春 愁 8「殿!!」 流ノ介は、ナナシに独り突っ込んでいく丈瑠の背中を、見つめる。 丈瑠は、流ノ介の歌舞伎の舞台のことを心配して、流ノ介を闘いから遠ざけようとしている。その気持ちは嬉しいし、確かに、公演での役を受けた以上、怪我などできない。だから、丈瑠の言うことは分かる。 「しかし!!」 流ノ介は今改めて、自分の甘さを思い知らされた。 シンケンジャーと歌舞伎役者の二足のわらじなど、そもそも無理があったのだ。それが可能かも知れないと思ったのは、流ノ介の油断であり、驕りだ。そして、そのつけを今、流ノ介ではなく、丈瑠が払わされている。 「………殿!!」 流ノ介は、地面に膝をついたまま、がっくりと俯いた。 「殿!!申し訳ありません!!」 歌舞伎の公演には、多くの人が関わっている。それだけではなく、観客だって、楽しみにしてくれているのだ。歌舞伎の演目自体を楽しみにしている人もたくさんいるが、今回は流ノ介が出ると言うことで、チケットを買ってくれた人も多いと、師匠から聞いた。 今ここで流ノ介が怪我でもしたら、それだけで公演は大打撃を受けるだろう。それは、自惚れでもなんでもなく、本当のことなのだ。 だから……… だから、今だけは……… 流ノ介は地面に突っ伏す。 歌舞伎の公演を直前に控えた今だけは。 シンケンブルーになることもできず、闘うとしたら生身で向かうしかない今だけは。 殿の仰る通りに、引くべきなのだろう。歌舞伎公演に関わる多くの人々に迷惑をかけないためにも。 流ノ介にも、それは分かっていた。丈瑠もそう言っているのだ。だから、きっと今だけは、それは許されるだろう。 だが、今回のことで流ノ介も重々思い知ったから、公演が終われば、もう歌舞伎は諦める。そして、シンケンジャーに専念する。 だから今だけは、丈瑠の言うとおりにすべきなのだ。 一年前に父親と演じた連獅子。あそこで終わるはずだった流ノ介の歌舞伎人生に、もう一舞台限りでも、演じる幸運が訪れたのは、丈瑠と言う人間がシンケンレッドとして、志葉家当主としていてくれたから。そして今、ここまで流ノ介にしてくれる丈瑠の想いに応えるためにも、最後の舞台は精一杯の舞台にしなければならない。 そうであるとするならば、今、すべきことは、何なのか?それは、新太郎たちを連れて、ここから去ることだ。 流ノ介はそう自分を納得させて、顔を上げた。 流ノ介が顔を上げた、その目の前には、当り前だが、ナナシと闘う丈瑠の姿があった。 新太郎や勘助を危険にさらす可能性を少しでも減らすために、あくまでも生身で闘う丈瑠。それが、どんなに大変で危険なことか。それでも丈瑠は、流ノ介に文句ひとつ言わずに、闘うのだ。 それが、当り前だと言う顔をして。それをするのは、自分だけの役目だと信じて。 「………殿!!」 丈瑠の命令に、無理やりにでも納得して、新太郎たちと去ろうと立ち上がった流ノ介だったはずだ。しかしそこで、またもや足は釘づけになってしまう。 ドウコクを倒しても、いなくなることのない外道衆から、この世を守るために、独り闘い続ける丈瑠。その丈瑠の姿に、丈瑠と会ってからの一年間が、重なる。 侍としての心構えを持って志葉家の招集に応じたはずの流ノ介が、丈瑠と会って以降の一年間で、何度、自分の甘さを思い知らされたことか。 侍の心構え。覚悟。それを自らの姿勢、生き方で、流ノ介たちに示してくれた丈瑠。 まさしく今も、そうではないのか? 自分個人のことは全て犠牲にして、ただ人々のためにこの世を守る丈瑠。どんなに苦しい闘いでも、弱音を吐かず、侍たちを引っ張って行く丈瑠。傷ついていても、毒に冒されていても、外道衆が出たと聞けば、這ってでも闘いに向かう丈瑠。 そして、誰に信じてもらえなくても、みなから非難されようとも、自分の思ったことを貫くことができる丈瑠。 そんな丈瑠の姿は、優等生であるが故に、その優等生を続けたいがために、様々なしがらみに縛られている流ノ介の、心の奥底の、さらに深いどこかを刺激した。 