花 影  31
















 シンケングリーンのモヂカラは、ウッドスピアを伝って、窪みの底で根に打ち込まれた。
 それから、何十秒経っただろうか。窪みの底で、何かがもぞもぞと動きだす。と、思う間もなく、そこから何かが、ものすごい勢いで、飛び出してきた。
「うわっ!?」
 モヂカラの行方を知りたくて、窪みを覗き込んでいたシンケングリーンが、思わず後ろに転がる。
「な、なんだぁ〜!?」
 窪みの底から飛び出してきたものは、飛び出してきたのではなかった。窪みの底から、まっすぐ上に伸びてきたのだ。
「え?えええーーーー!?」
 伸びてきたのは、言わずと知れた、枝垂れ桜の若木。太さはそれでも10cmほどもある若木は、みるみる遥かな天まで伸びて行く。それこそ、竹か何かのように、ただ幹だけが、真っ直ぐに空に向かって。

「これは………」
 丈瑠が、空を見上げて、絶句する。
「これは、何だ?千明」
「………少なくとも、桜には見えませんね」
 流ノ介も頷く。それにシンケングリーンが、頭を捻る。
「………おっかしいなあ。俺、何か間違ったかなあ」

 枝垂れ桜の根に打ち込んだモヂカラの書き順を、空中に書いて確かめてるシンケングリーン。そんなシンケングリーンをよそに、若木はかつての枝垂れ桜と同じほどの高さまで伸びた。そこで上に伸びるのは止まる。しかし次は、横だった。まるで高速度撮影された映画をみるかのように、枝が横に張り出していく。
「………あーあ」
 そこでシンケングリーンが、変身を解除した。
「なんか、変なものができちゃったよ?」
 自分で自分に呆れている千明の横に、流ノ介がやって来る。
「本当に変なもの!だな。あれは、どう見ても桜には見えないぞ」
 流ノ介の感想に、千明がぷぅっと膨れる。その時だった。
「危ない!!」
 丈瑠の声がした。

 丈瑠が跳んだかと思うと、そのまま千明と流ノ介の肩を両腕に抱いて、窪みから離れた場所まで転がる。焼け焦げた地面に転がった三人が振り返ると、二人が立っていた地面からも、幾本もの若木が天に向かって伸びていた。






「殿!!」
 彦馬が叫ぶとともに、青い顔をして丈瑠に駆け寄り、丈瑠を助け起こす。
「うっへーー」
 丈瑠の横で、地面にしりもちをついたまま、空を見上げて千明が叫んだ。その頭を、同じくしりもちをついたままの流ノ介が叩く。
「殿が助けて下さらなかったら、私たちは串刺しになっていたぞ!!」
 そして、後ろを振り返り、丈瑠に頭を下げる。
「殿、ありがとうございます」
 丈瑠は、彦馬の手を借りて立ち上がると、千明と流ノ介に背を向けた。
「べ、別に………」
 しかし、笑顔の彦馬に
「殿」
 と、促されて仕方なく振り返ると、そこには流ノ介の満面の笑みがあった。嬉しそうに自分を見上げてくる流ノ介に、丈瑠はどう対応していいのかわからない。だから、すぐに桜の方を向いた。
「そ、それより!!どうするんだ、これ!!」
 丈瑠が指差すのは、もちろん窪みから、何本も天に向けて伸びて行く、枝垂れ桜かも知れない若木だ。それに、流ノ介が大きく頷く。そして、横であぐらをかいたままの千明の頭を、再び叩いた。
「千明!!お前のせいだぞ!」
「えっーーー!?俺のせいーーー!?」
 言ってから千明は、両手で頭を抱えこんだ。
「ま、どう考えても………俺のせいか?」
 へこむ千明。
「そーだ!お前のせいだぞ!!どーする気だ!?」
 容赦なく千明を責める流ノ介。それに目を堅く閉じ、耳を塞ぐ千明。もちろん、流ノ介は本気ではないのだろうが、千明は本気で落ち込んでいた。

