春 愁  7





「なんで、一般人が………!?」
 黒子が、この神社周辺への一般人の通行を止めているはずなのに!?

 そう憤る丈瑠の目に、その一般人の服を、後ろから一生懸命に引っ張っている黒子の姿が入った。つまり、目の前の一般人は、黒子の制止を振り切って、この場所に入って来たのだろう。その上、流ノ介に対する態度から推察するに、その一般人は流ノ介の知り合いのようだ。
 志葉の屋敷から直接来たのであろう流ノ介。それなのに流ノ介とその知り合いが、どうしてタイミング良くこんな場所で鉢合わせするのか。

「お前!今頃!!こんなところで何やっているんだよ!!」
 流ノ介の知り合いはそう叫んだかと思うと、いきなり流ノ介の胸倉を掴んだ。
「朝早くから、みんな、お前が稽古に来るのを待っていたんだぞ!!」
 流ノ介と顔を合わすと同時に、青筋を立てて、流ノ介を責め立てる流ノ介の知り合い。そして何故か流ノ介は、彼らしくない呆然とした表情で、その知り合いの理不尽にも見える振る舞いに、なされるがままになっている。
 それは、丈瑠や黒子がいつも見慣れている志葉家の家臣、筋を通すことを何よりも重んずる侍としての流ノ介とは思えないものだった。

「今日は師匠はいらっしゃらないが、俺たちだけでも稽古はするって、言ってあったはずだよな!!」
「………私は」
 流ノ介が苦渋の表情で、でも真っ直ぐに、知り合いを見返した。
「私は行くとは返事しなかったはず……だから、代わりにお前が」
「ば、馬っ鹿野郎ーーーーー!!!!」
 流ノ介の知り合いが、思わず右拳を大きく振りかざす。
「ちょっ!ちょっと、新太郎さん!乱暴は止めてくださいよ!!」
 新太郎と呼ばれた一般人の、今にも流ノ介を殴らんばかりの勢いに、もう一人の一般人と黒子が止めようとするが
「うるさい、勘助!お前は黙ってろ!!」
 怒る新太郎は、その連れらしい勘助と呼ばれた一般人をも突き飛ばした。黒子の差し伸べた手は間に合わず、勘助は尻餅をついてしまう。
 そんな様子さえも、流ノ介は何も言わずに見ているだけだった。ただ、流ノ介の表情はとても苦しそうで、新太郎もさすがにそれには気付いた。
 新太郎は、
「くそっ」
 と小さく呟くと、流ノ介の胸元をどんっと乱暴に突いた。抵抗する気のない流ノ介は、押されて数歩後ろに下がる。
「いいか!流ノ介!!今度の公演がどんだけ大事なものか、お前、分かってんのか!?」
 手は放したものの、荒々しい態度で流ノ介に迫る新太郎。黒子に手を貸して貰って立ち上がった勘助が、そんな新太郎の傍に駆け寄った。
「新太郎さん!!そんなことは、流ノ介さんだってよく分かってるんですから………」
「だから、お前は黙ってろ、ってんだよ!お!?お前ら、何する!?」
 新太郎は、勘助と黒子に背中から羽交い締めにされてしまう。
「とにかく落ち付いて下さいよ、新太郎さん!!」
 それでも新太郎は、流ノ介に向かって叫ぶことだけは止めなかった。
「流ノ介!どういうつもりか知らないけどな!!」
 足をジタバタさせて新太郎は、叫び続ける。
「お前がちょっと上手くできていたとしてもな!!舞台は一人じゃできねえんだぞ!」
 新太郎のその言葉に、流ノ介が唇を噛みしめる。







 変身を途中で止めた形になってしまった丈瑠の目の前に、新たに湧きだしてきたナナシが、群れをなし始めていた。迫って来るナナシを見つめながらも、横目で流ノ介たちを観察している丈瑠。
 その胸の内に、今まで知らなかった不思議な感情が湧いてくる。

