どんどん巨大化していく枝垂れ桜。 その下に立ち、様子を見守るシンケンレッド。 訳も判らないまま、ただ呆然と桜を見上げる千明。 そして、桜ではなくシンケンレッドの挙動に見入る流ノ介と、同じようにシンケンレッドを見つめつつも、何か思案を巡らす彦馬。 やがて、暫く桜の様子を見ていたシンケンレッドが呟いた。 「だめだな」 桜はスーパーモウギュウバズーカを放そうとせず、そのエネルギーを吸収して、どんどん大きくなっていく。このまま放っておけば、それこそどうなるかわらない。もちろん、スーパーモウギュウバズーカを、このままにしておく訳にもいかない。 流ノ介のシンケンレッドを見つめる顔が、いつになく険しくなって行く。その顔は、何かを言いたそうだった。 「仕方ない。力づくででも、取り上げる」 シンケンレッドがそう言って、足を踏み出そうとしたその時、堪らず流ノ介も叫ぶ。 「殿!」 ………と。しかし実際には、流ノ介は叫ぶことができなかった。流ノ介よりも先に、彦馬が同じように叫んでいたからだ。 「殿!!」 シンケンレッドと流ノ介が同時に振り返ると、そこには、清酒の瓶を抱えた彦馬がいた。 「?」 戸惑うシンケンレッドに、彦馬が頷く。 「今、黒子が白澤家の方に………先ほど殿が巫女と仰った方に、桜の鎮めの方法を聞いてまいりました」 彦馬が、『千年枝垂れ桜』の清酒の瓶をシンケンレッドに差し出した。 「これをお使いください。舵木折神の浄化作用と同じ使い方で、よろしいかと」 「………えっ?」 マスクの下で、目を見開くシンケンレッド。その横で、流ノ介も息をのむ。 「今回の桜の異変は、もともと千明のモヂカラから始まったこと。桜自身の異変ではないので、白澤家が通常行っているような複雑な鎮めの儀式は必要ないそうです。この清酒を利用するだけで十分であろうとのことです」 「………そう………なのか?」 シンケンレッドの戸惑いを、全て呑み込んでしまうかのように、彦馬が力強く頷いた。 「この清酒に、既に、桜の暴走を鎮めるモヂカラのような………力が込められているそうです」 「え!?」 「………モヂカラが!?」 驚く流ノ介と千明。彦馬は二人の方にも、頷く。しかし、その言葉を聞いたシンケンレッドは、むしろ彦馬の視線から逃れるように、顔を横に逸らした。そんなシンケンレッドの様子に、流ノ介は唇を噛みしめた。 流ノ介たちを闘いに巻き込まないという悲愴な決心以外にも、丈瑠は今、何かを抱えている。それが、どんなものなのか。なんとなく想像はつくものの、詳細まではわからない流ノ介だった。 それでも、それがどれほど重たくとも。それを独りで抱えて行くことが困難に思えても。何も言わないシンケンレッド。自分からは、何一つ明かすことのない丈瑠。 それは、今も、そしてこれからも、変わることはないのだろうか。 丈瑠のたった一言を待ちわびて、丈瑠の後ろにこうして控えている者がいるのに……… この手が。そして、この思いが、丈瑠に届くことはないのだろうか。 丈瑠を黙って見つめる流ノ介。その流ノ介の顔色がふと変わった。流ノ介は、一瞬、彦馬の顔を確認でもするように見た後、再び、丈瑠を見つめる。そして、何を思ったか次の瞬間、流ノ介はふいと丈瑠から視線を外した。 「殿!これで、桜をお鎮めください」 そう言って、まっすぐに丈瑠に向かって、清酒を差し出す彦馬。 「殿!?」 何度も呼びかけられて、シンケンレッドは仕方なく逸らしていた顔を上げ、彦馬の手にある清酒を見つめた。 「しかし………」 シンケンレッドはそっと、自分の横に立つ流ノ介の顔を窺った。しかし流ノ介も、彦馬の方を真っ直ぐに見ているだけだ。整いすぎたその横顔には、めずらしく表情もなく、また、こちらも見てくれない。 「っ………」 シンケンレッドは、マスクの下で唇を噛みしめる。 ドウコクを倒し、侍たちと別れた後、丈瑠が堅く誓った想い。 志葉家の侍たちは外道衆との闘いで十分に働いてくれた。