「こちらです」 そう言って案内された白澤家の墓。それは、一般的な墓地にあるような墓ではなかった。寺の中でも特に閑静な場所を選んで建てたのであろうその墓は、高い植え込みに囲まれた二十畳ほどの範囲に、大小の石が連ねられた、志葉家の墓に劣らぬほど立派なものだった。 墓の入り口、植え込みの外から、墓を覗いた住職が 「しかし、白澤さまはいらっしゃいませんね。これは困った………」 と呟く。その横に、丈瑠は黙って立っていた。それをどう勘違いしたか、住職が説明を始めた。 「立派なお墓でしょう。実はこの天澄寺は、白澤家だけの菩提寺でして。ですから、このような立派なお墓なのです。白澤家は、それこそ江戸時代から続く由緒ある家系ですので」 しかし、丈瑠はそんな説明を聞いてはいなかった。丈瑠は暫くの間、目を細めてその墓を見つめていた。それから躊躇いもなく、植え込みが切れている墓の入口へと進み始める。丈瑠の傍に控えていた黒子が驚いたように、顔を上げた。しかし丈瑠はそれにも構わず、墓のある囲いの中に足を踏み入れる。そして、中央の巨大な墓石を見上げた。 「あの………?」 住職が声をかけるが、丈瑠には聞こえていないようだった。 中央の墓石には、『白澤』という文字が刻んであった。確かに、誰かが墓参りに来たらしく、中央の石の両側には、青と白を基調とした大きな花束が活けられており、中央の壇には供物もあった。供物は、和菓子、ジュース、おもちゃ、そして桜の枝が添えられていた。それは、枝垂れ桜の枝だった。 丈瑠は次に、中央から左右に顔を巡らす。そして、左横の隅に置かれた石板に目を留める。それを睨むように見つめていた丈瑠は、やがて眉をひそめて、唇をきつく結んだ。 石を睨んだまま、何も言わずに立ち続ける丈瑠。丈瑠の醸し出す空気に、黒子も住職も声すら出せない。やがて、丈瑠の雰囲気がふっと揺らいだ。丈瑠が住職を振りかえる。 「誰のお墓参りですか」 丈瑠の質問が唐突過ぎて、住職はすぐには反応できなかった。やがて、ああ、と息を漏らした後 「もちろん先祖代々のお参りもあるのでしょうが、この桜の季節に限っては、白澤様のお嬢様、末の………お嬢様のお参りと聞いております」 と住職は答えた。 丈瑠はその答えを聞いて、少し考えているようだった。それから、首を振って、踵を返す。丈瑠は墓から出て、植え込みの外で控えていた黒子に 「帰る」 と言うと、後ろを振り返り住職に僅かに頭を下げた。それだけで、さっさと歩きだしてしまう丈瑠。黒子二人は丈瑠の代わりのように、住職に深く頭を下げると、すぐに丈瑠の後ろに駆け寄って行く。あっという間に遠ざかる丈瑠の背中に、住職が叫んだ。 「きっと枝垂れ桜のところに、白澤さまはいらっしゃいますよ。是非、ご挨拶を!」 俯いた千明の前に、彦馬が重箱の一つを差し出した。 「待たせたな。さあ、存分に食するがいいぞ」 千明が顔を少しだけ上げると、彦馬の笑顔がそこにあった。千明は彦馬を上目遣いに見ながら、こっそり深呼吸をする。それで、気持ちを切り替えた。 「やったー!!やっと食える〜!!」 千明はことさら、はしゃいだ声を上げた。 「本当に、すっげー楽しみにして来たんだぜ?美味しいモノ食べさせてよ、爺さん」 千明がまだ少し硬い笑みを浮かべながら、箸を握りしめた。 「判っておる。この日のために各地から材料を取り寄せて、黒子にも腕を振るわせたからな」 そう言って、彦馬は重箱を開けた。 「まずはオードブルからだな」 赤い漆の色と対照的な、一口サイズの手綱ずし。キャビアを乗せた菜の花。白魚の黄身まぶし。貝殻を皿にして盛られているのは、蛤のうに焼き。赤貝とわけぎのぬた和え。 「おお〜美味そうじゃん!!」 千明は叫ぶと彦馬から重箱を受け取り、中身を皿に移しもせずに直接食べ始めた。 「こら。慌てるな、千明」 丈瑠とは明らかに異なる、まだまだ育ち盛りと言ってもいいような千明の食べっぷりに、彦馬は嬉しくなってしまう。 「そうだぞ、千明。そればかりでなく、こちらにもたくさんある」 そう言って、古伊万里の皿を千明に差し出したのは、流ノ介だった。 流ノ介の笑顔に、千明が蛤をごくりと飲み込んだ。先ほど叱責されたばかりで、流ノ介をどれほど怒らせたのかと不安だった千明だが、流ノ介の笑顔に気持ちも軽くなる。 「おお!すっげー。ローストビーフじゃん」 今度こそ、本当の満面の笑みで、千明は皿を受け取った。 「牛のたたきだ。千明が好きそうだと思ってな。淡路牛を取り寄せた」 感動屋の千明は、彦馬の心遣いに思わず涙腺が緩みそうになる。 「へっへっへ。