂れ桜は、千年を超える樹齢を持つことは、昨日、お話しましたよね」 丈瑠はそれに頷く。 「あの桜の元の樹は………ここから随分と離れた山にあるのですが、その霊力も強くて………だからでしょうか、この樹の持つ霊力もとても強いのです。それが樹齢を経るに従って、さらに強くなってきていました。それこそが『変な桜』の所以でもあるのですが、その霊力が強くなりすぎて危険なこともあるから、鎮めの儀式も必要になる訳ですの。ただこの二十年近くは………昔ほどの霊力は感じなかったのですけれど………」 そこで女性は言い淀んだ。女性は枝垂れ桜を、切ない目で見上げて、ため息をつく。 「今は、とても強い霊力を感じます………もしかしたら、そこを外道衆に付け込まれたのかも知れない。そうだとすると………ただのアヤカシでは済まないかも知れません」 女性が告げるその言葉に、丈瑠は違和感を感じた。 「え?」 そうか。この人は今、アヤカシと言ったのか。 丈瑠の違和感の理由が解ける。この女性は、外道衆を知っているだけではなく、アヤカシも知っているのだ。志葉家を知っているなら、それも知っていて当り前なのだろうか。丈瑠は疑問に思う。 「アヤカシがこの桜の霊力を使っているのだとしたら………お殿さまが思っているより、ずっとアヤカシは強いかも知れない」 それは、忠告だった。しかし、なるべく枝垂れ桜を残してほしい相手に、こういうことを言っては逆効果ではないのか?丈瑠はそう思いつつも、もう一度深く頷いた。そして、改めて思った。 やはり、アヤカシだったら、枝垂れ桜の温存方法など検討している余地はない、と。 丈瑠は丘を登りきる。 そこで丈瑠は黒子に目をやった。黒子たちが頷いて、その場に跪いた。丈瑠は黒子をそこに置いて、枝垂れ桜に近づく。 改めて見ても、その美しさ、大きさに圧倒される枝垂れ桜だった。その姿は、この世のものとは思えない、不思議な雰囲気を醸し出している。千年の樹齢だけのことはある。風が吹くと、枝垂れた枝がカーテンのように揺れ、桜のはなびらが、そこここに舞い落ちる。アヤカシがとりついているのかも知れないが、それとはまた異なる妖しさを持った樹だった。 丈瑠は目算で桜の大きさを測る。枝の張りはそれぞれ25m四方にも及ぶだろうか。高さも同じく25mはある。幹は変形しているが、根周りで10m近い。普通、ここまで巨大な古木となると、自らの力で枝を支えきれないために、支柱が添えてある場合も多いが、この桜はそのようなものは無用とばかりに、太い枝を、四方八方に伸ばしていた。そして、滝のように、あるいはカーテンのように無数の花を付けた枝が垂れている。 「普通のアヤカシの二の目が50m程度の身長だから………その半分か。というか、獅子折神が折神大変化した時のサイズとほぼ同等!?」 これはやっかいそうだと丈瑠は思う。それほどのものをシンケンマルだけで斬り倒すのは、なかなか難しそうだ。烈火大斬刀の1000℃もの烈火の刃でなら斬り倒すことは簡単そうだが、アヤカシになった後では、それもどうかはわからない。さらに、一の目がこのサイズだとして、二の目があるのか、どうか。 「最近のアヤカシは、二の目がない場合もあるからな」 ドウコクが倒れて以降、丈瑠が闘ったアヤカシに二の目はなかった。外道衆の勢いが衰えていることを示している、唯一の事実だ。しかし、白澤家の女性が言うように、アヤカシが千年の霊力を取り込んでいたら、二の目もあるかも知れない。 「その時は………」 獅子折神を折神大変化させて、五角大火炎で突っ込むか。 丈瑠はもともと事前情報があるアヤカシの場合には、戦闘前に闘い方を詳細にシミュレートする方だ。しかし、こんな時は改めて、闘い方のヴァリエーションが減ったことを痛感する。相手が弱くなったのだから、それで特に問題はないと思うのだが、なまじ、シンケンジャーの侍たちと闘っていた時の持ち技が多かったため、そう感じてしまうのだ。 本当はこれほど巨大なアヤカシ相手ならば、一の目から侍巨人を使いたいところだ。シンケンジャーの侍五人がいなくても、折神さえ揃えば、今の丈瑠のモヂカラなら、一人で全ての折神を大変化、侍合体させて侍巨人を発動させることも可能だと思う。 