 そんな二人を見た丈瑠は、ため息をつくと
「流ノ介」
 と、流ノ介を呆れた声でたしなめる。それに流ノ介が目を見張った。自分が丈瑠にたしなめられたことよりも、そんな風に声を掛けてくる丈瑠に驚いたのだ。
「と、殿!?」
 思わず声が上擦ってしまうほどに、嬉しい流ノ介だった。しかし千明には、丈瑠の言葉は聞こえていない。
 仕方なく、丈瑠は千明の傍まで行くと、千明の頭をこつんと叩いた。それに、千明が首をかしげつつ、恐る恐る耳を塞ぐ手を離して、顔を上げた。それに、丈瑠がまた、流ノ介に見せたのと同じような、呆れたような表情を見せた。
「この桜がこんな風になったのは、千明のせいばかりとは、言い切れない」
 千明も驚きのあまり、目を瞬いた。それに丈瑠が、肩をすくめてみせる。
「この桜は、変な桜なんだ」
「………変な桜?何だよ、それ」
 遠慮がちに呟く千明に、丈瑠はまた、ため息をつく。
「白澤家の人が言っていたのだが、この桜はとても霊力が強くて………アヤカシではないんだが、変なことを、今までにもいろいろやってきたらしい」
 丈瑠の呆れたような、それでも、どこかに優しさが感じられる眼差しが、千明に注がれる。それは、千明の胸のずっと奥までも、沁み込んでいくような気がした。
「白澤家の人は、そんな桜を鎮めるために、もう何百年も昔から、この桜の元となった樹のエキスが入った清酒を醸造してきたらしい」
「えっ!?まさかそれが、あの『千年枝垂れ桜』なのですか?」
 流ノ介の問いに、丈瑠は頷く。
「あの白澤家の人、今、寺に避難してもらっている人な。あの人が実は巫女さんで、今までに何度も、その酒を使っての鎮めの儀式を執り行ってきたそうだ」
「あの………婆さんが!?」
「そうだ。だから、お前のせいだけじゃない。もともと変な樹なんだ」
 千明の声に張りが戻っていた。丈瑠は、それにほっとして、ますます頬が緩む。
「だから………まあ………その。………そんなに落ち込むな」
 丈瑠の思いがけない言葉に、思わず涙が込み上げて来てしまう千明だった。
「うっ………」
 しゃくり上げそうになる千明の背を、流ノ介が優しく見つめる。そんな三人の様子を、彦馬が嬉しそうに、しかし興味深げにじっと観察していた。



 


 千明が涙を拭いたところで、流ノ介が立ち上がった。そして、腕を組んで考える。
「しかし………誰のせいにしろ、この桜をこのままにして、ここを立ち去る訳には行きませんよね」
 丈瑠は、窪みやその周囲の地面から伸びる何本もの若木を見る。最初の勢いこそないが、未だに次々と地面から突き出てくる若木の数々。
「………まあな」
 どう贔屓目に見ても、正常な状態とは言い難い。その様子に、またも千明ががっくりと肩を落とした。

 千明は、丈瑠の記憶になくとも、丈瑠の両親の思い出の樹を、残したかった。完全な形とまではいかなくても、せめて桜の花ひとつ、ふたつ咲く程度までは。それくらいの力なら、今の自分にもあると思った。それなのに、とんだ結末になってしまった。
 目の前の状況を見るにつけ、先ほど丈瑠がモヂカラで見せてくれた枝垂れ桜の幻との、あまりの違いに愕然としてしまう。例えそれが、千明の未熟さに因るものだけでないにしろ。これでは、むしろ、何もしないで放置しておいた方がましだったのかも知れない。

