春 愁  19






 流ノ介の歌舞伎の才が惜しいだのと、浮ついている場合ではない。
 そうだ。
 流ノ介だとて、幼い頃は………

 流三郎が絶望の淵に立たされたのは、いつのことだったろう。
 三百年に渡る外道衆との闘いの中でも、ドウコクとの闘いは最も長かった。その何代にも渡る闘いが志葉家とその家臣に残した傷は深かった。それがじわじわと志葉家とその家臣を蝕み、どうにもならないところまで追いつめられたのは………
「十七年前………」
 これを遠い昔と感じるかどうかは、その人、その時次第。
 今の流三郎にとっては、これは遠い過去のことではなくなっていた。







 遥か昔からの池波家の教え。
 池波家の男子として、なによりも大事なのは『志葉家家臣』としての己。
 歌舞伎役者などというものは、食べて行くための方便。志葉家家臣として永遠にあるための、仮の生業に過ぎぬ………。

 これが池波家の教えの中でも、最も重要なポイントだった。
 志葉家家臣と歌舞伎役者。この二つの間で揺れ動く心。
 長兄も次兄も言葉にはしなかったが、このことで悩んでいた。それを知っている流三郎は、いつか兄らの子供たちもこの二つの選択に悩むだろうと思った。だから、次兄が家を出た後、池波家を任された流三郎は子供たちに教えた。
 『池波家の男子として、なによりも大事なのは志葉家家臣としての己』だと。
 いざという時に、決して道を外さぬように。それはもう洗脳と言っていいほどに徹底的に、何度も何度も教え込んだ。

 そんな中でも、ドウコクと次兄の闘いが続いていた。流三郎は教えは教えとして厳しい態度を貫いていたが、一方で池波家を必死に盛りたて、子供たちにはなるべく悲愴感を感じさせないようにして過ごしていた。
 兄の子供たちは、その父たちの溢れるばかりの才能を受け継ぎ、歌舞伎の才にも剣の腕にも秀でていた。志葉家家臣としての心構えも、素晴らしかった。しかし、ただひとつ、決定的なものが欠けていた。
 どの子にも、モヂカラの兆候が見られなかったのだ。流三郎は自らの経験から、十歳を過ぎてモヂカラが発現しない場合は、モヂカラの才能がないのではないかと危惧していた。それでも諦めることなく、剣の稽古もモヂカラの稽古も続ける流三郎。そんな流三郎に逆らうこともなく、懸命に付いてくる子供たち。ただ従順な訳ではない。ドウコクとの戦闘の詳細を知らずとも、池波家の在り様をよく理解している子供たちだったのだ。
 そうこうしている内に、子供たちはどんどん大きくなり、モヂカラを発現させないまま、十歳を過ぎて行く。従兄弟たちと年が離れて生まれた流ノ介だけはまだ五歳になったばかりだったが、やはり従兄弟たち同様にモヂカラの片鱗も見ることができなかった。

 流三郎は焦った。
 池波家当主とはすなわち、シンケンブルーに成り得る者。流三郎も実際にシンケンブルーとして闘ったことはないが、シンケンブルーに変身することはできる。しかし、兄達の子供たちにも、流ノ介にもモヂカラがないとなれば、流三郎の次の代を担うシンケンブルーがいなくなってしまう。これは池波家断絶をも意味していた。
 歌舞伎界で確固たる地位を築いている池波家であったが、その本筋は志葉家家臣、シンケンジャーだ。シンケンジャーになれない池波家など、存在価値はない。世間から見たらこの論理は理解できないだろうが、池波家にとっては危機的な事態だった。

 そんな状態のまま数年が過ぎ、ドウコクとの最期の決戦が迫っていると、流三郎は次兄から連絡を受けた。次兄に何かあった時は、流三郎がシンケンブルーとして出陣しなくてはならない。その前に、自分の次にシンケンブルーになる者を決めておきたかった。その子に、池波家に伝わるシンケンブルーとしての技を、ひとつ残らず伝授しておきたかった。しかし、モヂカラが発現しないのでは、それもできない。
 次兄が必死に闘っている中、流三郎は自らに課せられた使命が果たせず、焦りが増していくばかりだった。

 確かに、流三郎の父の代あたりから、池波家全体としてモヂカラが弱くなってきていた。それは池波家だけではなく、志葉家家臣の家系全般、もっと言えば志葉家そのものにも言えたようだ。つまり志葉家及びシンケンジャーの弱体化とそれによるドウコクへの苦戦は、モヂカラが弱くなった、まさしくそこに起因していたのだ。
 いよいよ戦局が危うくなって来た頃、この、モヂカラ弱体化に対処するために志葉家が策を講じようとしていると、流三郎は次兄から聞いて知った。しかし漏れ聞こえてくる策でどうしてモヂカラが強くなるのか、流三郎には理解できなかった。志葉の血に連なる者を増やす………という策。これで、モヂカラが強い者が出てくるのだろうか。すそ野が拡がれば山も高くなるという理屈に一面の真実はあるが、モヂカラのような特殊な才能でも言えるものなのか。さらにその策に効果があったとしても、それは志葉家だけの問題。家臣のモヂカラ強化はどうしたら良いのか。流三郎は悩んでいた。

