花 影  22














 丈瑠は枝垂れ桜の傍まで戻ると、黒子に頷く。そしてショドウフォンを取り出すと、
「ショドウフォン!一筆奏上!!」
 の掛け声とともに、空中に『火』の文字を書いた。
「はっ!!」
 気合いと共に筆で文字を裏返すと、その文字が丈瑠の全身を包み込む。次の瞬間、丈瑠はシンケンレッドになった。
「シンケンレッド!志葉丈瑠!!」
 名乗りを上げるとすぐに、シンケンレッドはバックルから取り出した雷ディスクを、シンケンマルにセットする。シンケンレッドは枝垂れ桜が全体が見渡せる位置ぎりぎりまで歩を進めて、そこでシンケンマルを構えた。
 じっと枝垂れ桜を睨むシンケンレッド。その時にはもう、枝垂れ桜は大人しくなっていた。盛り上がった土や斬られた枝を見なければ、普通の桜に見える。しかし、シンケンレッドは枝垂れ桜の幹に狙いを定めると、シンケンマルのディスクに手を掛ける。そして自分を納得させるように、もう一回頷いた。
「参る!」
 その瞬間に、シンケンレッドの手がディスクを回転させる。ディスクの回転が増すに従い、シンケンマルが放電し始める。それがどんどん大きくなっていくのを見ながら、シンケンレッドは頃合いを見計る。

 巨大な枝垂れ桜。
 千年の時を刻み、この丘の上から長い時を見つめてきた桜。
 しかし残念なことだが、それも今日を持って終わりにするしかなかった。

 桜に向かってシンケンレッドがシンケンマルを上段に構える。そのシンケンマルに呼応して、強い風が吹き黒い雲が流れた。空が一転して暗くなる。すぐに空の上で、ゴロゴロという音と共に稲妻も光り始める。
「シンケンマル!雷電の舞!!」
 シンケンレッドはそう叫ぶとともに、空中に飛び上がり、桜の幹に向かってシンケンマルを振り上げた。その瞬間、天から稲妻がシンケンマルに真っ直ぐ下りてくる。その稲妻と共に、シンケンレッドは、幹の上から下まで約25mをシンケンマルで斬り裂く。それを稲妻が追った。
 シンケンレッドは斬り終わると、枝垂れ桜から大きく後ろに下がった。シンケンマルと雷に斬り裂かれた枝垂れ桜の幹は、真ん中に白く輝く筋が入り、煙をそこここから上げていたが、それだけだった。それをシンケンレッドは、黒子の横まで戻って見ている。
 やがて、白い筋がだんだんと太くなり、枝垂れ桜の幹の真ん中に黒い筋が走る。と思う間もなく、枝垂れ桜が轟音と共に、縦二つに割れた。そして、割れた幹の中は大きな空洞になっていた。そこから、また同じ桜の幹のような形をした、真っ赤なアヤカシが出てきた。より正確にいえば、桜の幹から出てきたというよりは、割れて倒れた桜と既に一体化していた。アヤカシ本体は3m程度で通常のアヤカシよりもかなり大きかったが、枝垂れ桜も入れると、とても巨大な一の目となるだろう。残念ながら中にいたアヤカシは、桜の霊力に守られてなのか、丈瑠の剣を受けても何のキズも負っていないようだった。






「シンケンレッド!」
 出てきたアヤカシは、シンケンレッドを見るなり叫ぶ。
「また邪魔をしにきやがったのか!志葉の当主!!」
 三百年に渡り、闘いを続ける外道衆とシンケンジャー。だからアヤカシは、シンケンジャー率いる志葉家に特に恨みが深い。いつでも志葉の当主個人、そして志葉家の人間を、目の敵にする。ドウコクもそうだったので、別にアヤカシに名指しされても、丈瑠は何とも思わなかった。それよりも丈瑠は、真っ二つになった枝垂れ桜を見て納得する。
「そういうことか」
 丈瑠は倒れた枝垂れ桜の幹を指し示す。
「この枝垂れ桜は古いからな。洞(うろ)がこんなに大きくなっていたのか。そして、これを隙間として、お前はこの樹に入り込んでいたんだな」
 どこにも姿が見えないのに、アヤカシがいるような気がして仕方がなかった。出てくる隙間もないというのに。その理由が、やっとわかったのだ。それに、アヤカシは得意げだった。
「そうだ!!この樹の霊力は、最近ではあり得ないほど強くてな。ドウコクが死んじまって、三途の川の勢いが衰えた後でも、俺様に力をいっぱいくれたわ」
「その上、樹の霊力に守られているから、この樹の中にいる間は、お前の気配も消せたと言う訳か」
「その通り!それを、こんなにしてくれて!志葉の当主!!このまま、この樹の霊力を吸いつくしてから、暴れまわってやろうと思っていたのによ!!お前はいつもいつも邪魔なんだよ!!」
 アヤカシ達にとって、歴代のシンケンレッド、志葉の当主は、外道衆の邪魔をするという意味で全て同じだった。
「………いつも………ね。お前と闘うのは初めてだと思うが」
 丈瑠の苦笑い。ただ、昨日からずっと納得できずにいたことに答えが出て、丈瑠の気分は悪くなかった。
「それでは、あちらの園の桜も同じか」
 ひとまずアヤカシの文句は置いておいて、全てにけりをつけるために必要なことは、聞いておかねばならなかった。
「おう。この桜はな、すげーのよ。あっちの桜とも地下で繋がっている。だから俺様は、あっちの桜の樹の霊力も吸えたって訳だ」
 丈瑠がある程度は予想していた答えだった。
「なるほど。それで、この枝垂れ桜が怪しいと感じているにも関わらず、あちらの桜の園もどうもおかしいと感じたんだな」
 それにアヤカシがにやりと笑う。
「あっちの桜は霊力が弱いからな。俺様がここから根を通して力を吸い取っていると、それを外に漏らしやがったんだ。お前が昨日、あんまりしつこく嗅ぎまわるから、どうかとは思っていたんだが、やはり見つかっちまったか」

