春 愁 4彦馬は、ため息をひとつついた。 彦馬は、丈瑠を育てることが決まった時から、丈瑠の出自を詮索するようなことはしなかった。丈瑠の父親がしっかりとした人物であることは直接会って知っていたので、丈瑠の父親がどのような家の出であるのかなど、知る必要を感じなかったからだ。ましてや、既に亡くなっている母親にしても同様だった。 しかし、丈瑠の母親の出自から思いがけない事態を迎える可能性も出てきた今、彦馬はもっと前に、丈瑠に関わる情報を収集しておくべきだったかと後悔する。 けれどそう思う反面、湧き上がって来る不信感も拭えなかった。 丈瑠を志葉家十八代目の影武者にと決めたのは、十七代目当主と丹波だ。この秘策は、当主と丹波が二人きりで綿密に練ったものだ。彦馬がこの影武者の策を聞かされたのは、丈瑠を志葉家に迎え入れる僅か一ヶ月前だった。しかし彦馬がそれを知らされた時、当時のシンケンジャーの侍たちは、まだそれを知らなかった。彦馬が侍たちよりも早く知らされたのは、丈瑠を迎え入れる準備をするため、と言うよりはむしろ、彦馬が丈瑠の養育係に就任するに当たり、自分の身の回りの整理をする必要があったためと思われる。何故ならば、丈瑠を迎え入れるための下準備や調整は、彦馬が養育係に選ばれた時には粗方終わっていたからだ。 そしてあの時、丹波から彦馬に、丈瑠の家族や血筋に関する情報は一切下りて来なかった。丈瑠の父を、まさにこの茶室で紹介されただけだ。彦馬が持っている丈瑠に関する情報は、その後、彦馬自身が丈瑠や丈瑠の父親と何回も会ううちに知り得たもの、それしかなかった。 彦馬が十七年前に丈瑠の養育係兼お目付役になるに当たって、丹波から言われたことは、たったの二つきり。 ひとつは、丈瑠がモヂカラの才能を持っているらしいこと。もうひとつは 『慎重に慎重を期して育てよ。お前の育て方如何で、これは毒にも薬にもなる』 との言葉。それだけだった。 あの時、彦馬は丈瑠にモヂカラの才能があることは聞かされたが、『火』のモヂカラを使えることは知らなかった。だから、丈瑠を『慎重に育て』て、必ずや『火』のモヂカラを目覚めさせよ、という意味だろうと思った。 さらに、十七代目の本当の後継ぎがどうなるかわからなかったあの時は、とりあえず丈瑠に十八代目を背負わせることになっていた。つまり、志葉の直系の子孫のありようによっては、丈瑠が十八代目当主として終わることも想定していたのだ。だから『毒にも薬にも』とは、後々の志葉家の跡目争いに影武者が加わるようなことがあってはならぬ、という意味だと取った。つまり丈瑠が志葉家十八代目当主で人生を終わることがあったとしても、丈瑠の子孫を志葉家に入れてはならぬ………と、そう受け取ったのだ。 しかし、彦馬はとてもそんな先のことまで考えられなかった。志葉家の正当な後継ぎである十七代目当主が、ここまでドウコクに苦戦を強いられているというのに、志葉の血も持たぬ子供に何ができると言うのだろう。ドウコクとの闘いを終えた後の跡目争いなど、今から思い悩むことではない。彦馬はそう思っていた。 しかし。 もしかしたら。 丹波の言葉の意味するところは、彦馬の解釈とは違ったのかも知れない。もっと全然、別の意味を持っていたとしたら……… あの時の彦馬は、無理な役目を背負わされた丈瑠が 『決して、堕ちぬように。どこまでも我が殿として飛び続けるためにも、この御子を全身全霊で支え続けて行かねばならぬ』 と、ただそれのみを思い、十七代目当主にもその覚悟を告げた。しかし、それを横で聞いていた丹波は、本当は何を考えていたのか。 十七代目当主の時代、丹波は志葉家にはなくてはならない人物だった。勢いを増していくドウコクを前に、弱体化した志葉家とシンケンジャーをあそこまで持たせたのは、十七代目当主と言うよりは丹波に他ならないのだ。 用意周到で、古今東西のあらゆる策に長け、先の先まで読んでいたはずの丹波。まさしく当主の知恵袋、参謀そのものと言って良かった。そして十七代目当主の懐刀でもあった。その丹波が、丈瑠の母が誰であるか、というような基本的情報さえ押さえずに、丈瑠を影武者に選ぶだろうか? 彦馬は頭の中で自問自答する。 「それとも、丹波様は知っておられたのだろうか」 ドウコクとの闘いが終わってからも、彦馬は、何かがどうにも腑に落ちなかった。だからずっと考え続けていた。 