どこまでも自分に厳しい丈瑠だったが、流ノ介や他の侍たちには、思いのほか細かい気配りをしていた。それは、日常生活においても、戦闘中においても、だ。さらに黒子や彦馬のことまでも、常に配慮していた丈瑠。 それらは全て、丈瑠にとっては当り前のことだった。呼吸をするように、普通にできることなのだ。 それができるのは、この世を守る志葉家の当主、殿さまだから。確かに辛いことも多いかも知れないが、生まれついての殿さまは、さすがに覚悟が違う。流ノ介にしても、茉子にしても、そんな風に丈瑠を見ていた時期もあったかも知れない。 本当は違ったのに。いや、本当にそうだったとしても、普通にできることではなかったはずなのに。それでも丈瑠は、常に強く自分を律し、影では幾多の思いを呑み込み、きっと何度も自分に言い聞かせて………傍からは完璧な殿さまに見えるように、生きてきたのだ。 丈瑠の中には、揺るぐことなく一本貫いているものがある。それは、丈瑠の中では、何をおいても優先すべきことで、それを貫くために、丈瑠は他のあらゆるものを犠牲にすることができるのだ。 例えそれが、自分自身の命であったとしても! 「殿!!」 何故か、涙が滲んでくる。拳を握りしめ、流ノ介は丈瑠の姿を睨むように見た。 「………殿!!」 そして、自問した。 いいのか! 本当に、いいのか! これで!? 命を掛けて生涯仕えると誓った殿が、今ひとりで闘っているのに!? こんなところに突っ立っているだけで、自分はいいのか!? 新太郎たちを連れて、ここを立ち去ることが、本当に私のするべきことなのか!? 流ノ介の胸の中を駆け巡る、様々な想い。 歌舞伎役者である自分と、侍である自分。どちらが、本当の自分なのか?それとも、どちらともが自分なのだとして、どちらかを選ばねばならぬ時がきたら、自分はどうするのか? ずっと答えを出せなかった問い。しかし、答えを出せないなどと言っていたそのこと自体が、甘えだったのだと、流ノ介は気付く。 そうだ! 私は………!! 流ノ介は決心する。 言い訳はいいのだ。多くの人に迷惑をかけようとも。それが、自分の信条や道理に合わなくても。そして、自分を信じている人たちを裏切ることになっても……… それでも、貫かねばならない想いというものは、あるはずなのだ。そして、そういう生き方こそが、侍の生き方ではないのか!?信じるもののためには、他の全てを捨てることも厭わない!それが、侍ではないのか!? 人生は一回きり。これから先、歩んで行ける道が一つしかないのだとしたら、流ノ介が選ぶべき道は、決まっているはず。それは、己の命を預けると決めた丈瑠と、共に在る道でしかない。 「父さん!!」 流ノ介の瞳の光が強くなる。 「申し訳ありません!」 流ノ介は小さく呟くと、丈瑠の背を追って、自らもナナシの群れへと駆け出した。 変身する訳にはいかなかったが、走りながら流ノ介も、シンケンマルをモヂカラで出す。そして、丈瑠が闘っているのとは異なる方向から、ナナシを切り崩しに掛かった。 「はーっ!!」 流ノ介は、流麗な刀さばきでナナシを始末して行く。道場剣法と悪口を言われようと、流ノ介の剣が教科書のように正確で、基本に忠実な、美しい剣であることに変わりはない。そして、教科書に載っている剣法が実戦で役に立たないということは、決してないのだ。 基本に忠実だからこそ、稽古を積めば積むほど、正しい道筋に則ってどこまでも発展できる剣でもある。 背後の黒子たちも、流ノ介の参戦にほっとした表情で、戦闘の援護を続けた。丈瑠の闘いは、圧倒的な強さがあっても、どこかに悲愴さが滲んでいる。しかし流ノ介の闘いは、そういうものを感じさせない。見ている者に、余裕を感じさせる。それはきっと、剣の強さに因るものではないのだろう。そして、それこそが流ノ介が持つ強みなのだろう。 