春 愁 6木挽町は、都心の繁華街の真ん中にある。ただ、人通りの多い場所からは、ほんの数本だけ道が奥に外れていた。 丈瑠は、そこに急ぐ。出足が遅れた分だけ、より急がねばならなかった。その間に、どれだけの人が被害に遭うかと思うと、丈瑠の足はますます速まる。 しかし走りながらも、丈瑠が何かを考え続けているのは、誰の目にも明らかだった。もともと言葉数の少ない丈瑠ではあったが、その時のむっつりと黙りこむ丈瑠には、誰も話しかけることはできなかった。 あと少しで、外道衆の出現を知らせてきた隙間センサーの場所、という所で、丈瑠に従っていた黒子が突然立ち止まった。 「ここは………?」 地図を手に、辺りを見回しながら呟く黒子。丈瑠も立ち止まる。 「どうした?」 しかし黒子は、すぐに首を振った。そして丈瑠に、前方の路地を指し示す。 「この奥か?」 丈瑠は、黒子の指示に従って、先に見える細い路地を曲がった。 到着した場所は、路地の突き当りにある稲荷神社だった。それほど大きい神社ではなかったが、周囲を数メートルの高さの植栽で囲まれ、さらに何本かの大きな木が境内の中央で、枝を四方へと張っているため、お社の周りには涼しげな緑陰ができている。 植栽の向こうは、すぐに隣の建物だ。どれも、日本建築の古い平屋か二階家だった。場所柄から考えると、古くからの老舗か職人の家などなのだろう。それらに囲まれた、都心の真ん中にある小さなオアシス。きっと広く知れた神社ではなく、地元の人のための神社なのだろう。昼間のせいか、お参りの人影もない。境内も建物も手入れはされているようだったが、どこか寂れているような気がしないでもなかった。 丈瑠は、真昼の陽射しが降り注ぐ静かな稲荷神社の境内に、慎重に歩を進めた。黒子が木陰にあるベンチに腰をかがめて、そこに付いている隙間センサーの番号を、丈瑠に示した。 「ここで間違いない」 丈瑠は頷く。しかし境内に、外道衆の気配はなかった。静けさに満ちている。 「一般人がいないのは都合が良いが………」 丈瑠はそう言うと、黒子たちに、一般人がこの辺りに入って来ないように、あるいは、既にいる場合は避難させるように指示する。そして自分は、神社の境内の奥を探索することにした。 「おかしいな」 二度目に、お社の裏側に足を踏み入れた時、丈瑠は呟いた。狭い境内を隈なく探索したが、どこにも外道衆の姿は見当たらなかった。 隙間センサーが鳴ってから出動するまでに、いつもより時間が掛かっている。そのため、外道衆は既に去ってしまった後なのだろうか。そう考えられないこともなかったが、丈瑠は納得できなかった。確かに、何かを感じるのだ。どこかに、何かがいる気がしてならない。 こういう時の自分の感覚を、丈瑠は疑ったことがない。丈瑠はお社の裏から境内の中央に戻ると、そこに立って静かに目を瞑った。そして、全神経を周囲に拡がらせる。 視覚ではない、もちろん嗅覚でもない。全ての感覚を総動員して、丈瑠は外道衆の気配を探る。周囲が建物で塞がれてしまっているが、それでも丈瑠は、その建物を透過するほどの遠くまで、神経の糸を拡げた。 「どこかに………」 路地を流れてくる空気の中に、建物の隙間から伝わって来る普通では聞こえない周波数の振動の中に、丈瑠は微かな気配を読み取る。 どこかに、何かがいる。間違いない。どこかに……… しかし、その気に障るような嫌らしい気配は、丈瑠が掴もうとしたところで、ふいと途切れてしまった。丈瑠は目を開き、辺りを見回した。都心の稲荷神社の中。見上げれば、木立の向こう、隣の家々のさらにその上方には、繁華街の大通りに林立しているビルの姿が見える。それを無視して、ぐるりと見まわす丈瑠の気が、ある方向で留まった。丈瑠がそこを見上げると、そこにはビルは見えずに、空が見えた。五月の爽やかな空が覗いて見える、唯一の方向。しかし、目の前の建物が邪魔をして、その向こうに何があるのかは、わからない。 「………あちらか?」 丈瑠が呟き終わらぬうちに、突然、丈瑠の背筋に悪寒が走った。丈瑠はショドウフォンを取り出しながら、瞬時に振り返る。境内のあちこちの薄暗い隙間から、ナナシが湧いて出てきた。 やはり外道衆は、間違いなくいたのだ。しかし……… 丈瑠はショドウフォンを構えたまま、不審そうな顔で、先ほど丈瑠の気が留められた方向に目をやる。