流ノ介の言葉にむくれて、不貞寝を始めた千明を眺めながら、彦馬と流ノ介の話はまだまだ尽きない。 口数の少ない丈瑠と違って、自分の思うこと、進みたい未来などについて、臆せずに話してくれる流ノ介が、彦馬には頼もしく思えて、嬉しかった。 「五月の公演には、是非、彦馬さんも殿といらしてくださいね」 彦馬がそれに頷くと、流ノ介は嬉しそうに微笑んだ。 その時、微かな風が吹く。すると二人の上に、桜の花びらがこれでもかと降り注いだ。二人は暫し黙って、桜吹雪の中にいる風情を楽しむ。やがて、桜吹雪が治まると、流ノ介が感嘆のため息を漏らした。 「本当に………」 そして、改めて辺りをぐるりと見回す。 「ここは素晴らしい場所ですね」 見渡す限り桜の木が続く奥庭。花見台の上にも桜の枝は張り出していて、流ノ介たちの上に、絶えることなくピンクのはなびらを散らせる。その様をぼうっと眺めていると、どこか違う世界に紛れ込んだような気すらしてくるのだった。 彦馬も目を細めて、麗らかな桜の風景にみとれた。 「そうだろう。この志葉屋敷を建てたときからの桜が多いから、樹齢も二百五十年を超えている。もちろんソメイヨシノに限れば、百年は超えていないだろうが」 そこで彦馬が僅かに言葉に詰まる。 「………しかし、これほどの桜だが、十七代目当主が倒れられた後はこんな宴を催したこともなかった。盛大に花見をやった時代も、あるようなのだがな」 一抹の寂しさを苦笑いに代えて彦馬が言うと、流ノ介は驚いて振り返った。 「え?そうなのですか?もったいないなあ。こんなに素晴らしい桜なのに………」 彦馬が顎に手を当てて、昔を思い出す。 「まあ、殿とわしとで、お弁当を食べる程度の花見は、毎年必ずやっていたがな」 そう言うと、彦馬は横で控えている黒子に同意を求めた。それに黒子も深く頷く。 「そうなんですか」 流ノ介が表情を曇らせる。 「殿は千明とは違って、あまりお食べになられないしな。馳走を並べても残るばかりだった………」 「その上、何も話さないし」 不貞寝をしていたはずの千明が、ぐるりと身体の向きを変えて、話に加わって来た。 「ああ。だから、わしが一人で話しておった。しかし、それも限界がある。なにしろ殿と毎日一緒のわしではな、目新しい話題もないし」 目を瞑り、昔を思い出す彦馬。それに流ノ介も同意する。 「確かに、殿が花見の席で、何かを話されるとは思えない。我々と一緒の時も、我々の話を、殿は一人黙って聞いている方ですからね」 「そうだな。ちょっと寂しい花見だったかも知れないな」 あの頃は、少しでも丈瑠に普通の楽しみを教えてたくて花見をやっていたが、丈瑠はそれをどう感じていたことか。それは、花見に限らず、月見でも、他の節句でも同様だ。志葉家では、四季折々の節句は欠かさなかったが、今思いおこせば、どれも寂しいばかりの宴だったように感じられる。流ノ介や千明、茉子、そしてことはの侍たちと共に過ごした一年の後では、あのような寂しい花見をしようとは思えない。 「昨年はみながいたが、とてもではないが、花見をやるような雰囲気でもなかったしな。昨年できれば、みな揃って賑やかだったのだろうが」 笑いながらも少し寂しげな彦馬の様子に、身体を起こした千明が提案する。 「また、みんな招べばいいじゃんか。それで盛大にやろうぜ。来年でいいからさ」 多分、これが千明の優しさ。それが、彦馬には嬉しかった。 「そうだな。茉子もその頃には日本に帰ってきておるかのう」 「きっと」 流ノ介も、千明の提案に賛成する。 「そうだよ、やろーぜ。来年もここで花見!再来年も、その次もずっとだ!!」 彦馬は、傍らの黒子と共に、満足そうに頷いた。 丁度同じ頃、丈瑠は志葉屋敷に戻って来たところだった。 黒子たちが並んだ中を、玄関に上がり、表屋敷に入る。しかしそこに彦馬の姿はない。帰宅していつも一番に迎えてくれるはずの彦馬が出てこないことに、丈瑠は心がざわつくような気がした。何に苛立っているのかもわからないが、動作がほんの少し乱暴になる。 丈瑠はそのまま奥屋敷の居間に入り、丈瑠の定位置に座り込んだ。このため、黒子が慌てて、おしぼりとお茶を持って来る。丈瑠は無言のまま、おしぼりを使った。そのまま沈黙を続ける丈瑠。何故か、居間が重苦しい空気に包まれた。 やがて、意を決した黒子が、流ノ介や千明が奥庭の花見の席にいること。花見の宴は盛りも過ぎ、いまやデザートに入ろうとしていることを告げる。 それを聞いた丈瑠が漏らした、何気ない一言。 「まだやっていたのか」 しかしそれは、丈瑠の気持ちそのものでもあった。 「爺は?」 と自分で聞いておきながら 「………花見の席、だな」 と忌々しそうに自分で答えを呟く丈瑠に、黒子たちの心境も複雑になる。 