判ってんじゃん、爺さん」 それを誤魔化すように、千明が彦馬の肩を叩いた。 「それはもう。一年間もたっぷりと世話を焼かされたお前のことだから………な」 先ほどの千明の言葉を受けた彦馬の嫌味も、もう慣れたもの。彦馬が、自ら手塩にかけて育てた丈瑠だけでなく、どれほど自分たち侍のことを考えてくれていたかを知った今では、そんな嫌味を聞くのも嬉しいくらいだ。 「はいはい、判ってますよ!」 と言って、たたきを二切れ口に突っ込んだところで、千明は重大なことに気付いた。 「………てかよ、丈瑠はどうしたんだよ」 彦馬と共に丈瑠が現れなかったのには、それほど疑問はなかった。丈瑠は、傍からはあまりそう見えないが、かなり気が短い。長々とした説明をしたり、準備が遅かったりすると、いつの間にかいなくなってしまうことも多い。だから、宴の全ての用意が整ってから、殿さまのご入場という段取りかと思っていたのだ。しかし、気付けばすでに花見の宴は始まっている。 「え?ああ。殿か。殿はちょっとな」 ぎくりとした彦馬は、視線を千明から流ノ介に移す。案の定、流ノ介が真っ直ぐな視線を彦馬に注いでいた。 「何だよ、ちょっとって」 たたきを頬張りながら千明が尋ねると、彦馬は腕を組んで空を仰いだ。思ったことをそのまま口に出す千明より、黙って彦馬を見つめる流ノ介の視線の方が、彦馬には痛かった。 「まあ、な。そのうち来られる。気長に待っておれ」 ため息交じりに答える彦馬に、流ノ介が膝を乗り出してくる。 「彦馬さん、殿はどうかされたのですか?」 流ノ介は抜けているようで、鋭い。多分、ここに彦馬が一人で来た時から、流ノ介は怪しんでいたのだろう。それは彦馬も感じていた。しかし流ノ介は何か事情があることを察して、今まで何も言わなかったのだ。それに対して、千明の反応は単純だ。 「え?丈瑠もしかして病気?怪我?」 「ああ。いやいや、そんなことはないが。ちょっと用事が………な」 彦馬は手を振ってそれを否定すると、すかし模様の入った白木の箱を千明に差し出した。それには、桜鯛の木の芽寿司、飯蛸の旨煮、あわびや海老の旨煮などが詰まっていた。 「ふうん。まあ、いいけどさ。そのうち来るのなら」 千明はそれを受け取りながら、彦馬の顔を窺う。 「ああ。そのうちには来る」 彦馬はそう言い切った。 先ほどの闘いの帰りの丈瑠の態度は、彦馬にとっても困惑するものだった。しかし、それでも、この宴に最後まで顔を出さないことはないだろうと、彦馬は思っていた。丈瑠に付けた黒子たちにも、いつまでも帰ろうとしなかったら、最悪は、無理やりにでも丈瑠を連れ帰るように指示してある。 考え込む彦馬を、口を尖らせた千明が覗き込む。 「俺、丈瑠が来たら、言いたいことあるんだよね」 間近で千明と目が合った彦馬は、大きく頷く。 「そうか。大丈夫だ。そのうち戻られる」 それは、千明だけでなく、彦馬が自分自身に向けた言葉でもあった。 「それなら、いいけどさ」 千明が白木の箱から海老をつまみ上げた。 「これ言いたいから、花見しようぜって言ったんだから。俺」 そう言って、千明はぱくりと海老を飲み込んだ。流ノ介は、そのやりとりを終始、無言で聞いていた。 花見の宴は、主人がいないまま、続いた。 丈瑠がいなくとも、三人居れば話も弾む。流ノ介の歌舞伎の話題を中心に、時間が経って行った。 春の日は、もう随分と長くなっていた。 やがて陽が傾きかけた頃、かなりの量を食べた千明がふうっと息をつくと、そこにすかさず彦馬が古九谷の大鉢を差し出した。 「デザートにこれはどうだ。昨日、黒子が掘って来たタケノコだ」 その皿はタケノコづくしだった。わかめとタケノコ、蕗の煮物。焼きタケノコ。タケノコご飯の手毬寿司。 「俺、もうお腹パンパン。入る所ねえや。つーか、デザートにタケノコなんか食いたくねえし」 千明が言うと 「それでは、私が………」 と流ノ介がその鉢を受け取った。 「このタケノコは、お屋敷内のですか?」 それに彦馬が頷く。 「裏の竹林でな。黒子たちの毎春恒例行事だ」 鉢からタケノコの煮物と手毬寿司を皿に取り分けながら、流ノ介も頷く。 「野菜もかなりの量を、お屋敷の農園で作っておられるんですよね」 「ああ。お前たちが一年間食べていた野菜は、殆どが屋敷内の農園で作ったものだ」 彦馬と流ノ介の会話を聞いていた千明が、驚く。 「何?そうなの?この屋敷内に農園なんかある訳?」 流ノ介が皿を持ったまま、冷たい視線を千明に向けた。 「本当に勉強不足だな、千明は。もしもの際には、お屋敷の中だけでも最低限の自給自足ができる体制だ。