花 影  34
















 丈瑠と彦馬、黒子のあまりに睦まじい様子を見るのにも、飽きた千明。
「そう言えばさあ」
 千明が稲荷寿司を口に放り込みつつ、流ノ介に話しかけた。
「あへ、何だったんは?モウギュウバズ………」
 言い終わらない内に、流ノ介の肘が千明のわき腹を鋭く突いた。
「痛っー!って、何はよ、流ノふけ」
 千明は急いで頬いっぱいの稲荷寿司を飲み込む。そして
「そりゃ、喰いながら喋ったのは行儀が悪いかも知んないけどね。でもお花見なんだから、少しくらいは………」
 と、文句を言いながらも、次の皿へと手が伸びる千明。それを、流ノ介が一瞥した。そのあまりに冷たい眼差しに、思わず千明の箸が止まる。
「えっ?何………だよ」
 千明が首を捻りながら流ノ介の顔を覗き込むと、流ノ介が視線を千明の左側に一瞬だけ飛ばした。それで千明も気付く。
 ここで言うなと言われているのか?
 千明は箸をくわえたまま、自分の左横に座る女性を見つめた。白澤家の女性は、先ほどから、流ノ介と同じように、ただ丈瑠と彦馬だけに視線を注いでいた。
「………ああ」
 それだけで、千明はなんとなく全てを察してしまった。つまり千明の最初の疑問に対する流ノ介の回答が、今の肘鉄と視線という訳なのだ。
 次の瞬間、
「箸をくわえるなー!どうしてお前は、そう行儀が悪いんだ!!」
 という叫びと共に、千明の頭に振って来た流ノ介の肘攻撃を避けつつ、千明は考えた。

 朝食の後、彦馬から聞いた丈瑠の両親の話。丈瑠の両親の思い出の樹が、この枝垂れ桜だという。どんな思い出がこの樹にあるのかは知らないが、それを知ったからこそ、千明は枝垂れ桜を残してあげたいと思った。
 ただ、この話を聞いた時に、千明は少しばかり奇妙な気がしたのを覚えている。白澤家の象徴の桜の樹。それは、白澤家のものではないのか?白澤家の敷地内に植えてあったりするのではないのか?それなのに、何故、丈瑠の両親の思い出の樹になるのだろう?それとも、誰でも入ることのできる公園のような場所にそれはあって………とてもきれいな桜だから………いろいろな人の思い出になり得る樹なのだろうか?
 けれど、先ほど天澄寺で黒子から聞いた情報が付け加わることで、その疑問はますます膨らんだ。桜の植えてある場所は、白澤家の私有地。別に人の出入りを制限はしていないが、奥まった場所にあるので、普通の人が訪れるような場所ではない。さらに、この枝垂れ桜は、白澤家の女性の亡くなった末娘の思い出の樹でもあるという。
 これは、単なる偶然と聞き流すことのできる話ではなかった。

 そして、ここまで聞けば、なんとなく想像がついてしまうではないか。そしてそこに、最後の駄目押しとして加わった丈瑠と彦馬の言葉。あの白澤家の女性が、桜の樹を鎮める力を持つ巫女だということ。そしてその巫女は、モヂカラのような力も使えるらしい。
 多分、流ノ介も千明と同じなのだろう。だから先ほどから流ノ介の様子がおかしいのだ。流ノ介は、そこから何を思案し、何を想いながら丈瑠を見つめているのだろうか。
 千明も、丈瑠を見つめた。そして考える。






 スーパーモウギュウバズーカの攻撃を枝垂れ桜が受けることなく、むしろエネルギーとして吸収してしまったという事実。これは、モウギュウバズーカが牛折神の力を秘めた武器ということから説明できるのではないか?

 『禁断の牛折神』は、丈瑠や千明たちの持つ、志葉家の秘伝『折神』たちとは、成り立ちが異なる。『禁断の牛折神』は、志葉家が編み出したものではなく、志葉家の初代よりもさらに昔に、偶然に近い状況で自然発生的にできた折神だ。折神の起源と言っていいのかも知れない。
 その『禁断の牛折神』と、この『変な枝垂れ桜』とは、もしかしたら、根っこが同じなのではないだろうか。どちらも志葉家とは関係がなく、志葉家のモヂカラとは微妙に異なる、でもモヂカラに近いものを、自らの霊力としているのではないか?
 この枝垂れ桜の元になる樹が、どこかにあると聞いた。もしかしたら、それは、まさしく牛折神が封印されていた、あの山にあるのではないのだろうか。彦馬が言っていたところの、モヂカラ発祥の地に。そうだとすれば、モウギュウバズーカのエネルギーを枝垂れ桜が嬉々として吸収していたことにも、説明がつくのだ。

