花 影  2












「しっかし、そんな事業とか………丈瑠やっていけるのかね」
 千明がぼそっと呟くと
「千明!!」
 と流ノ介が叫んだ。
「えっ?」
「殿ご自身が、そんな下世話なことをされる訳がないだろうが!!」
 相変わらずの高テンションで叫ぶ流ノ介に、千明は思わず引いてしまう。
「だって………今、お前がそう言ったんだろ」
 その瞬間に、流ノ介が正座したまま、大きく振りかぶった。
「ちがーーーーう!!違う!!!!」
 まるで歌舞伎の連獅子の稽古か何かと思わせるような仕草で迫ってくる流ノ介に、千明は思わず仰け反りそうになった。しかし流ノ介にとっては、普通の仕草だったらしく、そのまま話を続ける。
「この志葉家のお屋敷にいらっしゃる方々は、黒子の方々も含めて、対外道衆の活動しかされておられない。経済活動をしたり、政治的なことをというのは、黒子の方々よりさらに裏方だ。というか、志葉一門ではあっても一般人の方々だ。私たちの目には触れない所で活動されて、志葉家を支えていらっしゃるのだ」
 両手の拳を握りこんで、宙を見つめながら熱く語る流ノ介。ほんの二ヶ月ほど離れていただけで、相変わらずのうざさを発揮する流ノ介に、既について行けなくなりつつある千明だった。
「なんか、あんたも相変わらずだねえ。でもさ、じゃあもしかしたら………丈瑠はそういうのは、なーんにも関係してないんだ。殿さま〜って崇められて、養ってもらっているだけな訳かよ」
 嫌味をひとつ言ってから、初めて聞いた事実への感想を述べると、途端に頭をはたかれた。
「無礼者!!殿が養ってもらっているのではなく!!志葉家当主である殿が、みなを養っておいでなのだぞ!!いったいお前は、侍として殿に仕えていたのに、何を見ていたんだ!!」
「って!痛ってえじゃないか。もう!!」
 頭を両手で隠しながら、その腕の下から千明は流ノ介を見上げる。
「まあ、そりゃそうなるんだろうけど………そうじゃなくて、実務は………って話しだよ」
 流ノ介はそれに深く頷いた。
「それはもちろん、殿は実務されていないどころか、志葉家のされている事業の詳細すらご存じないだろう。むしろ、そういうことは彦馬さんや、志葉家家臣の私たちの家系の方が詳しいはずだ」

 さすがに流ノ介は、志葉家の事情をよく知っているようだ。シンケンブルーの位置にいる侍は、志葉家に最も近い存在なのだろうか。しかし流ノ介は、当然と言う口調で話しているが、始めて志葉家の裏事情を聞いた千明には、すぐに納得できるものではなかった。

