春 愁 18流ノ介は、何代ものシンケンジャーが倒せなかったドウコクを倒した当代シンケンジャーである。 それも、ドウコクに最終的な止めを刺したのはシンケンブルーであると志葉家から報告が来ている。今や流ノ介は、歴代のシンケンブルーの中でも随一と言えるほど、飛び抜けた存在になったのだ。 そんな流ノ介が、今更、シンケンブルーとして外道衆の闘いに赴くことのなかった父親の助言などを必要とするはずもない。そう思っていた流三郎だった。しかし、舞台を目前に苦しむ流ノ介の姿は、自らの過去を思い出させる。志葉家家臣、シンケンブルーとしてではなく、歌舞伎役者としての流ノ介にならば、まだ自分は力になれるのではないか。 流三郎は立ち上がった。そして長廊下を進む。その先は、庭の舞台にまで繋がっている。 流ノ介に良く似た妻は、それを黙ってみていた。 流三郎は暗い橋掛りから、流ノ介がいる舞台にゆっくりと歩み出た。 父親の気配を感じているであろう流ノ介だったが、振り向くどころか微動だにしない。見えない何かで、自分と流ノ介が隔絶されているように、流三郎には思えた。流三郎が歩みを止めると、押し包むように舞台に静寂が降りてくる。そのまま動かず時を過ごしていると、目の前の流ノ介が、舞台に座ったまま、すーっと遠のいて行くような気がした。そのまま、別の世界に行ってしまうかのように。そう、まるで夢幻能の世界のように。 思わず流三郎は、もう一歩を踏み出した。 「流ノ介」 自分に背中を向けて座っている流ノ介に声をかける。静寂を破ることにより、流ノ介をここに留めるかのように。一年と少し前と同じ、強張った声で。 夢幻の世界が一気に現実の世界に引き戻される。 流ノ介が静かに振り返った。 「………父さん」 庭の灯篭だけが照らす薄暗い舞台では、振り返った流ノ介の顔や表情が仔細に見えた訳ではない。だからだろうか。振り返った流ノ介の白い顔が、能面のように見えた。自分と同じ世界の存在ではない、別世界の何かに見えた。思わずたじろぐ流三郎だったが、すぐにそれは、自分の息子の顔であると認識する。 しかし、流三郎を見上げてくる流ノ介の顔は、流三郎が今まで見たこともないようなものだった。弟子としての顔でも息子としてのものでもない。 「流ノ介………」 凪いだ海原のように静謐な表情。その中から、真っ直ぐに見返してくる流ノ介の瞳。それは、燃え盛るような激しいものではなかった。ただ、刀のように鋭く深い輝きを放っていた。 「流ノ介………」 暫し、流ノ介を見つめていた流三郎だったが、唐突に理解した。 「………お前は………もう、違うのだな」 この瞳は、歌舞伎役者としてのものではない。この眼差しが見つめる先に、歌舞伎宗家・池波家はない。 「お前はもう………歌舞伎宗家としての池波家の跡取り………ではない………のだな」 静かな流三郎の問い。流三郎を見返す流ノ介の瞳が、ほんのわずかに深みを増したような気がした。 立っている流三郎と、正座する流ノ介。 一年少し前、志葉家に仕える前の、あの朝と同じ。 だが、もうあの流ノ介はどこにもいない。 そう思った流三郎は、思った端からそれを自ら否定した。 いや。 志葉家に仕える日が来たことを告げた瞬間から………既にもう、それまでの流ノ介はいなくなっていたのだ。 流三郎の胸に、こみ上げてくるものがあった。いい年をしてと思いつつ、目頭が熱くなる。 そんな胸の内を知ったかのように、二人の間にふわりと優しい風がそよいだ。藤の淡い香りが、うららかな夜に漂う。 艶やかに成長した流ノ介は、流三郎の何かに耐えているような顔から視線を外し、ゆっくりと丁寧に、床に両手を着いて頭を下げた。 「ご心配をおかけしました」 流ノ介は分かっている。家人や門弟たちが心配そうに遠巻きに流ノ介を見つめているのを。そして彼らの想いも理解していた。 「私は、志葉家家臣である池波家の流ノ介です。シンケンブルー・池波流ノ介です」 しかし、周囲の想いを解った上での、それが、流ノ介が行き着いた答えだった。 「ドウコクとの闘いが終わり、家に戻らせて頂いたことで、私は勘違いをしておりました」 流ノ介は、まるでどこかに書きつけてあったかのように、頭を下げたまま淡々と話す。 