一方、新太郎と勘助は、自分たちを置いて無言で駆け出した流ノ介に、もう既に、自分たちのことなど頭にない流ノ介に、掛ける言葉もなかった。その上、目の前に見る闘う流ノ介の姿は、二人にとって初めて見るものだった。 歌舞伎役者になるために生まれてきたかのような、派手な容姿と溢れる才能を持つ流ノ介。流ノ介と言えば、歌舞伎。そう信じてきた二人だったが、流ノ介がそれだけでなかったことを、思い知らされる。 「流ノ介………」 呟く新太郎の横で 「流ノ介さん、凄い………」 と感嘆の声を上げた勘助の頭を、新太郎は小突いた。 「あ痛っ!」 頭を押さえて、勘助が新太郎を見ると、新太郎は寂しそうな笑顔をしていた。 「………新太郎さん。でも、流ノ介さん、格好いいですよ。歌舞伎やってる時と………同じくらい」 勘助の素直な感想に、新太郎は肩をすくめる。同感としか言いようがなかったが、それだけは言いたくない新太郎だった。 「今日は………帰るか」 これ以上ここにいても、邪魔になるだけ。そう悟った二人は、黒子の誘導に従って、素直に避難した。 それを横目で確認した流ノ介に一抹の罪悪感がなかった訳ではない。しかし、流ノ介が明確に意識したことは、これで思いきり闘える、と言うことだった。 しかし残念ながら、そうは行かなかった。 「流ノ介!!」 流ノ介と同様に、新太郎と勘助が戦闘場所からいなくなったことを確認した丈瑠。ナナシと刀を合わせながら、丈瑠が叫ぶ。 「引け!流ノ介、お前も一緒に引くんだ!!」 「えっ?」 流ノ介が戸惑った声を上げると、丈瑠が怒鳴った。 「怪我をしたら、どうするんだ!」 「………いえっ!殿!私は………」 「一般人がいないなら、これくらいのナナシ、俺だけでもなんとかなる!とにかく、お前は引くんだ!!」 「………殿!」 新太郎と勘助がいなくなったとしても、未だ、どこかでアヤカシが覗き見ている可能性を考えると、この戦闘が終わるまでは、シンケンジャーに変身するのには危険が伴う。だから丈瑠も流ノ介もシンケンジャーにはなれない。それなのに、丈瑠は、流ノ介に闘いから外れろというのだ。 自らの命を危険にさらしてまでいるのに、それでもまだ流ノ介の舞台の心配をしている丈瑠。流ノ介の胸の内に、どうしようもなく熱いものが込み上げてくる。 「殿!!」 何を迷うことがあったのだろうか。 何を躊躇う必要があったのだろうか。 人を守るために。ただ、それだけのために。 己の命すら顧みずに闘う殿。 だからこそ自分は、そんな殿に、命を捧げようと誓ったのではないのか。 「殿!私は、どこまでも殿についてまいります!!」 流ノ介は闘いながら叫ぶ。 「殿と共にある以外の道は、今、ここで捨てます!!」 流ノ介の心の底からの叫びだった。 しかし 「言うな!!」 それは、丈瑠によって遮られる。 「………えっ?」 「今は、舞台のことをだけを考えていろ!」 丈瑠はそう叫ぶと、目の前のナナシを斬り倒した次の瞬間、大きく跳躍をした。 「俺が、引きつけている間に!!行け!あいつらと!!」 そして、こともあろうか、丈瑠が着地したのは、ナナシの群れの真ん中だった。ナナシが動揺して、丈瑠を囲もうとするが、それよりも早く、丈瑠はナナシを手当たり次第に斬り倒し始めた。全てのナナシが、流ノ介を無視して、丈瑠に向かう。 「………あっ」 潮が引くように、流ノ介の前からいなくなるナナシ。ナナシを追う様にして、何体かのナナシを背中から叩き斬るものの、自らを囮とした丈瑠に向かうナナシを止めることはできなかった。 「と………殿!!」 流ノ介は、叫ぶ。 「お前は引け!」 しかし丈瑠は、ただそう言うだけだ。 「でも、殿!!」 それでも、ナナシの輪の外から、叫ばずにはいられない流ノ介。しかし、その流ノ介に、丈瑠は冷たく言う。 「引け!何度も言わすな!!これは命令だ!」 命令と言われて、動けなくなってしまう流ノ介。その目の前で、丈瑠はナナシと闘い続けた。 小説 次話 2010.10.09 |