春 愁  10





「殿ーー!!」
 流ノ介は目の前の丈瑠を抱えると、その場でアヤカシに背中を向けた。
 そんなことで、このアヤカシの攻撃から逃れられるはずもなかったが、流ノ介は、丈瑠にこれ以上の傷を負わせたくなかったのだ。それで流ノ介自身がどうなろうとも、構わなかった。

 殿!申し訳ありません!!

 流ノ介は、腕の中に丈瑠をひしと抱き込みながら、心の中でそう叫んだ。
 流ノ介を無傷のままにしておきたいという、丈瑠の気持ちに応えられなかったことに対してか。
 それとも、家臣として丈瑠を守り切れなかったことに対してなのか。
 あるいは………怪我が酷ければ、流ノ介はこの後、シンケンジャーとして闘えなくなるかも知れない。それに対する詫びだったのだろうか。

 二人を襲うアヤカシの攻撃。
 その時、稲荷神社の境内の中に、ざわっと風が巻き上がり、木の葉が舞った。

 カン!カン!カン!カン!

 金属的な甲高い音が、狭い境内に響き渡る。
「!?」
 流ノ介の身体を襲うはずのアヤカシの鋼鉄の針。しかし、いつまでたっても、アヤカシの攻撃は流ノ介を傷つけることはなかった。流ノ介が顔を上げると、今度は唸るような低い風切り音が聞こえてきた。
「………えっ」
 丈瑠を抱きかかえたまま、流ノ介が振り返ると、そこには緑色のスーツの背中が見えた。
「千明!」
 シンケングリーンが流ノ介とアヤカシの間に立ち、ウッドスピアを自分の前で高速回転させて、アヤカシの攻撃を防いでいたのだ。思わず流ノ介から深い安堵のため息が漏れる。







 アヤカシは、全ての針をシンケングリーンに弾かれ、忌々しそうに地団太を踏んだ。流ノ介の姿かたちでそれをされると、見ている方は、とても妙な気分になる。
「なんなんだ!お前はーーー!!」
 アヤカシはそう叫んでから、初めて何かに気付いたように、首を傾げた。
「待て………よ?まさかお前は、シン………えっと??シンケン…ジャー………か?」
 まるでシンケンジャーの存在など忘れていたとでも言うような、アヤカシの口ぶり。少なくとも、この言葉から言えることは、このアヤカシは、丈瑠や流ノ介がシンケンジャーであることを知らなかったのだ。
「何故、シンケンジャーがこんな所に………」
 そしてアヤカシは、今、目の前にいるシンケングリーンだけが、シンケンジャーだと思っているのだろう。自分が今、シンケンレッドとシンケンブルーを追い詰めていたことも知らずに。
 シンケンジャーが現れたことに慌てるアヤカシに、シンケングリーンも呆れる。
「はっ?それこそ、何を今更だ!馬鹿アヤカシ!」
 シンケングリーンはそう叫ぶと、回転させていたウッドスピアをアヤカシに向かって突き出した。ウッドスピアがもの凄い勢いで、アヤカシに向かって伸びて行く。ウッドスピアはアヤカシの腹部を直撃し、アヤカシを本殿の階段まで吹き飛ばした。
「ぐへえっ」
 流ノ介の声で、無様なうめき声がする。それを聞いたシンケングリーンが、ついでとばかりに残っていた数匹のナナシも、ウッドスピアで叩きのめす。
「ぐわっ」
「うっ」
 ナナシを全て倒したところで、シンケングリーンはウッドスピアを脇に立てた。

「なあ」
 シンケングリーンは、倒れたアヤカシに注意を向けたまま、自分の背後で丈瑠を抱きかかえ跪いたままの流ノ介に、話しかけた。
「本当に、あのアヤカシ、お前の顔してんだな。声まで同じだぜ?」
「………それが、どうした」
 この状況での流ノ介への第一声が、これなのか。他に言うべきことがあるのではないか!?そう思う流ノ介が、憮然として応えるのを聞いたシンケングリーンは、マスクの下でにやりと笑った。
「いやあ。ここに来るまでの間に、黒子ちゃんが、丈瑠とアヤカシの戦闘の様子をショドウフォンに実況中継してくれてたんだけどサ………」
 シンケングリーンが肩をすくめる。
「流ノ介の顔したアヤカシってどんなんだよ、って思いながら、ここに駆け付けた」
 シンケングリーンのお気楽な発言に、流ノ介の頭にカッと血が上る。
「ちあきぃぃぃーーー!!お前!それなら、もっと早く来れなかったのか!!!」
 丈瑠との悲愴なやり取りも、丈瑠のこの負傷も、もっと早くに千明が駆け付けてくれていれば、なかったかも知れないのに。つい、そういう方向に思考が行ってしまう流ノ介。
「………ってか、化けてるの、顔と声だけじゃねえよな」
 しかしシンケングリーンは、流ノ介の怒りを受け止める気もない。
「あれ。あいつの着てるの、俺たちが爺さんに招集かけられた時に、流ノ介が着てた歌舞伎の衣装だろ?」
 流ノ介は、その言葉に、あのアヤカシを見た時の驚きを思い出す。