しかし侍たちは、それぞれが受け継いだ文字の折神を所有しているため、丈瑠の手元にはそれら折神がない。つまり『獅子折神』に、『龍折神』『亀折神』『熊折神』『猿折神』が侍合体する最も基本の侍巨人、シンケンオーはどうやっても発動できないのだ。 そうすると、シンケンオーがベースに来る『カブトシンケンオー』『カジキシンケンオー』『トラシンケンオー』『イカシンケンオー』『テンクウシンケンオー』『ダイカイシンケンオー』『キョウリュウシンケンオー』にも、もちろん『サムライハオー』にもなれない。 但し、侍たちの所有ではない折神である『兜折神』『舵木折神』『虎折神』『恐竜折神』『牛折神』については、志葉家の秘伝ディスクとして『スーパーディスク』『真侍合体ディスク』『最終奥義ディスク』等と共に志葉家に保管されている。烏賊折神と海老折神については、丈瑠は源太に持って行くよう言ったのだが、丈瑠に預けると言って聞かなかったので、とりあえず志葉家の庭に放してあったりする。烏賊折神はディスク化も可能なのだが、もうディスクに戻ってくれそうもなかった。そういう訳で、源太は折神ではなく、ダイゴヨウと共にパリに渡った。 志葉家の秘伝ディスクだけでなれるのは、『ダイテンクウ』『モウギュウダイオー』。そして海老折神でなれるのが『ダイカイオー』となる。しかし『ダイカイオー』は、どうも扱い慣れなくて、丈瑠としては使いたくなかった。だいたい東西南北の使い分けが理解できないし、サカナマルの代わりにシンケンマルで本当に操縦できるかの確信もない。 「となるとダイテンクウ。これには問題なくなれるが……」 一応、それに必要な三秘伝ディスクは、黒子が用意してきている。 「しかし、25mの高さでの戦闘では、殆ど役に立たないか」 そうすると残るは『モウギュウダイオー』しかない。しかし、シンケンオーより頭ひとつかふたつ分も大きいモウギュウダイオーをここで暴れさせるのも、どうかと思う。モウギュウダイオーで戦闘した場合、少なくとも天澄寺は、絶対に潰れるに違いない。さすがに白澤家も、それには「うん」とは言わないだろう。 「侍巨人の使用は無理か。そうなると、あとはせいぜいモウギュウバズーカ………」 モウギュウバズーカも黒子は持ってきているはずだ。多分、セットで最終奥義ディスクも。そして丈瑠の手元には、獅子ディスク、雷ディスク、インロウマル、スーパーディスクがあった。 「さて、どうするか」 丈瑠は呟きながら、シンケンマルを出した。そして、枝垂れ桜に近づいて行った。 道案内役の黒子と共に、丈瑠のもとへと急ぐ流ノ介と千明。 「でもさあ」 千明が流ノ介に話しかける。 「丈瑠って、やっぱりどっかおかしいよな」 流ノ介が千明を見た。 「だってそうだろ?あいつってば、いっつも自分のこと、後回しだと思わないか?」 それは流ノ介も感じていることだった。昨年からずっと感じていて、何度かそれを丈瑠に言ったこともある。その時は丈瑠の抱える事情を知らなかったこともあって、家臣の立場として思ったことを突き付けただけで終わっていた。 「俺、屋敷にいた頃、よく思ってたぜ。どうして丈瑠はあんなに、自分に関することは投げやりなんだろうって」 「投げやり………か」 確かにその言葉は当たっている。流ノ介はそう思う。 「自分の命も、自分の感情も、みんな投げやり。そりゃゲームとか、つまんないところではサ、あいつもだんだん感情を出すようにはなってきてたけど。それに俺たちのことや、闘いのことでは意外に細かい所まで気を配ったりするのに………大事な場面に限って、自分に関することは全部投げやりだよ。それはずっと変わらない」 侍たち四人と源太、その誰もが、どうしようもなく丈瑠に感じていた歯がゆさ。手の届かなさ。どこかで身を翻されるような、不思議な感覚。 「だが、それは殿が………」 流ノ介が言おうとした言葉を、千明が首を振って遮る。 「本当の当主じゃないから………だけだったのか?そうじゃないだろ」 影武者だったから、偽の当主だったから、丈瑠は自分を軽く見ていた。