「ドウコクを倒しても、外道衆との闘いが終わるわけではありません。この命ある限り、ただ志葉家家臣として、殿をお守りして闘うためだけに、私はこの世に在るのです」 言葉は淡々としていたが、揺るぎない決意が感じられる流ノ介の言葉。 池波家の誰もが、流ノ介が歌舞伎だけに気持ちを注いでくれる日を待っていた。流ノ介自身も、家に戻ればそうなるものと思っていた。しかし、それに応えられないことが、流ノ介は分かってしまったのだ。 「いえ。この命ある限りではなく、この命尽きるとも」 流ノ介の語気が一気に強くなる。流三郎が虚をつかれたように目を見開いたが、頭を下げたままの流ノ介には見えない。 「この世ばかりではなく、三途の川の中でも、それを渡った後の黄泉の国であろうとも、私は殿にのみお仕えし続けるつもりです」 そう言って、流ノ介はさらに深々と頭を下げた。 「永遠に殿を守り続ける。それが私の使命………私の道です」 父さん、申し訳ありません。 その姿は、無言の内にそう言っているようにも見えた。 ドウコクとの闘いから戻り、父母、親類縁者の想い、門弟たちの期待に応えたかったが、それはできないのだ。けれどそれは、池波家としての真髄である『志葉家家臣:シンケンブルー』を全うするためのこと。責められるいわれもなければ、謝罪を口に出すのもおかしなこと。正しきことをするのだから。 それでも、心情的には頭を下げずにはいられない流ノ介の気持ちが、流三郎には手に取るように分かった。 それと同時に、流三郎は痛感した。 本当にもう、一年前のシンケンブルーになる前の流ノ介はどこにもいないのだと。 その命尽きようとも、黄泉の国でまで殿に仕えるという者にとって、現世での歌舞伎宗家跡取りの話など、どれほどの意味があるだろう。今、目の前にいる流ノ介は、そんな俗世にはいないのだ。自分より何段も上の、本当に、次元の異なる世界にまで行ってしまった志葉家家臣・シンケンブルー池波流ノ介なのだ。 流三郎はまた、これほど一途に志葉家当主を想うことができる流ノ介が羨ましかった。 それだけ、流ノ介の殿は素晴らしい人物なのだろう。また、流ノ介がここまで殿を想っているからには、さぞかし殿も流ノ介を信頼しているのだろう。それはそうだ。あの志葉家何代にも渡って倒すことができなかったドウコクを倒したのだから。その実績があればこそ、強く心が繋がるのも当然。 そこまで思った流三郎は気付く。 ドウコクに最期の止めを刺したのが、志葉家当主ではなくシンケンブルーだった理由を。 シンケンジャーの中で最も力がある志葉家当主。その当主ではなく、シンケンブルーが敵の総大将に止めを刺す作戦。もちろん指示をしたのは志葉家当主。そこまで流ノ介は志葉家当主にもシンケンジャーメンバーに信用されていたのだ。 そうか。これは、ドウコクを共に倒したからできた絆ではない。逆だ。この強い心の繋がり、絆があったからこそ、ドウコクを倒せたのだ。 「そうだな」 頭を下げたままの流ノ介に、それだけを言うまで、随分時間が掛かったような気がした。 だがその間に、流三郎は理解した。流ノ介の志葉家当主に対する深い想いを。言葉通り、命を預けられるほど相手を信じきれる絆の意味と重みを。 「それこそが、志葉家家臣としての池波家を担う者としての在り様」 流三郎の言葉に、流ノ介がそろそろと頭を上げる。 「父として………お前を誇りに思うぞ」 簡単には言葉にできぬ想いに視線を交わした親子は、互いに僅かに頷いた。 流三郎が流ノ介を、言い尽せぬほど誇りに思っているのも事実。 しかし、一方でどこか哀しく、寂しいのも、どうしようもなく事実。 それは流ノ介も同じだ。自らの進むべき明確な道・天命を知った喜びは、震えが来るほどのものだ。一方で、そのために捨てねばならぬものへの未練があるのも事実なのだ。選ぶべき道は迷いようもなく決まっている。それでも、簡単に割り切れるものではなかった。 流ノ介は静かに立ち上がると、流三郎に軽く頭を下げた。そのまま橋掛かりまで行き、振り返って、舞台に向かって深々と頭を下げる。そして、橋掛かりに歩を進め、屋敷の中に消えて行った。 流三郎は、流ノ介の後ろ姿を見ることもなく、舞台に立ち尽くしたままだった。 自分の見ている景色と、息子の見ているであろうそれとのあまりの違いを噛みしめていたのだ。