 そうだ。
 あれは、私が父さんと初めて連獅子と舞うことが決まって、それでやっと着ることが許された、池波家の大事な………

 古い記憶に浸ろうとしていた流ノ介だったが
「なあなあ。あのアヤカシがお前に化けてるのはともかく。何であいつ、一年以上も前のお前の格好してるんだ?」
 すぐにシンケングリーンの言葉に、現実に引き戻される。
「えっ?」
「前にもいたじゃんか。似たようなアヤカシが。ほら………ナリスマシ…とか?」
 吹き飛ばされたアヤカシが立ち上がって来るのを、慎重にみつめながら、シンケングリーンは話を続ける。
「あ、ああ。いたな。お前にそっくりに化けたアヤカシが」
「あいつの作戦、結構、俺には効いたんだよね」
 アヤカシが頭を振っているのを見ながら、シンケングリーンは再び、ウッドスピアを構えた。
「だけど、変じゃないか?今の流ノ介の格好を真似るなら判るけど、あいつはそうじゃない。それで、化けたのが一年以上も前のお前の姿で、挙句に、お前がいるところで、お前に化けて、何か意味ある?」
「………そう言われれば」
 流ノ介は、改めてアヤカシを見つめた。
 確かに千明の言う通りだ。アヤカシの狙いがわからない。でも、アヤカシは先ほど丈瑠に言っていなかったか?用があるのは、丈瑠ではない、と。狙われているのは、やはり流ノ介なのだ。でも、そうだとしたら、何故、アヤカシは流ノ介の姿かたちになる必要があるのか。
「よくわかんねーけど………あいつ、ただ流ノ介に化けているんじゃなくて………」
 考え込む流ノ介の頭の上から、シンケングリーンが呟く。流ノ介がシンケングリーンを見上ると
「例えば、お前の………記憶とか、読んでるんじゃね?」
 シンケングリーンがどこか言い難そうに付け足した。
「えっ」
 流ノ介が驚いたように、目を見開くと
「だって、そうでなけりゃ、一年前のお前になんか化けられないだろ?俺だって、あのアヤカシ見るまで、お前があんなの着てたこと忘れてたぜ」
 千明の言うことは、もっともだった。
「あのアヤカシ。ナリスマシとか、そういう単純な奴には思えない」
 千明がそう言った時、立ちあがったアヤカシが、ふいに顔を上げた。
「………ナリスマシだと?」
 アヤカシはそう呟くと、口の端を上げて嗤う。
「あんなピエロと私を一緒にして欲しくないな」
 アヤカシは、あくまでも流ノ介の振りをする。それを苦々しい顔で睨む流ノ介。

 もしアヤカシが流ノ介の記憶を読んでいるとしたら、それこそ、先ほどの新太郎や勘助のことも知れてしまうだろう。それだけでなく、流ノ介の家族のことも。それは、とても危険なことだ。
 千明もそれを真っ先に心配したからこそ、言い難そうだったのだ。千明はかつて、友人を外道衆との闘いに巻き込んでしまったことがある。あの辛さは、筆舌に尽くしがたいものがあった。

「この場でやっつけないと、こいつ、やばいのかも」
 この戦闘で決着をつけられずに逃がしてしまったら、このアヤカシは、流ノ介の家族や友人たちを狙いはしないだろうか?
 千明はそういう不安に駆られる。
「とぉりゃぁぁぁーーーーー!」
 千明は、アヤカシに向かって、ウッドスピアを突き伸ばした。
 しかしアヤカシは、
「私は、誰かになりすましている訳ではない!」
 そう叫んだかと思うと、その姿をふうっと空間に溶け込むように歪ませていく。ウッドスピアの攻撃は、虚しく宙を突く結果となった。
「えっ!?ま、待て!!」
 アヤカシのいた場所に駆け寄ろうとしたシンケングリーンだったが、途中で間に合わないと踏んで、今度はモヂカラを込めて、ウッドスピアをアヤカシの居た空間に向かって、激しく突き立てる。しかしそれが届く前に、アヤカシの姿は霧散してしまった。
「あぁ!くそっ!!逃げるなよ!!」
 叫ぶシンケングリーンに向かって、どこからか流ノ介の声が降って来る。
「面倒は御免だ。オレ様はシンケンジャーの相手なんぞするより、楽しく未練を吸い取っていたいんだ。やはり、あっちの方がいいようだ」
 アヤカシはそんな言葉を残して、稲荷神社の境内からあっさりと消えていなくなった。