「アウーーー!」
 その時、ナナシが攻撃を開始した。
 丈瑠は、向かって来たナナシの振り下ろす刀をシンケンマルで受ける。すさまじい力で振り下ろされたためだろう。ガシーンという音と共に、ナナシの刀とシンケンマルの間で、火花が散った。力の押し合い。こうなると、相手が外道衆の下っ端であるナナシとは言え、生身の丈瑠が不利なのは明らかだった。
 丈瑠がそのナナシと相対している間に、丈瑠の脇をすり抜けて、流ノ介や黒子たちの方にも、ナナシが向かおうとする。丈瑠は
「はぁぁぁーー」
 気合いと共に、モヂカラをシンケンマルに注ぎこむ。そのままナナシの剣を、シンケンマルで右横に押し下げると同時に、素早く刀を返して、目の前のナナシを右下から斬り上げた。そして、後ろを振り返りざまに深めに腰を落として、丈瑠の脇をすり抜けたナナシ数体の胴体を、満身の力を込めて横一文字に斬り裂く。

 丈瑠は、一人で多勢のナナシを相手に闘い始めた。新太郎に責められていても、丈瑠のことが気になって仕方なかった流ノ介が、それに気付かないはずがない。
 一気に十数匹のナナシを切り捨てた後、丈瑠が体勢を整えるために数歩下がったところで、流ノ介が叫んだ。
「殿!!」
 しかし丈瑠に、振り返る余裕はない。
 丈瑠は先ほどの、変身しないまま、ディスクも使わないままでの闘いで、見た目よりも激しくモヂカラを消耗していた。だから今回は、変身して闘おうと思っていたのだ。しかし、流ノ介の知り合いが現れたことで、それができなくなってしまったのだ。

 外道衆の幹部−ドウコク、シタリ、薄皮太夫−や腑破十臓は、度重なる戦闘で、丈瑠や流ノ介の素顔も、シンケンジャーであることも知っていた。しかし、外道衆同士の情報伝達はないに等しいらしく、幹部ではないアヤカシは、丈瑠や流ノ介がシンケンジャーであることを知らない。闘いの場で変身して初めて、アヤカシ達は、丈瑠がシンケンレッドであると知るのだ。
 だからアヤカシやナナシは、丈瑠や流ノ介が素顔を見せて闘っていても、変身さえしなければ、彼らがシンケンジャーだと気付くことはない。しかし今ここで、丈瑠や流ノ介が変身すれば、丈瑠たちがシンケンジャーであることが、目の前の外道衆には知られてしまう。
 丈瑠や流ノ介がシンケンジャーであると知れれば、同時に、今そこにいる一般人の二人が、シンケンジャーの知り合いであることも外道衆に知られてしまうだろう。知られてしまったら、その後にどのような報復が、一般人である二人を襲うとも限らない。
 今、目の前にいるのはナナシだけであり、ナナシだけなら、そんな心配はないとも考えられる。しかし、どこかからアヤカシがこっそり覗き見ている可能性も、ないとは言えない。

 このような懸念が常にあったからこそ、彦馬は丈瑠を世間から隔絶して育てざるを得なかった。まともに学校に通わすことも難しかった。丈瑠は、親しい友人など、作れるはずもなかったのだ。
 同じように、シンケンジャーとなった者は、少なくともシンケンジャーとして闘っている間は、それが誰であろうとも、親しい付き合いをしてはならないのだ。
 今は確かにドウコクが倒れた後であり、外道衆の勢力も弱まっている時期だ。とは言え、未だシンケンジャーとして在る覚悟ならば、油断してばかりもいられない。外道衆には様々な能力を持った者がおり、どんな方法で、襲ってくるとも限らないのだから。

 丈瑠は、改めて、今回は生身のまま闘うしかないと思った。しかし、一抹の不安が丈瑠にはあった。先ほど、生身の戦闘で圧倒的な力を見せつけた丈瑠ではあるが、今は先ほどの戦闘とは違う。モヂカラがもうあまり残っていない上に、ただ闘っているだけでは済まされないのだ。

