春 愁  22






 志葉家にとってその夜は、いつになく長く暗いものだった。それでも、夜は必ず明ける。
 志葉家の広大な庭園に、穏やかな朝の光が射し始めた。
 小鳥たちが啼き始め、木々の間を渡ってきた爽やかな風が、丈瑠の部屋にも流れ込む。丈瑠の床の周りに緊迫した面持ちでいる人々の間を通り抜けた薫風は、丈瑠の白い頬も掠めた。すると、その風が闇を吹き払いでもしたかのように、丈瑠の顔に赤みが差してきた。息づかいも徐々に整い始める。







 こういう状況を空気が変わると言うのだろうか。たったそれだけのことで、気持ちも大きく変わる。
 黒子はもちろんのことだが、その朝の彦馬の表情は、いつになくすっきりしたものとなった。それはもちろん、丈瑠の容態が一息ついたためであったが、それだけではなかった。彦馬が抱えていた悩みに対する結論が出ようとしていた。
 彦馬は、傍らで眠る丈瑠の顔を優しく見つめた。


 ドウコクとの闘いに勝利して以来、丈瑠の傍から離れる時期を見計らっていた彦馬だった。しかし、それに関して性急に答えを出すことをやめ、ひとまず現状維持することにしたのだ。結論だけ聞くと、判断の先延ばしにしか聞こえない。そう思うからこそ、ドウコクとの闘いの終結という区切りを大事にしたかった彦馬は、このような結論を下すのを避けていた。
 しかし、やはり今、丈瑠の傍を離れるべきではない、と彦馬は考えた。

 今、志葉家や丈瑠の未来について何かを判断するには、明らかに情報が足りない。それなのに、自分は丈瑠の成長の妨げになるのではないかという不安から、志葉家を去るという考えに固執し続けている。これは、丈瑠のためと言うより、自分のため。自分に課された命題--志葉家当主を見守る役割--から逃げているだけではないか。彦馬はそう考えたのだ。
 ドウコクを倒した今、自分に何らかの役割が残っているとは思っていない彦馬だった。自分の役割は、若い力を持った別の誰かが担うべきと、今も考えている。
 しかし、何かが嫌な方向に静かに変化している予感のする今は、老人の知恵も役立つかも知れない。それならば、志葉家を、そしてその志葉家を支える丈瑠の状態と意思を、今暫し見守ろう。丈瑠が本当は何を望み、どこへ向かおうとしているのかを、丈瑠の傍で見つめ続けよう。さらにその間に、丈瑠のためになると思われる情報収集も続けなければなるまい。

 白澤家がどのような家系なのか。
 丈瑠がもともと持っていたモヂカラや、白澤家の操るモヂカラのような力は何なのか。
 それらは言い換えれば、丈瑠の生まれに関わる秘密を調べるということだ。
 志葉家の正式な当主となっているにも拘わらず、丈瑠が影武者であったことを蒸し返すかのようなその調査。彦馬には気の進まないものだった。昨晩、このような調査は意味がないのでは………とも考えた。しかし、これを避けては通れないのだ。

 いつか、様々なことが明らかになり、彦馬自身が迷いなく志葉家を去ることができる時が来たならば。それが丈瑠のためになると確信できたならば。その時改めて、それら調査結果を全て丈瑠に話そう。それまでは、ドウコクとの闘いを見据えていた十七年間と変わることなく、丈瑠に寄り添い続けよう。

 これが、重い空気の流れる闇の中で、彦馬が出した最初の答えだった。







 一方で、昨夜の千明の言葉に触発されて考えている内に、彦馬は気付いたのだ。丈瑠のこれからを考えた時に避けて通ることができない『志葉家当主の宿命』に、改めて深く向き合う必要があることに。
 志葉家が外道衆に勝ち続けるための道はどこにあるのか。その道のはるかな先はどこに繋がっているのか。
 それが、丈瑠が望む未来を知る、ひとつの手がかりになるだろう。


『志葉家当主の宿命』

 志葉家の当主は、外道衆と戦い続けなければならないが、その宿命のさらに先にある、もっと重く暗い『宿命』。
 丈瑠の苦しそうな顔を見ながら彦馬が夜っぴて考え、夜明け前のまさに真闇の中で手にした答えは、これもまた最初の答えと同様に、彦馬が望むようなものではなかった。
 いや、望むどころか、絶対にあってはならぬこと。志葉家家臣としてもあまりに不遜な考え………しかし、答えを手にしてみれば、自分はとうの昔にこの答えを知っていたのだろうと感じずにはいられないこと。だからこそ、今まで自分はそれを突き詰めて考えるのを避けていたのではないか。答えを出したくなかったのではないか。
 夜っぴて考えなければ得られなかった答えだが、それは、夜っぴて答えを出したくなくて、答えの周りを堂々巡りしていただけだったのか。
 そう思えるほど、簡単で、すんなりと納得できてしまう答えだった。