 しかし、モヂカラの弱体化どころではない。心配すべきはモヂカラの消失にまでなってきている。
 シンケンレッドに続く強さであるべきシンケンブルーの次々候補がいないとなれば、遠くない未来にこの世が外道衆に蹂躙されてしまうことは必至。

 あの時の絶望的な想いが、流三郎の胸に臨場感を持って蘇る。







「あなた」
 流三郎が目を開けると、その前には心配そうな妻の顔があった。
「あなた、どうかなさいました?お顔の色が………」
 胸が締め付けられるような思い出に浸っていた流三郎は、翻って花が零れるような笑みを妻に返した。

 そうだ。
 あの絶望を忘れてはいけない。
 志葉家とシンケンジャーがいなくなるということの意味を、もう一度噛みしめねばならぬ。
 ドウコクを倒した今と言うが、それは十七年前のあの時と、何が違うと言うのだ?
 平穏な日々に目を眩ませてはいけない。
 今、目の前にある幸せだけに酔いしれてはならない。

 流三郎は自分に言い聞かせた。







 十七年前、絶望に駆られた流三郎の予感は、ドウコクは封印したがシンケンジャー全滅という志葉家からの悲報で現実のものとなる。
 次に何かあれば流三郎自身がシンケンブルーとして起つとしても、それまでにさらに次代のシンケンブルーを育てなければならないのに、その人材がいない。

 流ノ介とその従兄弟たち、総勢五名。
 池波家では子孫を残す必要性をさんざん説かれていたからこそ、これだけの後継ぎ候補の子供がいるにも関わらず、誰一人、モヂカラを持っていないのだ。
 歌舞伎の才能に溢れんばかりの流ノ介と従兄弟たちで、歌舞伎宗家としての池波家はこの世の春とばかりに華やいでいたが、そんなものは、この世が存続していてこそのもの。歌舞伎の稽古よりもよほど時間を取って行われていた剣の稽古や訓練に、文句も言わずに必死についてくる子供たちを嬉しく思いつつも、モヂカラがないのではどうにもならないと焦りが募り、追い詰められていく流三郎だった。







 そんな流三郎がいつの間にか、その絶望から解放されることになる。
 それは、奇跡的な幸運だったのか。あるいは、なるべくしてなった結末なのか。
 さらに、それがいつだったのか。古い日記を紐解けば確認できるのだろうが、今の流三郎にははっきりとした記憶がなかった。いつの間にか………流三郎にはそうとしか記憶がない。気がつけばいつの間にか、十歳をとっくに超えていた子も含め、全ての子供たちがモヂカラを身に着けていたのだから………

 ただ流三郎は、それに先駆けて転機となった出来事だけは、妙にはっきりと覚えている。
 それは、ドウコク封印とシンケンジャー全滅の悲報から半年ほども経った、ある日のことだった。




 流三郎は、池波家別邸の病床にある叔父、先々代池波家当主に呼び出された。
 流三郎の父は、叔父の前にシンケンブルーとして起ち、とうの昔に亡くなっている。流三郎は自分の父の顔も知らない。流三郎の兄たちは叔父に育てられたようなものなのだ。叔父に続いて流三郎の長兄がシンケンブルー=池波家先代当主となり、次兄は当主の座を流三郎に譲り、シンケンブルーとして志葉家に出仕した。多分、次兄はこの時すでに死ぬことを覚悟していたのだろう。

 東京の外れ。
 緑深い山中に建つ数寄屋造りの邸宅で、先々代池波家当主は療養をしていた。

 近頃の流三郎の焦りを知る先々代池波家当主は、陽射しが柔らかに射す病床に横たわったまま流三郎に告げた。
「志葉家から連絡を頂いた」
 あまり見かけない姿の黒子が来ていたと、先ほど手伝いの者から報告を受けていた流三郎だった。現在の池波家当主ではなく、先々代当主に連絡が来たことに違和感を覚えたが、志葉家黒子からの連絡となれば、自分がシンケンブルーとして起つことの要請かと、一瞬にして表情を引き締める流三郎だった。
 しかし、話は違った。
「殿の………先代殿のご長子が、無事にお生まれあそばされたそうじゃ」
 嬉しそうに先々代池波家当主である叔父が語る。それは本当に嬉しそうだった。
 しかし流三郎は、とてもそんな気持ちにはなれない。叔父が語るところの先代の殿とは志葉雅貴のことであり、昨年、既に戦死している。その志葉雅貴に仕えていた侍たちも、次兄を筆頭にほぼ全滅状態。挙句に、次々代シンケンブルー候補はどこにもいないし………と、考えれば考えるほど悲愴な未来しか浮かんでこない。しかし、折角嬉しそうにしている叔父に水を差すのも大人げない。
 流三郎は沈んでいく気持ちをひた隠し、
「それはおめでたいことで………」
 と言いかけた。しかし流三郎は、そこではたと言葉が途切れてしまった。
「………? 先日ご就任された志葉家の十八代目ご当主様は………それでは雅貴さまの御子では………」
 不思議そうに呟く流三郎を、叔父は深い眼差しで見つめていた。そして一言呟く。
「他言無用」

