花 影  27
















 獅子折神の大変化を解除して、シンケンレッドが丘の上に立つ。
 そこから歩いて、アヤカシ本体があった場所まで戻った。そこでシンケンレッドの変身を解くと、丈瑠はアヤカシ本体があった場所の周囲を歩く。

 アヤカシ本体があった場所。
 そこには、もう枝垂れ桜の切り株すらなく、土が数メートルもの深さにえぐれていた。そのえぐれて窪んだ底に、何本かの根が見えている。かつてここに枝垂れ桜があったことを示す痕跡は、それだけだ。後は全て炭化してしまっていた。
 その周囲の草木も全てが燃え尽きていた。もちろん土すらも焦げて、一面が真黒になっている。あの千年枝垂れ桜があった場所とは、到底思えないほどに、そこは変容していた。
 次に丈瑠は、周囲の桜の園に目をやる。
 そちらは、この枝垂れ桜ほどではないが、それでも、かなりの数の桜の大木が倒れ、五角大火炎で飛び火した火により、燃えている樹も多くあった。
 そして、丘の下。
 天澄寺に通じる小道は、もう道の跡形もない。その周囲に生えていた草木も、あるものはなぎ倒され、あるものは焼け焦げていた。

 とにかく、なにもかもが、ほんの一時間前とは変わってしまっていた。
 丈瑠はため息をつく。ここまで破壊し尽くしたのに、まだやらなくてはならないことがあった。本来であれば、それは気が重いことだ。しかし自分にそういう感情はない………と丈瑠は自分に言い聞かせる。
 丈瑠はもう一度、天澄寺に通じる、かつて道だった場所に目をやった。そこを、黒子と千明が、こちらに向かってやって来る。その後ろには白澤家の女性が、黒子一人に付き添われて歩いていた。また、丘のすぐ下には、流ノ介がモウギュウバズーカを手にしたまま、立っていた。流ノ介と目が合いそうになった丈瑠は、すぐにそこから眼を逸らし、再び、かつて枝垂れ桜があった窪みの縁まで戻った。
 そこで丈瑠は、窪みの底に残る根を見つめた。黒子と女性、そして流ノ介と千明に怪我がないことに、丈瑠はほっとしていた。志葉家当主としての、最低限のことは果たした。しかし、彼らにこれ以上、こちらに来て欲しくなかった。何故なら、またすぐに退散させねばならないのだから。しかし、白澤家の女性は、きっと最後にここに立ちたいだろうと思い、丈瑠はじっと待つ。
 待つ間に、もう一度丈瑠は周囲に、目を走らせた。そして気付いた。千明たちが来るのと反対側の道に立つ人影を。
「………爺」
 思わず丈瑠の口から漏れる言葉。
 彦馬は、大きな荷物を持った黒子二人を伴って、そこに立っていた。少し遠いが、彦馬と丈瑠の視線が交差する。たったそれだけで、丈瑠の目頭が熱くなる。抑えつけていたものが、出てきてしまいそうになる。丈瑠は瞳に力を込め、彦馬から視線を外す。それに、彦馬が心配そうな表情をしたことに、丈瑠はもちろん気付かない。
 丈瑠は俯いた。今、ここに来て欲しくなかった。彦馬には、いて欲しくなかった。丈瑠はそう思う。しかしそんなことを思っても、どうにもならない。丈瑠は諦め、丘の下から、黒子たちが上がって来るのを待った。






 かつて枝垂れ桜が咲いていた場所。
 アヤカシの本体があった場所。
 そこに、全員が勢ぞろいする。一番、丘の近くにいたはずの流ノ介も、他のみんなと共に丘に上がって来た。そして何故か、丈瑠から少し離れて立っている。
 流ノ介は、丈瑠と目が合うと伏し目がちに見返しては来たが、それだけだった。二ヶ月前までは、戦闘が終われば、いつも誰よりも早く丈瑠のもとに駆けつけて来た流ノ介が、何も言わずに、遠くから丈瑠を見つめているだけだ。
 だから丈瑠も流ノ介を無視する。これでいいのだ、と丈瑠は思う。今回の戦闘では、結局、流ノ介や千明に助けてもらってしまった。しかし、もう前のような関係ではないのだ。流ノ介も千明も、もう自分の家臣でも何でもないのだ。丈瑠は頭の中で、その言葉を何度も噛みしめた。

