春 愁  16






 怪我に伏せる丈瑠の枕元で、丈瑠を見守る彦馬。
 さきほどのように不安定な精神状態の丈瑠を目の当りにすると、例え僅かな時間であっても、丈瑠の傍を離れるのが不安になってしまう彦馬だった。
 丈瑠を独りにしたら、丈瑠がどうなってしまうのだろう。考えるだけで背筋が寒くなってくる。







 しかし、それはおかしな話だった。
 彦馬がこのところずっと考えていること。それは、彦馬が志葉家を出るということだ。
 十七年前、幼い丈瑠を預かった時には、丈瑠と一生を共にしようと決意していた彦馬だった。しかし今、丈瑠は、十七代目当主・雅貴でさえ倒せなかったドウコクをも倒すほどに、大きく強く成長した。正式な志葉家の当主となった丈瑠は、もうか弱い幼子ではない。これから丈瑠が、丈瑠の目指す志葉家当主へと、さらに大きく成長するには、彦馬は足手まといになる。
 ドウコクを倒した後の丈瑠を見て、彦馬はそう考えるようになった。
 影武者の任を背負った幼い丈瑠を守り、支えてきた彦馬と、真の当主として志葉家の未来を切り拓いて行こうとする丈瑠を補佐する人物では、必要とされる資質が異なるだろう。後者は若き家臣、侍たちの役目であり、前者である彦馬の志葉家重役としての役目、丈瑠の養育係としての役目は終わるのだ。
 だから彦馬は、誰にも気付かれぬように、少しずつ、少しずつ、丈瑠の傍から離れようとしていた。

 それなのに。
 彦馬は、丈瑠の傍を離れるのが心配でならない。丈瑠がどうにかなってしまう気がして仕方ない。
 丈瑠のもとから去ろうとしている彦馬の、この矛盾した想い。
 いまさら、彦馬の手が必要な丈瑠のはずもない。いや、彦馬が必要なくなったはずの丈瑠だからこそ、彦馬は志葉家を離れようとしているはず。
 それとも丈瑠は、未だ彦馬の手を必要とするような状態なのか?彦馬が丈瑠の実力を見誤っているとでも?
 いや、それはない。ドウコクを倒したという厳然たる事実がそれを証明している。
 それでは、彦馬がいなくなったら丈瑠がどうにかなってしまうというのは、丈瑠の傍を離れたくない彦馬の未練による錯覚なのか。

 堂々巡り。
 同じことを繰り返し考えているのに、結論は一向に出ない。
 彦馬は悩ましげに、額に手をやった。
 このような迷いを抱いたことがなかった彦馬は、そんな最近の自分自身にも困惑している。丈瑠の全てを知っているつもりだったのに、今の丈瑠がわからない時がある。

 しかし………
 それでは、わしは実際………殿の何を心配しておるのだろうか?

 彦馬は、丈瑠の青白い顔を見つめながら、改めて考えてみる。
 彦馬の不安とは、彦馬が丈瑠から目を離した隙に、丈瑠を失ってしまうという恐怖だ。
 丈瑠のもとを去ろうと考えている彦馬がそんな心配をするのは、ある意味、おかしな話だと思う。それでも、彦馬は考える。丈瑠のことを。丈瑠のことだけを考え続けてきた彦馬だから、そうせずにはいられないのだ。

 彦馬は、例え丈瑠のもとを去ったとしても、どこか遠くから丈瑠を見守り続けるだろう。
 そんな彦馬の目にすら丈瑠が映らなくなってしまう事態とはどんなものなのか?

 そうして彦馬は気付く。
 丈瑠が志葉家に入って以来、幼い丈瑠に彦馬がずっと感じていた不安と、今彦馬が感じているそれは同じものではないのか。十七年もの歳月に渡り、その不安を抱えて生きて来た彦馬には、もうそれが習性になってしまっているのだ。
 彦馬の感じているそれは、丈瑠が、自分の目の前からいなくなってしまわないか、永遠に手の届かない所に行ってしまわないか、というものだ。
 それは、丈瑠が外道衆との闘いで亡くなってしまうという恐怖とは少し違った。彦馬の不安は、丈瑠が亡くなるというだけではなく、もっと範囲が広いのだ。

 殿が亡くなられる訳でもないのに、永遠に殿に手が届かない………とは、どんな状況なのだろうか?
 例えば、連れ去られるとかか?殿が?誰に?