それにより、何代もの志葉家当主の悲願であったドウコクを倒すことができた。 さらに彼らは、志葉家の正当な当主でもない自分、それを隠し続けていた自分にも尽くしてくれた。 彼らがいたからこそ、ドウコクを倒せた。 彼らがいたからこそ、今、自分はここにある。 何一つ持たない。そう思っていた自分にも、何かがあることを教えてくれた彼ら。それだけではなく、彼ら自身がたくさんの思いをくれた。 そしてドウコクとの闘いの中で人生を終わると思って生きてきた自分に、ドウコクを倒した後………という未来をもくれた彼ら。 だったら、そんな彼らの大事な未来、夢を、今度は自分が守りたい。 そのためには、彼らをもう外道衆との闘いに巻き込んではいけない。志葉家に関わらせてはいけない。 しかしこの思いは、既に千明によって崩されたも同然だった。それでも、丈瑠の中には、まだその思いが捨てきれずに残っている。何故ならば、ずっと考え続け、何度も何度も、自分に言い聞かせてきたことなのだから。 大事な志葉家の侍たち。かけがえのない流ノ介や千明たち。彼らの夢や未来を守るためならば、彼らに憎まれても構わない。 そう堅く決心していたのに………今、自分から、それを崩さねばならないのだろうか。 流ノ介の方を見るばかりで、一向に『千年枝垂れ桜』の瓶を受け取ろうとしないシンケンレッド。 「殿?」 それに痺れを切らした彦馬が、再度促してくる。 「殿!?これを早く!!」 ついに彦馬は、戸惑うシンケンレッドの胸に清酒の瓶を押し付けた。 「………」 仕方なく瓶を抱え込むが、そこでシンケンレッドは立ち竦んでしまう。瓶を抱えたまま俯くシンケンレッド。 舵木折神と同じ使い方と言われても、それは……… 迷うシンケンレッド。その背中で奇妙な声がした。 「くっ………くくくく………」 何ごとかと振り返ったシンケンレッドだったが、振り返って、そこに立つ千明と目があった瞬間、 「くっ、く、はっはぁはっははははーーー」 千明がこらえていた笑いを爆発させた。先ほどまで泣きそうな顔をしていたはずの千明。それが今は、爆笑している。 一瞬、呆気に取られたシンケンレッドだったが、すぐに千明の笑いの意味を理解する。にやけた顔でシンケンレッドを見上げてくる千明。それに、シンケンレッドはむっとして睨みつけるが、マスクの下では効果がなかったらしい。 「な!?何だ!何がおかしい!?」 抗議の叫びを受けた千明が、シンケンレッドの後ろを指差した。怪訝な思いで振り返ったシンケンレッドは、そこに千明と同様に、嫌みたらしい薄笑いを浮かべた流ノ介の姿を確認した。 「………」 憮然とするシンケンレッド。しかし流ノ介は確信犯のようで、どこか得意げな笑みを浮かべつつ、シンケンレッドの方に顔を向けていても、シンケンレッドを見ない。 流ノ介のそのわざとらしい態度に、清酒の瓶を持つ手にも、思わず力が入ってしまう。しかし、それを見た彦馬に 「殿!それは、貴重な酒なのですから、よもや割らないでください!」 と叫ばれて、怒りをぶつけるものすら失ってしまう。 スーパーモウギュウバズーカで、相変わらずやり放題の成長を続ける枝垂れ桜を前にして、遂に流ノ介は、シンケンレッドに背を向けてしまった。 「お前たち………」 呟くシンケンレッドだったが、どうしようもなかった。そして気付く。これはもしかしたら、彦馬の仕組んだことなのかも知れない。シンケンレッドが横目で彦馬を窺う。シンケンレッドの不審そうな視線に気付いた彦馬は、さりげなく目を逸らした。 どうにもならなくなったシンケンレッドは、不機嫌そうに顎を上げた。流ノ介、千明、最後に彦馬を一瞥する。それから丈瑠は、酒瓶を抱えたまま、彦馬や流ノ介にくるりと背を向け、桜に向かった。 シンケンレッドに背中を向けつつもシンケンレッドの様子を窺っていた流ノ介が、青くなる。流ノ介はすぐに振り返り、シンケンレッドの背中を見つめた。 