黒子たちにとっては、ほんの数か月前までと同じように、侍たちとの親交を深めるために、早く花見の宴に参加して欲しい………という気持ちがまず基本だった。しかし、どう見ても、花見の席に行きたがっていないように見える丈瑠の気持ちを思うと、無理強いはしたくない。そして、そんな黒子たちの雰囲気を丈瑠も察して、いたたまれなくなる。 丈瑠は茶碗を取り上げて、ぐいと茶を飲み干す。そのまま茶碗を握りしめて、ほんの数秒ではあったが迷った。何に迷っているのかも判然としないまま、ただ迷った。やがて、目の前に並ぶ黒子に告げる。 「汗を流してから、花見の席に行く」 丈瑠は茶碗を茶卓に戻すと、すぐに立ち上がった。 外道衆探索のために付いて行った黒子から事前連絡があったので、丈瑠の帰宅に合わせて風呂は用意されていた。それは出陣の場合は、いつものことだった。但し、今日に限っては、花見の後まで使われないだろうと、黒子たちは予想していたのだが。 丈瑠はさっさと丈瑠専用の湯殿にと向かった。その後を世話係の黒子が追った。 さて、来年の花見の話で、盛り上がっている奥庭では。 「でもさあ………丈瑠の友達っていないのかよ」 ふと千明が呟く。 「友達?殿の………か?」 彦馬が問い返すと、千明が頷く。 「そうだよ。爺さんと丈瑠だけの花見が寂しいって言うなら、丈瑠の学校の友達の一人や二人招待すればいいだろう?こんなすごい桜の園なんだぜ?喜んで、親まで一緒に来ちゃうんじゃねえの?」 彦馬は腕を組んで考え始めた。 「う〜〜ん。殿の学校の友人………か」 その様子に、千明が何かを察する。 「まあ。あの丈瑠じゃできないか?俺たちに出会ったときみたいな態度でいたんじゃ、誰も友達になってくれないよな」 言い終わらない内に、またしても流ノ介に頭を叩かれた千明だった。 「千明!!いい加減なことを言うな!!」 「ってー!!だから!叩くなって言ってんだろーが!流ノ介!!」 千明は頭を押さえて抗議する。 「それに俺の言ってること、合ってるだろ?流ノ介はそう思わないのかよ。家臣としての知識があっても、最初の頃の丈瑠の態度には、俺、すっげーむかついたもん」 「でも、殿はいつでも正しかった」 流ノ介は真剣な面持ちで返した。それに千明が、ああ!という声と共に天を仰ぐ。 「正しいとかそういう問題じゃないだろ!?あいつ、態度が悪い………てか、えらそーすぎなんだよ!」 「それは、殿なのだから仕方ないだろう」 流ノ介が言うと、千明は首を振った。 「あのねー!学校では、そんなの関係ないじゃんよ」 流ノ介は腕を組んで、千明をみつめる。 流ノ介は、千明のこういうところが理解できない。千明はどうあっても、丈瑠と同じ土俵にいたいのだろう。しかし一方で千明は、丈瑠を「殿」として受け入れてもいる。丈瑠を超えるまではという条件付きにしろ、内心ではすっかり認めているのだ。 殿と認めているのに、自分と同じように在って欲しい………そのような希望は、流ノ介にとっては理解できないことだった。 殿として、自分が仕える相手として丈瑠を認めたならば、それは即ち、自分より上にいる人間となる。それ相応の態度でいてくれた方が嬉しい。もっと言えば、普段からそういう態度でいなければ、いざという時に、権限を発揮しにくいはずだ。歌舞伎の世界でも、それなりの役者にはそれなりの態度や威厳が求められる。それなりの役者とそうでない者とでは、周りの扱いも天と地ほどに違う。 だから流ノ介にとって、丈瑠の態度は、最終の状況判断を行い命令を下す者としては、戦闘の責任を取る位置にいる者の態度としては、しごく当たり前のものに見えるのだった。 それが何故、千明にはわからないのだろうか。 「関係ないことはない。殿はどこへ行っても殿だ。いつでも殿だ」 わざとそう言ってみると、案の定、千明は不満そうだった。 「関係ねえよ。あいつ自身が『殿様と思わなくていい』って、俺たちにも言ってたじゃん。でも、そう言ってる割には偉そうなんだよな!学校でまで、あの調子で殿さま面されたんじゃ、誰も近寄って来ねえって」 千明が叫ぶと、その横で彦馬がぼそっと呟く。 「………まあ、そうかも知れんな」 それを千明が聞き逃す訳はなかった。千明は彦馬の肩を揺さぶる。 「おい、爺さん。やっぱ丈瑠ってそうだった訳?学校でも殿さまだったんだ?」 嬉しそうな千明に反して、彦馬は複雑そうな顔をしている。 「う〜む」 そう言ったきり、黙り込む彦馬。それが彦馬の答えだと千明は思った。 「そうなんだろ?きゃはは、もう目に浮かぶようだぜ」 「もう止めろ!千明」 はしゃぐ千明に、流ノ介がまたびしっと告げた。それは先ほど、丈瑠が屋敷を出た時のことを千明が話題にした時の言い方よりはきつくなかったものの、千明もそれ以上言うと先ほどの二の舞になると感じて、今度は素直に口をつぐんだ。 小説 次話 2010.04.24 |