「わかりました!!」
 再び落ち込む千明の耳に、流ノ介の声が聞こえた。顔を上げると、流ノ介が丈瑠の前に立っていた。
「殿!私にお任せください」
 そう言うが早いか
「ウォーターアロー」
 流ノ介は叫んで、ウォーターアローを取り出した。
 いつも奇妙な案を出しては、みんなの失笑を買っている流ノ介。それでも、その奇妙な案によって窮地を救われたことも、一度や二度ではない。だから千明は、流ノ介に期待する。
 みんなが注視する中で、流ノ介は、ウォーターアローに再び、舵木ディスクを装着する。流ノ介は、モヂカラを込めたウォーターアローを強く引き絞ると、窪みの上空高くに向けて放った。先ほどと違い、今度は正真正銘の水が、噴水のように上がった。やがてその流ノ介のモヂカラが込められた水流が、シャワーのようになって落ちてくる。
 大量の水が、闘いで穿たれた窪み、若木が突き出している窪みに溜まって行く。やがて、深い窪みの縁までも、ウォーターアローの水が溜まった。
「殿!この浄化作用も持つ水をやれば、きっと桜も正常に………???」
 丈瑠の傍に駆け寄ってきて、嬉しそうに報告する流ノ介。しかしその後ろで、ごぼごぼと嫌な音を立てて、窪みに溜まった水が減って行く。思わず振り返った流ノ介は、目を見張る。
「………えっ!?」
 いつの間にか、窪みに溜まった大量の水がきれいに消えてなくなっていた。その瞬間、またも若木が猛烈な勢いで、枝をそこかしこに伸ばし始めた。地面からも、先ほどより勢いよく、何本もの若木が突き出してくる。それは、地面から槍を突き上げているほどの威力で、それに刺されたら、到底無事ではすみそうもなかった。
「下がれ!!」
 丈瑠は傍らに立つ彦馬を抱えて、丘の縁まで跳びながら、千明と流ノ介にも叫んだ。

 彦馬を、黒子のいる丘の縁まで後退させ、流ノ介と千明の無事を確かめると、丈瑠は改めて、幾本もの若木を見つめた。
 地面から何本も突き出す、高い竹のような若木は異様ではあったが、先ほどとは少し、見え方が違った。幾本もの若木が、上の方で絡まろうとしているのだ。そして、まるで一本の樹になろうとしているように見える。
 丈瑠は首を傾げた。

 その時
「殿ーーーー」
 泣きそうな流ノ介が、丈瑠に縋りついてきた。
「申し訳ありません、殿ーーーー」
 そして、丈瑠の前に跪く。
「樹木ですから、水をやればいいのかなと。それも浄化作用のある水なら、おかしな状態も治ってくれるかと。しかし、これは外道衆の毒ではなかったためでしょうか。むしろ、反対にエネルギーを与えてしまったようで、ますますおかしくなったような………」
 流ノ介のその言葉に、丈瑠が眉を寄せた。
「エネルギー?」
 そして顎に手を当てて俯く。
「エネルギー………ウォーターアローのエネルギー?」
 そこで丈瑠は、はっとしたように顔を上げた。
「そうか!!」
 丈瑠は流ノ介を見下ろす。
「流ノ介!お前は間違っていないぞ!」
「………えっ?」
 首を傾げる流ノ介と、未だに落ち込んだ顔をしている千明に、丈瑠が叫んだ。
「こいつが元の姿に戻るのには、とてつもないエネルギーが必要なんだ。なにしろ千年の霊力を持った桜、あそこまでのアヤカシを創ってしまうほどの桜なのだからな。その元に戻るためのエネルギーが足りなくて、足りな過ぎて、おかしくなっているだけだ。ちゃんと桜が欲しいだけのエネルギーを与えてやれば、最初に千明が目指した姿になるはずだ」
 千明の瞳が、一瞬輝いた。しかしすぐに、その目を伏せる。
「でも………とてつもないエネルギー………って、どれくらいだよ」
 流ノ介も、情けなさそうな顔で千明を見た。
「桜の樹に与えるエネルギーって、結局はモヂカラのことだろう?俺たち、もう、そんなにモヂカラ残ってないぜ?もちろん、丈瑠だってそうだろ?」
 それに丈瑠が、黙り込む。
 確かに、千明も流ノ介も、そして丈瑠も、モヂカラはそう残っていない。最後の力まで振り絞って与えたとしても、この枝垂れ桜を満足されられるであろう量のエネルギーになるとは、とても思えなかった。
「モヂカラ………エネルギー………か」






