花 影  6














 そこに黒子たちがデザートを運んできた。
 ガラスのコンポートに並べられた果物のゼリー寄せと水羊羹。様々な和菓子を大きな盆に盛りつけたもの。そして抹茶だった。抹茶は、窯を用意して、黒子がその場で点ててくれる。
 千明はもちろん大喜びで、すぐに盆に手を伸ばし、桜餅と三色団子を両手に食べ始める。それを呆れた顔でみつめる流ノ介。そして、先ほどから何かを考え込んでいる彦馬。
 しかし彦馬は自分の考えに没頭できなかった。野点の窯の後ろに位置する黒子が、彦馬をしつこく手招きをするからだ。彦馬は腰を上げて、そちらに移動した。そして黒子から、丈瑠が帰宅したこと、外道衆捜索時に丈瑠に起きたこと、その後の様子を耳打ちされる。彦馬は丈瑠が無事に帰宅したことにほっとはしたものの、丈瑠の様子の報告には、ますます眉間のしわが深くなった。
「殿………」
 丈瑠は何を悩んでいるのか?何をしようとしているのか?今回ばかりは、彦馬にも丈瑠の考えていることがわからない。
「まずは………殿のお好きなようにして頂こう。お疲れなら、お休みになられても良いし。………ここに来るように催促などしなくて良いぞ」
 彦馬は苦渋の面持ちで、指示を待つ黒子に告げた。

 ゲホッ、ゲホッゲホッ
 黒子と話す彦馬の後ろで、千明が盛大にむせた。彦馬が振り返ると、あまりに急いで団子を食べたためにむせてしまった千明に、流ノ介が抹茶の茶碗を差し出しているところだった。
「しかし………お前は、本当によく食べるな」
 流ノ介の言葉に彦馬も同意しながら、彦馬は再び二人の間に入る。千明が抹茶の茶碗を受け取りながら、口を尖らせた。
「何言ってんだ。この一年ここで生活させられて、規則正しい和食生活を爺さんに叩きこまれたおかげで、俺、前より全然食べなくなったんだぜ!」
 そして抹茶を一気に飲み干した後
「あっ、黒子ちゃん。これ、おかわり。ミルク入れてね」
 と茶碗を黒子に差し出して、千明は抹茶オレを要求した。口の周りを緑色に染めている千明に、彦馬は呆れ顔で懐紙を差し出す。

 そのような和やかなやり取りをしながらも、彦馬の胸の内は穏やかではなかった。彦馬は、丈瑠が帰宅したことを二人に言い出せなかった。このまま放っておくと、風呂から上がっても丈瑠はここに来ないかも知れない。そう思ったからだ。そうだとしたら、丈瑠が帰ってきていないことにした方が、まだましだ。
 今、彦馬は、すぐにでも丈瑠のもとに駆けつけたかった。丈瑠が何に悩んでいるのかを聞きたい。そう思う彦馬だったが、一方で今の丈瑠は一人になりたいのかも知れないとも思う。先ほどの出陣で彦馬を先に帰したのは、それも理由のひとつではないのか?そうだとすれば、暫しでも、丈瑠に一人きりの時間をあげるべきなのかも知れない。
 久しぶりに会う流ノ介や千明の成長ぶりに、いや、千明が成長したかどうかは別にしても、二人の開放的で前向きな雰囲気に、どうしても丈瑠との差を感じてしまう彦馬だった。そして、それが何によるものなのかと考えると、彦馬の丈瑠への関わり方にも問題があるのかも知れないと思えて来る。

