春 愁  21






「流ノ介を呼んで、詳しい話を聞きましょう。今すぐに流ノ介をここへ………」
 そう言う甥に、流三郎は首を振った。
「叔父上?」
 流三郎は甥の顔を真正面から見据える。
「志葉家に出仕したのは流ノ介だ。志葉家との関わりは、当代シンケンブルーである池波流ノ介のみが背負うもの。それ以外の者には、例え池波家の者であろうとも、何を言う資格も権利もない」
 一瞬、呆気にとられた顔をした甥だったが、すぐに気を取り直す。
「叔父上、私は、殿のご容態を知りたいのです。さらに今後のこともあります。このようなことが起きるのであれば、考え直す必要があるかも知れない。だから、流ノ介の気持ちを確かめておきたいのです」
 流三郎は目を見開いた。
「………流ノ介の気持ち?流ノ介のどのような気持ちを確かめるというのだ?」
「決まっています。流ノ介の歌舞伎への思いを確かめたいのです」
 当り前のように言われて、流三郎は面喰った。
「昔から教えて来たように………池波家に生まれた者にとって大事なのは、志葉家への忠義」
「叔父上!」
 甥は膝で詰め寄る。
「そのようなことは判っております。それでも迷うのが人の心。私は流ノ介の覚悟が知りたいのです」

 思い詰めたような表情の甥。
 それは、歌舞伎役者としての才能も名声も欲しいままにし、余裕綽々という風情を醸し出しているいつもの甥とは、全く異なる姿だった。
 考えてみれば、先ほど話しかけられたその時から、甥の様子はおかしかったかも知れない。流三郎はそう思った。

「龍一」
 流三郎は、改めて甥:龍一に向き合った。
「何故………そのようなことを知る必要がある?それに、今後のこととは………何を考え直す必要があると言うのだ?」
 流三郎は言葉を慎重に選んだ。
「もし流ノ介に歌舞伎への思いがあるのだとすれば………」
 流三郎には、龍一が話を進めようとしている方向が見えなかった。
「あるとすれば………何を考え直し、どうしようというのだ?」
 龍一は、そこで一度身体を引く。
「流ノ介が………歌舞伎の世界に未練を持っているのであれば………」
 そして、流三郎をまっすぐに見つめながら言った。
「流ノ介には、正式に歌舞伎に戻って貰いたい」
 眉を寄せる流三郎。しかしそれだけでは終わらなかった。
「そして歌舞伎宗家としての池波家、その次代宗主を担って欲しいのです」
 今度は流三郎が呆気にとられる。

 志葉家家臣としての池波家次代当主は、シンケンブルーである流ノ介だ。しかし、歌舞伎宗家としての池波家を継ぐのは、この甥:龍一だ。それは、流ノ介が志葉家に出仕することになった時に、当然の流れとして決まった。流ノ介が生きて返る保証がなかったからだ。無事に戻ってきた今となっては、流ノ介が歌舞伎宗家を担ってくれたらという想いも、あることはある。しかしそれは現実の話ではないはず……

「歌舞伎宗家・池波家の名跡を継ぐのは池波龍一、お前だ。そうではなかったのか」
 一息ついてから、流三郎は静かに言った。
「歌舞伎宗家・池波家をお前が継ぐと思えばこそ、一門の誰もが、いや、歌舞伎界の誰もが安心していられる。弟子たちへの指導、歌舞伎界への貢献。それだけではない。興行という面でも………歌舞伎の池波家を次に背負って立つのは、池波龍一だ。流ノ介ではない」
 こう言い切ってしまうことに、僅かの躊躇いもなかった。一方で流三郎は、自分の流ノ介に対する浮ついた想いが、こんなところにまで波紋を拡げてしまったのかと後悔する。
「志葉家家臣を流ノ介が担うのと同じように、歌舞伎の池波を背負って行けるのは、お前しかいない。私ももちろんそう思っている。流ノ介の歌舞伎の才能を惜しく思うのとは、また別の話だ」
 だからこそ、言葉を重ねた。しかし、真剣な眼差しの甥の目に、迷いの色は浮かばなかった。流三郎は、頭の片隅でまたも思う。甥のこの眼差しと良く似た眼差しを、どこかで見た気がする、と。
「叔父上や皆の私に対する期待は分かっております。それに、池波家次期当主である流ノ介が帰還したからと、私が流ノ介に遠慮している………などという訳でももちろんない。ただ………流ノ介の歌舞伎に対する一途な精進を見ていると、流ノ介が歌舞伎宗家を背負っていくという絵も、決して悪いものではないと思えるのです」
 流三郎は戸惑った。龍一は、流三郎の流ノ介に寄せる期待を先読みして言っているのではないようだ。それでは、どういうつもりで龍一は、今更、こんな話を持ち出してきたのか。
 それは龍一が続けた言葉で判明した。

