春 愁 17志葉家が重い闇に包まれているのと同じ頃。 同じように闇の中で考え込んでいる者がいた。 東京都心部の大通りから道路数本奥に入った閑静な住宅街。その中でもひときわ広い敷地に、瀟洒な和風モダン邸宅が建っていた。邸宅の周囲には、よく手入れされた和洋折衷の庭が拡がり、その庭の中央には能舞台が設えてあった。歌舞伎界の名門、池波家の邸宅である。 邸宅とは対照的にいかにも古そうなその能舞台は、橋掛かり、鏡の間を経て邸宅に繋がっている。池波宗家の稽古にも、小さな発表会などにも使われるもので、池波家の者ならば誰もが幼い頃から馴染んできた場所だ。 歌舞伎の家になぜ能舞台なのかと言うと、それは池波家が古くからの武家の家柄であることに由来する。 そもそも武家である池波家が芸能の道に足を踏み入れたのは、池波家の先祖が武士の嗜みとして能を始めたことに端を発する。習い覚えたその舞いがあまりにも見事と、殿の御前や家臣、仲間内に請われて舞っている内に武家の間でも評判となり、神社などで奉納舞いをするまでになり、その舞は江戸庶民の目にも曝されることとなった。 優雅な舞、豪華な衣装もさること、面を着けずに舞うその麗しい顔(かんばせ)と、匂い立つような典雅な雰囲気を醸し出す池波家の侍そのものが評判に拍車をかけ、身分の上下に関わらず人々の噂になっていった。壮年の父がこれほどならば、若き息子はどれほどの華やぎかと周囲から期待され、期待されるとそれに応えねばならぬと勘違いする池波家では、いつしか舞いなどの芸能を嗜みとするのが代々の常となっていったのだ。 やがて時代が下るにつれ、何ごともとことん突き詰めねば気のすまない性分の池波家。習い覚えたものを舞うだけでは飽き足らず、守・破・離とばかりに、踊りに時流を取り入れ、工夫を凝らす名手も現れ始める。進取の気性に富んだ池波家の舞いは、武家の嗜みであったはずの能からいつの間にか逸脱し、狂言も突き抜けて、気付けばその傾(かぶ)きぶりに、その頃、江戸庶民に人気が出始めていた歌舞伎と同じではないか………とまでなってしまった。 しかし哀しいかな。演っている池波家代々の侍たちは、自分の舞が傾いていることに、そもそも気付いていない。それでも、江戸の町で評判に評判を呼び、やがて池波家は、芸能の道でも名門と祭り上げられてしまう。 これが、侍の家系が歌舞伎役者をやっている、如何にも流ノ介の血筋らしい、本人たちは大真面目だが、如何にも珍妙な経緯なのだ。 そして、その歴史の名残がこの能舞台だ。そもそも歌舞伎の起源は出雲の巫女 阿国の「かぶき踊り」と言われている。この頃の歌舞伎は能舞台で踊られていたし、自分たちの始まりは能だから、と、今でも自宅の舞台は能舞台なのだ。 その舞台の照明も点けぬまま、庭に配された灯りがほのかに照らすだけのそこに、流ノ介は正座していた。 「あの子、何をしているのかしら………」 薄桃色の袷を着た女性が呟く。 彼女が夜風に当たりながら正座しているのは、ガラス戸が開け放たれた長廊下だった。屋外舞台を横から覗き見る形になるそこからは、流ノ介を見ることができる。表情の細部を窺うには遠すぎるが、容貌だけでなくその姿も麗しい流ノ介は、浴衣を着て、庭の灯りに照らされているだけでも絵になった。 一方、そんな流ノ介を眺めている彼女の方も絵になるほどに美しい。しかし、流ノ介に似たその面差しは甘さだけでなく、厳しさをも併せ持つもので、伸ばした背筋に文庫をきりりと締めたその姿は、歌舞伎宗家の妻というより、武家の妻女といった趣の方が強かった。 池波家に嫁ぐ女性は、歌舞伎役者の妻という役回りより、志葉家家臣としての覚悟の方が重要視される。夫や息子、家族に何があっても動揺せず、家を盛りたてて行く使命を、志葉家家臣の妻、家族は担っている。もちろん彼女もそうだった。そういう覚悟で、池波家に嫁いできた。だから、息子が突然、シンケンブルーになるために舞台から走り去ったあの時も、客席にいた彼女はただ黙って見送った。 歌舞伎宗家当主の妻として忙しい彼女であったが、たまには何もせずに息子の姿をただ眺めているだけというのもいいかも知れない。 生きては帰って来ないだろうと思っていた息子。それでも無事を祈りながら、息子のために青海波の浴衣を縫ったのは、昨年の夏だ。