春 愁  12





「結局………」
 千明の頭が俯く。
「俺たち………丈瑠に信用されてないんだ」
 千明の呟きに、彦馬は目を見開いた。
「千明、そんなことはないぞ」
 言いながら、千明の横に屈みこむ彦馬。千明の背にやろうとした彦馬の手は、しかし
「あるんだよ!」
 鋭い声に宙に留まった。
「………千明?」
 つい今しがたまで、丈瑠のことをただひたすら心配していた千明の突然の変化に、彦馬は戸惑った。そんな彦馬を余所に、俯いたまま、悔しそうに頭を振る千明。
「だけど………だけど………」
 千明が、絞り出すような声で呟く。
「悔しいけど………その通りなんだ」
 千明が何を言いたいのかわからない彦馬は、千明を見つめるしかなかった。

 やがてため息とともに、千明がゆっくりと顔を上げる。そして間近の彦馬を見つめた。
「確かに、俺も流ノ介も………丈瑠が信用できるレベルにない」
 相変わらず涙もろい千明。その潤んだ瞳に、彦馬は堪らない気持ちになる。
「千明、どうした?お前たちは、ドウコクとの闘いで十分に強くなった。殿もそれは認めておられ」
「違う!」
 しかし彦馬の慰めは、千明の鋭い声に遮られた。
「俺が言ってるのは、モヂカラとか、剣の強さとか………そういうことじゃない」
 千明が力なく首を垂れた。
「それは………覚悟なんだ」
 目を見開く彦馬。
「覚悟?」
「丈瑠が………一番初めに会った時から丈瑠が言っていた………覚悟………なんだ」

 千明や流ノ介、茉子、そしてことはが、初めて丈瑠に会った時。
 開口一番、丈瑠に言われたこと。
 それは、『覚悟』だ。
 外道衆と闘う覚悟。後戻りのできない闘いに足を踏み入れる覚悟。

『家臣とか忠義で選ぶな』
 高い馬の上から、とてつもなく冷たい表情で見下ろしながら
『覚悟で決めろ』
 突き離すような声音で、丈瑠は侍たちに言った。

「だから………」
 彦馬が低い声で応える。
「お前たちはその時、覚悟で選んだのだろう。侍になることを。あの時、覚悟したではないか」
「今思えば、全然、なっちゃいない覚悟だったけどね」
 千明が自らを嘲笑するように呟く。
「爺さんだって分かってんだろ?あの時、俺がした覚悟がどんなにちゃっちいもんだったか」
 その覚悟をした翌日にはもう、盛大に後悔をする程度の覚悟だった。闘いというものを全く理解せず、厳しい丈瑠の態度に文句を並べたてていたあの頃。丈瑠がそんな態度を取らねばならない理由など、頭の片隅にも思い浮かばなかった。
「それでも、お前たちは覚悟をしたはずだ。そして、殿もそれを認められた。そうでなければ、共に闘うことはできなかったはずだ」
 千明は薄ら笑う。
「何言ってんだよ、爺さん。俺たちと一緒に闘うこと、最初、丈瑠は嫌がっていただろ。まあ、そうだよね。今ならはっきり分かるよ」
 そのまま千明は唇を噛みしめた。
「あの時の俺たちなんて、丈瑠にとっちゃ、足手まとい以外の何者でもなかった」

 もう既に、立派な侍であるはずの千明。
 志葉家とシンケンジャーが何代も倒せなかった血祭ドウコクを倒した、歴代屈指のシンケンジャーの一員。
 そんな千明の駄々にも似た弱音に付きあっている暇はない。奥では丈瑠が苦しんでいるというのに。
 そう思う心もどこかにあったが、それでも彦馬は千明の傍から立てなかった。

 彦馬は大きく息をついた。
「そうだな。お前たち………いや、千明。お前がこの志葉家の門を初めてくぐった頃、お前は本当にどうしようもなかった」
 わざわざ千明を限定しての話に、千明は顔を歪めた。
「モヂカラもなければ、剣の腕もない。侍としての躾すらなっていないと嘆いていたら、それどころか、殿に仕える気持ちすらなく、もちろん闘いの覚悟もなかった」
 まさに言われたままの自分が、千明の脳裏に蘇る。
 その姿は、今の千明から見ても、どうしようもない家臣だった。当時の丈瑠には、いない方がましだと思われていたに違いない。あの頃、丈瑠に何度も言われた『侍失格』という言葉が、頭の中を駆け巡る。千明は思わず瞳を閉じた。
 今、あの当時とレベルは違うにしろ、丈瑠は同じ想いを抱いている。千明や流ノ介に対して。千明はそう思う。
「だがな」
 そんな千明の思考を、彦馬の声が遮る。俯いていた千明が顔を上げ、彦馬を見つめた。
「お前たちがいなければ、ドウコクは倒せなかった」
 低い声で静かに語られる言葉。
「………えっ?」
 彦馬は頷く。