 黒子たちが顔を見合わせる。昨日の丈瑠の探索を、意味のないものかもしれないと疑ったのを、申し訳ないと思ったのだ。やはり丈瑠は今回も正しかったという訳だ。丈瑠には、他の誰にも察知できない外道衆の気配を察知できる能力があるのかも知れない。
 一方、丈瑠は心の中で、面倒なことになったな、と思っていた。この枝垂れ桜と一体化してしまっているアヤカシを倒すには、当然、枝垂れ桜を犠牲にするしかない。それは仕方ないとしても、根が他の桜とも繋がっているとなると、そちらにも外道衆の欠片、毒が廻っているということだ。つまり、外道衆を完全に抹殺するためには、枝垂れ桜どころか、この白澤家が誇る桜の園の全ての桜を処分しなければならないということになる。
 それでも、やらねばならないことは、やるしかないのだ。それを白澤家の人がどう思おうと。外道衆の痕跡や毒を残しておけば、それがまた外道衆を生む温床となってしまうのだから。そういう場所やものは、根絶やしにしなくてはならない。それが志葉の当主の務めだった。






「なるほど」
 丈瑠はあとひとつ聞いておかねばならないことを思い出す。
「そうすると、あれを見せたのもお前か」
「あれ?」
 そのアヤカシの反応も、丈瑠の予想通りだった。しかし丈瑠は、もう一度かまをかけてみる。
「変な夢を、お前は俺に見せただろう。お前はユメバクラの仲間か」
「ユメバクラ?」
 アヤカシは、首を傾げて考えていたが、やがて頷いた。
「ああ。昨日、お前が見た『あれ』か。あれは俺じゃない。俺はそういう面倒くさいことはしない。あれは、この桜がやったことだ。それに夢でもない」
 馬鹿正直なアヤカシは、それがどうしたとばかりに答えてくれる。
「あれは、この桜の記憶だ」
「記憶………」
「そうだ。この桜の千年の思い出だ」
 ここまでも、丈瑠の想像通りだった。しかし、ここからが違った。
「この桜は洞もでかいし、そろそろ寿命が尽きかけていた。尽きかけていたと言っても、そこらの樹の霊力とは比べ物にはならないのだがな。その最後の霊力を俺様が吸っていたんだが………」
「ろうそくの最後の炎は大きいということか」
 既に寿命が尽きかけていた桜だったのか、と丈瑠は何ともいえず、アヤカシの周りに倒れている幹を見つめる。
「だが!」
 アヤカシの言葉に、丈瑠が顔を上げた。
「お前のおかげで昨日から、この桜の霊力が、またさらに何十倍にも大きく燃えあがっちまったのよ。俺にとっては吸い取れる力が増して結構なことだったのだが」
「俺の………おかげ?」
 思いもかけない話に、丈瑠が聞き返すと、アヤカシが嘲笑した。
「お前が、この樹の下でナナシと闘ってくれたおかげだ」
 丈瑠が怪訝な顔をすると、アヤカシはそれをおもしろそうに見る。
「おまえのあの闘いっぷりがな、このもうろくした桜には、別のものに見えたらしい」
「別のもの………?何だ、それは」
 昨日からの大部分の謎が解けたかと思ったら、また新しい謎か。丈瑠はそんな思いでアヤカシを睨みつけた。
「闘いが、何に見えたというんだ!?」
 しかしアヤカシは肩を竦めた。
「そこまでは知らない。だが何か別のものに見えて、それでこいつは突然、それまでの何十倍も霊力を増した。そしてついに我慢できずに、桜はお前にちょっかいを出したんだ」
「………何のために?」
 丈瑠が眉をひそめる。
「知らねえよ。俺はお前に俺の存在を気付かれるといけないと思ってやめさせようとしたんだが、まだ完全にこの樹を乗っ取っていなかったので、勝手にやられた」
 そう言ってアヤカシは不気味に笑うばかりだった。

