春 愁 14「なあ、爺さん」 千明の声に、彦馬は長い回想から我に帰る。 「爺さんももちろん、丈瑠の影武者はやらねばならないことだって………納得ずくだったんだよな」 まさに今しがた、思い返していたこと。 「………そうだな」 しかし彦馬は歯切れ悪かった。 「小さかった殿には……そうお教えした。殿が志葉家当主を担われるのは、この世を守るためには不可欠なこと、とな」 それでも、全てに納得ずくだったのかと問われて即答できるほどに、丈瑠を育ててきたこの十七年は単純なものではなかった。 「いや……わしがお教えしなくとも、殿はご自分がそういう立場にあることを志葉家に入られた時点で……既に受け入れておられたがな」 五才にもならぬ子供に、影武者を受け入れるも何もないだろう。丈瑠の真っ白な心に、自らのあるべき姿として彦馬が刷り込んできたもの。それは道理のわかる大人から見れば、理不尽、憐れとしか言いようがないものばかり。 それは分かっていた。彦馬にも、黒子たちにも。それでも、そう教え込まねばならなかった。それを、丈瑠の芯としなければならなかった。 志葉家家臣の誰一人として、納得ずくで影武者の策にのった者などいない。しかし影武者の策に異論あったとしても、それを呑み込むしかなかった。そうやって志葉家家臣が一枚岩にならない限り、シンケンジャーのいなくなった志葉屋敷で、外道衆に対抗しながら幼い丈瑠を守り育てることはできなかったのだから。 もちろん影武者の策にどうしても賛同できず、志葉家を去った者もいる。しかし、そんな彼らを責めることのできた者は、当時誰一人としていなかった。 千明は、重苦しい表情の彦馬をじっと見つめる。 「でも、すっげー辛かったんだろうな。誰もが、さ」 思いがけない千明の言葉に、彦馬が驚いて顔を上げると、その彦馬の視線から逃れるように、千明は顔を暗い天井に向けた。 「命令する殿さまと実行する家臣との関係だって、いろいろ…難しくなる………よな。相手が俺みたいな、似非正義を振りかざす家臣だったら………なおさらだろうし」 当時の彦馬や黒子たちの思いを知るかのように、千明は続ける。 「そういうことを呑み込んででも志葉家に仕え続ける覚悟が、志葉家家臣には必要なんだよな」 『影武者の策』 志葉家と何の関係もない幼い子供に、外道衆との闘いに向き合わせる。志葉家の宿命を押し付ける。 その残酷さ、辛さに耐え、納得すらしていなくても、為さなければならないことがあったのだ。それを実行してきたのが、志葉家に仕える者たちだ。 そしてまた……… 「そういう意味ではさ。志葉家以外の全てを捨てて、志葉家にのみ尽くす………ってのは、志葉家当主が一番そうなんだろうな。選択の余地もなく、ただ志葉家の掟に従って生き、死んで行くしかない。例え平和な時代でも、自分のやりたいことひとつせずに」 志葉の当主とは、平和な現代においても、血みどろの戦国時代を生きているようなものなのだ。時を超え、ひとり闘いの闇と向かい合い続けねばならない。ただ闘いにのみ生涯を捧げねばならない。 そして、そんな悲愴な宿命を抱えた当主を支えて行くのが、志葉家家臣の役目なのだ。 はるか三百年の昔から、それは今も変わることがない。 千明は今初めて、理解できた気がした。 シンケングリーンである自分という存在を。その存在の意味を。 流ノ介が『家系図の上の自分』という言い方をしていたのを千明は聞いたことがある。まさに今、千明はそれを自らのこととして実感した。 そういう視点で見ると、一年前に侍たちが招集されてから繰り広げられた闘いは、ドウコクと丈瑠、その家臣である千明や流ノ介たちの闘いではなかったのだ。 あの闘いは、志葉家とシンケンジャーの、外道衆に対して連綿と続く闘いのほんの一部でしかなかった。自分だけを中心に考えていたら、こう言われてもその意味がわからなかっただろう。 今だけ勝っても意味がない。三途の川から外道衆は生まれ続けるのだから。強い外道衆が存在する時も、そうでない時もある。どちらにしろ、闘いは永遠に続く。