花 影  28
















「どういう意味だ?」
 揺さぶられながら、丈瑠が聞く。
「俺自身の気持ち?」
 千明が丈瑠を見上げる。
「志葉家当主としてではなく!」
 丈瑠が再び目を見開く。
「ただの丈瑠として、それでいいのか!?ってことだよ」
「えっ」
 声を上げたのは流ノ介だ。

 流ノ介はそこで思い出した。この場に来る前に、彦馬に言われたことを。
 流ノ介は闘いのこと、丈瑠のことで、頭がいっぱいになっていた。それに、枝垂れ桜がアヤカシと一体化していることを見た後は、もう、彦馬の話など忘れ去っていた。しかし千明は、まだそれを覚えていたのだ。

 彦馬が流ノ介たちに話したことなど知らない丈瑠は、ただ黙って、千明を見つめていた。千明は目の端に滲むものを拳で拭いつつ、さらに叫ぶ。
「この枝垂れ桜が、跡形もなく消滅しちまっていいのか!って聞いてるんだよ」
「当り前だろう。跡形もなく消滅させなければならないのだ。それでなければ、またアヤカシがここから生まれてしまうかも知れないからな」
 冷静に、当然のこととして答える丈瑠。それは、どこまでも、志葉家当主としての姿だった。丈瑠個人の感情などは、どこにも入る隙がない。むしろそんな感情を持つことを嫌う、志葉家当主としての役目にあまりに忠実な態度だった。
「違う!!そんなこと、俺は聞いているんじゃない」
 それに千明は、激しくかぶりを振る。千明は、どこまでも志葉家の論理を優先する丈瑠が、歯がゆくて、悔しくて、仕方ないのだ。
「俺は!!お前の本当の両親の思い出を!思い出の樹を!そんなに簡単に消滅させちまっていいのか!って聞いてんだよ!!」






 丈瑠が、愕然とした表情になる。
 丈瑠だけではない。流ノ介も、彦馬も、口を開けなかった。

 やがて流ノ介が、額に手をやり、微かに首を振りながら呟いた。
「千明………お前は………」
 これは、殿に言っていいことだったのか?
 彦馬さんから聞いた情報は、そういうこともあったと胸にしまって、何らかの時に判断材料にする、そういうものだったのではないか。
 それなのに、いくら感極まったとは言え、こんな時に………

 今丈瑠が決めた桜の処置は、外道衆と闘うシンケンジャーとしてはあまりにも正しかった。その判断は、どうこうできるレベルにはないのだ。
(殿のお気持ちを大事にしたいということなのだろうが、この状況で、いったい千明は、何をどうしろと言うんだ………)
 だから流ノ介には、目の前の千明の言動が、子供のわがままのようにしか見えなかった。
(ここまで来てしまったら、もうどうしようもないだろう)
 しかし、呆れる流ノ介の頭の片隅に、先ほど丘の下から共に丈瑠を見上げていた時の、千明の言葉がふと蘇る。
『あの枝垂れ桜、すげーことになっちまってんな。あれじゃあ………どうしようもねえかなぁ』
 あの時は、力尽きて倒れそうな丈瑠を前に、呑気なことを言う千明が理解できなかった。しかし今、流ノ介は、はっとして千明を見た。
「もしかしたら、千明は………まだ諦めていないのか?」

 潤んだ瞳で、でも、唇を噛みながら丈瑠を睨む千明。暫く睨みあっていた二人だが、千明が、はぁと小さくため息をついて、視線を丈瑠から外した。
「この樹が………そうなんだって………」
 千明が、俯く。
「丈瑠の両親の思い出の樹だって………爺さんから聞いた」
 丈瑠の表情が、途端に険しくなる。
 丈瑠も目の前の千明から視線を外した。しかし丈瑠は、目の前の千明の、その向こうに立つ彦馬を見ることはできなかった。今、彦馬の顔を見たら、どんな言葉が口から飛び出してしまうか、わからない。そう思ったからだ。丈瑠の心臓の鼓動が速くなる。嫌な汗が体中に滲んでくる。
「………」
 唇を噛みしめる丈瑠。
 彦馬が、丈瑠の両親の話を千明に打ち明けた。それは、丈瑠には、彦馬の裏切りのように思えた。絶対に自分の側でいてくれるはずの彦馬が、今、自分の側にいない。今まさに、立っている位置関係と同じだ。丈瑠がいて、それに相対して千明がいて。その千明の後ろに彦馬がいる。
 丈瑠は、震えそうになる拳を握りしめる。それが、怒りによるものなのか、それとも失望によるものなのか。それとも、もっと別の感情なのか。丈瑠には判別がつかなかった。ただ、心の底から、ふつふつと湧いてくるその感情は、抑えるのがとても難しいものだった。
 丈瑠は、誰からも視線を外したままで、呟いた。
「俺には………そういう記憶はない」
「でも!!お前だって、昨日の花見の時に、爺さんにこの桜のことを聞いていたじゃないか!」
 千明が顔を上げて丈瑠を見た。
「あれは、お前が何か、かすかにでも覚えていて、この枝垂れ桜を見て、それを思い出したからなんだろう」
「違う!」
 丈瑠は叫んだ。
「昨日、爺にこの枝垂れ桜について質問したのは、俺が何か思い出したからとか、そういう事実はひとつもない。外道衆に関わることだから、聞いたまでだ」
 言いながら丈瑠の胸の内に湧いてくる苛立ち。