そして、疑いがますます膨らんできたのは、丈瑠から聞いたある事実からだ。 丈瑠は志葉家に入る前から、火のモヂカラを使えた。 それを使えることを確認された上で、志葉家に入った。 志葉家に入る前、丈瑠のモヂカラを確認したのは十七代目当主ではなかったというのだから、確認したのは間違いなく丹波だろう。そうだとしたら、おかしいではないか。志葉家のことなら当主より詳しく、なおかつ志葉家の血統至上主義の丹波のことだ。志葉家の血筋に連ならない子供が、志葉家の者が受け継いできた『火』のモヂカラを使うのを見て、何も思わないはずがないのだ。何か思えば、それを養育係になる彦馬に告げないはずがない。もちろんこれは、丹波が彦馬に隠していることがないのであれば、という前提つきではあるが。 そういう目で見直してみると、丹波の言動は納得のいかないことが多かった。何年も掛かって、十七代当主と共に練ったはずの当初の策を突然変更してまで、いきなり薫を当主として登場させたことにしても。純血主義の丹波ならば、薫可愛さはもちろんあっただろう。その薫に父をも凌ぐモヂカラの才能があると知れば、それは当然、薫を表舞台に出したいとも思うだろう。だがしかし丹波は、そのような感情だけで動くような人間ではない。 それに、そもそも………志葉家の者が受け継いできた『火』のモヂカラを………、いや、志葉家の者だけしか使えないはずの『火』のモヂカラを、何故、丈瑠は身につけられるのか。それが可能ならば、丈瑠は封印の文字も使えるのではないか?普通はそう考えるだろう。それならば、何故丹波は、丈瑠にも封印の文字を教えるよう言わなかったのだ!? 彦馬の心に湧き上がる疑問は尽きない。そして考えれば考えるほど、彦馬の思考は、あるひとつの所に向かってしまうのだった。 「まさかとは思うが、あの策は………」 十七代目当主、丹波、そして彦馬と丈瑠の一世一代の策は。彦馬が知っている、あの策は。 「あれが全てではなかった………のではないか?わしに知らされていたのは、その一部だけで、あの策にはまだ何か裏があったのではないのか?」 その時何故か、彦馬の背筋を寒いものが走った。 もしかすると 『慎重に慎重を期して育てよ。お前の育て方如何で、これは毒にも薬にもなる』 これには、全く別の意味が潜んでいたのかも知れない。 彦馬は思わず、考え込んでしまうのだった。 静かな茶室の外で、チュイチュイ、チューチュイ、チュと甲高いメジロの鳴き声がした。 そこで彦馬は我に返る。 前を見ると、朔太郎が不安そうな顔をして、じっと待っていた。 彦馬は、頭の中から余計な雑念を追いだすと 「………今の白澤家の構成は?」 と尋ねた。 やっと次の質問を貰えた朔太郎は、頭の中に記憶した事柄をすらすらと述べた。 「白澤家の女性………白澤千代様のご長男が今の白澤家のご当主になります。その方が、白澤家、白澤財閥ともに継いでおります」 朔太郎の調べによると、こういうことらしかった。 白澤家の女性、白澤千代の長男である英一郎が、現在の白澤家当主だ。白澤財閥の方は、英一郎が名実ともに取り仕切っているが、あまりに忙しいこともあって、白澤家一門の方は、今でもあの千代が纏めている。 英一郎には、長男、次男、長女の三人の子供がいる。全員成人しており、28歳の長男は父の後を継ぐべく、既に白澤財閥で働いている。 「そうか」 彦馬は、顎に手を当てて天井を見た。 「白澤家の………跡取りの心配はなさそうだな」 その言葉には、微かな安堵が含まれていた。朔太郎も、彦馬と同じ思いで頷く。 「それでは、その千代殿の方だが」 朔太郎は続けて、白澤千代について調べたことを報告する。 白澤千代は、白澤家の本家ともいうべき家から、先代の白澤家当主に嫁いだ女性だ。その嫁いだ先の白澤家先代当主が若くして亡くなった後、英一郎が正式に跡目を継ぐまでの間は、白澤千代が白澤家も白澤財閥も牛耳って来たらしい。千代は白澤家の本家筋に当たる家の直系であったため、白澤家の中では、それは当然のこととして受け止められた。 また、白澤千代にも三人の子供がいる。長男の英一郎、そして長女の千夏と次女の千冬だ。長女は三十年前に他家に嫁いでいる。 「白澤千冬殿。それが、殿の母上か」 彦馬は、手元の調査書と照合しながら、朔太郎の話を聞く。 「千代様も含め、当時の白澤家では、上のお二人とは年の離れた末娘の千冬様をそれは可愛がっておられて、千冬様もご家族と本当に仲がよろしかったとか。