自分に関しては投げやりだった。それならば、何故、今もそうなのか?丈瑠は今では、真の志葉家当主ではないか。 「なんだって、丈瑠はあんなに何でも………我慢できるんだろう。自分のことを後回しにできるんだろう」 「それは………」 しかし、それは流ノ介には判るような気がした。 志葉家の殿さまで、誰よりも強いシンケンレッドで、何もかもに恵まれ、秀でている志葉丈瑠。そう信じていた志葉丈瑠が、本当は何ひとつ持っていない、コンプレックスの塊だったなどと、誰が想像できただろうか。そんな重すぎる過去を、状況が変わったからと言って、ほんの数ヶ月で変えられるはずがない。 影武者として強いられてきたものが、もう丈瑠そのものになっているのに。 「ん?」 流ノ介に意見を求めてくる千明に、流ノ介は首を振り 「今はとにかく、外道衆のことが先だ!」 と、千明を先へと促す。千明は、多少不服そうな顔をしたものの、そのまま口を噤んだ。 千明と共に、丈瑠のもとへと急ぎながら、流ノ介は思った。 「多分、殿は………」 千明が言うように、丈瑠は自分の感情、欲望を抑圧し、自分のことを後回しにする。丈瑠はこういう生き方を、幼い頃から刷り込まれてきたのだろう。志葉家の当主として在るためには、本来の自分を捨て去らなければならなかったからだ。しかし最も哀しいのがここなのだが、丈瑠は自分というものを確立する前に、そのような生活に放り込まれてしまった。 丈瑠は、捨て去る自分を持つ前に、別のものにならなくてはならなかったのだ。その上、丈瑠がなるべき別のものは、仮の姿、偽物だというのだ。この状況では、本来の丈瑠はどこにも存在し得ない。それこそ幽霊のようなものだ。 このような中で、彦馬はよくも丈瑠をあそこまでの人間に育てられたと感心する。それだけ彦馬が愛情を注ぐと共に、細心の注意を払って育ててきたのだろうことは容易に想像できるが、それでも酷い話だ。 だから流ノ介には、丈瑠が己に関しては投げやりな生き方しかできなくても、仕方ないとしか思えないのだ。 ただひとつ、流ノ介にとって気がかりなこと。 それは、自分の感情を後回しにする丈瑠が、自分の感情に従ったことが、流ノ介が知っているだけでも数回あったことだ。それも周囲の反対を強固に押し切ってまでも、無理やりに。そういう時の丈瑠は、とても頑固だった。しかしそれらの行動はやはり、全て自らを傷つける方向、あるいは無謀で無意味な闘いに没頭する方向、つまり自分に関して投げやりな方向だったのだ。 本来の自分を持つこともなく育ってきた丈瑠。志葉家の当主として、闘うことだけが使命と教え込まれて、他の生き方を知らない丈瑠。そんな丈瑠が、どこにも行き場を失くした己の存在を、闘いのみに求めるのは、あまりに自然な流れに見える。だから千明が望むように、もし丈瑠が自らの感情や欲望に素直になったらどうなるか。流ノ介にはその先にこそ、彦馬が懸念している未来があるような気がしてならない。 もちろん流ノ介にも、丈瑠にもっと自分を大切にして欲しいとは思う気持ちはある。しかし流ノ介にとってはむしろ、自制心を発揮している時の、ストイックな丈瑠の方が、安心なのだ。完璧な十九代目当主であろうとする丈瑠でいてくれた方が、まだしも見ていられるのだ。 どちらにしても、丈瑠がただ闘いのみに没頭するような状況に陥った時、彦馬に豪語したほど確実に丈瑠を引き止められるとは、流ノ介は考えていなかった。ただ、丈瑠を身体を張って止める人間が身近にいなければ、絶対にまずいことになる。流ノ介はそう感じていた。だから、丈瑠をどこまで引き留められるかはわからないが、それでも流ノ介は、丈瑠の、丈瑠自身の盾になろうと思うのだった。 「私の命を預け、そして殿の命も私は預かったのですから………」 ある意味、本当に命を賭けても。 「私が殿と見込んだは、生涯賭けて志葉丈瑠………ただひとりのみ。だから志葉丈瑠が何者になろうとも、私は殿に付いて行きます」 そして、それがこの世を守ることに繋がるのも、また真実なのだから。 流ノ介は、改めて心にそう誓った。 小説 次話 2010.06.09 |