 丈瑠と全く異なる資質を持った侍たちがいたからこそ、誰かが挫けそうになった時でも、互いに助け合えた。ただ強ければ良いというものでもない。例えば、圧倒的な力を持つ丈瑠が五人いたとして、それで果たしてドウコクは倒せたのだろうか。
 様々な性格、考えを持った五人が丈瑠を支えてくれたからこそ、ドウコクを倒すことができたのではないか。シンケンレッド抜きのシンケンジャーは考えられないと丹波は言った。だが、その反対も言えるのではないか?シンケンレッドの戦闘能力を補うためだけの家臣、シンケンジャーではないのだ。
 彦馬は今、身に沁みてそれを感じている。

「それは………そうかも知れないけれど」
 彦馬の顔をじっと見つめていた千明が、暫くしてそう呟いた。それに彦馬は安堵した。

 今までも、これからもずっと………侍たちには、丈瑠を支えて行って欲しい。
 それが彦馬の望みだ。丈瑠がどれほど強くなろうと、それは変わらない。
 いや。ひと月あまり前、花見の折りに流ノ介が言っていたように、丈瑠が強くなればなるほど、家臣としての侍。その重要性は増してくるのかも知れない。

「でも、俺たちがそこに至るまでに、丈瑠がどんだけイラついてたか」
 千明が彦馬から視線を逸らす。
「今なら分かる。あの時、丈瑠が求めていた覚悟ができてる『今』なら、そういう覚悟のない奴と一緒に闘うのが、どれだけ苛立たしいか。そして、どれだけ危険か」
 悔しそうな千明。負けず嫌いの千明が、ここまではっきりと言葉にしてしまうことに、彦馬は驚きを感じた。
「千明。それならば、やはり覚悟はできているということではないか。少なくとも『今』は」
 言いながら彦馬は思う。千明にここまで言わせているのは、何なのだろうか。丈瑠が闘いの場で、何か言ったのだろうか?しかし、黒子たちからそういう報告は上がって来ていなかった。彦馬の殊更に優しげな表情とは対照的に、険しい顔の千明が首を振る。
「一年前の丈瑠が求めていた覚悟なら、今の俺たちにもできている………かも知れない」
 彦馬の怪訝そうな顔に、千明がきっぱりと言い切った。
「だけど、今の丈瑠が求めている覚悟は、一年前とは違う」

 千明が彦馬を見返してくる。突き刺すようなするどい眼差しで。
「………それは………」
 彦馬にも、思い当たることがあった。
 丈瑠は、ドウコクとの闘いの後、何度か口にしている。一年前とは違う、と。そして、その頃からずっと探り続けているのだろう。侍たちとの新しい関係性を。
「そうか。一年前、お前たちがシンケンジャーになった時の覚悟とは、違う覚悟が必要か」
 千明が頷く。
「ドウコクがいない分。明確な危機が見えない分。一年前とは違う、だけどもっときつい覚悟が………いるんだ」
 彦馬のひそめた眉も知らず、千明はさらに続けた。
「爺さんや黒子ちゃんたちには、既にできている覚悟なんだと思う。十七代目当主の時代からずっと………闘うためだけに志葉家に仕えてきた人たちには、当り前のようにできている覚悟………」







 私心を捨て、日常を捨て、自らの家族も友人も捨てる。
 外道衆からこの世を守るため
 志葉家以外の全てを捨てて、ただ志葉家にのみ尽くす。




「それが、本当のシンケンジャーってもんだろ」
 淡々と語る千明。
 それは、志葉家に仕える者の理想の姿。
 よもや千明から、このような言葉が聞ける日がくるとは、夢にも思わなかった彦馬だ。
「………千明。まさしくそうだ」
 驚き半分、嬉しさ半分の彦馬。
「しかしな」
 彦馬は思わず千明の頭に手をやった。
「今はドウコクも亡い。それほど厳しいことを望みはせんぞ」
 にこやかな顔で応えた言葉は
「爺さんも甘いよな」
 千明に冷たい声に、一刀両断される。目を見開く彦馬を、千明は睨みつけた。
「今の丈瑠は、そんな所にはいない。そんな甘っちょろい侍なんか、丈瑠はもう必要としていない」
 


 死ぬか生きるかの闘いの中にある時よりも。
 闘いと闘いの狭間。
 その長く続く、倦むような時をどう生きて行くかの方が、大変なのかも知れない。

「ドウコクを倒したんだからって………もう全てを終わったことにしてしまえれば、いいよな」
 頭に乗せられた彦馬の暖かな手を、千明はそっと外す。
「でも、ドウコクの最期の捨て台詞………爺さんも聞いていただろう?あれが、外道衆と志葉家の全てだ。三途の川の隙間は開いたまま。閉じることはない」
 つい数ヶ月前のことだ。千明に言われるまでもなく、彦馬が忘れるはずない。
「姫も言われておられたな。三途の川がある限り、志葉の当主は必要、と」