それに、お屋敷内にあるのは農園だけではないぞ。薬園もある」 「えっ………薬園?」 千明がその言葉に反応して、乗り出してくる。流ノ介は、タケノコを箸でつまんで吟味しながらも、話を続けた。 「私たちの傷の手当てにも、様々な薬草が使われていただろう。あれも志葉家自家栽培。志葉家の薬園産だ」 その話に、千明は遠い目をした。この一年間、幾度、怪我を負っただろう。そして、その度に、黒子たちが的確な手当てをしてくれた。確かに絆創膏はともかく、市販されているような塗り薬を使われた覚えがない。 「へ〜。そーなんだ。そういや、なんか草っぽい感じ、臭ってたかもな」 千明がしみじみと言うと、彦馬も真面目な顔をする。 「志葉家の薬園は、小石川薬園に見習って二百五十年ほど前にできたものでな。門外不出の薬草がたくさんある。それら薬草の栽培、採薬、薬効の調査なども行っているのだ。普通、薬草………生薬は効き目が穏やかと思われているが、モノによっては西洋薬より薬効が速かったり強かったりする場合もあるからな。お前たちの傷も、よく治っただろう?」 彦馬の説明を真剣な面持ちで聞いていた千明が、ため息をついた。 「なんかさあ………」 それから、両腕を上げて大きな伸びをする。 「一年間もここに住んでたのに、俺たち、何も知らないのな」 「私は知っていたぞ!」 流ノ介が一緒にされてはたまらないと、間髪いれずに反発した。 「本当かよ」 千明が横目で流ノ介を睨むと、流ノ介は目を瞬いた。そして咳払いをする。 「何だよ」 重ねて問う千明に、流ノ介がばつの悪い顔をする。 「はっ?何、その顔。やっぱ嘘なんじゃん?」 流ノ介の普段の顔は、本当に表情がくるくる変わる。嘘をつけない性格なのだ。でも、それもいいかも。そこが、信頼できるのかも。そんな風に思いながら、千明は流ノ介のすぐ傍まで寄って、意地悪く流ノ介の顔を下から見上げた。 「う、うむ。まあ、家に戻ってから、さらに詳しくいろいろ教えてもらった………ということも、多少はある………」 流ノ介がしどろもどろに言い訳をした。 「はっ。そんなことだろうと思ったよ」 千明は笑いながら流ノ介の肩を叩くと、そのまま緋毛氈に仰向けになった。 「流ノ介はいいよな。家に教えてくれる親がいてさ。うちの親父なんか全然だぜ」 それに、流ノ介ががっくりと頭を垂れるのを見て、彦馬が助け船を出した。 「お前たちがここに来たばかりの頃は、モヂカラと剣の稽古が忙しかったし、その後は、闘いに明け暮れていたからな。そんなことを説明している時間もなければ、屋敷内を探索する暇もなかった。それは仕方ない」 それに流ノ介は大きく首を振った。 「彦馬さん!でも、ここで一年間、殿と共に闘うことによって、私は自分のすべきことがはっきりと判ったのです」 流ノ介が彦馬の前に正座のままずいと進み出て、姿勢を正した。 「私は、もっと志葉家を知らねば。もっと志葉家の、いえ、殿のお役に立つようにならなければ!と………心底思ったのです。ですから、父から志葉家のことを聞いたり、家の古い資料を調査したりもしています。まだまだ足りないところが多いとは思いますが、侍として、私はずっと殿にお仕えする覚悟ですから」 流ノ介の、いつでも真っ直ぐな視線。それは、流ノ介の生き方そのものなのだろう。そして今、流ノ介のその熱い視線の先には、志葉丈瑠がいる。外道衆との闘いに一段落が着いた今でも、このような立派な若者に丈瑠は思われ、支えられている。そう思うと、彦馬の胸の内に熱いものが込み上げてくる。 「………そうか、そうか」 彦馬は頷いた。 「お前も歌舞伎の稽古で忙しいだろうに。殿のために………」 彦馬の声が上擦る。 「そうです!ですから私は千明と違って、これからも志葉家の勉強を続けていきます。彦馬さん、これからもどうぞよろしくお願いいたします!」 言い切る流ノ介に、緋毛氈に転がっていた千明が、むくりと起き上がった。 「おい!俺と違ってって!!どういう意味だよ」 流ノ介が横目で千明を見る。 「お前には、そんな殊勝な気持ちはないだろう。まあ、お前は受験勉強で忙しいのだから、仕方ないがな」 最後の嫌味に、千明は、むっとした顔をした。千明は口を尖らせながら、流ノ介に顔を近づける。 「おい!何だよ、その言い方。いいか、流ノ介、俺だってなあ!!」 そこで、あっという顔をして、千明は自分の口を塞いだ。そしてそのまま黙りこむ。 「何だ」 流ノ介が聞き返すが、千明は首を振った。 「丈瑠が来るまで言わない」 千明のおかしな反応に、流ノ介と彦馬は顔を見合わせた。 小説 次話 2010.04.21 |