墓前に捧げることになるはずだったそれを着た息子が、今そこに、手の届くところにいる。彼女は切ない眼差しで息子を見つめた。彼女にとって、目の前の流ノ介の姿は、どこか夢を見ているような気持ちにさえさせるものなのだ。 それにしても 「夜の花見………でもないでしょうに」 屋外舞台の中央に座り、真っ直ぐに正面を見つめる流ノ介。その視線の先には、特に何がある訳でもない。あるとすれば、少し横に、今が盛りの藤棚があるくらいか。 「………今度の舞台は藤娘だったかしら?」 目の前に迫った息子の舞台の演目を思い出そうとした時、廊下がみしりと音を立てた。振り返ると、そこには流ノ介にも劣らぬ美貌の池波家当主・流三郎が佇んでいた。 「小一時間も廊下に座り込んで、あなたは何をされているのです?」 流三郎は妻に問いかけながら、着物の裾を捌いて自らも妻の隣に座る。 「花見ですわ」 流三郎を横目に妻は答えた。 「………花見………ですか。ああ、確かに藤がきれいだ」 うららかな風に、藤の房が揺れている。 「あら、違います」 しかし妻はそれを否定した。 「私は流ノ介の華を愛でておりますの」 妻の言い様に、流三郎は一瞬目を見張り、しかしすぐに静かに微笑んだ。 流ノ介の華。 そうだ、まさしく流ノ介には華がある。 そこに存在するだけで周囲を明るく華やかにする、持って生まれた華があるのだ。 流ノ介は、流三郎にとって自慢の息子だ。それだけではなく、池波家一門にとっても自慢の跡取り息子だった。 流ノ介には、歌舞伎役者になるために生まれてきたのでは、と思うほどの華のある容姿と才能がある。それでいて、努力を厭わない真面目な性格。いや、この性格は歌舞伎役者としてどうかと思うところもあるが、粋も知り、節度のある遊びも知り、それでも真面目、さらにリーダーシップもある………となれば、文句のつけようもない。 一方、池波家のもう一つの姿である志葉家家臣としても、流ノ介は全てを兼ね備えていた。侍の心構え、剣の腕、臆しない心、常に正しいものを求める正義感、そしてなにより大事な殿への忠義。どれをとっても、流ノ介は志葉家家臣として並び立つ者がいない域にまで達していた。 素晴らしい息子だった。池波家跡取りとして、立派に育った流ノ介。 しかし立派に育てば育つほど、親としては、複雑な想いに囚われる。これは池波家に限らず、他の志葉家家臣の家にも言えることだろう。何もかもに優れているからこそ、一門の中から、誉れあるシンケンジャーとして志葉家家臣に選ばれ、志葉家に出仕することになる。しかし、そうなったらもう一門のためだけに生きることは許されない。 池波家の当主として優れていればいるほど、池波家そのものからは離れて行くしかないのだ。主君に仕える侍ならば、当然のこと。そうと納得しても、出仕したら多くの場合、永遠に帰って来れない(これは長い歴史が証明していた)となれば、思うところも複雑だ。侍としての他に生きる道がない時代ならいざ知らず、いくらでもある現代ならば。ましてや、歌舞伎役者としての将来を嘱望されている身となれば、なおさら。 もちろん流三郎は、池波家本来の在り方を重々理解している。池波の家に生まれた者は、志葉家に仕えることこそが第一義と自らも覚悟をし、厳しく流ノ介たちシンケンブルー後継候補に教え込んで来た。 殿にお仕えすることこそが、池波家当主の至上の喜びとまで言って………。 しかし、ドウコクとの闘いに勝利してのここ数カ月、流三郎は愛息子を見るにつけ、親としての複雑な想いが胸の奥に湧き上がってくるのを抑えきれないのだ。 流三郎は、一年と少し前を思い出す。 外道衆の動きが激しくなって来たことを、流三郎は気付いていた。 もちろん、志葉家から定期的な状況報告は来ており、それにも招集が近いだろうことは書かれていた。しかし、それがなくとも、幼い頃から外道衆に翻弄され続けてきた流三郎だ。気付かないはずがない。 外道衆の動きには波がある。その波は長ければ数十年間隔なのだろうが、流三郎が育った時代はドウコクの動きがとても活発で、十年単位で悲愴な日々が訪れ、その度に流三郎は大切な肉親を亡くしてきた。 だから、手に取るように分かるのだ。手塩にかけて育ててきた愛息子・流ノ介がシンケンブルーとして、志葉家に仕える日が近づいていることが。