「と………」 今度こそ、シンケンレッドに声をかけようとするが、今度は流ノ介の方が声が出ない。それでもそこは流ノ介だった。気持ちの切り替えが早い流ノ介は、大きく息を吸って、改めて 「殿」 と声を発しようとした。その時 「流ノ介!」 シンケンレッドが、流ノ介に背中を向けたま叫んだ。またしても、丈瑠に声をかけそびれてしまう流ノ介。しかし流ノ介は、そこで、口をぽかんと開けたまま固まってしまう。 丈瑠の声は、それほど大きな声ではなかった。しかし、この声音、声の張り。それは、決して聞き逃すことの許されない、主に戦闘中の意志疎通に使われた、丈瑠からの呼びかけだった。そうだ。つい数ヶ月前まで、丈瑠と流ノ介はこんな風に、互いの名前の呼びかけだけでも意志疎通ができていたのだ。懐かしさに、思いが溢れてきそうになる流ノ介。 しかし、それだけではなかった。僅かの間をおいて 「………力を貸せ!!」 さらに丈瑠から、かけられた言葉。それは、流ノ介がずっと待ち続けていた言葉だった。 これ以上ないほどに目を見開いた流ノ介の顔が、たちまち、幸せそうに綻ぶ。 「もとより!!」 流ノ介は笑顔で叫ぶと同時に 「ウォーターアロー」 ウォーターアローを取り出し、舵木折神をセットする。 それと殆ど同時に、シンケンレッドが巨大な枝垂れ桜の遥か上方に向かって、彦馬から渡された酒瓶を、高く高く投げ上げた。それに流ノ介は狙いを定める。 定めながらも、流ノ介の気持ちが高揚して行く。丈瑠と流ノ介は、殆ど言葉を交わすことがなくとも、一瞬にして互いに気持ちが通じた。それは、ドウコクを闘っていたあの頃も、そして今も、だ。 それならば、これでも、いいではないか。 殿が自分から、何を言えなくとも……… 殿に言葉を頂かなくとも……… 私が殿を理解さえしていれば………そして殿を信じていれば………同じことではないのか。 青い空に向かって、丈瑠が投げた酒瓶が上昇して行く。流ノ介が、モヂカラを込めて引き絞ったウォーターアローを、その同じ空に向かって放つ。酒瓶が枝垂れ桜の真上、最高点に達した所で、流ノ介の放ったウォータアローとぶつかった。 酒瓶が割れ、中の清酒と流ノ介のウォーターアローの水流が反応を起こした。霧のように変化した浄化作用を持つ清酒が、枝垂れ桜に降り注ぐ。そして煌めく虹の中で、枝、花、幹から、桜の樹の中に、舵木折神のモヂカラと共に吸収されていく。 吸収は急激に進み、それと共に、桜の成長がぴたりと止まった。やがて、枝垂れ桜の下に、ぼとりとスーパーモウギュウバズーカが落ちてくる。それを、千明が走って取って来た。そして、シンケンレッドに渡す。 渡す時に、にやりと上目遣いに笑った千明に、シンケンレッドはそっぽを向いて応えた。 闘いの後。 惨憺たる状況の桜の園の中で、何故か、前よりも大きく、美しく、咲き誇る枝垂れ桜。 そこだけが、夢の世界のように、美しく霞む。 その枝垂れ桜の下に敷かれた緋毛氈は、昨日、志葉家の花見台に敷かれていたものだろうか。 その上に、黒子が持ってきた重箱がいくつも並ぶ。もちろん黒子は、暖かいものから冷たいものまで給仕できるようにと、重箱以外にも、保温ポットからクーラーボックスまで、完璧な用意をして来ていた。 黒子の持ってきた御馳走を中心にして、丈瑠、その右横に彦馬。左横には流ノ介、流ノ介の隣に千明が陣取った。さらに千明の隣には、白澤家の女性と天澄寺の若い住職もいた。黒子たちも、別の緋毛氈で、重箱を囲む。 爛漫の枝垂れ桜。 薄ピンクに染まる風景。 うららかな陽射しも優しく、まさしく春もたけなわ。 「殿。鯉の洗いに、殿のお好きな鰆の桜蒸ですぞ。どちらから行かれますかな」 彦馬が差し出す皿には、砕いた氷の上に並べられた刺身と蒸魚。それに、丈瑠が箸をつけたところで、今度は後ろから黒子が暖かな椀を差し出す。 「おお、こちらは油目葛たたき。これも、殿の好物ですな」 彦馬が満面の笑みで、解説する。