 そして、そのモヂカラに似た力の暴走を鎮める力がある巫女−白澤家の女性−とは何者なのか。
 同じような存在を、まさしく牛折神つながりで、千明たちは知っているではないか。しかも、一千年もの間培われた霊力を持つ枝垂れ桜。それを鎮めることができる力とは、どれほどに大きく強い力なのだろう。
 もし、今千明が考えている想像が全て真実だとしたならば、白澤家の女性が持つ力は、志葉家の戦闘的なモヂカラとは比較できない種類のものだとしても………志葉家のモヂカラよりも、もっと古く根源的な力ということになるのだ。
 白澤家の女性の背後に、何か空恐ろしいものを感じる千明だった。

 そして、白澤家の女性が、そんな大きな力を持った巫女なのだとしたら、白澤家の女性の亡くなったという末娘にも、同じような力が受け継がれていた可能性はある。その娘に子供がいたら、同じようにその子供にもそのような力は受け継がれるのではないか?
 その力は、モヂカラとも言えるんだろう?モヂカラそのものでなくとも、モヂカラにもなれる力、モヂカラの起源となる力なのだろう?


「そっか………そういう………こと?」
 千明は、口の中で小さく呟いた。
 丈瑠に関する疑問がひとつ解けた気がする千明だった。そしてもう一度、白澤家の女性を見た。
「この人は、もしかしたら丈瑠の………」
 多分、この女性も薄々気付いているのだろう。でも、そうだとしたら、この女性は、この後、どう動いてくるのだろうか。それを考えて、千明はぞっとした。
 それほど大きな力を持った巫女の家系なのだとしたら、その家系は、志葉家と同じように、その力を持つ血をとても重んじるのではないだろうか。さらに、その亡くなった娘の子供が………つまりは白澤家の女性の孫が、もし大きなモヂカラを持っていることを知ったら、どうするのだろう。いや、もう目の前で、それは散々確認してしまったことだろう。
 志葉家のことにあまり詳しくない千明だったが、昨日、流ノ介に教えてもらったように、志葉家は戦闘以外にも、財力、政治力などの、大きな力を持つ。しかし、白澤家も大財閥だ。少なくとも、志葉家に対抗できるほどの財力は持っているに違いない。そして何より、この女性の実家も多分、白澤家に劣らぬ力を持っているのだろう。そして、その力とは、財力とか政治力とかそういうことではなく、むしろ、もっと別の大きな力を………?
 それらの力を駆使して、もし、あの女性が丈瑠を連れ戻そうとしたら………
 千明にしては、珍しく真面目な顔で考え込む。

 丈瑠が十九代目当主に就いた後。丈瑠が志葉家の血を引かないと判っていても、侍たちや黒子たちにとって丈瑠は、志葉家の誇る当主、殿さまだった。丈瑠は、それ以外の何者でもない。誰もが、何の疑いもなくそう信じてきた。その根拠の中に、もしかしたら、丈瑠には他に行く所がないはず、だから志葉家が受け入れさえすれば丈瑠は志葉家の殿さまでいるしかないはず、という思い込みがあったかも知れない。
 しかし、もし丈瑠に、他に正当な居場所があり、そこに戻ることを求められたら。その時、丈瑠はどうするのだろうか?
 志葉家の。志葉家だけの丈瑠だと思ってきたのに………そうでなかったら?


 思わず千明は、流ノ介の顔を見る。流ノ介は相変わらず、丈瑠の顔を切ない目で見つめていた。流ノ介の胸の内も、千明と同じなのだろうか。

 馬鹿殿、馬鹿殿と評していたりするが、本当は千明は、丈瑠の頭の切れの良さを十分に判っているつもりだ。受けてきた教育のあまりの偏りにより、世間からずれている部分も大いにあるが、本質的に丈瑠は頭が良いし、なにより感が良い。そして強い信念を持っている。
 丈瑠自身が分かっているのかは知らないが、どんなに切羽詰まった状態でも、常に冷静に次の策を考えられ、周囲の理解が得られなくても、それを独りでも実行に移すことができる丈瑠のような存在は、希少価値と言えるだろう。まして、それが参謀でなくて自ら闘いに赴く将なのだから、尚更だ。丈瑠が、その身に染みついた「投げやり」さだけでも変えてくれれば、考えられないくらい丈瑠は大きく成長できるだろう。
 そんな頭の良い丈瑠なのだから、丈瑠自身がこの事実に気付いていない訳がない。けれど丈瑠は、それを確定させたくなかった。だから何もかもを、知らない、記憶にないで通そうとしているのだ。記憶の片隅に何かがあったとしても、それはなかったものとして、封印するくらいは、きっとやってのけるだろう。あの丈瑠ならば。
 それは、何故なのか。
 むしろ何も持たない、ルーツのはっきりしない丈瑠なのだから、こういうことに拘ってもいいのではないか?