 彦馬は自分の考えを反芻する。
 丈瑠が誰に連れさらわれるというのだろう。
 丈瑠が幼く弱い子供だった昔なら、その不安も頷ける。しかし丈瑠はもう幼い子供ではない。ドウコクさえも倒せるほどに強い丈瑠を、誰がどうやってさらうというのか?

 自分の杞憂を笑い飛ばそうとした彦馬だが、ふと頭をよぎる記憶。
 背筋が凍るほどの想いをしたことが、幾度となくあったではないか。例えば、昨年の夏。外道衆の勢力が増す盆の時期。天幻寺に墓参に行った丈瑠が、シタリにさらわれた。
「………いや、あれはシタリではなく」
 思わず声に出してしまう彦馬。
 丈瑠の枕元に付いていた黒子が驚いたように顔を上げた。いきなり彦馬の口から出てきた、外道衆の幹部の名前に、黒子は戸惑ったのだ。
「ああ………いやいや、何でもない。ちょっと思い出したことがあってな」
 誤魔化す彦馬だったが、黒子は彦馬に全幅の信頼を寄せていると見えて、そのまま何もなかったように黙り込んだ。

 再び思索に入りこむ彦馬。
 そう。シタリは天幻寺で丈瑠をさらったりはしなかった。シタリは丈瑠に毒を盛ったのだ。それも毒殺が目的ではなく、封印の文字を訊き出そうとしたための行動だった。あの時、その毒に瀕死となった丈瑠を、シタリのもとからさらったのが腑破十臓だった………
 そこでさらに彦馬は訂正する。

 違う。十臓は殿をさらうのが目的だったのではない。
 むしろ、シタリの毒から助けるために、十臓は殿を連れ去ったのだ。
 何故か?十臓は殿と命を賭けた真剣勝負をしたかった。だから殿を、みすみす毒などで死なせたくなかった。

 そして十臓のおかげでシタリの毒から命拾いした丈瑠は志葉家に戻った後、十臓との勝負に赴くと侍たちに告げて、大騒ぎになった。
 命を賭けた真剣勝負と言えば聞こえが良いが、ただ闘うことのみを目的とした決闘に過ぎない。街の人々が人質という大義名分が一応ついていたが、侍の鑑のような流ノ介は惑わされなかった。そんな闘いは志葉家当主に相応しくないと断固と反対した。いつになく頑固に言い張る流ノ介に、最後には丈瑠も自らの心情を吐露した。志葉の当主と言う立場から離れて、ただ侍として闘いたいのだと。
 結局、折れたのは流ノ介だった。丈瑠は意志を押し通して、十臓との闘いに赴いた。
 あの時は、丈瑠が十臓に勝ったから良いようなものの、もし負けていたらどうなったことか。それこそ、丈瑠は亡くなることによって、彦馬の前から失われてしまったのではないか。

 彦馬は眉根を寄せ、険しい表情になる。
 ある意味、あれも十臓に連れ去られたと言うべきだったのかも知れない。
 十臓が丈瑠をさらった訳ではない。丈瑠が自ら望んで赴いた闘いだ。
 しかし腑破十臓に会わず、誘われもしなければ、丈瑠は考えたこともなかっただろう。外道衆との決闘など。
 そして、つい数ヶ月前も。侍たちに影武者の策が知れて、全てを失った丈瑠が最後に選んだものは、十臓との私闘だった。
 そこには、盆の決闘の時にあった『街の人々を守るため』と言う大義名分すらなかった。

 何故、わしはあの時。盆の時も。影武者と知れた時も。殿を行かせてしまったのだろう。
 殿を失うかもしれなかったのに。

 彦馬はわからなくなる。
 最初の十臓との決闘については、彦馬はそれを認めるような発言すらしている。影武者の策が知れた時も、丈瑠が出奔してしまうことは、想像に難くなかった。それなのに、丈瑠が出て行ってしまうのを見過ごした。
『まるで外道衆のような闘い』
 天幻寺の裏山で丈瑠を探し当てた彦馬が、そう表現せざるを得なかった闘い。盆の決闘だとて、冷静に考えれてみれば、同じ『外道衆のような闘い』ではないか。大義名分があるかないかは大きかったが。
 そして彦馬は、はっとする。