 遥か上空で、互いに絡まろうとする、奇妙な幾本もの若木。それを見上げる丈瑠。
 この桜が満足するほどのエネルギー、モヂカラとは、どれほどのものなのだろうか。それには多分、とてつもない力が必要で、そんな力はもう自分たちには残っていない。だいたい、そんなとてつもないエネルギー、モヂカラなどというものは、どこに存在するというのか………
「あ………」
 その時、丈瑠の頭に、あるものが浮かんだ。
「強力な………モヂカラ?そうか。あれなら………あれを使えば………」
 そこまで言って、丈瑠ははっとする。この考えは、先ほどの戦闘の最中から、丈瑠が気になって仕方がなかったことに繋がってはいないか?
「………もしかしたら、この桜は………」
 考え付いたことに沿って、先ほどまでの戦闘中に起きた不思議な現象を考え直してみると、意外なことに全てに辻褄が合う。まるでパズルのピースが、きれいに嵌って行くように。
「………そうか。そういうことだったの………か」
 丈瑠は呟く。

 戦闘中の疑問に答えは出たのだが、何故か、その事実に丈瑠の心は暗く沈んでいく。そこで丈瑠は気付く。
 今、丈瑠が思いついたことが正しいとしたら、それを利用して、この枝垂れ桜が欲しいだけのエネルギー、モヂカラを、枝垂れ桜に与えることができるかも知れない。それはいいのだが。しかしそれは、もうひとつの古い事実を、暴きだしてしまうものでもあった。
 丈瑠は俯いた。
 丈瑠は、その古い事実にこれ以上触れたくなかった。知りたくもなかった。もちろん、それを白日の下に晒すようなことは、絶対にしたくない。それでも、やらねばならないのだろうか?
 丈瑠は後ろを振り返った。俯いたままの千明の姿が目に入る。丈瑠のためにと、一生懸命になってくれた千明。その千明の気持ちを考えると、とても桜を、このままにはしておけない。もちろん白澤家の人に対しても、同様だ。これをこのまま放置することは、志葉家の当主として相応しくない。
 丈瑠はそう思った。

「だが………」
 次に丈瑠は、彦馬に目をやる。彦馬はショドウフォンで、どこかと連絡を取っている最中だった。
 ここに彦馬が来ていなければ、丈瑠の触れたくない事実は、もしかしたら闇に葬れることなのかも知れない。しかし、丈瑠が今考えていることを実行したら、彦馬はきっと気付くだろう。
 用意周到な彦馬のことだ。昨日の丈瑠の発言から、既にある程度の調査は進めているに違いない。その調査と、今気付いた事実とを合わせたら、もうそれが答えだ。
 その答えを知ったら、彦馬はどうするのだろうか?
 それがどうしたと、笑い飛ばして終わるだろうか?それともその事実は、もしかしたら、彦馬を自分の下から去らせてはしまわないだろうか。
 最近の彦馬の言動から推察するに、後者の様な気がして仕方ない丈瑠だった。
 それでも、どちらかを選択をするしかないのだ。

 丈瑠は、唇を噛みしめて、彦馬を見つめる。
 丈瑠にとって、誰よりも、何よりも大切な彦馬。
 もし、彦馬がいなくなったら、自分はどうなってしまうのだろう。

 そう思いつつも、丈瑠の中では、もう答えは出ていた。

















小説  次話







2010.07.10