 そこで千明は、初めて気付くのだった。

 千明が、丈瑠を見る。
 先ほどまで、黒子と彦馬に世話を焼かれて食事をしていた丈瑠が、今、転寝をしていた。よほど、昨日からの出来事と戦闘で疲れたのだろう。けれど、転寝をしている場所が問題だった。彦馬の膝枕なのだ。それも、とても幸せそうな顔で。
 いつも冷たい表情で、人を見下すような目をしている丈瑠。しかし彦馬に向かう時だけ、丈瑠がどれほど表情豊かになるか。それは志葉屋敷で一ヶ月も過ごせば、嫌でも分かってしまうことだ。彦馬に向かう時の丈瑠の表情も態度も、とても無防備で、あどけない。
 丈瑠にとって彦馬は、どんな時にも心許せるただひとりきりの存在と言ってもいい相手なのだろう。
「そっか。爺さんか………」
 千明は呟く。
「だから丈瑠は………枝垂れ桜を、跡形もなく消滅させたかったってことか………」

 丈瑠の揺れる心は

 遥かな過去。
 思い出の中の優しい記憶。
 仮の姿でない本来の自分。
 本当の自分の居場所。

 そんなものよりも、何よりも。
 この十七年間の全ての時間を、丈瑠に捧げて来てくれた彦馬を、選びたかったということなのだ。
 これは、丈瑠が実の父から受け継いできた思いを大事に思うのとは、また別の次元の話だ。幼かった丈瑠の心と身体に優しく寄り添い、大きな胸の温もりで現実に丈瑠を抱きしめ、さらには自ら盾となって丈瑠を守ってきた彦馬。これは、丈瑠にとっては、あまりに動かしがたい事実だ。丈瑠にとって彦馬は、絶対に失いたくない存在なのだ。
 だから丈瑠は、その彦馬との繋がりを壊す可能性のあるものを、排除したかったのだ。そのために、自らの過去を知ることすら、丈瑠は拒否したのだ。

「そっか。そうだよな」
 気真面目で融通の効かない丈瑠だったら、当然のことだったのだろう。
 しかし彦馬は、そんなことを望んでいたりしない。彦馬は、丈瑠にもっといろいろなものを、大事にして欲しいのだ。抱えきれないほどの幸福を、丈瑠に持ってほしいのだ。ひとつ選んだら、もうひとつは捨てなければならない、等とそんなことではなく。
「でも、あんだけ不器用な丈瑠には、それがなかなかできない………と」
 千明はため息をつく。
「仕方ないか。それが今の丈瑠なんだもんな。一足飛びには変われねえか」
 ただ、今の千明は、むしろ丈瑠に変わっていって欲しくないという気持ちの方が強くなっていた。

 丈瑠が志葉家の当主でなくなっても我慢できるが、『志葉丈瑠』以外の者になるのは、耐えられない。
 自分の前に立ち、自分を見下ろしてくる丈瑠。いつか、超えたい丈瑠。でも、その丈瑠は、やはり志葉家の丈瑠でいて欲しいのだ。
 自分だけの、自分たちだけの、自分の知っている世界の丈瑠でいて欲しいのだ。

「………あれ?」
 千明は、自分の頬に流れるものに気付いた。
「………くっそー」
 千明は小さな声で呟きながら、誰にも気付かれないように、拳で涙を拭う。拭いながら、その拳の影から、千明は丈瑠を見つめた。
 もしかしたら。
 いつか。
 こんな風に、間近で気安く、丈瑠を見ることが叶わない日が来るかも知れない。
 ………そんな嫌な予感に、微かな怯えを感じながら。






 うららかな陽射しは、絶えることなく、緋毛氈の上の丈瑠や侍たちに降り注ぐ。

 しかしどれほど楽しそうにしていても、穏やかそうにしていても、それは、表面上だけのものでしかなかった。
 それぞれの胸の内は、それぞれの想いに大きく揺れていた。

 今更ながら、丈瑠を失う恐怖に慄く千明も。
 初めて会った時から、丈瑠を自らの唯一の殿として敬っている流ノ介も。
 その命を守り、全身全霊を掛けて丈瑠を育ててきた彦馬も。
 何も明かさない白澤家の女性すらも。
 そして、丈瑠がどこの誰であろうとも、丈瑠以外に、今の志葉の当主は絶対にいないと信じている黒子たちも。