「いや、叔父上。今のは言い訳でしかないですね」
 そう言ったかと思うと
「申し訳ありません!」
 流三郎の前で、龍一はいきなり、床に額が付くかと思うほどに頭を下げたのだ。
「流ノ介が歌舞伎をやりたいと言うのであれば、私は流ノ介に歌舞伎宗家を私の代わりに継いで欲しい」
 事態が飲み込めない流三郎に、龍一は決定的な一言を告げた。
「そして流ノ介の代わりに、私がシンケンブルーとして志葉家に出仕することを………どうか!!どうか、お許しください!!」

 ゆっくりと顔をあげて、龍一は流三郎を真っ直ぐに見つめ返した。どこかで見たこの眼差し。
 それは、つい先ほど、舞台の上で流三郎を見返して来た流ノ介の眼差しであり、遠い日の、二人の兄が志葉家に向かう時の眼差しでもあった。
 そしてまたそれは、流三郎自身が、自らの叔父に向かって、志葉家出仕の話をしていた時の眼差しとも同じであっただろう。







「……何故………」
 あまりのことにまともに口もきけない流三郎。
「私は池波家の男子です」
 しかし龍一は、流三郎の疑問に間髪入れずに答えを返した。
「池波家の男子として、なによりも大事なのは『志葉家家臣』としての己。歌舞伎役者などというものは、食べて行くための方便。志葉家家臣として永遠にあるための、仮の生業に過ぎぬ………と教えてくださったのは、叔父上ご自身ではありませんか」
 龍一は続ける。
「私が七つの時に亡くなった父。その父の志葉家家臣としての姿に憧れて憧れて………その父が勤めていたシンケンブルーに、誰よりも何よりもなりたいと………ずっと思っていました」
 龍一の言う父とは、流三郎の長兄:流太郎だ。幼かった流三郎にとってもヒーローだった流太郎。誰もが憧れていた流太郎。その流太郎にそっくりに成長した甥:龍一。流三郎の胸に、何かがすとんと落ちるのを見て取ったかのように、龍一は静かに頷いた。
「歌舞伎での名声も成功も、私にはいらなかった。歌舞伎役者になることよりも、ずっと深く、熱く………そして重く、私はシンケンブルーになりたかったのです」
 何十年も身近にいた甥の心の奥底にしまわれていた想い。それを、今、初めて、流三郎は思い知る。
「何よりも、父と同じシンケンブルーになりたかったのです」
 絞り出すように語られる龍一の言葉。
「………そう……そうか。いや、もちろん池波家の子供は誰もがシンケンブルーを目指してはいた。龍一もそうだったが、それほどとは………」
「歌舞伎の才能はありましたが、モヂカラの才には恵まれなかったので、諦めていました」
 そう言うと龍一は、自嘲気味な笑みをもらした。
「あの頃は………どれほど努力しても、僅かなモヂカラさえ得ることができなかったのです。諦めるよりないでしょう」