 そして、思わずにはいられない。丹波はとうの昔にしっかりとこの答えを認識済みだろう。
 こんなことを丹波に話したら
「何をいまさら」
 と鼻で笑われてしまいそうだ。そして言われるだろう。
「口に出して言うことではないわ」
 とも………
 認識していているからこそ、丹波はああなのかも知れない。

 そう。長く志葉家に仕えていれば、やがては薄々気づいてしまうことなのかも知れない。
 けれど、明確にしたくないこと。決して口には出さないこと。

 志葉家が外道衆に勝って行く道の、さらにその先はどこに繋がっているのか………それは結局、闇にしか繋がっていないという答えに、彦馬は辿り着いた。
 闘いを生きながらえて、さらに強くなるべく道を進めば進むほど………外道衆との闘いを主導する志葉家当主は、深い闇に包まれていくしかない。そして………その最終的な姿は、腑破十臓のような修羅と化したはぐれ外道となんら変わりないだろう。それが、『志葉家当主の宿命』だ。
 未来永劫、この世の続く限り、外道衆と闘い続けなければならない志葉家。
 そのために、志葉家には、外道衆と闘うため以外にもしなければならないことがある。それは、外道衆と闘うための志葉の血を、未来永劫、繋いでいかなければならないというもの。このふたつの闘いは、どちらが失敗してもこの世の破滅に繋がってしまうだろう。

 三百年の昔から、志葉家はこの二つを守ることに必死になってきた。そのためには、非道なこともしなければならなかった。
「外道衆からこの世を守るために、自らが外道に等しいことをする」
 志葉家十七代目当主・志葉雅貴の悲痛な叫びが、まさにそれを言い表している。

 つまり、外道衆との闘いに適合すればするほど、外道衆との闘いのためのモヂカラが強くなればなるほど………外道衆に近くなっていくのだ。闘えば闘うほど、当主の身の内に潜む闇は大きくなって行く。やがてその闇は、当主自身を呑み込んでしまうほどに成長していく。
 ただ、それが顕在化しないための救いもある。志葉家当主は外道衆との闘いで若くして亡くなってしまうことが多いため、身の内に潜む闇に呑み込まれる前に、生涯が終わる例が殆どなのだ。
 これが救いのなのかと問われれば、当主を支える身になれば、そうとしか言いようがない。外道衆を倒すための志葉家当主が外道に堕ちるなど、当主自身にとってあり得ない苦しみだろうと想像できる。外道衆を倒して命を落とす最期の方が、どれほど志葉家当主にとっては救われることか………などと考えてしまうこと自体が、家臣からして既に闇に足を掬われているのかも知れないが………

 彦馬は、丈瑠の枕元の暗がりで、改めて計算してみた。
 志葉家三百年の歴史において十九代の当主がいたが、ここ一年のごたごたを抜いて十八代とすると、各当主の平均在任期間はわずか十七年弱しかない。通常の志葉家当主は、死亡により代替わりするのが普通であるから、二十歳で当主になった者は三十七歳で亡くなる計算になる。その原因はもちろん、外道衆との闘いによるものであろう。
 現実の当主に置き換えてみよう。十七代当主・雅貴が、まさにこれに当てはまるではないか。それではと丈瑠に当てはめてみれば、幼くして当主になった丈瑠が当主を退くのは、まさにドウコクとの闘いと前後してということになる。

 符合しているのだ。

 外道衆と闘い続け、それだけに全ての生活の軸を合わせて生きて行く。それだけでもう、普通の社会生活を営める人間ではなくなるだろう。その上で、外道衆に勝つために、その闘いにのみ自らを適合させていく。闘いのためのモヂカラや剣の技のみを、ひたすら追求していく。他の全ては切り捨てて。
 そこまで行くと、それはもう人間ではない。ただ闘うためだけの化け物に他ならない。もちろんどの当主とて、ただこの世を守るためだけに、自らの命を投げ出して闘った。そこには、この世を守りたいという純粋な正義の想いしかなかったはずだ。
 しかし、当主の平均在任期間十七年。それを超えて生きぬいた当主は、果たしてどうなっていったのだろうか。優しく純粋な、それでいて揺るがない心を持ち、そのために自らを犠牲にして、血みどろの道を歩み続けた当主たちは………

 リーダーシップに優れ、家臣や黒子たちにこれ以上ないほど愛されていた十七代目当主・雅貴。その彼ですら、最期には精神的に追い詰められていた。ドウコクにだけではない。志葉の血を残すための闘いにも、追い詰められていたのだ。
 そして、あの言葉に行きつく。
「外道衆からこの世を守るために、自らが外道に等しいことをする」
 その覚悟が必要なのだと、雅貴は彦馬に語った。

 もしかしたら、あのドウコクとの決戦で、雅貴は死ぬべくして死んだのかも知れない。
 そうと本人は、初めから決めていたのかも知れない。そうでなければ………あの闘いを生き延びてしまっていたら………もしかしたら雅貴も外道と化していたのかも知れない。