しかし一方で、流ノ介の見ているだろう景色を、流三郎は知っているような気がした。かつて、自分もその景色を前に、迷ったことがあるような気がしたのだ。 流三郎は、今しがたまで流ノ介が座っていた場所を見つめる。 未だ、そこに流ノ介の後ろ姿が見えるような気がした。それがいつしか一年前の流ノ介の姿になった。さらに不思議なことに、その姿が、やがて別の何人もの姿に重ね映しになって行く。 『この命尽きるとも』 かつて流ノ介と同じように、この舞台から去って行った大事な人々。その面影が亡霊のように、この舞台に残っている。 『殿をお守りし続ける』 思い起こせば、同じ言葉を流三郎は何度も聞いていたのではないだろうか。そして、そんな日々の中、流三郎自身も流ノ介と同じようにここに座り、自らの進むべき道を見つめたことがあったのではないか。 流三郎自身は、シンケンブルーとして闘いに出ることはなかった。しかしあの頃、自分はどんな道を、どんな自分の行く末、景色を見つめていたのだろうか。 流三郎は今度は先ほどよりもさらに昔。はるか何十年も遠い過去。自らの幼い頃を思い出した。 まだ幼かった流三郎にとって、年の離れた長兄はヒーローであり、憧れだった。 その当時、池波家の長男・流太郎は、後に流三郎、流ノ介も通うことになる大学剣道部で、剣の道では負け知らずと言われた猛者だった。それと同時に次代の歌舞伎界を背負って立つと言われた花形役者でもあった。 流三郎に剣の道、侍の心得を説いてくれたのも、歌舞伎の稽古もつけてくれたのも、全ては強くて美しい長兄・流太郎だった。流三郎は、何もかもを長兄に教えてもらったのだ。 本来、父親が子供に教えるようなことを兄が教えていたのには理由があった。流三郎たちの父親が外道衆との戦闘で既に亡くなっていたからだ。父の死後、池波家当主を継いだ流三郎の叔父も、流三郎の父が出仕している間は、長兄、次兄に様々なことを教えてくれたが、流三郎の父が亡くなった後は、シンケンブルーとして出仕して不在となった。このため、長男、次男とは年の離れた末っ子である流三郎の師匠に相当する人物と言えば、兄たちしかいなかったのだ。 その流三郎が憧れてやまない長兄・流太郎が池波家当主になると共に、志葉家家臣・シンケンブルーの役目に就くために池波の家を出たのは、流三郎がわずか十歳の頃だった。 その頃、外道衆との戦闘は激しさを増していた。志葉家十五代当主・幸一郎に仕えていた叔父が大怪我をして療養のために池波家に戻って半年が経とうと言う頃、シンケンブルー不在のシンケンジャーはついに大敗北を喫して、志葉家十五代目当主・幸一郎が亡くなった。これを受けて志葉家当主は、幸一郎の弟である陽次郎に代替わりしていた。その志葉家の新しい当主に仕えるべく流太郎は家を出たのだ。 流太郎は大学卒業と同時に結婚していたが、まだ子供はいなかった。今から思えば叔父が大怪我をして戦闘不能になり、シンケンブルーが実質上空位になっているにも関わらず流太郎が出仕しないでいられたのは、志葉家十五代目当主の気遣いだったのだろう。第一の家臣である池波家の血筋を絶やさぬために、長兄に子供ができるまで出仕させるのを待ちたかったのだ。しかし自身が闘いで亡くなってしまい、シンケンジャーの戦力も壊滅状態。志葉家としてもう待ったなしの状態になったための、流太郎の出仕だった。 「私がシンケンブルーをあの舞台から送り出したのは………数えてみれば、三回にもなるのだな」 流三郎は誰に言うでもなく、ひとりごちた。 「………お兄さんたちのこと」 突然の相槌に振り返ると、そこには妻が佇んでいた。彼女はじっと流三郎を見つめる。流三郎は静かに頷いた。 それは、志葉家家臣・池波家の艱難辛苦の歴史だった。 出仕した池波流太郎は、志葉家十六代目の新しい当主と共に、フレッシュなシンケンジャーで戦況を好転させた。しかし、それも束の間。流三郎が高校に入る頃にはやはりドウコクとの闘いは苦戦が続くようになっていた。 シンケンジャーである長兄の状況については、随時、志葉家からの報告が病床の叔父に来ていた。それを次兄・流次郎と共に伝え聞けば、戦闘に参加していなくてもシンケンジャーの劣勢くらい予想がつく。