 どうして、誰もかれもが、同じ誤解をするのだろうか。
 今朝の爺も同じだ。誰もが、自分の外道衆に対する言動を、両親への感情と結びつけたがる。
 母親の思い出の樹だから大事にしろと言われても、まったく記憶にない母親のどこに、そのような想いを持てばいいのか?
 それよりも、アヤカシを二度と再生させないようにする方が、どれほど大事か。
 何故、それがわからない!?
 それがわからなくて、何故、侍だ、シンケンジャーだ、などと言っていられる!?

 唇を噛みしめる丈瑠に、千明が執拗に食い下がる。
「でも!それだけじゃあないだろう!?」
 丈瑠に、どうしても違うことを言わせたい千明。しかし丈瑠は、それを相手にしなかった。
「それだけだ!!」
「でも!あれは、お前の………」
 そこで丈瑠は、外していた視線を千明に向ける。かっと見開いた瞳で、
「それだけ以外に、何がある!?」
 そう強く言い切った。
 丈瑠のその言葉は、その場にいた流ノ介、そして彦馬の胸に突き刺さった。
「何って………何があるって………じゃあ、お前には………」
 千明が言い返そうとした言葉を、丈瑠は言わさなかった。
「この枝垂れ桜に俺の両親がどのような思いを持っていたにしろ、それは、爺から聞いただけの情報でしかない!!」
 丈瑠は千明を、射殺しそうな目で睨みつける。
「俺自身の思い出じゃない!」



 


 断固として言い張る丈瑠。そう言われてしまうと、二の句が継げない。
「だけど!!それでも、お前の………本当の両親の思い出なんだろう………」
 それでも、どこかに丈瑠の思いがないかと期待する千明だったが
「知らない」
 丈瑠は冷たく言い放つ。
「なあ………丈瑠」
 千明は、それでも諦めなかった。
「これだけなんじゃないのか!?この枝垂れ桜しか、お前の両親に繋がるものは残っていないんじゃないのか!?それだったら………」
 堪りかねたように、丈瑠が激しく首を振った。
「俺自身は何も覚えていないのに、それで思い出だの何だの言われても、そのような感情が持てる訳がない」
 それだけ言うと、丈瑠は千明に背を向けた。
「それでアヤカシの温床となるかもしれないものを残せだと?………あり得ないことだ」
 拳を強く握りしめる丈瑠。
「そうじゃねえよ!そういうことじゃねえよ!!」
 千明は必死に叫ぶが、丈瑠は完全に無視した。丈瑠は、窪みに向かって立つと、ショドウフォンを持ち直す。その背中に、千明が泣き声交じりで、再び叫ぶ。
「丈瑠ー!!例え、覚えていなくても、大切にしたいことって!大切にしなきゃならないことって、あるんじゃないのか!?」
 しかし丈瑠は、空中に文字を書きかけた。
「志葉家の殿さまは、そういう感情も持っちゃいけないって言うのかよ!!」
 その丈瑠の腕に、千明が飛びつく。
「千明!」
 流ノ介が叫ぶのと、怒った丈瑠が千明を乱暴に振りほどくのは、同時だった。
「いい加減にしろ!下がっていろ!!」
 焼け焦げた土の上に転がった千明に一喝すると、すぐに丈瑠は、空中に火の文字を書いた。
「一筆奏上!!はっーー!!」
 丈瑠が空中に現れた火の文字と共に、シンケンレッドに変身した。