「ちっきしょーー!!逃げられちまった!」
 アヤカシが消え、ナナシも全て退治し、静けさを取り戻す稲荷神社の境内。千明の叫びだけが、虚しく響く。

 シンケングリーンから変身を解いた千明は、しかし、どうにも気になることがあった。
「あっちの方がいい?未練を吸い取りたい?」
 境内の真ん中に立って、千明はアヤカシの消えた空間を睨んだ。
「あっち………ってどこだよ?それに………未練…?」
 千明の頭の中では、何かがイメージとして形を成そうとしていた。千明は顎に手を当てて考えながら、背中を振り返る。

 流ノ介の腕の中で気を失っている丈瑠。その丈瑠の周りに黒子たちが集まってきていた。黒子たちは、流ノ介から丈瑠を受け取ると、手当てがしやすいように、身体の向きを変えていた。未だに丈瑠の腕からは血が滴り落ちてくる。黒子たちは、丈瑠の服を斬り裂き、とりあえず止血を始める。その傍に、真っ青な顔で立つ流ノ介。

「一年前の流ノ介………に化けたアヤカシ………」
 千明は、黒子たちの手当の手際の良さに目を見張りつつも、流ノ介からも目が離せなかった。
「未練を吸う………未練って、………流ノ介の、か?」
 歌舞伎の衣装を着けた流ノ介。その姿を思い浮かべながら、千明は苛立たしそうに、指を噛む。
「………ったく」
 考え込む千明の表情は険しかった。

 やがて、この場でできる手当てが終わったのか、黒子たちが立ち上がる。その腕には、意識が戻る気配もない丈瑠の姿があった。まるで死体のようにぐったりと黒子の腕に抱かれる丈瑠。その上半身は右腕もろとも、包帯でぐるぐる巻きにされていた。その上から、上着を掛けてはいるものの、白い包帯が、この期に及んでも、どんどん赤く染まって行く様は、丈瑠の怪我が今までになく酷いものであることを物語っていた。
 黒子に抱かれた丈瑠を覗き込みながら、黒子と共に移動する流ノ介。それを見ていた千明は、唇を噛んだ。
「………流ノ介」
 千明は、既に千明になど目もくれず、丈瑠に付き添う流ノ介に声を掛ける。
「ちょっと待てよ。流ノ介」
 流ノ介が、顔を上げた。それと共に、黒子たちの足も止まる。それに千明が首を振った。
「黒子ちゃんたちは、丈瑠を早く連れてって!」
 千明がそう言うと、黒子は微かに戸惑いを見せたがすぐに頷いた。その横で、流ノ介が硬い表情で千明を睨む。
「爺さんにも、先に連絡入れといてよ!!」
 神社の境内から去って行く黒子たちの背中に、千明は声を掛ける。そんな千明を、流ノ介は黙って見ていた。