平和な時と言うのは、たまたま外道衆がこの世に出てこないだけのことでしかない。 いや。むしろ闘いは終わらせてはならない。永遠に続かせなければならない。何故なら、外道衆が全滅することがないのであれば、この世が三途の川に呑み込まれるという外道衆の勝利でしか、この闘いは終わり得ないのだから。 だから、この世を守る唯一の術(すべ)とは、外道衆と永遠に闘い続けること。 これこそが、外道衆との闘いの真実だ。 十七代目当主 志葉雅貴だけが、外道衆と勝てない闘いを続けていた訳ではない。外道衆との闘いとは、そもそも勝てるはずのない闘いだったのだ。 千明は思わず身震いをした。 志葉屋敷を去る際に、薫が言い置いて行った言葉。 「ドウコクを倒したとはいえ、三途の川がある以上、志葉の当主は必要」 しかしその意味をここまで深く考えたことが、千明にはなかった。 ドウコクも言っていた。 「俺がいなくなっても、お前らもいつか泣く時が来る。三途の川の隙間は開いているぜ」 志葉家の者ならば、知っていて当然の事実。 しかしそれを実感として捉えたのは、今が始めてかも知れない。 外道衆との闘いは、終わりのない闘い。果てしない闇の中を永遠に彷徨うようなもの。 自らの命がついえても次の世代がそれを引き継ぎ、輪廻の輪の中で永遠に闘い続ける。まさにこれこそを修羅と言うのではないのか。想像するだけでも、気が遠くなり、果てしない暗闇に身体が引き込まれて行くような錯覚に陥る。手足も自分のものではないかのように強張り、冷たくなっていく。 「なんだか怖いな」 そして、外道衆と闘えるのはシンケンジャーしかいないのだ。そう考えると今度は、責任の重さに押しつぶされそうな気持ちになる。今、目の前に敵はいないというのに、ただ想像するだけで、胃の奥から何かが込み上げてくる。堪らず、千明は口に手を当てた。 その手が微かに震えていることに気付いた時、千明は唐突に思い出す。 「………ああ……そっか。あの時の丈瑠の『ダメ』って………こういうカンジなのか」 千明が思い出したのは、昨年の晩夏。 まだドウコクと闘っていた頃のことだ。 無理やり入らせられたお化け屋敷から出た途端、丈瑠が冷や汗をかいて意識を失ってしまったことがあった。外道衆という、まさしくホンモノの化け物と闘っているのに、造り物のお化けがダメだ、怖いという丈瑠。その言葉通りの反応に、あの時の千明は苦笑いした。丈瑠の感性が理解できなかったからだ。 しかし今なら、千明はあの時の丈瑠が言っていた「ダメ」の意味が解るような気がした。 丈瑠がダメと言ったのは、化け物屋敷に入ることにより自らが陥ってしまう「気分」のことだったのではないだろうか。それは、千明が今感じているのと同じものだ。造り物のお化けそのものがダメなのではなく、それを見ていつも感じてしまう「ある気分」が、耐え難いものだったのではないだろうか。 丈瑠は幼い頃から、志葉家と外道衆との闘いの本質を捉えていたのかも知れない。 その頃の丈瑠が怖かったのは、実際に襲ってくるナナシでもアヤカシでもなく、永遠に続く、終わらない闘いの闇が怖かったのかも知れない。いや、実際のナナシもアヤカシも怖かっただろう。しかしそれらに対する恐怖は、自らが強くなることで成長と共に克服できた。しかし実態がなく、直接的に闘うこともできないからこそ克服できない恐怖もある。 今の千明でさえ吐き気をもよおすほどの、外道衆との闘いの闇の深さ。それへの恐怖を、幼少以来、丈瑠はずっと抱えてきたのだ。 そんな丈瑠の、いつ壊れてもおかしくない心を支えて続けてきたのが、彦馬や黒子だ。 考えれば考えるほど 「やっぱり俺や流ノ介には、志葉家の闘いへの覚悟がまだ理解できていない」 と千明は思う。 丈瑠が今、志葉家当主として在るのは、千明たちシンケンジャーが共に闘ったからでもなんでもない。丈瑠を支えてきたのは、千明たちシンケンジャーよりもよほど強固な意志と覚悟を持った志葉家家臣たち。つまりは、彦馬や黒子たちに他ならないのだ。 千明は再び、真紅の鎧兜に目をやった。 「俺も流ノ介も………戦闘には強くなったかもしれない。