 そんな丈瑠と流ノ介の様子をうかがいながら
「丈瑠!大丈夫か!?」
 と、最初に口火を切ったのは、千明だった。
 丘の上に立つ丈瑠は、変身を解いたがために、その怪我の状況が顕わになっていた。着物や袴から出ている手足からは、何か所も血が流れていたし、着物も袴もあちこちが破れ、血で濡れていた。もちろん、顔にもいくつもの傷が付いていた。
 それを辛そうな目で、流ノ介は見ている。本当は、かつてのように、今すぐにでも丈瑠の傍に駆け付けたい。しかし今の流ノ介は気後れしてしまって、それができなかった。一方、白澤家の女性も、最初は桜のあった場所の変容に呆然としていたが、丈瑠の状況を間近で見て、青くなる。
「お殿さま、まあ、なんて怪我を………」
「ご希望に添えませんでした」
 千明の呼びかけも、女性の言葉も無視して、丈瑠は女性の前に歩み出た。女性が目を見張った。
「枝垂れ桜………残せませんでした」
「あ………え、ええ。そうね」
 女性は、まさか丈瑠から、謝罪されるとは思っていなかったらしい。
「でも、そんなことは、もうどうでもよろしいでしょう?こちらこそ、謝らなくてはならないですわ。やはり桜は、アヤカシに付け込まれていたのね」
 丈瑠は頷く。
「それで、お殿さまもこんなにお怪我をされて………早く手当てをされないと。ああ!!」
 そう言うと、女性は丈瑠の腕に手を掛けた。
「まずは天澄寺に参りましょう。そこから、白澤の家にすぐに連絡を………医者を用意させておきます」
 それに丈瑠は首を振る。そして、女性の手を腕から外した。
「まだ、しなければならないことが、残っているのです」
「………え?」
「何だよ、まだやることって!?」
 丈瑠に無視されて、膨れっ面の千明が聞いてくる。丈瑠は、千明に目をやった。
「その窪みを覗いてみろ」
「………え?」
 千明が首をかしげながら窪みの縁まで行き、その中を覗き込んだ。
「あ………、根がまだ生き残ってるじゃん!?」
 千明の声は、むしろ嬉しそうだった。その声に、後ろに佇んでいた流ノ介も前に出てきて、窪みを覗き込む。白澤家の女性や、黒子、彦馬までもが、その後に続いた。
「ねえねえ。これって、あの枝垂れ桜が、また生えてくるってことかな」
 笑顔でそういう千明に、流ノ介が憮然とした表情をした。
「可能性はあるだろうが………元の姿になるまでは、それこそ百年、二百年という年月が必要だろう。そういう意味では死んだも同然………」
「いや」
 そこで丈瑠が、流ノ介の言葉を遮った。
「千明の言うとおりだ」
 それに流ノ介は傷ついた顔をし、千明はにっこりと笑う。
 しかし
「だから、この枝垂れ桜を完全に根絶やしにするまで。全てを炭化させて消滅させるまで、燃やす必要がある」
 それに続いた丈瑠のこの言葉に、彦馬を除くその場にいた全員が唖然とした。誰もが、丈瑠を理解できずにいた。ただ彦馬だけは、丈瑠が何を考えているか判っていたので、苦い顔をしていた。
「………え」
 静まり返ったその場で、最初に声を出せたのは、やはり千明だった。
「どうして!?そんなことをするんだよ!!折角、また生えてくる可能性があるっていうのに………」
「それから、この桜の園………」
 丈瑠は千明の疑問に答えることなく、見渡す限りの桜の園を手で指し示した。
「全てを焼き尽くす。全てを根絶やしにする」
 丈瑠は、そこで黒子に目をやった。
「だから、全員、ここから退避しろ。すぐに、だ」



 