この神社ではなく、唯一、空が見える方向に。そちらの方向から、この境内へと流れる嫌らしい気配。 丈瑠は眉を寄せて、納得できなという顔で、ナナシが次々と出てくるのをただ眺めていた。数十匹のナナシが揃ったところで、ナナシはそれ以上出てこなくなった。ナナシと対峙する丈瑠。しかし丈瑠は、ナナシを無視して、再び辺りを見回した。 「アヤカシは出てこない………のか?」 丈瑠の不審そうな声に、丈瑠の後ろに控えていた黒子が、首をひねる。 「いないよう…だな」 丈瑠は、手にしているショドウフォンにちらりと視線を落した。 「ナナシだけ、か」 丈瑠はそう呟くと、何事かを決心したような顔で、ショドウフォンをパチンと閉じた。傍にいた黒子が目を丸くしている間に、丈瑠の右手周辺に風が巻き起こり、その風が止んだ時には、丈瑠の手にシンケンマルが握られていた。 丈瑠はシンケンマルの刃を目の前に持ってくると、その輝きをじっとみつめた。それから、ナナシの群れに目をやる。五十匹は下らない数だった。最近のナナシにしては、多い。 「だが、試すには丁度良い数だ」 丈瑠が顎を上げて、ナナシを一瞥した。 丈瑠が変身もせずに、何をしようとしているのかわからない黒子が、心配そうに丈瑠を見つめる。その時、一陣の風が、境内を吹き抜けた。丈瑠の黒髪が風に揺れ、その下の漆黒の瞳が強い光を放った、と思う間もなく、丈瑠が駆け出した。 「っ!?」 丈瑠の戦闘を補助する役目を担った黒子が、声にならない声を上げる。 丈瑠が変身もせずに、ナナシの列に突っ込んで行ったのだ。 丈瑠は、ナナシの群れに生身のまま踏み込み、すれ違いざまに次々とナナシを切り捨てて行く。まるでナナシと丈瑠では、流れる時間が違うかのように、ナナシの不規則な動きを予想しながら、丈瑠はナナシそれぞれをあまりにも正確な一撃で倒していく。それは、スローモーションをみているかのような、光景だった。 相手は、ナナシである。外道衆なのだ。そのナナシを一撃で倒すということは、いくら切れる刀であっても、普通は無理だ。つまり、丈瑠は、シンケンマルをただの真剣として扱っているのではないのだろう。丈瑠は変身しないまま、シンケンマルの能力を、モヂカラを使って引き出しているのだ。 第一弾のナナシの群れを全て切り捨てるのに、何秒かかっただろうか。黒子はもう呆然と、丈瑠を見ているだけだった。本来ならば、変身していない丈瑠が闘っているのだから、その戦闘の援護は、通常よりも気を使わねばならないはず。しかし今、目の前に展開される丈瑠の闘いは、黒子の援護など必要とするようには見えなかった。 丈瑠は、最初のナナシの群れを倒したところで、動きを止めた。そして、ゆっくりとシンケンマルを身体の正面に構えると、そのまま目を瞑る。恐れを知らないナナシが、立ち止まった丈瑠の周囲を囲み始める。それを見た黒子が、慌てて煙玉に手をやろうとした時、丈瑠がまるでそれを見ていたかのように、目を見開き、黒子に鋭い視線を飛ばした。 『動くな!』 丈瑠の眼差しは、明らかに制止のそれだった。硬直してしまう黒子たち。ナナシは、どんどん丈瑠に迫って行く。しかし、その中心にいる丈瑠には、少しも焦った様子は感じられなかった。だから黒子は、丈瑠に命じられた通りに、息をひそめて控えているしかなかった。 ナナシが丈瑠を幾重にも取り巻いたところで、丈瑠がふっと表情を和らげた。その瞬間に、丈瑠の周囲に再び、風が巻き起こる。それは、丈瑠の全身を包み込む。その風の渦が、丈瑠を中心にして段々と拡がって行った。人間に比べれば身体も大きく、体重も重いナナシだったが、渦巻く風の勢いに体勢を崩し始める。 丈瑠を取り巻くナナシの所まで、充分に風の渦が拡がった瞬間 「はぁぁぁぁぁーーー!!」 丈瑠の気合いが上がり、正眼に構えたままのシンケンマルから、紅蓮の炎が噴き上がった。それと同時に、丈瑠は右足を一歩大きく踏み出した。炎を噴くシンケンマルを返しながら、地面と水平にナナシを斬り払う。 「うぉぉぉーーーーー!!」 そのままぐるりと一回転をして、丈瑠は、ただの一刀で残りのナナシを全て焼き尽くした。 全てのナナシを倒した後、丈瑠は、まだ炎が燻っているシンケンマルを一振りする。すると炎と共に、ナナシの体液が空中に飛び散った。丈瑠はシンケンマルを提げて、荒い息のまま、黒子を振りかえった。 黒子たちは硬直したままだった。 