 シンケンブルーとしても志葉家家臣としても未だ起っていない流三郎は、志葉家家臣として何をすべきか知っていても、志葉家の内情には詳しくない。むしろ、志葉家十五代当主時代から志葉家に仕えていた、先々代池波家当主である叔父の方が志葉家には精通していた。もっと言えば、志葉家の正式通達以外では、その叔父から志葉家の状況を教えてもらうしか伝手はなかった。
 しかしそれを不服に思ったりするような流三郎ではなかった。このような情報統制は、外道衆からの安全を保障するためにやっていることだ。流三郎を蚊帳の外とするのは、むしろ志葉家家臣の家系に対する、志葉家の気遣いでもあるのだ。
「ああ、いえ。これだけ戦闘が激しいと、長子相続ばかりとはいかないでしょう」
 とは言うものの、流三郎は知っていた。
 長兄が志葉家に入って以来、ずっと次兄と戦況を確認してきた流三郎なのだ。次兄がシンケンブルーであった時、既に志葉家の血筋に連なる者は、志葉雅貴しかいなかった。次兄はそれをとても心配していた。
 どんなに薄くても良いから志葉家の血がどこかにないかと探してみても、戦闘に明け暮れる志葉家当主に隠し子など作る暇があるはずもなく、先細り一方の志葉家だったのだ。このままでは血筋が途絶えてしまうと言う危惧は、家臣の中では公然の秘密だった。
 だから、志葉雅貴の長子がここ最近に無事に生まれたということならば、今の志葉家当主は、志葉の血を引かぬ者ということに他ならない。







 別邸から運転手付きの車で帰る道すがら、後部座席に一人座る流三郎は考え続けた。
「どういうことだ?」
 多くを語ろうとしない叔父には、何を聞いても無駄だ。
 しかし………
「今の志葉のご当主様は………志葉の血に連ならない者?」
 としか考えられない。
「では、現ご当主さまは、何者なのだ?」
 とは言え、現志葉家当主がどのような人物なのか、その年齢すら知らない流三郎だ。もちろん会ったこともない。そして志葉家からの許しなくして、会うことも許されない。
「それに、生まれたばかりの先代殿のご長子はどうなるのだ?今の殿の次の………十九代目当主となられるのか?」
 目を閉じ、考え続ける流三郎。
「それともこれが、『志葉の血に連なる者を増やす』策なのだろうか?」
 流三郎が行き着いた答えはこれしかなかった。志葉雅貴の長子はどこかで密かに育てられ、表舞台には立たずに志葉一族の血を増やすことに専念するのだろうか。

 そこまで考えた流三郎は、その結論に背筋が寒くなった。
 そうなると今の志葉家十八代目当主は
「影武者………」
 としか考えられない。表向きの当主として、志葉家の血を引く者を隠すために立てられたのだ。もちろん外道衆の目を欺くために。


 流三郎は、叔父に呼び出された理由が分かったような気がした。
 『先代殿のご長子が生まれた』
 祝いの品を送る相談でもなく、ただ誕生それのみを伝えるためだけに呼び出された、その理由が。そして、祝い事であるはずなのに他言無用な理由も。
 叔父は無言であるが故に、言ったも同然となることを流三郎に伝えたのだ。
 
 流三郎は難しい顔になった。
 志葉家家臣の中でも一の家臣と名高い池波家。その現当主である自分が、今しなければならないことは何だろう。
「ならば………」
 流三郎はひとつの結論に達する。
「お支えせねばならぬだろう。名のみのとは言え、志葉家十八代目当主様を」
 普通に考えて、志葉家の血を引かぬのであれば、現当主はシンケンレッドになれないだろう。ドウコクをひとまずは封印した現在であるが、ナナシなどの小者外道衆との闘いはなくならないはずである。しかし、シンケンジャーになれない者に、外道衆と闘えるはずがない。
「そうだ。私が殿としてお支えして行かねばならぬ。殿を外道衆からお守りせねばならぬ」
 この策が先代当主の意思ならば、それが影武者であろうとも、現当主を支えることこそが志葉家家臣のすべきこと。

 真面目で律儀な池波家の者なれば、流三郎がそう考えたのも当然だった。
 即座に、自分が出仕した後のことを勘案する。流ノ介はまだ八歳と幼いが、その従兄弟たちのうちで最も年長な流太郎の長男は、この春に大学を卒業していた。まずはその者を次期当主と考えよう。モヂカラを持つ者がいないのならば、そうするしかなかった。

 話は早い方が良いとばかりに流三郎はすぐさま車をUターンさせた。
 この決意を叔父に伝えるためだった。













小説  次話






2014.08.31


いよいよ丈瑠の話に近づいてきました………が
まだまだ先は長いです。

HISTORY BOYS 観て参りました。
おもしろかったです♪