 彦馬を除く、その場にいた誰もが、絶句した。

 しかし、その場で一番、暗い顔をしていたのは、丈瑠の考えが判る彦馬だった。丈瑠が、アヤカシの温床となった場所や生き物を、完全排除しようとするのは、理解できる。何故なら、彦馬自身が古文書の知識から、丈瑠にそう教えてきたのだから。丈瑠は、いつものように、彦馬の教えに忠実に従って、アヤカシに対処しようとしているのだ。志葉家当主の当然の務めとして。
 かつての彦馬だったら、そんな丈瑠を誇らしく思っただろう。誰に何を思われようとも、やるべきことを断固として貫く丈瑠を、頼もしくも思ったろう。それが、丈瑠の気持ちの強さの表れだと思っていたから。それが三百年間続いてきた、志葉家当主の在り方だと信じていたから。
 しかし自由に明るく育った侍たちと共に過ごすようになって、彦馬はそれとは質の違う強さを知った。そうしてひるがえって丈瑠を見ると、今まで丈瑠の強さだと思っていたことが、むしろ弱点に見えてくる。
 それでも侍たちと過ごす一年間のうちに、丈瑠にも変化が見えてきて、彦馬はそれが嬉しかった。しかし、それは侍たちが志葉家を去った途端に、元に戻ってしまったのだ。いや、丈瑠が元に戻ってしまった契機は別にあるのかも知れないが、時期としてはそうだった。
 彦馬はため息をつく。どう考えても、丈瑠のこのようなやり方は、彦馬の育て方に因るものなのだ。彦馬が望む、今以上の丈瑠になるためには、もう彦馬の教育の下ではだめなのだ。
 彦馬は今はっきりと、それを自分に突き付けられた気がしてならなかった。

 丈瑠の衝撃的な言葉。
 それによる驚きが去った後、みなの表情に冷静さが戻るのを待って、丈瑠は白澤家の女性に近づいた。
「アヤカシは言っていました。この枝垂れ桜は、あちらの全ての桜とも根で繋がっているのだと………」
 それに黒子が、はっとしたように顔を上げ、それからみんなに頷いた。
「アヤカシは、この桜の園の全ての桜からエネルギーを吸い取っていたそうです。ここにあった枝垂れ桜だけではなく、全ての桜が、まだアヤカシの痕跡、毒を残しているのです」
 それを聞いた誰もが、思わず息をのむ。丈瑠は、女性を上から覗き込むようにして見た。
「それを放置すると、またそこからアヤカシが生まれる可能性があります」
 女性が目を見開くと同時に、丈瑠の後ろで千明と流ノ介が声を上げた。
「………あっ」
「そういうことか」
 丈瑠はそんな二人に、ちらりと冷たい視線を送った。しかしすぐに女性の方に向き直る。
「だから、この桜の園の全ての桜を、根絶やしにするしかないのです」
 当然のことと諭す丈瑠。その背中を、流ノ介は感動の表情で、そして千明は、口を横一文字に引き結んで、じっと見つめる。
「そうなの………ですね」
 女性は、自分を納得させるように呟いた。
「きっと、お殿さまが仰られるようにするしか………ないのね」
 先ほどの闘いもそうだったが、結局は丈瑠の言うことがあっていたのだ。
「仕方ないわね。お殿さまの仰ることは………多分、いつも正しいのよね」
 またわがままを言って、丈瑠を困らせるようなことは、女性の望むところではなかった。
「ええ。わかりました」
 女性が深く頷いた。
「お殿さまの思う通りになさってください」
 その言葉に、丈瑠はかすかに頷いた。






「それでは、全員、ここから退避しろ」
 丈瑠の言葉に、流ノ介が一歩前に出た。
「殿」
 一瞬、身体を硬くした丈瑠だったが、流ノ介の柔らかい表情に、ほっとした様子を見せる。それを知ってか知らずか、流ノ介が丈瑠の前に跪いた。
「まずは、あちらの寺に避難しては如何でしょうか?」
「………ああ。それでもいい。そうしてくれ」
 頭を垂れて言う流ノ介に、丈瑠は頷く。