 守らねばならない。
 一般人である、流ノ介の知り合いも。
 そして今は、流ノ介も。
 特に、流ノ介には、かすり傷ひとつ負わせてはならないのだ。






「殿!私も今すぐに!!」
 そう叫ぶ流ノ介に、丈瑠は背を向けたまま叫び返す。
「お前は駄目だ!」
「でも!!殿!!」
 いつもの流ノ介ならば、既に、丈瑠の助太刀に入っているはずだった。それをしない理由は明白だ。もちろん、歌舞伎の舞台があるから、ではない。流ノ介も分かっているのだ。戦闘の場に、知り合いと居合わせてしまったことの危険性。そして、自分が今、ここで変身してしまうことの危険性が。だから流ノ介も躊躇してしまったのだ。
「殿!」
 変身もできなければ、丈瑠に制止されたために、加勢もできない流ノ介。
「殿!!私は!」
 もどかしさに、叫び出してしまいそうな流ノ介だったが、その横で事情を知らない新太郎も怪訝な顔をしていた。
「殿!?………って?」
 勘助も同様に、不思議そうな顔で、ナナシと一人闘う丈瑠を見つめる。
「おい!殿って何だよ!?」
 新太郎はそう言うと、自分の身体を今も抑えている黒子を見る。
「そういや………こいつらも、何なんだよ!?」
 新太郎は、よほど怒りに目が眩んでいたらしい。多分、黒子もナナシも、今の今まで、視界に入っていなかったのだ。そして、もちろん丈瑠も、だ。
 しかし、つい今しがたまで、新太郎の責めに言葉もなかった流ノ介が、自分たちより丈瑠を気にし始めたことに、新太郎は再び、怒りが湧きあがって来る。
「お前、稽古にも来ないでおいて、ここで何をしようって言うんだよ!!」

 新太郎にとって、歌舞伎より大事なものなどないのだろう。
 流ノ介は新太郎を見つめた。かつては、流ノ介も新太郎と同じだった。そのような一途な頃が懐かしかったが、今はもう、あの頃に戻れる訳もない。

 様々な想いが胸に去来しつつも、何も言うことのできない流ノ介に、新太郎は言い様のない不安を感じた。
「おい!流ノ介!!お前が一年間、歌舞伎止めてたのって、あいつのせいなのかよ!?」
 多分、流ノ介を良く知っているのであろう新太郎。だからこそ、気付いた。流ノ介の丈瑠に向かう瞳が、そして気持ちが。かつて、流ノ介が歌舞伎に向けていた、歌舞伎だけに向けていたはずのそれと、そっくりなことに。
「あり得ないだろうが!!何で、お前ほど才能ある奴が、あんな奴のために、歌舞伎を捨てなきゃならなかったんだよ!」
 その瞬間、流ノ介の瞳が、鋭く光った。
「貴重な一年を無駄にしちまって………えっ」
 先ほどまでの流ノ介との雰囲気の違いに、新太郎が一瞬、息をのむ。
「あんな奴じゃない」
 流ノ介の声は、大きくはなかった。
「殿は、『あんな奴』ではない!」
 しかし、とてつもなく迫力がある声だった。

「し、新太郎さん!!流ノ介さんも!?ちょっと逃げましょうよ!早く!!」
 二人の剣呑な様子もさることながら、ナナシとの闘いがすぐ横で始まっているのだ。黒子も新太郎を羽交い締めしたまま、その場から離そうとする。
 しかし新太郎は、それを聞き入れようとはしなかった。
「俺は動かねえぞ!!」
 そう言って、流ノ介の腕を掴もうとする。
「流ノ介!お前と一緒に行くんでなければ、どこにも行かねえからな!」
 黒子に抑えられているために、実際に流ノ介の身体に触れることはできないのだが、それでも新太郎は足を踏ん張り、逃げることを拒んだ。
「いいか!俺は絶対にここを離れないから………」
 丈瑠が闘う横で、喚き続ける新太郎。
「いい加減にしろ!」
 突然、怒鳴ったのは流ノ介だった。
「………えっ?」
 驚く新太郎と勘助。二人は、流ノ介が怒鳴る姿など、今まで見たこともなかったのだ。
「りゅ、流ノ介さん?」
 その時、二人が見た流ノ介の顔は、今まで二人が知っていると思っていた流ノ介の顔とは、全く異なっていた。その真剣な眼差しは鋭い光を放ち、身動きできないほどの迫力で睨みつけて来る。それこそ、今にも斬られてしまいそうな視線だった。