それは本来なら、流三郎にとっても流ノ介にとっても、この上もない喜びのはず。しかし表面上はそう振舞っていても、心の奥底まで志葉家への想いただ一色とはなれ切れない。あの頃の流三郎の心も、今と同じだった。 やがて、いよいよ外道衆の動きが激しくなってくる。そろそろナナシだけではなく、アヤカシも出てくるだろう頃合い。あるいはドウコクの復活も考えられる………と見た時、流三郎は決断した。流ノ介の歌舞伎役者として最後になるだろう演目に『連獅子』を選んだのだ。いつか共に演じたいと考えていたもの。能から始まった池波家らしく、能から題材を取った演目でもあり、流三郎の父としての流ノ介への深い想いそのままの演目でもあった。 別れの舞台まで決めたのに、それでも志葉家へ仕える日が近いことを、流三郎はなかなか流ノ介に言い出せなかった。言ってしまえば、流ノ介の心はそちらにのみ向かってしまうだろう。そうなるように育てて来たのだから。それが池波家の男子の在り方なのだから。しかし、息子の平穏な日常を、未来に向かって羽ばたくべく励む日々を一日でも長く引き延ばしてやりたいのも、流三郎の父親としての本心だった。 そんな父の葛藤も知らず、連獅子の稽古に余念がない流ノ介。 流三郎が流ノ介にシンケンブルーになる日がすぐそこに来ていることを伝えられぬまま日々は過ぎ、結局伝えられたのは、舞台初日のことだった。 その日、朝起きた瞬間から、空気が違うと流三郎は感じた。空気の中に微かに、本当に微かに漂う腐臭。異質なモノ、この世ならざるモノが、この世に紛れ込んできた臭いだった。それは、三途の川の水の臭いと言っても良いだろう。志葉家家臣の中でも池波家-水の文字を担う家臣だけが嗅ぎ取ることができるモノ。だからこそ、水の文字を担う家臣は、いつでも志葉家当主に一番近い場所に控えるのだ。この腐臭は、まさに、外道衆の勢力がある臨界点を超えたことを示すものだった。 遂にその日が来たのだ。もう躊躇はしていられない。早朝から庭の舞台で最後の稽古している流ノ介の もとに、流三郎は急いだ。 舞台の中央。真剣な眼差しで一心に稽古をする流ノ介。橋掛りから見つめた息子は眩しすぎて、いっそ舞台が終わるまで言わずにおこうかとも思った流三郎だった。しかし、既に闘いの狼煙が上がったも同然。いつ一刻を争う事態になるやも知れぬと、自らの逡巡を抑え込んだ。 流三郎はシテ柱の陰から歩み出て 「流ノ介」 と呼びかけた。穏やかな口調が多い父の、どこか強張った呼びかけに、 「父さん」 と、少し驚いたように振り返った流ノ介だったが、すぐに息子から弟子の顔になり、師匠の教えを請うために流三郎に向き合って正座する。 もう全てを決めたつもりの流三郎だったが、その口から出たのは 「今日の本番は頑張りなさい」 という、なんとも解釈のしようのない言葉だった。 本番を頑張るのは当り前だし、それをわざわざ言いに来る父親に、流ノ介はちらりと疑念を抱いただろう。 「最期の舞台になるかも知れないから」 だから、それに続いたこの言葉に、流ノ介は一瞬何を言われているのかわからないという顔をした。流三郎は、そのまま龍折神を差し出す。 「どうやらその時が近い」 詳しい説明など、必要なかった。流三郎の言葉をまだ受け止めきれていない流ノ介だったが、差し出された龍折神の意味は分かっているはず。だから、躊躇いがちではあったが、神妙な顔で流ノ介は両手を差し出し、折神を受け取った。 それが、シンケンブルーが流ノ介に託された瞬間だった。もう後戻りはできない。流三郎は、流ノ介の前に正座した。 「我が池波家は、代々、志葉家に仕える家柄」 言わずもがなのことを言ったのかも知れない。 「心得は全て教えた通りだ」 じっと折神を見つめる流ノ介に、それでも、言わずにはおれなかった。 「いざと言う時は、いかなる時でも殿となる方の下へ」 流ノ介は既に、先ほどまでとは異なる緊張感を周囲に漂わせていた。 「………はい」 そして固い返事と共に、見返すその眼差しで、その日を迎える覚悟がとうの昔に胸の内に在ったことを父親に知らせた。もしかしたら流ノ介も感じていたのだろうか。空気が僅かに変わったことを。どこかに異質なものの気配が漂い始めたことを。いや、感じていただろう。流ノ介は、水の文字を担う者なのだから。 その後は、むしろ流三郎は自分に向けて言っていた。 