「………なんか、ちょっとなあ。それって、どうよ?」
 千明が疑問を差し挟むと、流ノ介の眉が寄る。そんな流ノ介のよく変わる表情を眺めながら、千明は緋毛氈に肘をついて横になる。そうすると、桜を真上に見上げる状態になる。青い空を背景に咲く桜。千明は、舞い散るはなびらをてのひらで受けた。
「自分の家がどうやって運営されているのかも知らなくて、みんなに敬われて偉そうに殿さまやってるって………それじゃあ、丈瑠って本当に馬鹿殿じゃない………」
 言い終わらない内に、流ノ介が再び叫ぶ。
「千明〜〜〜!!お前、殿のどこが馬鹿殿なんだ」
 あまりの剣幕に、思わず肘から顔が落ちてしまう千明だった。体勢を立て直しながら流ノ介を見ると、流ノ介がそれはそれは怖い顔で、千明を睨んでいた。
「あ〜………いや。丈瑠の頭が悪いって意味じゃなくて、ちょっと世間的に馬鹿って意味で言ったんだけど」
 無駄と知りつつ言い訳をする千明。しかし流ノ介から帰ってきた言葉は、意外だった。
「………そうか」
「へ?」
 またも、肘から顔が落ちて、緋毛氈に突っ伏してしまう千明。
「ちょっと!!そこで、流ノ介、引っ込んじゃう訳?」
 見上げた先の流ノ介は、腕を組み、目を瞑り、唸っていた。
「う、う〜〜ん。世間的に………と言われると、私としてもあからさまな否定はしにくいような………」
 それに、千明は仰向けになって笑った。
「ははっ!!なんだ。それじゃあ、流ノ介も思ってたんじゃないか。丈瑠は馬鹿殿だって」
 その瞬間に、頭をはたかれる千明だった。
「そういう意味ではない!!」
 目を三角にして怒る流ノ介をからかうように、千明は言った。
「だから、世間を知らない、社会を知らない、常識を知らない『馬鹿殿』だよ。これなら、いいんだろ?流ノ介的にも」
 そうするとまた、流ノ介は腕を組んで唸りはじめる。
「ん?んんん………そうはっきり言われると、同意しにくい!!」
 目を瞑り、首を振りながら
「しかし、あながち間違っているとも言えないし………」
 ぶつぶつと呟く流ノ介。
「はははっ!何わけわかんないこと言ってんの!?」
 千明は仰向けになって、腹を抱えて笑った。それに流ノ介が真剣な顔で抗議する。
「訳わからなくはないだろう。殿は馬鹿じゃない」
 千明は仰向けのまま、視線だけを流ノ介に向けて、にやりと笑う。
「だけど馬鹿殿だし」
 それに正座をしている流ノ介が膝を叩いて叫んだ。
「いや、だから馬鹿じゃないと!」
「でも馬鹿殿だし」
 完全に流ノ介からかいモードの千明だったが、その瞬間、頭の上から野太い声が降ってきた。
「こら〜〜!!千明〜!!」
「うげっ!」
 流ノ介の比ではない力で、後ろから頭を叩かれる千明。振り返れば、そこには彦馬が仁王立ちになっていた。
「何がうげっだ!待たせたかと思って急いで来てみれば、殿の馬鹿談義か!!この!無礼者〜〜!!」

 夢のような桜の園に、彦馬の怒声と千明の悲鳴が響いた。






 同じ頃。
 丈瑠は、さきほど戦闘のあった場所で、捜索を続けていた。

 ナナシが現れた桜の園は、なだらかな丘陵にあった。満開の桜がその丘陵を埋め尽くしている。しかし公園として整備されている所ではないせいか、花見客などはまったくいない。その中を慎重に歩きまわりながら、ところどころで丈瑠は立ち止まる。そして、注意深く周囲を見回したり、桜の木を調べたりしていた。しかし、どこに行ってもアヤカシどころか、ナナシの痕跡もなかった。それでも、丈瑠は捜索を止めない。
 丈瑠についている黒子たちは、だんだん不安になって来た。これだけ何も得るものがないのに、丈瑠がずっと捜索を続けるのは、何故なのか。捜索が目的ではなくて、屋敷に帰りたくないだけではないのか?それは、今日、志葉屋敷に侍たちが訪ねて来る予定だからなのか?ほんの二ヶ月ほど前まで、強い絆で結ばれていたはずの丈瑠と侍たち。無駄な捜索などさっさと切り上げて、一刻も早く彼らに会いたいと思うのが、普通の心情ではないのか?黒子同士が顔を見合わせる。
 丈瑠の気持ちが計り知れない。そんなことは、今までもよくあった。丈瑠は表情に乏しいし、声にも抑揚があまりない。動作はよく躾けられて、もの静か。そんな丈瑠が屋敷で感情を露わにする相手と言えば、もちろん彦馬しかいない。その彦馬相手でさえ、丈瑠は感情を抑制しがちだ。
 しかし、今の丈瑠の状況は、そのような何を考えているのかわからない、というものではなかった。それよりは、むしろ丈瑠の行動が理解を超えている。いつもの行動ではない。そういう風に、黒子たちには感じられた。
 一体、丈瑠は何をしようとしているのか。何をしたいのか。説明もなく、あてもなく、ただ歩き回る丈瑠だった。