 そうか。
 わしには、殿の、そのような闘いに対する衝動を止める術などないのだ。

 今、彦馬は唐突に悟った。







 彦馬は、傷つき眠る丈瑠をみつめた。
 この十七年間、見つめ続けてきた丈瑠の顔を。
 彦馬にとって、なによりも大事で愛おしい、掌中の珠のような存在を。


 それほどに大切な丈瑠なのに、彦馬は日常として、丈瑠を闘いに駆り出さねばならない。
 この一見平和な現代においてすら、世の人々を守るために、丈瑠には血みどろになるようにと差し向ける。
 考えてみれば、影武者の策が知れた後、十臓との闘いに没頭していく丈瑠に、彦馬の声が届くはずなどなかったのだ。

 そうだ。
 このわしが、言うのだからな。

 あの時。
 十臓との闘いを
『まるで外道衆のような闘い』
 と非難した彦馬。
 それでも闘いを止めようとしない十臓と丈瑠の間に割って入った彦馬。それを庇った丈瑠と二人で崖を転がり落ちてしまった、あの時。

 谷に落ちた彦馬を介抱する丈瑠に、十臓が川向こうから、深い闇をたたえた瞳で告げた。
「お前がするべきことは闘いのみ」
 あの時、十臓の声だけが丈瑠を捉えていた。
「あるのは剣のみだ」
 丈瑠にとっては、十臓の言葉にこそ説得力があった。
 だが彦馬はそれを必死で否定した。
「殿にはそれだけではないはず」
 丈瑠に縋りつくようにして、彦馬は想いを伝える。
「嘘だけではないはず」
 しかし、彦馬の悲痛な心の叫びは、丈瑠に響かなかった。

 彦馬は自嘲する。

 殿が志葉家に入られてからの十七年間。
 生きて行くために必要な、普通の者が学ぶことの一切を教えず、ただ外道衆との闘い、倒すための剣や技のみをお教えして来たわしだ。
 そして、初めて接した同年代の侍たちの中で戸惑い、侍たちの命すら奪いかねない自らの嘘に苦しむ殿に、それでも嘘をつき通せと叱咤し続けたわしだ。

 志葉家十七代目当主・志葉雅貴の言葉が、彦馬の脳裏に蘇る。
『外道衆を倒すために、自ら外道にも等しいことをする覚悟』が必要なのだと、丹波に叫んだ雅貴。
 ならば、十臓と丈瑠の闘いを見た瞬間に叫んだこの言葉すらも威力を失うだろう。
「まるで外道衆のような闘い」

 人でありながら、外道衆のような闘いを………やり続けて来たのは、殿ではない。わしだ。
 その同じわしが、どの口でそれを言うかと………

 そう考えてみると、彦馬の心配もあながち笑えないのかも知れない。
 不安定な丈瑠から目を離せば、丈瑠は心を囚われて、いなくなってしまうかも知れないのだ。
 この志葉家から。家臣である侍や、黒子、そして彦馬の前から。
 そして丈瑠が行くその先は、闘いのみが存在する深い闇の世界なのだろう。

 彦馬の憂いはこれだったのだ。
 丈瑠が闇の淵に常に佇んでいるのを知っていた。いつその淵から足を滑らせてしまうことか。
 だが、それすらも、今は当然に思えてくる彦馬だった。