 あの『影武者の策』とは、志葉家を未来に繋げるために、丈瑠を人身御供にするもの。しかし、それを計画した十七代目当主をも闇に堕とすものだったのかも知れない………
 それでも。それが分かっていても、当主は迷わずに実行したのだろう。外道衆と未来永劫 闘い続けるために。このような当主の在り方そのものもまた、闇に呑み込まれていく宿命に繋がるということなのだろうか………






 そうして今、彦馬は明るい光の中で思い出す。

 十七代目当主の前で、そして丈瑠の父親の前で誓った言葉。それこそが、日下部彦馬の、志葉家家臣としての覚悟だったのではないのか。
 その言葉は、「影武者」として生きねばならなぬ丈瑠の辛い心情について表現したつもりだった。しかしまた、この今にもぴったりの言葉ではないか。

 千明が言っていた。
 丈瑠が侍たちに求めた『覚悟』
 同じ「覚悟」ではあっても、その時々によって、その意味も深さも変わってきた。
 そしてドウコクとの闘いが終わった今、千明たちには、もう一段高い『覚悟』が必要なのだ………と。闘いの中にあるよりもさらに厳しい覚悟が必要なのだと。

 彦馬は自分に言い聞かせるように頷く。
 自らの老害を恐れて志葉家を去るなど、とんでもない。今こそ、彦馬にももう一段高く厳しい、志葉家家臣としての『覚悟』が求められているのだ。
 それは、ドウコクとの闘いが終わった丈瑠に普通の生活をさせて、修羅のような状態から普通の人間に戻し、闇の淵に立つ丈瑠をその淵から引き離すことではない。丈瑠が望んでいるのは、誰よりも強いシンケンレッドになること。そう彦馬が教え込んで来たのだから。志葉家当主はそうあるしかないのだから。
 そうだとしたら、今の彦馬にできる覚悟とは、もう明白ではないか。

『今日より、命をかけて支え続ける。堕ちぬように………我が殿として………』

 これしかない。

 誰よりも強いシンケンレッド。
 歴代当主の中でも完全無欠な志葉家当主。
 それに向かって、丈瑠がひたすら精進を続けるとしたら、その道は、志葉家当主の宿命として、闇の淵、その際ぎりぎりを歩くことになる。その淵から落ちないようにギリギリのバランスを見守るのが、彦馬の役目ではないのか。
 いや、闇の中に堕ちてすら、丈瑠が丈瑠でいられるように支えるのが、彦馬の志葉家家臣としてのあるべき姿なのではないか。

 志葉家当主としてより強くなろうとする丈瑠のために、その足枷になるやも知れない自分は丈瑠のもとを去るべき、という考えを捨てきれなかった彦馬。しかし違うのだ。丈瑠の足かせになるからこそ、丈瑠が別の世界に完全に呑み込まれてしまうのを防げるのだ。闇の中の丈瑠の一灯の道しるべになり得るのだ。

 ここまで考えた彦馬の頭に浮かんできたのは、またも丹波だった。
 あの丹波こそ、まさしく十七代目当主・雅貴の足かせとなり、最後の希望の一灯となり、雅貴を闇の淵ぎりぎりに留めおけた存在だったのではないか?雅貴は丹波が常に側にいたからこそ、勝てる見込みのない闘いにも、最期まで向かうことができたのではないか?
「私の後ろには丹波がいる。私が亡くなっても、後のことは丹波が何とかしてくれる」
 雅貴の精神が壊れずに最期を迎えることができたのは、丹波が雅貴を支えていたーーただそれに尽きるのかも知れない。

 改めて、志葉家家令:丹波の存在の大きさに感じ入る彦馬だった。
 そして、志葉家当主の一番身近につく家臣の役目の重さを改めて思い知る。もしかしたら、自分の役目は誰かに譲れるようなものではないのかも知れない。

 そうも思い始めた彦馬だった。









小説  次話






2017.1.6


あけましておめでとうございます。
またも、ながのご無沙汰をしてしまいました。
でもなんとか、松の内に更新できてよかった(^^)

昨年は個人的に(仕事的に)、衝撃的な年でした orz
会社生活も長いし、今までにもホントいろいろなことありましたけれど
またまた、\(@@)/な会社発表が8月になされました。
内容はその数か月前から聞いていました。
つまり前回更新直後に………ですかね。
それの対応で無駄に忙しかったデス。
ええ、本当に無駄に………ね(ToT)

自分的には「会社人生ランキング1位」のできごとと位置付けてあります。


とりあえずお話の方は、前回の予告通り、志葉家に戻って参りました。
サイト名「宵闇に百火繚乱」通りの
全てのお話のバックボーンとして想定していたことの
解説がごとき回になりました。
(サイトの『解説』サイト名の意味にもかいてありますけどね)

でもこの回で、私のイメージする志葉家の在り様って
分かって頂けたかと思います(^^)

でも丈瑠がまだ出てこない。
次回は本当に出てきますよ〜。

次回こそ、早々にUP目指します。
毎回書いていて、実現できていないですけど………