 千年の桜の霊力。最後に、丈瑠のせいで、何十倍にも増した霊力。それは、アヤカシの意思を振りきってまで、不思議な現象を起こすほどのもの。そのとてつもない霊力を吸収したアヤカシが、目の前のアヤカシなのだ。
 枝垂れ桜の丈瑠に対する何か。それが謎として一つ残ったが、アヤカシに乗っ取られた今となっては、それももう解明はできないだろう。それよりも、このアヤカシを倒さねばならない。丈瑠は、これから本格的な戦闘に入ることを黒子に目配せで伝える。黒子が頷いて、さらに後ろに下がった。






「あの桜の幹に、あれほど大きな洞が………」
 丘の下で丈瑠を見ていた、白澤家の女性がため息をついた。あのような洞(うろ)ができていたのでは、アヤカシに付け込まれなくても、あの枝垂れ桜は長くはなかったのだろう。そして、その洞からアヤカシが樹に入り込んだ。
「もっと若い樹の時だったら、多少の洞があったとしても、アヤカシなどは寄せ付けなかったでしょうに」
 女性の胸の内は、残念な思いでいっぱいだった。もともと寿命の来ていた樹を残して欲しいと、丈瑠に無理なお願いをして丈瑠を困らせたこともそうだったし、愛娘の思い出の枝垂れ桜がアヤカシに乗っ取られたと言うことも、その霊力を吸収したアヤカシが、よりによって丈瑠と闘うことになることも………
「それとも、何かの巡り合わせなのかしら」
 今回のこの事件が起こらなければ、そして自分が娘の墓参りにここを訪れていなかったら、自分と志葉丈瑠が出会うこともなかった。出会わなければ、多分、気付くこともなかった。
 そもそも、この桜がおかしくなったことなど、ここ二十年近くなかったことなのだ。だから、今回の異変には驚いた。しかし今、アヤカシが言っていたことが真実なら、女性にはある意味、納得がいくのだ。

 昨日、桜の下で丈瑠に出会い、どうにも腑に落ちないものを胸に帰宅した女性。その晩、白澤家に志葉家からの家紋入りの礼状が届き、そこに記された志葉家十九代目当主の名を見た瞬間、女性は、自分が何に引っ掛かっていたのかを認識した。
 それは、愛娘の後を追うようにして、幼くして亡くなった孫のこと。いや、亡くなったと聞かされていた孫のことだ。墨で書かれた「志葉丈瑠」の名前を見つめていると、ふいにある考えが女性の頭に浮かんできだ。それは、単なる妄想。あり得ないと笑い飛ばして当然の戯言。そう考えることもできた。しかし、その荒唐無稽な思いつきは、孫が亡くなったと聞かされた時に感じた違和感や、その孫の墓所さえはっきりしないという疑問に、答えをくれる。全てがすっきりと収まりつくのだ。
 女性はすぐに、白澤家に古くから仕える者に、それについての調査を命じた。但し、その調査は難航することが予想された。政財界に密かな、しかし大きい影響力を持つ志葉家のことだ。このような重大な事柄に対する辻褄合わせは、完璧になされているだろう。だから何を調べようとも、結局は、何もみつからないだろう。そう思っていたのだが、その報告を待たずして、奇しくもアヤカシの言葉から、もう答えが見えたようなものだったのだ。

「それにしても、志葉家のご当主様と言うのは………」
 女性は、傍らの黒子に話しかけた。志葉家直属の者と会話する機会は、今をおいては他にないだろう。志葉家の特殊な家臣である黒子は、見聞したことは詳細に志葉家に報告すると聞いている。そうだとすれば、ここで黒子に話すことは、きっと意味がある。女性はそう思った。
「哀しいわね」
 黒子が、女性の言葉に、顔を上げた。
「外道衆に姿を見られただけで、志葉家のご当主様と判ってしまう。そのご当主様だけを標的に、外道衆が襲ってくることもあると聞いています」
 黒子はもちろん黙ったままだ。
「そのせいで、丈瑠様は幼くしてご両親を亡くされたのですよね?それでも、同じ闘いを続けねばならないなんて………それも、生きている限りずっと………いえ、次の代もその次の代も、ずっと永遠に………なんて」
 それは、志葉家の存在を知ったら、誰もが一度は思うこと。
「あまりにも辛く哀しい宿命ね」
 しかし志葉家の者も、そこに仕える侍たちも、そういうことは考えない。そういう風に、幼いころから教育されるということもある。しかし、大人になり自らで考えられるようになった時でも、この使命から脱落する者は少なかった。侍たちは、それを自らの宿命と受け取め、それから逃げることを良しとはしないからだ。しかし、外部の者には、そのような心境は理解しにくいだろう。

「丈瑠様は、そのお役目から………逃れたいとは思われないのかしら。普通の生き方をされたいとは思わないのかしら」
 そこで白澤家の女性は言葉を途切らせた。そして、じっと黒子を見つめる。
「………もし………丈瑠様がそれを望んでおられるとしたら………それは許されることですの?」
 黒子は無言のまま、女性を見上げた。この女性が何を言おうとしているのか、それが黒子には掴めなかった。しかしまた、言いようのない不安をそこに感じた黒子だった。

















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2010.06.16