 もともと端正な顔をしている流ノ介だ。その流ノ介が真剣な顔をすれば、近寄りがたい雰囲気を醸し出すのは、昔からの流ノ介の知り合いなら、誰でも知っていた。流ノ介が歌舞伎に夢中になっていた頃も、流ノ介は何にでも真剣だった。特に歌舞伎の稽古に関しては、誰よりも真剣だった。
 でも、その時の真剣な眼差しと、今の流ノ介の眼差しは、同じ真剣でも異なる。
「………流ノ介」
 それは、人の最も根源的な部分での、凄味を感じさせる真剣だった。
 生と死の狭間で闘ってきた者だけが。死の淵を覗き込んだことがある者だけが。こんな目をすることができるのかも知れない。

 新太郎と勘助は、流ノ介のその瞳を見た瞬間に、悟るしかなかった。
 もうこれは、一年前の流ノ介ではないのだ、と。






 その時、流ノ介たちの上に、黒い影が落ちた。
「えっ」
 振り返る流ノ介。その目の前には、2m以上はあるナナシが大刀を振り上げていた。
「ああっ!!」
 勘助の悲鳴。
 振り下ろされるナナシの刀。
 もう変身している暇も、シンケンマルも出している時間も、ない。流ノ介は咄嗟に、新太郎と勘助を後ろに庇った。そして無駄と知りつつ、腕を頭の上で交差した。

 もうだめか!!
 そう思い、思わず目を瞑った流ノ介だったが、ナナシの刀は流ノ介を襲うことはなかった。その代わりに
 ガシャーン!!
 という音と共に、流ノ介の前に立ち塞がる者があった。
「逃げろ!!」
 呆然とする流ノ介。
「早く!!」
 流ノ介の顔の間近に迫る、丈瑠の顔。丈瑠は、身体ごと流ノ介の方を向いて、流ノ介や新太郎たちの方に屈みこむような格好になっていた。

 流ノ介たちを襲うナナシに、丈瑠は気付くのが遅れた。だから丈瑠は、流ノ介とナナシの間にぎりぎり飛び込むことまではできたが、ナナシの攻撃を正面から受けるために、振り返るほんのコンマ何秒かの時間も残っていなかった。
 自らの背中に翳したシンケンマルで、敵の攻撃を防ぐと言う、丈瑠にしかできない技。それで、ナナシの大刀から、丈瑠は流ノ介たちと自分を守る。

 それは、幼い頃から日常的に、生死の境目を綱渡りで生きてきた丈瑠だけができる、ぎりぎりの技。しかし、もちろんそれでは、攻撃を完全に防ぐことはできない。現に今の攻撃で、丈瑠は致命傷は負わなかったにしろ、何らかのダメージは確実に受けているはず。相手がナナシと言えども、丈瑠も生身なのだから。

「………殿!」
 一瞬のうちに、流ノ介の頭を巡った様々な想い。
 しかし、それよりも早く丈瑠は、シンケンマルで受けたナナシの大刀を精一杯の力で跳ね返し、再びナナシと相対した。
「逃げろ!!早く!!」
 叫ぶ丈瑠の中には、自分が受けたダメージをいたわる想いなど、欠片もない。
「殿!!」
 流ノ介の感慨も関係なく、丈瑠は鋭い太刀筋で、流ノ介たちを襲ってきたナナシを真っ二つに断ち斬った。そして振り返ることもなく、再び、生身のまま、丈瑠はナナシの群れに飛び込んで行くのだった。











小説  次話






2010.10.02