 ドウコクを倒して終わりではない。
 三途の川は、この世とあの世の境界だ。この世が存在する限り、存在し続ける。その三途の川で外道衆が生まれることも、自然の道理の一部なのだ。止めることはできない。
 それでは、三途の川とこの世を繋ぐ隙間を封じる法はあるのか。封じてしまえば、外道衆がこの世に来ることはなくなる。しかし、死者もあの世に逝けなくなってしまうだろう。三途の川とこの世が繋がる隙間を封じることなど不可能なのだ。
 そうとなれば、外道衆が隙間を通してこの世に出てくることは、この世が在る限り続くということになる。外道衆との闘いが永遠のものだという証だ。

 この世を、そこに住む人々を守るには、今、目の前に存在する外道衆を倒すだけでは、だめなのだ。
 闘いの激しさに波があろうとも、いつかまた、外道衆の勢力が増大する時に備えて、時の彼方にまで志葉家を繋げることこそが、未来の外道衆との闘いの備えになる。
 『志葉家と家臣の侍の家を存続させていく』
 目の前の敵との闘いとは別の意味で、これもまた、志葉家の厳しい闘いのひとつなのだ。



「だからこそ爺さんだって、丈瑠を影武者に仕立てる策に乗ったんだろ」
 彦馬の耳に、千明の言葉が突き刺さる。
「十七代目当主が亡くなっても、十八代、十九代、二十代、三十代………志葉家は続かなきゃならない。そのためには、どっかから連れてこられた丈瑠のような子供がどうなろうとも仕方ないこと。志葉家の血を引いた実の子が、生涯を影に隠れて暮らすことになろうとも構わない。とにかく志葉家を存続させるためには、どんな手も使わざるを得ない」
 そこまで言った時、何故か千明の目は、座敷に飾られた赤い鎧兜に引き寄せられるように向かった。

 毎日のようにここに座っていた日々には、気にしたこともなかった鎧兜。武家屋敷の飾りにしか思えなかったそれが今、妙に気になった。その鎧兜が、自分に向かって何かを語ろうとしているようにすら思えた。
 志葉家に長く伝えられてきた当主のための真紅の鎧兜。歴代の当主と共に戦闘の場にあり、文字通り、当主の汗も血も吸って来た鎧兜には、歴代当主の深い想いが宿っているのかもしれない。
 そしてまた、この座敷に集う幾代ものシンケンジャー達を、その悩み苦しむ姿を、鎧兜はずっと見つめてきたのだろうか。

「残酷に思えることでも、外道衆からこの世を守るためには、しなければならないことだったんだろう」
 そして、この真紅の鎧兜が見てきた志葉家とシンケンジャーの悩みや苦しみは、外道衆との実際の戦闘に直結することばかりとは限らなかったに違いない。もっと違う闘いをも、見てきたのではないだろうか。それを今、千明は当り前のこととして、驚くほどすんなりと受け入れることができた。
「闘いの最中では心情的に許容できても、平和な時には残酷にしか映らないこと。それでも志葉家を存続させるためには、やらなきゃならない。そういうことも、いっぱいあったんだろうな」
 三百年の間には、後ろ暗い、陰謀めいた策が話し合われたことも、幾度となくあった。千明には今、その光景が見えるような気すらした。歴代の当主の前で、取りつく島もない冷たい顔の家令が告げる言葉に、過去のシンケンジャー達が反発したこともあっただろう。
「そうまでするのか………なんて批評できちゃうのは、遥か未来にまで責任持つつもりのないお気楽な………俺みたいな奴なんだろうな」
 そう言う千明の横顔は、今までとは違った。そこにいるのは、子供っぽい、やんちゃな千明ではない。はるか江戸時代にもいたのだろうシンケングリーンを担う侍。まさしく、それだった。
 柔らかな頬に幼さが残るけれども、青年に向かおうとしている端正な横顔。何もかもを見抜くような鋭い眼差し。谷千明は今、今までいた世界から抜け出ようとしているのかも知れない。
「丈瑠の影武者だって、やらねばならないことだった………のかな」
 ぽつんと呟かれた言葉。それを聞いた彦馬の胸に、せりあがってくるものがあった。それは千明の成長に対する嬉しさばかりではなかった。彦馬はそっと視線を落とす。聞いていられなかったのだ。


 十七代当主・志葉雅貴と丹波が仕組み、彦馬が実行してきた『一世一代の策』。
 それが幼かった丈瑠にとって、どれほど酷なものであったのか。それが胸に迫って来る。
 後悔しても、し尽くせない彦馬の思い。丈瑠に対する想い。それでも、十七年前に戻り同じ選択を迫られたら、彦馬はどうするのだろうか。

 その答えこそ、丈瑠が今、侍たちに求めている覚悟なのかも知れない。









小説  次話






2013.03.16



ううっ(ToT)
ご無沙汰過ぎて申し訳ありません。

銀英伝と、どっち更新しようかと思ったのですが………
もう今更なので(銀英伝は時事ネタのつもりだった)
時系列に沿った方を更新しました m(__)m

いまや、来月には
「ヘンリー四世」
来年には、銀英伝と同じ青山劇場で
「真田十勇士」
まで決まり、なんともはや、時の流るるは………orz