 その言葉の重みに、流三郎はかつての甥の姿を思い浮かべた。
 確かに誰よりも努力家で、誰よりも真面目に真摯に、志葉家家臣になるための修行に身を投じていた。
 ただ、あの頃の池波家の子供たちは誰もがモヂカラを持たなかった。一番年上のこの甥は、成人式を迎えてもモヂカラを発現できなかった。従兄弟たちの中で一番年下の流ノ介と、流ノ介に一番年が近い流次郎の次男を抜かす3人の子供たちについては、さすがに流三郎も諦めていた。

「あの頃、もしモヂカラが得られるのであれば………他の全てを捨てても構わないと思っていました」
 龍一は言う。
 考えてみれば、当然かもしれない。龍一は、流三郎の長兄の長男なのだ。順番から行けば、流三郎の次のシンケンブルー候補は、当然この甥だったはず。本人もそのつもりで修行に励んでいたのだろう。
 だからこそ、モヂカラがないことがどれほど悔しかったか。もちろんそれを表に出すような龍一ではない。ただ一人、胸の内で苦しんでいたのだろう。
「それほどの想いを………。そうか、そうだな。当然か。あの兄上の………自慢の息子だ」
 流三郎の胸にこみあげてくる想い。

 十七年前、モヂカラがないことに苦しんでいたのは流三郎だけではなかったのだ。
 幼い流ノ介だけは理解していなかっただろう。けれど、他の子供たちは理解していた。このままでは大変なことになると。あの時すでに成人していたこの甥ならば、流三郎と同じように悩んだだろう。それも、モヂカラを持たない自分自身を責める形で………

「ですから………それほどの想いを叶えて下さった殿に、恩返しをしたいのです。いえ、恩返しとは差し出がましい………ただただ、殿にお礼を申し上げたい。そのために全身全霊を込めて、お仕えさせて頂きたいのです」
 流三郎は甥の言葉に感動を覚えながら聞いていた。しかし、ふと何かが引っかかる。
「この世を救ってくださったことへのお礼。そのための力を志葉家に、そして私たちにも授けてくださったお礼………」
 龍一はまるで熱に浮かされたように熱く語る。
 それに頷きながら、流三郎の頭の隅で違和感が大きくなっていく。
「そのための機会を………シンケンブルーになることで果たしたいのです」
「いや、待て………少し話を整理したい」
 流三郎がそう言いかけたとき、背中からよく通る声が響いた。
「そんな必要はない!!」
 それは庭を切り裂くような鋭い声だった。







 振り返ると、そこにいたのは流ノ介だった。
「私の……池波に戻ってからの言動が悪かったのでしょう。そのために龍一兄さんに変な誤解させてしまったことは謝ります」
 そう言いながら、流ノ介は舞台の上に歩み出てきた。
「しかし、先ほど父上にもはっきりと申し上げました。私は歌舞伎を続けるつもりはありません。私は歌舞伎宗家;池波家とはもう関係ない。私は、志葉家家臣、シンケンブルー:池波流ノ介なのです。それ以外の何者にも成り得ない。私はこの生涯のすべてを殿に捧げる覚悟です」
 まさか、今の会話を当の本人の流ノ介が聞いているとは思わなかった龍一は、戸惑いの表情を浮かべながら立ち上がった。
「いや、だがな流ノ………」
「武士に二言はありません」
 その場を取り繕うような龍一の言葉を、一言のもとに切り捨てる。
「この話はもう二度としないでください」
 冷え冷えとした瞳で自らの父親と年長の従兄を睨むと、流ノ介はさっと身を翻して舞台から去っていった。
 