 彦馬が思い悩んでいる横で、相変わらず流ノ介と千明が、言い合いをしていた。
「それで食べなくなった方だってえ?………じゃあお前、昔はどれだけ食べていたんだ!?」
 流ノ介の大げさな驚きに、草もちを口に放り込みながら、千明は、中学高校時代を思い出す。
「どれだけって………まず家で朝飯を食うだろ?それから弁当二つ持って学校行って、でも授業中に早弁するから、昼にはもう両方なくなってて。だから昼は学食でがっつり食う。それで午後の授業中には菓子パン二、三個食って、学校帰りにマックかミスドで腹ごしらえしてからゲームセンター行って、肉まん食いながら家に帰って、夕飯を………」
 千明の食欲魔人ぶりには、流ノ介も、流して聞いていた彦馬も、声も出ない。
「………それじゃあ千明、お前、食べてばかりじゃないか。食べる以外に、人生何かしていたか?」
 自分の中学高校生時代とのあまりの違いに、流ノ介は面喰っていた。中学高校時代、流ノ介は勉強と侍としての稽古、そして歌舞伎の稽古に忙しかった。それこそ寝る間も惜しんで、どれかに没頭していた。もちろん流ノ介とて食べ盛り。途中でおやつを食べたりはあったが、食事時間を惜しんで稽古を優先したこともある。それなのに、千明のこの生活スケジュールはどうなっているのか?
「人生……って、なんかなあ。他にしてるよ。今言っただろ?学校行って、ゲームセンター行って、友達としゃべりまくって………」
 千明は事も無げにそう答える。そして、懐かしそうな瞳をした。
「そうそう。あれは、あれで、充実した毎日だった………んだよね、俺としては」
 流ノ介はどうにも同意し難くて、つい口を挟んでしまう。
「充実?そのような生活で充実!?聞いていると、授業中に弁当や菓子パンを食べているし………とてもまともに勉強しているとは思えないぞ!?それに、侍の稽古はそのスケジュールのどこに入るのだ?」
 千明はそれに、舌を出しながら応えた。
「まあ、食う合間にちょこちょこっとね」
「そうは聞こえなかったが?ちょこちょこっとでも、本当にやっていたのか?」
 流ノ介が重ねて問いただすと、千明の頬がぷくっと膨れた。
「うっせえなあ。確かに学校の先生には顔合わす度に『そんな生活しているのでは、成績があがるはずもないな』………って言われてたけどサ」
 どうも、千明の中学高校時代が想像できてしまいそうだった。流ノ介の周りには、千明のような人間がいなかったので、流ノ介はどうにも千明の態度が気に入らない。そんないい加減な中学高校生活を送るのが許されるのか?それも、侍になろうという者が。
「当り前だ。だれが聞いてもそう思うぞ」
 腕を組んで諭すように言う流ノ介。それが千明の癇に障ったようだった。
「ちぇっ………なんだよ、流ノ介も偉そうに。なんか学校の先生みたいだな。………そういや、あんた去年、教師に化けてたっけ?その時についたくせか?」
「化けていた!?失礼な!!化けていたのではない。私だって教員免許くらいは持っている」
「えええ!?そうなのかよ!?」
「当り前だ!!でなければ、あのような作戦、できる訳がないだろうが!」
 驚く千明に、得意げになる流ノ介。しかし千明は、さも嫌そうに流ノ介を見つめている。
「そっか。資格ないと作戦もできなかった訳だ。しかし、大学で教員免許なんか取ってたのか。ふ〜ん………」
「流ノ介は、学校の成績はずっと良かったようだからな。教員免許はそれが目的ではなく、ついでで取ったのだったな、確か」
 一人ぶつぶつ呟く千明に、彦馬が伝えた。
「………えっ?そうなの?」
 驚く千明に彦馬は頷く。
 志葉家当主に仕え、忠義の家臣になるはずの侍たち。彼らの生活状況、学業状況、健康状況などを仔細に記した調査書が、毎年、彦馬と丹波に届けられていた。その中でも、流ノ介と茉子の成績は抜群だった。
「流ノ介は、小学校から高校までずっと皆勤の上、成績も一番だったはずだ。もちろん大学も主席卒業だったな」
「本当かよ!?ウソだろ!?」
 食べるのも忘れて、流ノ介を振りかえる千明。
「さらに児童会長に、生徒会長………と先生方の信頼も厚く、特別活動でも抜きんでていたな。どんな青年かと、会える日をある意味楽しみにしていたものだ」
 付け足す彦馬に、千明が絶句する。それに、流ノ介が、さもたいしたことないという顔をした。
「普通に生活していれば、自然とそうなる。心がけの問題だ」
「えーーっ。なんか、すっげー感じ悪いよなあ」
 千明がそれに、さも嫌そうに顔を歪めた。それに流ノ介がまたも突っかかる。
「おい!!成績良いのが、どこが感じ悪いというのだ!!」
 いつまでたっても、同じ繰り返しに飽きることのない二人。

 片や、彦馬は千明たちと会話をしている間にも、丈瑠のことが気にかかって仕方がなかった。だが彦馬は、それでは、せっかく訪れてくれた二人に申し訳ないと思った。もしかしたら丈瑠は、この席には来ないかもしれないのだ。丈瑠の心中はわからないが、せめて彦馬だけでも、精いっぱい彼らをもてなさねばならない。
 そう思った彦馬は、改めて、にこやかな笑顔で流ノ介と千明の会話に加わった。