 自業自得か。
 この世を守るために、志葉の血を後世に伝えるために、その闘いの深い闇に幼い殿を引きずりこんだのは………わしだ。







 彦馬は、丈瑠の顔をみつめる。

 彦馬にとって、なによりも大切な丈瑠。
 彦馬に尽くしてくれた妻や、娘、孫たちとは異なる次元で、他の何よりも大切な丈瑠。

 けれど、その大切な存在に、破滅への道を歩かせたのは、ほかでもない彦馬自身なのだ。




 志葉家とは、いったい何なのだろう。

 外道衆と呼ばれる妖怪変化の怪物どもと、はるか三百年の昔から闘ってきたシンケンジャーと呼ばれる者たち。その者らを統率する者。それが志葉家当主だと言われている。
 志葉家初代当主は志葉列堂。
 モヂカラと呼ばれる不可思議な力を操り、陰陽道や占星術を参考にした独自の秘儀で式神を編み出し、外道衆を退治していたという。その式神が、現在の折神に繋がるとも古文書は伝えている。

 志葉列堂の闘いに賛同した者たちが次々と家臣となり、現在の志葉家になったらしい。
 初代シンケンレッドでもある志葉列堂。
 それでは列堂が、モヂカラや折神全てを生み出したのかと言われれば、それは違うらしい。
 ここらへんから記録が怪しくなってくるのだが、もともとは、それら不可思議な力に長けた一族がいて、志葉列堂はその血を持つ一人でしかなかった。しかし、江戸の町が外道衆に荒らされる一方であることに心を痛めた列堂が一族から抜けて、江戸に来たのだと言われている。
 どこまでが伝説で、どこからが記録なのかはわからない。
 しかし古文書は、その不可思議な力に長けた一族の起源が角笛の山だと記している。彦馬はその真偽を疑っていたが、榊原ヒロや牛折神を目の当りにして以降は、真実なのだろうと思っている。志葉の血の源流は、角笛の山なのだ。
 一方で、不可思議な力が、陰陽道や占星術を参考にしたものとするなれば、角笛の山だけでなく、はるか京の都とも関係がありそうにも思える。こちらは、花織家が京都の古い家柄であるにも関わらず、主に江戸で活躍していた志葉家の家臣になっていることから真実味がある。

 どちらにしろ、はっきりしたことは何一つわからない。
 それを少しでも解明できればと、彦馬は今、様々な手を使って情報収集をしている。
 角笛の山や花織家には、まだ知られていない情報がありそうな気がしていた。もちろん、白澤家とその本家筋もだ。
 これも丈瑠のためだった。丈瑠の出自を調べることにより、丈瑠に降りかかるかもしれない何かに備えようと考えていたのだ。

 しかし今、彦馬はそんな必要はなかったかも知れないとすら、思い始めていた。
 丈瑠の身に降りかかる問題があるとしたら、それは丈瑠の外からではなく、丈瑠の内側から来るのではないか?丈瑠の内側というのは、丈瑠の血筋や出自という問題ではない。志葉家当主であるが故の、丈瑠の心の内側からのものではないのか。







 志葉家が遥かな昔、『どこから来た』のかはわからない。
 けれど、外道衆と、時が流れ続ける限り闘い続けねばならない志葉家の『行く末』ならば………今の彦馬には見える気がした。

 志葉家の重い宿命。
 そこには、過去のどの当主も外道衆との闘い半ばで倒れたからこそ、顕わになることのなかった恐ろしい真実が潜んでいるに違いない。
 志葉の血を引かない丈瑠でも、志葉の当主となったからには、それから逃れられない。

 そして、ドウコクに勝って生き残ってしまったからこそ、丈瑠は進まねばならなくなってしまった。
 過去の歴代当主が歩むことのなかった、暗い闇のその向こう。さらに深い闇の淵に、丈瑠は今、佇んでいるのだ。










小説  次話






2013.11.24


爺の憂いです A^^;)
どこまで書いたか忘れてしまって、思い出すのが大変でした orz

桃李くんは、今日の夜便でパリに出発ですか。
いいですね。
桃李君には、冬のパリの風情が似合うと思います♪
シャンゼリゼ通りのクリスマスマーケットは、もう開いていますかね?
広場には、メリーゴーランドなどもあるし、イルミネーションもきれいですし
楽しんできて欲しいです。
セーヌ川遊覧船にも乗って、エッフェル塔にも行って………
お仕事で行くとは言え、少しでも息抜きできるといいですね。

もしかしたら雑誌の撮影(nonnoとか)もあったりするかなーー
なんだか、映画がとても楽しみになってきました(^^)