 流ノ介が橋掛かりを行く後姿を、流三郎と龍一は微動だにせずに見送る。やがて流ノ介が鏡の間に姿を消すと、龍一がバツが悪そうな顔を流三郎に向けた。
「………怒られてしまいましたね」
 そして、大きく息を吐く。
「そうですか。流ノ介は覚悟を決めたのですね」
 そう言って、自ら大きく頷いた。
「それならば、私の出番は………どこにもありませんね」
 自分に何かを納得させるかのように、もう一度頷く。暫くの沈黙の後、龍一は流三郎に丁寧に頭を下げる。そして、流ノ介と同じように橋掛かりに向かった。
「待ちなさい」
 その背中に流三郎が声をかけた。
「私は、お前の話をもっと聞かねばならないようだ」
 龍一が驚いたように振り返る。そして微かに笑んだ。
「いえ。先ほどの言葉は忘れてください、叔父上。戦いから戻り、踊りに没頭する流ノ介の姿を見ていたら、有り得ない可能性を思いついてしまったのです」
 そう言って、龍一はわざとらしく頭を掻いた。歌舞伎界でも気さくな性格で知られる龍一らしい仕草だった。
「もしかしたら……と思ったら、年甲斐もなく、後先考えずに熱くなってしまいました。ええ。もしかしたら、今ならば私もシンケンブルーとして志葉家にお仕えできるのではないか……と」
 そこでふと龍一は遠い目をした。
「ドウコクのいない今ならば、私のモヂカラでも殿のお役に立てるのでは………と」
 そこで、何かを振り切るように、龍一は首を振った。
「父:流太郎ですら倒せなかったドウコクを倒した流ノ介との力の差は歴然としているのに………本当に血迷ってしまいました。これこそ、血迷ドウコク………あ、いや血祭ドウコクですか。いやはや、お恥ずかしいかぎりです」
「いや、私が聞きたいのはそのことではない」
 龍一が場を和ませようとしているにも関わらず、返す流三郎の言葉は堅いままだった。それに龍一は意外そうな顔で僅かばかり思案した。
「………大丈夫です、叔父上。先ほどの話でご心配になったのはもっともですが、歌舞伎宗家は私がきちんと継ぎます。いい加減なことにはしません。叔父上が盛り立ててくださった池波一門。それをもっともっと盛り立ててみせましょう」
 歌舞伎役者らしく振りをつけてお道化る甥。流ノ介と同じように、袖を一振りするだけでも、花が辺りにこぼれるような錯覚さえ起きる。それこそ華のある役者なのだ。池波の次期宗主:池波龍一は。それでも流三郎の表情は硬いままだった。
「それに関しては、お前を信用している。だが聞きたいのはそのことではない」
「………えっ?」
 そこでやっと龍一は叔父が歌舞伎とは別のことを言っているのだと気付く。
「それでは………志葉の殿のお怪我の話でしたら、叔父上がさきほど仰られたように、私の出る幕ではないと理解しましたが………」
「殿のお怪我は気になる。それについては、後ほどなんらかの対処をしようと思う。しかし、それよりももっと気になることができた」
 流三郎はそれだけ言うと、妻を振り返った。
「急ぎ、せねばならぬことができた。龍一と奥の書斎に籠る」
「…それではすぐに、お茶を用意させ………」
「いや、今日はもう遅い。戸締りをして仕舞なさい。みなにも言っておきなさい」
 それは、龍一との話が遅くまでかかるということ。さらには、人払いもせよとのことだった。奥の書斎は離れにあり、密談に適していた。

 妻も強張った表情で頷く。

 志葉の殿さまの怪我のこと。
 流ノ介の歌舞伎のこと。
 思いかけずに知ってしまった龍一の心のうち。

 ………心配の種が短時間に降り注いだ結果となった訳だが、流三郎はそれとは違う何かを気にかけていた。けれどそれを詮索してはならないことを承知している流三郎の妻だった。









小説  次話






2016.5.7


すみません m(__)m
前回更新から一年半以上経ってしまいました〜(@@)

いまさら更新して、読んでくださる方がいらっしゃるかはアレなんですが
なにしろ、ENDまで話はあるので(書いてはいないですが頭の中にある)
とにかく終わらせないと気持ち悪い。


更新できなかった言い訳は………
仕事が忙しくて、それで頭がいっぱい………
これに尽きます。
病気でもなんでもないんです。
ご心配かけて申し訳ありません。

詳細は、雑記にて?
次回以降もなんとか、頑張りたいです orz

それで次回ですが
もうあまりにも丈瑠が出てこないので
次回は志葉邸に戻ります。

ちなみに、過去話詳細を忘れているため
鋭意、記憶取り戻し中です(ToT)