 変身したシンケンレッドは、すぐにシンケンマルを取り出す。
「烈火大斬刀!!」
 烈火大斬刀に獅子ディスクをセットしたシンケンレッドが
「はあぁぁぁぁーーー」
 モヂカラを込めようとしたその時、いきなり目の前に、シンケングリーンが立ちはだかった。
「!?」
 驚くシンケンレッドの腕、烈火大斬刀を担いでいるその腕を、シンケングリーンのウッドスピアが上から押さえつける。ウッドスピアの放つ圧力は最高で2.5トンにも達する。そこまで出していなくても、そのウッドスピアで押さえつけられたら、さすがのシンケンレッドでも腕を動かすことはできない。
「どういうつもりだ!!」
 シンケンレッドが叫ぶが、シンケングリーンはぐいぐいとウッドスピアでシンケンレッドを押していく。足を踏みしめるシンケンレッドだったが、やがて少しずつ後退を始めてしまった。
「千明!!お前!!」
 さすがにここまで来ると、シンケンレッドの怒りも、相当のものになってしまう。
「いい加減にしろーーー!!」
 それでも烈火大斬刀をシンケングリーンに振るう訳にはいかなかったのか、シンケンレッドは烈火大斬刀をシンケンマルに戻すと同時に、刃を裏返し、それでシンケングリーンに斜め上から打ちかかった。しかしシンケンマルを、シンケングリーンに振り降ろすことはできなかった。
「うっ!?」
 振り上げた状態のまま、動かないシンケンマル。シンケンレッドが振り返ると、シンケンブルーがシンケンレッドの右後ろに立って、自分のシンケンマルを、シンケンレッドのシンケンマルに当てて押さえていた。
「………流ノ介!」
 叫ぶシンケンレッドに、シンケンブルーはシンケンレッドを見つめる。
「申し訳ありません、殿」
 さらりと謝るシンケンブルー。
「まさか、お前まで桜を残せと言うのか!?」
 言うが早いか、シンケンレッドはそのまま身体を開いて、自分の腕の下から一回転してシンケンブルーと相対すると同時に、ブルーに抑えつけられていたシンケンマルを、ブルーのシンケンマルの鎬(しのぎ)に沿ってすり上げさせる。シンケンブルーもすぐにシンケンマルを持ち直した。マスクとマスクがぶつかりそうな距離で、鍔迫り合いになる二人。
「どうして、お前まで!」
 彦馬のことといい、この流ノ介のことといい、ショックを隠せないシンケンレッドに、シンケンブルーはシンケンマルで押し合いながらも、まっすぐにシンケンレッドを見つめた。
「私は、今、自分が何をなすべきか、やっと判ったのです!」
 はっとして目を見開くシンケンレッド。その瞬間、シンケンブルーが後ろに跳び下がり、間合いが切られる。それと同時に、シンケングリーンがシンケンレッドを背中から羽交い締めにした。
「判ったのかよ?流ノ介!?」
 暴れるシンケンレッドを抱えたままシンケングリーンが叫ぶと、
「判った!!お前の思いも!!」
 シンケンブルーが頷く。そして、この一部始終を、眉を寄せて観察していた彦馬、しかし、決して口を出してこなかった彦馬に、顔を向けた。
「彦馬さん!」
 流ノ介は、ただそれだけを彦馬に叫ぶ。
「うむ。判った!!」
 彦馬も、千明や流ノ介の考えていることが判るのか、力強く頷くと、すぐさま、ショドウフォンを取りだし黒子に連絡した。その様子を見ていたシンケンレッドが、大きなため息と共に、暴れるのを止めた。
「お前たち………」
 自分を抜かして、見事な連携を見せる三人。それに対して、腹立たしげに呟くシンケンレッド。シンケングリーンも、シンケンレッドから腕を放す。そのシンケングリーンにシンケンレッドが呟く。
「判っているんだろうな!?このままにしておくと、また何時、ここにアヤカシが生まれるとも………」
 そのシンケンレッドの口元に、シンケングリーンが人差し指を立てた。
「黙って見てろっての!」






 変身を解いた丈瑠が憮然とした表情で、窪みの前に立った。
 窪みの底には、もちろん、まだ根がある。それを睨みつける丈瑠の横に、天澄寺から彦馬に呼び戻された黒子二人が立つ。黒子は、志葉屋敷から持ってきた戦闘の装備を、全て手にしていた。

「流ノ介!」
 彦馬が黒子から受け取ったものを、やはり変身を解いた流ノ介に渡した。流ノ介は大きく頷くと、桜の根がある窪みから少し離れた場所に立った。みんなが、流ノ介に注目する。
「ウォーターアロー!!」
 そう叫んで出したウォーターアローに、流ノ介は舵木ディスクをセットした。それを見た丈瑠が、目を細める。
 流ノ介がウォーターアローを天に向かって構えた。流ノ介は精一杯のモヂカラを込めて、ウォーターアローを引き絞り、そして空に向かって放った。ウォーターアローから、舵木折神の、海の浄化作用を伴ったジェット水流が、天に向かって龍のように登って行く。そして、それは空の彼方で、雨粒のように変化した。それが、桜の園に降り注ぐ。これでもか、というほどに降り注ぐ。しかし雨ではないので、濡れはしなかった。
 降り注いだものは、桜の樹、葉、根や土に吸収されて、アヤカシの毒を消し去って行く。もちろん、枝垂れ桜の窪みの中にも、それは降り注ぎ、生き残っていた根に残るアヤカシの毒も浄化した。
 全ての毒は、舵木折神の力によって浄化された。

「殿。全てのアヤカシの毒は浄化されたものと思われます」
 流ノ介がウォーターアローを提げた状態で、丈瑠の前に跪いた。丈瑠は口を引き結んだまま、流ノ介を見た。
「これなら、文句ないだろ。丈瑠!」
 やはり変身を解いた千明が、丈瑠に声を掛ける。丈瑠は冷たい目で、千明を見つめた。
「………ああ」
 丈瑠はそれだけ言うと、二人に背中を向ける。
「帰る」
 そして、歩きはじめた。
「おい!丈瑠!」
 千明が呼びかけても、無視をする。
「丈瑠ーーー」
 しつこく呼びかける千明。しかし、黒子や流ノ介に注視されつつも、丈瑠は振り返らなかった。

















小説  次話







2010.06.30