 さらに、誰よりも丈瑠が。
 丈瑠自身の想いは、誰よりも堅かったが、丈瑠は知っていた。自分だけが何を思おうと、何一つとして、自分の思い通りにはならないことを。

 それぞれの想いが複雑に絡みあって、丈瑠………志葉丈瑠が、これからどうなって行くのか………
 それらは全て、これからのこととなる。




「殿!!」
 突然、そう叫んだのは流ノ介だった。流ノ介はその場に立ちがある。
 そのあまりの大声に、転寝をしていた丈瑠も、目を覚ます。彦馬の腕を借りて身体を起こす丈瑠。その場の誰もが、流ノ介を見つめた。丈瑠も寝ぼけ眼で、流ノ介を見上げる。
「殿!一千年の長きに渡る時を見守って来た、この枝垂れ桜。風流で美しいこの舞台で………」
 流ノ介はそう言うと、緋毛氈から下りた。そして、枝垂れ桜の枝垂れた枝の中に入って行き、そこに跪き、頭を垂れた。
「池波流ノ介!殿に舞を奉らせて頂きたく」
 呆気にとられる人々の中で、丈瑠だけが僅かに瞳を大きくしただけで、すぐに真面目な顔で頷き、姿勢を正した。それに流ノ介が嬉しそうに微笑む。戦闘の場でなくとも、無言でも、想いは通じるのだ。こんな時の流ノ介の顔は、見惚れるほどにきれいだった。
 唐突な流ノ介の行動に、いつもの流ノ介を知らない白澤家の女性や天澄寺の住職は目を見張る。しかし、丈瑠が静かに一同を見回すことにより、流ノ介の前に、誰もが丈瑠と同様に姿勢を正した。それを受けて、流ノ介がすっと立ち上がる。そして気付けば、流ノ介の顔は、既に流ノ介ではなくなっていた。

 微かにそよぐ風。それに揺れる枝垂れ桜。
 それが、音楽だった。
 典雅な雰囲気を纏った流ノ介が、まるで一千年の桜の精のように舞う。
 青い空の下、桜吹雪の下で舞う。
 ある瞬間は、老長けた仙人のような風情で。
 また、ある瞬間は、舞い散る花弁のような儚さで。

 その美しい命が一千年を超えようと、数十年に満たなかろうと、それを捧げる相手は、永遠にただひとり。
 志葉丈瑠以外の、誰にも捧げられることのないその心。

 誰もが、流ノ介の思いの込もった舞いに引き込まれていく。丈瑠も目を細めて、ただ丈瑠だけに向けられた流ノ介の舞いを見つめた。
「………流ノ介」
 ひとり呟くのは千明。
 今の流ノ介の気持ちが、本当に判るのは自分だけではないのだろうか。千明はそう思った。
 思い余った流ノ介の、思いの丈の舞い。

 風が渡り、花びらが散る中で舞われる、丈瑠に向けた流ノ介の想い。
 それはどこまでも美しく、けれどとても切なかった。






 これから先に、何が待っていようとも
 ただ、今ひとときは全てを忘れて、このモヂカラを秘めた花の影に集おう。
 全ての秘密を知っているこの桜の下で、儚い幸せに共に酔おう。
 ………花に嵐の例えのように、どうせ、嵐はすぐにやってきてしまうのだから。




 それでも
 外道衆にしろ、白澤家にしろ………あるいは、自らの中に巣くう闇にしろ………
 どれほど、これからの嵐に、桜の花びらが舞い狂うように翻弄されようとも
 丈瑠は、それに立ち向かう覚悟はできていた。

 自分は志葉丈瑠であり、志葉家の当主、シンケンレッドである。それ以外の何者でもない。
 流ノ介が言っていたように、それが志葉の血を持たぬのに、改めて自ら、志葉の当主に就いた丈瑠の覚悟だ。
 志葉家当主として育てられ、一度は当主の座から外れたにも関わらず、再び当主として立たねばならなかった丈瑠。
 もう、やらされているだけの偽の当主ではない。
 血筋から来る、運命の当主でもない。
 志葉家十九代目当主は、これだけは、今まで生きてきた人生の中で、丈瑠が唯一初めて、自分で選びとった道なのだから。












小説  あとがき









2010.07.18