 一方、志葉屋敷の丈瑠専用の湯殿で。
 木の香りが漂う風呂で、黒子特性のよもぎ湯に入りながら、丈瑠はじっと考えていた。

 この苛立ちは何なのだろうか。
 このところ、ずっと冷めた状態を維持できていたと言うのに。意識的にそのような状態を保とうとしていたのに。それが、先ほどのナナシとの闘いが終わった後から、脆くも崩れてしまっていた。自分の感情を抑制できずに、ぞんざいな態度を取ったり、黒子にきつい言葉を投げたりしている………ように思える。
 特に、白澤家とやらの枝垂れ桜。あれを見た時から、何とも言えない違和感が消えない。身体中を何かが這いまわるような、ぞわぞわする違和感。身体の中から何か別のモノが出てきてしまいそうな、ぞっとする感触。初めはアヤカシの仕業かとも思ったが、そうではない気がしてきた。この原因は、もしかしたら自分自身の中にあるのではないだろうか?
 そこで思い出したのは、十臓との最期の闘いだった。あの時も、こんな違和感が自分を包んでいた。自分ではないモノが、自分の中から湧きあがって来て、止めることができない、肌が粟立つような感触。その、身体の最奥から湧きあがってきて自分を支配してしまうモノ………しかし、それは自分でないモノではなくて、実はそれこそが本当の自分だったのではないだろうか?

 風呂に入っているというのに、思わず全身に震えが来る。風呂の湯がちゃぷんちゃぷんと音をたてて揺れた。その震えを抑え込もうと、丈瑠は右拳をきつく握りしめる。すると、あの晩のように、その右手にシンケンマルが見えてくるような気がした。その幻のシンケンマルの刃にあの晩の幻影が映る。

 十臓との闘いの闇の中。地獄の炎の中で。
「何がお前の真実か………」
 十臓に問われたこと。
 あの時丈瑠は、自分の内から湧きあがって来る何かに支配されてしまう前に、駆けつけてくれた千明や茉子、ことはに救われた。十臓の二の舞にはならなかった。しかし………本当に、本当のことを言っていたのは、侍たちと十臓と………どちらだったのだろう。
 そう考えた時点で、自分が導き出したい答えは見えているのだ、と丈瑠は思う。
「俺の………真実?………真実の………俺?」
 は、どれなのか。どんなものなのか。
 それはやはり、十臓と同じなのではないか………と丈瑠は思わずにはいられなかった。ここに。外道ではないここに、今でも丈瑠が留まっていられるのは、丈瑠に、彦馬や丈瑠を信じて付いてきてくれるシンケンジャーの侍たちがいたから。そうとしか思えない。
 丈瑠が、志葉家当主でもなく、シンケンレッドでもなかったら。彦馬や侍たちがいなかったら、丈瑠はどうなってしまうのか。それは、まさしく十臓と外道のような闘いをしていた時。あれが、その証明に他ならない。

 目の前に浮かんでくる十臓の姿。丈瑠をまっすぐに見据える赤く光る眼。
 それに呼応するかのように、不気味に燃え上がるシンケンマル。燃え上がらせているのは、他でもない丈瑠自身だ。
 そうなれば、もう十臓以外は目に入らない。
 闇の赤に染まるシンケンマルを振るい、十臓の身体に斬りこませる感触。引き抜いた後の、シンケンマルから滴る血の匂い。それが丈瑠の奥底の何かを呼び覚ます。
 これこそが、十臓が言っていた、斬り合う悦び。それは丈瑠にとっても、きっと………ただひとつの真実なのだ。彦馬や侍たちの丈瑠への想いを除けば。

 そこまで考えたところで、丈瑠ははっとして湯面を激しく叩いた。大きな音を立てて飛沫が飛び散る。それと共に、丈瑠の妄想も霧散し、反実体化しかけていたシンケンマルも消えた。それでも、身体の奥底では、まだ何かが燻っているような気がしてならない。
 先ほどと同じように、湯に浸かっているというのに、全身に震えが上がって来る。
「俺は………」
 丈瑠は何かを封じ込めるかのように、目を瞑って身体中に気を込めた。


 丈瑠が風呂から上がると、控えていた黒子が丈瑠に、どれに着替えるかを問いかける。用意されていたものは、普段着と寝巻だった。寝巻が用意されていることに丈瑠が戸惑うと、黒子が説明する。
「爺が?」
 花見の席に来なくてもいい。疲れているのなら、お休みになられても。
 彦馬の心遣いは、しかし、丈瑠には別の意味にも取れた。
「稽古着を………」
 丈瑠がつっけんどんにそう言うと、黒子が慌てて別に用意してあった、藍染、刺子の剣道着と袴を差し出した。それらを着た丈瑠は、足袋も履いて、湯殿を出る。そのまま、丈瑠は自室の前の縁側に座って、草履に足を入れた。丈瑠が花見に参加しようとしていると思った黒子たちが、既に千明に食べ尽くされたために、丈瑠の分の食事を別に用意して持っていこうとしているのを見て、丈瑠は首を振った。
「花見はもう終わりだろう。爺に聞きたいことがあるから、行くだけだ。すぐ戻る。その後、稽古する」
 丈瑠はそれだけ言うと、庭の奥へと進んで行った。
















小説  次話







2010.04.28