ですが………」 朔太郎がそこで言葉を止めた。調査書に目をやっていた彦馬が顔を上げる。彦馬と目が合ったところで、朔太郎は言葉を続けた。 「その後、千冬様は白澤家を………出奔されたと」 彦馬が眉を寄せた。 「時期的に見ますと………どうも、殿のお父上とご結婚された時期と重なっておりまして………誰もはっきりとは言わないのですが………」 「………結婚を反対されて、駆け落ちした………とでも?」 彦馬が眉をひそめて言うと、朔太郎はそれに深く頷いた。 彦馬が目を瞑り、黙りこんだ。朔太郎も黙る。 やがて彦馬は目を開けた。 「わしは、殿のお父上のことは知っておる。もちろん、結婚された頃のことまでは知らぬが、それでも………駆け落ちをしなければならないような相手とは思えないが?」 「私も、ドウコクとの闘いが激しくなってきた頃からでしょうか。同じ志葉家に仕える者として、見知っておりました。話したことはありませんが」 丈瑠の父親は、黒子ではなく侍でもなかったが、志葉家に仕えていたことは間違いない。どのような役目を担っていたのかは知らないが、丈瑠の父親がドウコクとの決戦で闘い命を落としたことは、朔太郎も知っている。 「私も、駆け落ちをしなければならない相手とはとても思えません。志葉家とドウコクの闘いにおいても、最後まで戦い抜かれた立派な方です」 それに彦馬も頷く。 人間として見たならば、丈瑠の父のどこが結婚相手として不足なのだろうか。それとも……… 「白澤財閥の令嬢には相応しくない相手と………そういうことだったのだろうか」 あまり考えたくないことだが、そういうことならあるかも知れない。それほどの大財閥なのだ。白澤財閥は。 「しかし、あの千代殿が、そのようなお考えをされるものなのか………?」 彦馬は顎に手を当てて、考え込む。 もう、既に一ヶ月近く前になってしまったが、千年枝垂れ桜に取り憑いたアヤカシとの闘いで丈瑠と出会ってしまった白澤千代。彦馬は千代と、復活した枝垂れ桜の下での花見の席で僅かだが言葉を交わした。その時の印象しかないが、それでも彦馬には、千代がそのような理由で娘の結婚を妨げるような人間には思えなかった。 「もう一人のご息女、千夏殿は?」 彦馬の問いに、朔太郎はすぐに答える。 「千夏さまは、京都のお茶のお家元に嫁がれております」 「そうか」 姉の千夏が、そのような名家に嫁いでいるのだとすれば、妹の千冬も同じような名家出身の相手と結婚が決まっていたのかも知れない。それを振りきっての、丈瑠の父との結婚。そう考えれば……… 「反対されたのも、納得できないこともないか………」 「あるいは………」 無理やりにでも納得しようとした彦馬に、朔太郎が呟く。 「白澤家が、志葉家を快く思っていなかったのかも知れません」 彦馬の目が鋭くなる。しかしすぐに、彦馬はため息をついた。 「そうかもしれんな。志葉家は外道衆と闘っておるから………そんな危険な家と関わりのある男には、大事な娘を嫁がせられぬと………」 これは、よく聞く話だった。 丈瑠が当主として立って以降はそのようなことはなかったが、十七代目当主の時代もその前の時代も、外道衆との闘いにおいては、侍だけでなく黒子もたくさん亡くなったのだ。そしてまさしくそんな頃に、丈瑠の父は志葉家に仕えていた。 志葉家の内情を少しでも知っている者なら、そんな家に仕えている者に大事な娘をやろうとは思わないだろう。事実、彦馬でさえ、丈瑠の養育係になった時を境に、一人娘と別居している。 「それは残念だが、仕方ないことでもある」 呟く彦馬に、朔太郎は首を振った。それを見た彦馬が、怪訝な顔をした。 「白澤家は、そのようなことに臆する家系ではないようです。ただ、強い信念はあるようでして………」 朔太郎は、今まで真っ直ぐに彦馬を見ていた目を、僅かに横に外した。 「これは、私の想像でしかなく、明確な証拠や過去の話などが聞けた訳ではありませんが………」 朔太郎は、言い難そうにそこで言葉を切った。彦馬は待つ。しかし朔太郎は下を向いたきり、それ以上話そうとしなかった。やがて、痺れを切らした彦馬が 「朔太郎………」 と先を促すと、朔太郎は仕方なさそうに顔を上げた。 「白澤家は昔から、志葉家に何か思うところがあったようです」 小説 次話 2010.08.04 |