モヂカラも大きくなった。だけど今の俺たちは、ただそれだけだ」 こうなってみると、戦闘に強くなることなど、むしろ簡単に思えてくる。志葉家当主やその家臣たちが乗り越えなければならないものは、単純な強さなどではなく、もっと違うものなのだ。 きっと真紅の鎧兜は、それが何か知っているのだろう。三百年の長きに渡り、歴代のシンケンレッドを見て来たのだから。 「丈瑠にとって、今の俺たちは一般人と同じだ」 ただ厳めしいだけの鎧兜と思っていたが、こんな想いを胸に見ると、哀しそうにも見えてくる。自らの運命を受け入れて、ただ闘いにのみ生きるしかなかったのは、丈瑠だけではなかったのだろう。そしてそれぞれの時代の当主たちが、その宿命に立ち迎えたのも、当主を支える家臣がいたから。 「丈瑠とともに闘い死ぬ覚悟だったら。そんな覚悟なら、俺たちにだってある。でも、そんなものよりもっとずっと深い覚悟をしなきゃ、今の丈瑠に俺たちはついて行けない」 今思えば、千明が初めて丈瑠と会った時に言われた言葉。 『覚悟』 外道衆と闘う覚悟。後戻りのできない闘いに足を踏み入れる覚悟。 これは、終わりのない修羅の闇に足を踏み入れることを言っていたのか。 『覚悟で決めろ』 突き離すような声音で、侍たちに言った丈瑠。 実はあの時から、丈瑠はずっと同じことを言っていたのかも知れない。 丈瑠に言われた数々の言葉。 受け取る側の状態で、意味が変わってくる『覚悟』 初めて丈瑠にあった時にした、『シンケンジャーになる覚悟』 ふたつのアヤカシを倒した後に、丈瑠の闘いの姿勢に感じ入り、改めてした『侍としての覚悟』 そして、丈瑠に命を預けるに至った『丈瑠の家臣としての覚悟』 丈瑠が本当の当主ではなかったと知った後、それでも丈瑠に付いて行くと誓った『丈瑠に仕える覚悟』 全ての覚悟が、丈瑠の最初の問いに対する応えだ。 そして今、もう一段、高い『覚悟』が必要なのだ。 けれど、それに本当に応えられるのか。勢いでできる『覚悟』では、もうない。それは時を越えて求められる『志葉家家臣としての覚悟』 考え込む千明。 しかしこればかりは、彦馬も助け船を出すことはできなかった。 その時、黒子が二人、廊下に姿を現した。その手には、暖かい食事の乗った膳や盆があった。 彦馬はほっと息をつく。 「千明」 彦馬は立ち上がり、千明の背にそっと手を当てた。 「久しぶりの志葉家の夕食だ。お前の好物も用意させた。たくさん食べて、まずはその暗い顔をなんとかせい」 しかし千明は俯いたまま動かなかった。彦馬は苦笑いをする。 「それから風呂にでも入るが良い。お前たちが昔使っていた棟の風呂を用意しておくからな」 食事の膳を並べていた黒子が、それに深く頷く。 「お前の昔の部屋には布団も用意しておくから、今の話は、そこでまたゆっくり考えても良かろう」 これには千明もちいさく頷いた。 それを見た彦馬の表情も緩む。と同時に彦馬は、袴の裾を翻して廊下に出た。 予想以上に丈瑠の傍を離れることになってしまった彦馬だった。 既に彦馬の胸の内は、丈瑠のことでいっぱいだった。彦馬は丈瑠の寝ている部屋に急ぐ。 丈瑠の部屋への渡り廊下に差しかかったところで、丈瑠の部屋から出てくる人影が見えた。それが彦馬に気付き、慌てたように走ってくる。 「何?殿がうわ言でわしを呼んでおると?」 彦馬は焦った。 丈瑠が病に倒れたり、闘いに傷ついて寝込んだ時。今までにそういうことは何度もあった。けれどそのどの時も、彦馬はなるべく丈瑠の傍に居るようしていた。例え外道衆との戦闘がなくとも忙しい彦馬だったが、丈瑠の意識が戻った時、丈瑠が目を覚ました時、その視界に一番に自分がいることを心がけたのだ。 それは、丈瑠の最後の支えが自分以外にないと信じていたからだ。 彦馬は、丈瑠の部屋へと急いだ。 小説 次話 2013.05.19 やっと丈瑠に戻ってきました orz ところで、雑記にも書きましたが TAKE FIVE 5話 あまりに殿みたいな、切ない表情の晴登に きゅんきゅんしてしまいましたよ♪ 来週が待ち遠しい〜(^^) |