 何の収穫もなく、三十分が過ぎようとしていた。さすがの黒子も、丈瑠に帰宅を促す。それに丈瑠はしぶしぶという風に頷いた。その帰り道。戻る途中で、再び丈瑠は、先ほどの巨大な枝垂れ桜の横を通った。改めて枝垂れ桜の下に立ち、辺りを窺う。しかし、何の気配もない。最後にと、丈瑠は枝垂れ桜のある丘から周囲を見回した。かなり高くなっているその場所からは、辺りが一望できる。すると、今まで気付かなかった場所が目に入った。それは、寺院だった。桜の園に囲まれるように、桜の園の奥に寺院があった。それは、どこかで見たことのある風景だった。
 さきほどから、ずっと丈瑠が感じていた奇妙な違和感。それが今、はっきりと丈瑠を襲う。
「………何だ?」
 桜の園に埋まるようにして見える寺院。どこで?いつ?自分は、こんな風景を見たと言うのか?
 そう思った途端に、丈瑠の立っている地面がぐにゃりと動いたような気がした。足元がふらついた丈瑠は、枝垂れ桜の太い幹に右手をついた。その瞬間、丈瑠の脳裏がスパークする。頭の中を、捉えどころのない、しかし鮮明な映像が駆け巡った。映画の早まわしでも見ているような映像。それはほんの一瞬のことだったが、その映像が突き刺すように頭に入ってきたため、丈瑠は激しいめまいを覚えた。
「くっ………」
 ぐらつく身体を支えようと泳がせた左手が、丈瑠の前に垂れていた桜の枝をたまたま握りしめた。すると今度は、まるでその握った枝から何かが、丈瑠の体内に入って来るかのような感覚が、丈瑠を襲う。
「これは………」
 それは、先ほど丈瑠を襲った様々な映像とはまた異なるものだった。同じように鮮明な映像が、ものすごいスピードで頭の中を駆け抜けたが、その映像の一部に、丈瑠は確かに見覚えがあったのだ。
「何だ?アヤカシか?しかしアヤカシとは………違うような?」
 アヤカシ特有の邪悪な気配が、どこにもない。しかし、おかしい。
 疑問に思いつつも、アヤカシでないとは言い切れないので、とりあえずシンケンマルを取り出そうとした丈瑠だったが、遅かった。まるで貧血でも起こしたかのように、目の前が真っ暗になっていく。膝が崩れて、桜の幹に身体を預けるように倒れ込む丈瑠。丈瑠の異常に気付いた黒子たちが、丈瑠の傍に駆け寄ってきた。それを感じながらも、丈瑠は動くことができない。ただ桜の幹に身体を寄せて、じっとしているしかなかった。
 するとじわじわと、幹に接している身体の部分から、何かが丈瑠の中に入って来るような気がした。
「やめ………ろ」
 丈瑠は呟く。
「止めろ、入って来るな!!」
 丈瑠の言葉に、黒子たちが顔を見合わせた。状況を察した黒子が、自力では動けない丈瑠を抱き上げて、桜の幹から離す。そして、巨大な枝垂れ桜から離れた草むらに、丈瑠を下ろした。
 しかし黒子が覗き込んだ丈瑠の顔は蒼白で、意識は既になかった。その時、一陣の風が、丘を吹き抜ける。枝垂れ桜の枝が大きく煽られ、丈瑠たちの方に伸びてくる。黒子が不審そうにそれを見ながら、伸びてくる枝から倒れている丈瑠を守るように、自らの身体の位置を変えた。しかし、何も起こりはしなかった。ただ、丈瑠と黒子たちの上に、枝垂れ桜の花びらが無数に舞った。丈瑠の身体の上にも、薄ピンクのはなびらが、降り積もる。丈瑠の身体は、まるで桜の花びらの布団で寝ているような状態になった。
 









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2010.04.14