彦馬にそう言われれば、丈瑠は今持っていた皿を黒子に渡して、椀を持たねばならない。 「口直しに、菜の花のからし和えは如何ですかな。茶碗蒸しもありますぞ。そうそう、太巻きもたくさん持ってまいりましたからな」 丈瑠の横に控える黒子二人と彦馬につきっきりで、食事の世話をされる丈瑠。 昨日から様子のおかしかった丈瑠。ろくに食事も取らず、部屋に引っ込んでしまった丈瑠。そんな丈瑠を、志葉屋敷の誰もが心配していた。だから、一見それが解決したかに見える今、彦馬にしても黒子にしても嬉しくて仕方がないのだろう。 それは判っているものの、それにしても、丈瑠のあまりの過保護、箱入りぶりに、千明は失笑を禁じ得ない。 「なあ。やっぱさあ………」 そう言って千明が流ノ介に視線を移す。流ノ介も丈瑠を見つめていた。ただ丈瑠だけをひたすら凝視していた。 「えっ………流ノ介?」 驚いた千明が流ノ介に再び呼びかけても、それも聞こえないほどだ。千明は、眉を寄せて流ノ介を観察した。流ノ介は丈瑠を見つめつつも、時々ため息をつきながら空を見上げたり、風になびく枝垂れ桜に視線を彷徨わせたりしている。しかし最後にはまた視線は丈瑠に戻り、深い思案顔で、じっと丈瑠をみつめるのだ。 千明は肩を竦めた後、流ノ介の肩を叩いた。さすがにこれには流ノ介も、千明の方を向き直ってくれた。千明は流ノ介の耳元に、そっと囁く。 「なあ、流ノ介。やっぱ、どう見ても、馬鹿殿じゃねえ?」 それに一瞬、きっと目を見張った流ノ介だったが、千明に肘を突かれて丈瑠の方を振り返ると、そこには、彦馬にスプーンでごま豆腐を口に運んでもらっている丈瑠の姿があった。 絶句する流ノ介。それに気付いた丈瑠が、ぴくっと固まる。気を張っていた戦闘が終わったためなのだろうか。こんな場所で食事をしているというのに、多分、流ノ介や千明、ましてや、白澤家の女性の存在まで、丈瑠は忘れていたのだろう。 「あ………こ、これは!これは、だな!!」 丈瑠が必死で首を振る。しかし、この有様では、丈瑠が何を否定したいのかすら、理解できない。それに助け船を出すつもりなのか、丈瑠の傍らに控える黒子が、皿を持つ丈瑠の腕の包帯を指し示した。 「そ、そうだ!手を怪我しているから!!手を使えないから!そ、それだ!!」 「けっ!皿と箸持ってて、何が手が使えない、だよ!?」 口の端を上げて嗤う千明に、 「まあまあ。たまにはいいではないか」 彦馬はそう言うと、またも丈瑠にスプーンを差し出す。それに雛鳥のように、条件反射で口を開けてしまう丈瑠。しかし周囲の視線にはたと気付き、慌ててそっぽを向いた。そんな丈瑠に、彦馬が苦笑いをし、千明と流ノ介は肩を竦める。 外道衆との闘いで丈瑠や侍たちが怪我をした時、侍たち四人が同じ部屋に寝かされても、丈瑠だけはいつも寝る部屋が違った。それは、丈瑠が殿であり、なおかつ大きな秘密を持っていたから、というのももちろんあるだろう。しかし、あの丈瑠の居室で、多分、怪我をしたことを口実に、こういう光景が日常として行われていたのであろうことを、今、流ノ介と千明は確信するのだった。 丈瑠の前に置かれた重箱と、それ以外の重箱は、明らかに中身が違っていた。多分、丈瑠の前の重箱には、丈瑠の好物だけが詰まっているのだろう。それを嬉しそうに、丈瑠に給仕する黒子と彦馬。闘いが終わってしまえば、彼らの視線は、ただ丈瑠のみに注がれている。 それはどこからみても、志葉家に仕える者たちが、どれほどに丈瑠を大切にしているかが判る情景だった。白澤家の女性は、その様子を半ば呆然と、でも優しい瞳で見つめる。天澄寺の住職も、微笑みながら見ていた。 小説 次話 やはり終わりませんでした。 あともう少しなんだから、続けちゃえ……… とも思ったのですが、 たっぷり一話分になりそうなので、 今日はここで終わります。 明日、続きをUPします。 明日で終わり………です。多分。 2010.07.17 |