今までにも、丈瑠が生身のままで闘ったことはある。しかし、今の丈瑠は、それとは違う。丈瑠が先ほどシンケンマルから噴出させた炎。その炎の高さは数メートルにも及んでいた。そして、離れた場所に待機している黒子たちの所にまで、その炎の焼けるような熱さが迫ってきていた。それは、丈瑠がシンケンレッドになっている時に放つ炎と、なんら変わるところはなかったのだ。いや、もしかしたら………それ以上なのかも知れない。なにしろ今、丈瑠は獅子ディスクすら使用していなかったのだから。 モヂカラは、もちろんシンケンジャーにならなくても使うことができる。しかし、強大なモヂカラは、敵だけではなく自らにもダメージを与える。だから、外道衆を倒すほどのモヂカラを発現させる場合は、自らの身を守るためにも、シンケンジャーになっている必要があるはずだった。 そして、シンケンジャーのスーツは、常人の二十倍のパワーを引き出すことができるとされている。それがあるからこそ、シンケンレッドになった丈瑠が振るうシンケンマルが、とてつもない威力を持っているはずなのに……… ナナシの体液に汚れたシンケンマルを提げた丈瑠。前屈みになって荒い息を吐く丈瑠。その顔に垂れる汗に濡れた黒髪の影から覗く瞳は、闘いの余韻に染まって、何故か紅く見えた。それは、見るものをぞくりとさせる。 そんな丈瑠が身にまとう空気も、どこか異様だった。ナナシを倒して、黒子たちの方に戻って来る丈瑠に、何か言い様のないものを感じて、黒子たちの身体がさらに強張る。そんな黒子の様子に気付いたのか、丈瑠の足が止まる。その顔が微かに歪んだ。見つめ合う丈瑠と黒子たち。 嫌な空気が流れる。丈瑠は、それ以上、前に進めなくなってしまった。黒子と丈瑠の間に、目に見えない壁でもあるかのように。丈瑠の火照っていた身体が急速に冷えて行く。それと同時に、身体中を冷たいものが巡って、どこかの暗がりに全てが落ちて行くような気がした。 「ぁ………」 黒子の怯えたような様子に、丈瑠は出そうと思った声すら、出なくなる。 丈瑠がごくんと唾を飲み込んだ時だった。 「殿ーーーー!!」 どこからか響いてくる聞きなれた声。 「とのぉぉぉーーーー」 それが、丈瑠を呼ぶ。 「殿ーー!お待ちくださいーーーー!!」 路地の向こう、鳥居の間から神社に、必死の形相で駆け込んでくるのは、見慣れた姿。相も変わらず周囲を気にしない、その言動。その声を聞いた瞬間、丈瑠のまとう陰がふっと霞んだ。 「流ノ介」 声にならない声で呟いた丈瑠は、しかしすぐに、自分が流ノ介につい先ほど言いつけたことを思い出す。 「殿ー!私は!!」 叫びながら駆け寄って来る流ノ介。丈瑠は、緩みそうになった気持ちを抑え込み、殊更、険しい表情で流ノ介を迎えた。 「殿!!私、先ほど殿に言われました言葉、よくよく考えましたが………」 流ノ介は、丈瑠の前に転がるようにして跪くと同時に、周りの状況もなく話し始める。 「池波家の跡取りである私と致しましては」 丈瑠がどれだけ険しい表情で、そこにいるのかも気にしない流ノ介。だいたい、丈瑠を見ながら話していても、まともに丈瑠の顔を見ているのかとも思えない、流ノ介の勢いだった。 「やはり、侍こそが」 「黙れ!流ノ介!」 しかし、そこで丈瑠は叫んだ。 「……えっ」 流ノ介が目を見開く。丈瑠は敢えて、流ノ介の勢いを削ぐ。 「俺は先ほど、お前に何と言った。ここに来るなと………」 しかし、そこで丈瑠の言葉は途切れてしまう。丈瑠がはっとして、鳥居から神社のお社を振りかえった。 一瞬の静かな間。 その後、またもわらわらと、そこかしこの隙間からナナシが湧きだしてきたのだ。 「まだ、出てくるか」 そう呟くと丈瑠は、提げていたシンケンマルに手をやろうとした。しかし気付く。丈瑠は、後ろを振り返った。流ノ介がショドウフォンを手にしていた。丈瑠は、流ノ介のその手を遮る。 「えっ!?殿!?」 「だから、お前は、今は闘うな」 丈瑠はそう言うと、自分のショドウフォンを取り出す。そして 「ショドウフォン!一筆奏上!!」 と言って空中に火の文字を書こうとした。 「流ノ介!!」 「流ノ介さん!?」 今まさに変身をしようとする丈瑠の背中で、聞こえた声。丈瑠が振り返ると、流ノ介に取りすがる見知らぬ一般人の姿がそこにあった。 小説 次話 2010.09.25 |