 彦馬は丘の縁まで下がり、そこに留まる。その横に千明も佇む。一方、流ノ介の指示で、黒子たちが白澤家の女性と共に、丘を下りはじめた。それを見ながら千明がため息をついた。
「どうした、千明」
 彦馬が、千明の顔を覗き込むようにして尋ねてくる。千明はがっくり肩を落として呟いた。
「どうした………って、丈瑠の奴が、どこまでやる気かと思うと………」
 千明の言葉に、彦馬は丈瑠に目をやる。まっすぐに背筋を伸ばし、前だけを見つめる丈瑠。凛々しくも清々しいその姿だけを見るのであれば、丈瑠は、本当に非の打ちどころのない、世の中を守る志葉家の殿さまだった。
 しかし
「本当に、なんで丈瑠は、あんなんなんだろーなー」
 悔しそうに千明は呟く。
「そう………だな」
 彦馬も、誰にも聞こえないほどに、小さなため息をついた。そして同じくらい小さな声で、呟く。
「千明………お前だったら………お前だったら、どうするのだろうな」
 その呟きに、千明が彦馬を振り返った。
「爺さん?」
 怪訝な顔をする千明の目に映った彦馬の顔。それは、深い憂いに満ち溢れていた。

 やがて、黒子と共に、白澤家の女性の姿が天澄寺の中に消える。それを確認した千明が、枝垂れ桜の根がある窪みの前に立ったままの丈瑠に、もう一度目をやった。
 丈瑠は、どのようにして、これら桜を根絶やしにするか考えている最中だった。多分、烈火大斬刀の一千度の烈火で焼き尽くすのが一番良いのだろう。そう決心した丈瑠が、ショドウフォンを取りだす。空中に文字を書こうとした、その時だった。
「待てよ」
 丈瑠の背中に、千明が声を掛けた。丈瑠が振り返る。
「何だ?」
「お前、何する気なんだよ」
 千明が丈瑠を睨みながら、丈瑠の前に歩み出た。千明の口調に、何か非難めいたものを感じた丈瑠は、眉を寄せた。
「………先ほども言ったはずだ。ここらへんの桜を全て炭化して、根絶やしにする」
 それに対して、千明は何が気に入らないのか、悔しそうな顔をする。
「この枝垂れ桜の………せっかく生き残った根も………かよ」
 以心伝心を望んでいる訳ではない。それでも、同じことを何度言わせる気か、と丈瑠の表情も不機嫌なものへと変化して行く。
「どうなんだよ、丈瑠」
 そんな丈瑠の表情を見ていてすら、それでも答えを求めて来る千明。二人の不穏な雰囲気に、流ノ介が、丈瑠と千明の間に割り込んだ。
「千明!先ほどの殿のご説明を聞いていただろう?アヤカシの温床となったのだから、そういうものは根絶やしにと………」
「うっせえよ!」
 丈瑠の代わりに答える流ノ介の肩を、千明は押しのけた。そして再び、丈瑠の前に千明は立つ。彦馬は離れたままだったが、二人の様子を見守るように、立っていた。
「丈瑠!答えろ!!どうなんだよ!」
 あくまで丈瑠の口から、答えを聞こうとする千明。
「お前、この枝垂れ桜も、完全なまでに根絶やしにしようってのかよ!!」
「………もちろんだ。ここが元凶なのだからな」
 むっとした表情で丈瑠が答えると、千明が唇を噛みしめて俯いた。黙り込む千明。そんな千明の様子に、驚いているのは、丈瑠だけではなかった。
「千明!お前、おかしいぞ?」
 流ノ介が、千明を丈瑠の前から引き戻そうとする。それを丈瑠が遮った。丈瑠は、千明の前に立ち、千明を見下ろした。
「何なんだ?お前は、何が言いたい?」
 そう問い質す丈瑠に、俯いていた千明が顔を上げる。
「なあ、丈瑠。それでいいのか?」
 そう言う千明の顔は、何かが気に入らないと言うよりは、むしろ哀しそうに見えた。そして、その瞳は潤んでさえいた。目を見開く丈瑠に、千明は叫ぶ。
「お前は?お前自身の気持ちは?」
 そう言うと、千明は丈瑠の腕に手を掛けて、丈瑠を揺さぶった。
「本当に、それでいいのかよ!!」











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2010.06.26