 黒子たちの姿が見えなくなったところで、千明は流ノ介を振り返った。
「流ノ介」
「なんだ」
 待ち構えていたかのような、けんか腰の声音。その流ノ介の様子に、千明が肩を竦める。
「あのさ、お前も………家に帰れよ」
 しかし千明の言葉は、流ノ介の予想とは異なった。流ノ介が眉を寄せる。
「………家?だから志葉のお屋敷に」
「志葉の屋敷には、当分、来るな。お前の………池波の家に帰れ」
 その瞬間、流ノ介の顔色が変わる。
「ちあ…」
「戦闘にも、絶対に来るなよ」
 千明の声も硬かった。
「千明!!お前!」
 流ノ介がまなじりを上げて、千明の胸倉を掴もうと腕を伸ばす。しかし千明は、その腕を振り払った。
「わかってんだろ?今日の丈瑠のあの怪我は、お前のせいだからな」
 さらっと告げる千明。しかしその残酷な言葉は、流ノ介の胸に深く突き刺さった。
「そ……それは………」
 さすがの流ノ介も、それ以上は言葉がでなかった。唇を噛みしめて、横を向く流ノ介。そんな流ノ介に千明はため息をつく。
「お前が悪い訳じゃない………けど、丈瑠はああいう奴だから………」
 千明だって、それくらいは判っている。千明も流ノ介と同じ想いを抱いているのだから。
 千明の思いがけない言葉に、流ノ介が逸らしていた顔を戻した。流ノ介の、その切ない表情に向かって、千明はそれでも言うしかない。
「お前がいたら、丈瑠はまともに闘えない。お前を守ることにばかり気が行ってしまう。それで結局、ああいうことになっちまう」
「いや!だから、それは!!」
 言い訳しようとする流ノ介。しかし千明は、それに首を振って応えた。
「………千明!!」
 言い訳したくても、なにをどう説明したらいいのか。そんな流ノ介の顔を、千明は見ているのが辛かった。
「聞いたよ。黒子ちゃんからの実況中継でさ」
 千明は、ショドウフォンを取り出すと、それを手の中で弄ぶ。
「お前が丈瑠に………歌舞伎捨てるって言ったことも………」
 呟くように言う千明に、流ノ介が慌てて頷く。
「そ、そうだ。聞いていたなら話は早い!だから、もう私は舞台のことは気にしなくて良いのだ。別に怪我をしても構わないし……」
「だから!!」
 流ノ介の言葉を遮って、千明が叫んだ。
「お前はそうでも、丈瑠はそう思わねえんだよ!」
「………」

 全てはこれが元凶。
 流ノ介にも分かっている。丈瑠に言葉を尽くして言っても、理解してもらえない。いや、丈瑠の場合は、頭で理解しないのではなく、その想いを受け取って貰えないと言った方が正しいだろうか。
 そうと分かってはいても、それでも、流ノ介は丈瑠に言わずにはいられない。丈瑠に分かって貰いたいから。自分の中で一番大事な、この想いを。

「丈瑠は、お前が闘いに出てきたら、闘いよりお前が気になっちゃうんだろ」
 流ノ介の熱い想い。
 そして、その流ノ介の気持ちを、決して受け取ろうとしない丈瑠。
 いつまで経っても繰り返される、馬鹿馬鹿しい構図。それは千明も、痛いほど分かっている。丈瑠を前にすると、本当は千明も、言いたいことが言えなくなるのだから。流ノ介と同じように、自分の思いも受け取って貰えないだろうことが、容易に想像できるから。
「世の中を、人々を守る志葉の殿さまだから………な。ある意味、仕方ないのかもしれないけど…な」
 丈瑠の身に沁みついた頑なな想いは、自分以外の全てに向けられている。そして結局、丈瑠はいつも一人なのだ。あくまで独りきりで闘おうとするのだ。
 あれほど硬く、互いの絆を確認しあった後であるにも関わらず。
「そうじゃない!!」
 流ノ介は、そんな丈瑠が哀しくて辛くて。
「私は、侍だ!守られる側ではなく、守る側であり、むしろ私こそが、殿を守る位置にいるべき者ではないのか!?我々だけは、殿の側にいる者のはずだ!!」

 そう信じているのに。
 それが己に課せられた宿命だと、思っているのに。
 それは、流ノ介だけではなく、千明も。そしてきっと、茉子やことはだって、そうだ。

「だから、丈瑠はそう思ってないんだってば!!」
 千明が悔しそうに叫ぶ。

 丈瑠が、そう思っていないと言うならば。
 それならば、志葉家の家臣として育ってきた自分たちは、どうしたらいいのか?
 志葉の当主を助け、守り、志葉家と共に生きて行くはずの自分たちは………?

 そして、志葉の当主であろうとなかろうと、丈瑠に生涯かけて仕えると、この人になら命を預けられると誓った、流ノ介の熱い想いは?
 丈瑠だけを認めて、丈瑠を超えたくて、だからこそ、丈瑠に家臣として仕えると決めた、千明の心の底からの想いは?







「流ノ介」
 千明が、どうしようもないと首を振る。
「とにかく、お前は家に帰れよ」
 流ノ介が、唇を引き結び、黙り込む。
「もしかしたら………アヤカシがお前の家とか襲うこともあるかも知れないし………」
 流ノ介が眉を寄せて、千明を睨んだ。
「お前が池波の家を守っていると言えば、丈瑠も落ち着いていられる」
 千明のその提案に、流ノ介は視線を落として、微かに首を振った。あまりにも不本意で、納得できない。それでも今は、そうするしかない。流ノ介の苦渋の決断だった。


 肩を落として境内から出て行く流ノ介。
 その背中を見送る千明の表情も、暗かった。











小説  次話






2010.10.23