「まだ見ぬお前の仲間たちも、想いは同じだろう」 同じであって欲しいし、きっとその家族の想いも、今の自分と同じ。この世を守るため、志葉家に仕えるのは、家臣の家の宿命なのだ。 その後、父子はただ無言のままだった。 果たして、流三郎の予想通り『連獅子』舞台の最中に志葉家からの招集は掛かった。 異空間を抜けて舞台に突き刺さった矢文の『集』の文字を見た流ノ介は、それまでの歌舞伎役者の顔から一瞬にして侍のそれへと変貌を遂げた。舞台の上にいても、もう流ノ介は役者ではなくなっていた。もちろん上演中であるなどという事情は、志葉家の招集と比べるべくもない。 分かっていたから、流三郎は舞台の上であるにも関わらず、息子に最期の言葉をかけた。 「武運を」 たったひとこと。ただ、それだけ。 でも万感の思いを込めて。 それに流ノ介はしっかりと頷いた。次の瞬間、流ノ介は朱色の獅子のかつらを投げ捨て、衣装を着けたまま舞台を飛び終りた。そして走り出す。流三郎の手の届かぬ世界へと。 流ノ介の視界には、もう観客もいなければ、師である父親の姿もない。その瞳には、志葉家家臣シンケンジャーとしての行方しか映っていなかった。 舞台の上から、流ノ介の背中を見送った流三郎。 その日、流ノ介を志葉家に送り出したその時から、流ノ介は死んだもの………と流三郎は思うことにした。妻はもちろん、親戚、弟子たちにもそう伝えた。流ノ介の才能を惜しむ声も数多あったが、志葉家家臣となり殿様と共に外道衆と闘うことこそが池波家跡取りの本望なのだと諭し、池波家当主として、それ以上の反論を誰にも許さなかった。 しかし、そこまで覚悟して手放した息子が、一年足らずでドウコクを倒して帰って来たのだ。歴代シンケンジャーとしても、池波家一門にとっても、その快挙、喜びは言葉では言い尽くせない。 一度は死をも覚悟して志葉家に仕えた流ノ介なのだから、生き残った後の時間くらいは自由にさせてやりたい。花開く機会などないと思っていた、流ノ介の有り余る才能を思いきり伸ばしてやりたい。流ノ介の事情を知る者は誰もがそう思ったし、流三郎もそういう想いが湧いてくるのを抑えられなかった。 いや、流ノ介本人こそが、誰よりもそういう想いに駆られているに違いないのだ。それは、二月に池波家に戻ってからの歌舞伎に対する流ノ介の情熱を見ていれば分かることだ。その稽古の様は、まるで何かに憑かれたかのように鬼気迫っていたのだから。 しかしまた一方で、ドウコクを倒した後だというのに、当然のことのように、未明からの激しい剣の稽古も欠かさない流ノ介だった。 一度覚悟を決めて手放した歌舞伎。それを再び手にすることができて、戸惑っているのだろうか。闘いに明け暮れていたこの一年間の習慣が抜けないのだろうか。ただ殿へのみと寄せた気持ちが、他へと切り替えられないのはもちろんだろう。それら多くの気持ちが重なって、身動きできなくなっているのが、今の流ノ介なのだろうか……… 流ノ介の気持ちを様々に憶測する流三郎だったが、あまり深刻に考えてはいなかった。時間が解決してくれるだろうと思っていたからだ。 流ノ介の気持ちが歌舞伎にあるのは確実だし、ドウコクとの闘いは終わったのだ。ありがたいことに、志葉家からもわざわざ書面で、それぞれの家、それぞれの生活に戻るように通達が来ている。これは、志葉家との闘いに未練を残す家臣たちへの、志葉家の気遣い、温情だ。 だから、何も憂うことはない。あとはただ、流ノ介は池波家次代当主として、歌舞伎役者として生きて行けばよいのだから。 そう考えていた流三郎だったが、日が経つにつれ、流ノ介の瞳に陰りが見え隠れするようになって来ていた。 そのことを流三郎は見逃してはいなかった。 小説 次話 久々の更新になりました。 サイトUPのパスワードを忘れてしまうほど、長期更新していませんでした……… 待っていて下さった方、本当に申し訳ありません m(__)m 本当は4月には書きあげていたのですが、 自分自身のことで迷いがあって、UPできませんでした……… 流ノ介のお話です。 茉子、ことは、千明の家もいろいろあったように 流ノ介の家も、そりゃ、いろいろ考えるところが あったものと思います。 丈瑠が気になるところですが、 もう少し、流ノ介が続きます。 2014.08.13 |