志葉家から報告が来る度に流次郎が深く考え込んでいたのを、流三郎はよく覚えている。 既に歌舞伎役者としての名声を確実なものにしていた流次郎が考え込んでいたのも、この屋外舞台の上だった。さきほどまでの流ノ介と同じように、暗がりに座り、何もない虚空を見つめていた。 流次郎は流太郎と四歳違い。流太郎と同じように早くに結婚し、既に幼い子供たちもいたが、流太郎の訃報と同時に、今度は流次郎がシンケンブルーになるために家を出ることとなった。志葉家十六代目当主も亡くなり、志葉家では十七代目当主に十五代目当主だった幸一郎の一粒種である雅貴が就任したという話だった。 聞けば、その十七代目当主となった雅貴は、流三郎と同い年だとか。大学生になっていた流三郎も当然、覚悟せねばならなかった。次は自分が行く番だ、と。 長兄・流太郎が闘っている間の次兄・流次郎の様子−多分、シンケンブルーになるよう運命づけられたものにしか分からないだろう苦悩−を見て来た流三郎。 その後は、自分と同い年の志葉家当主と共に闘っている次兄のドウコクとの苦戦を長く聞いていた流三郎には、今の流ノ介の気持ちが痛いほどに解る。 「私も殿と共に闘いたい。殿をお守りしたい」 でも一方で、今の生活を捨てるのも苦しかった。家族を、大好きな歌舞伎を捨てる決心がつきかねる。それだけではない。自分が出仕した後の池波家の行く末も気に掛かる………と、言い訳はいくらでも出てくる。今の流ノ介もそうだろう。 多分、待ったなしの危機の最中ならば、このようなくだらない迷いなど生じないのだ。そうではなく、待っている状態、まだ道を選べる余裕があるような気がしている状態だからこそ、迷い、未練が残るのだ。 本来ならば、道はただひとつ。分岐などしていない。池波家の後継ぎとしてならば、答えは考えるまでもなく決まっているのに………それでも迷ってしまう。 そして、流三郎はもう一人のシンケンブルーの苦悩も知っている。 見送ったシンケンブルーではなく、生きて闘いから戻ったシンケンブルーの苦しみを。自らの怪我のために戦線を離れ、それがための劣勢で殿を失ってしまったと信じてやまない叔父。殿を守ることもできず、ただ一人生き残ってしまった者の苦悩を。 志葉家家臣としてシンケンブルーになるとは、今までの生活も歌舞伎も捨てること。家族とすら気軽に会えなくなること。そして自らの命を、ただ殿となる方にのみ捧げなければならない。 流三郎含む先の池波家三兄弟も叔父も、みな等しくそう教えを受けた。歌舞伎の家を継ぐよりも、志葉家家臣としての存在の方が重いのだと、繰り返し教えられてきた。 シンケンジャーは成るも苦しく、戻るも苦しい。どこまでも苦しいばかりのシンケンジャーだが、それでも池波家に生まれたからには、ならねばならぬのだ。この世を守る殿のために。 この無情な教え。 しかしそこには反発心など入りこむ余地もないほどに、真摯な歴代池波家当主の深い想いがあった。 それを忘れては、本来の意味での池波家は続かない。 流三郎は、もう一度、胸に刻み込まなければならないと自戒する。流ノ介の奇跡的な快挙に浮ついていてはならないのだ。長い長い時の果てまで、永遠に志葉家当主である殿を守って闘うのが、池波家に課せられた運命なのだから。 そのために、自分は何をしなければならないのか。流ノ介がああいう想いでいるのならば、自分は? 改めてそう考え始めた流三郎の脳裏に、何かに引きずられるようにして蘇ってきた苦い記憶があった。 そうだ。 池波家に残された者には、しなくてはならないことがある。 今となっては笑い話にしか思えないが、それが危ういと思った時期があった。何故、すっかり忘れきっていたのだろうか。 その危機は、外道衆との闘いそのものではなく、志葉家家臣・シンケンブルーの存続と言う意味での危機だ。自分がその絶望の淵に立たされたのが、そんなに昔のことではないことを改めて思い出した流三郎だった。 小説 次話 2014.08.17 池波家の昔のお話が続きます。 でも実は、これも丈瑠に繋がっているのです……… さて、金曜日から始まっていたコミケも今日が最終日。 例年と比較したら、過ごしやすかったのではないでしょうか? 今日も涼しいといいですね♪ |