春 愁  9





 優等生の辛い所は、こういうところだ。
「命令だ!」
 正しい指揮系統を盾にとって、そう告げられたら、流ノ介は動けなくなる。丈瑠への忠義や上下関係を誰よりも重んじる流ノ介。丈瑠はそれをよく分かっているのだ。
 シンケンマルを手にしたまま、固まる流ノ介。行き場のない想いを胸にただ立ちつくす流ノ介を、黒子たちが気の毒そうに見つめる。

 流ノ介たち侍が招集されてから、ドウコクを倒すまでの経緯を見守って来た黒子たちにしてみれば。どれほどの思いで、流ノ介が丈瑠を「殿」として選んだかを知っている黒子たちにしてみれば。丈瑠に流ノ介の想いを素直に受け入れて欲しい、というのが本音だ。流ノ介も、生半可な気持ちで、丈瑠に仕えると言っているのではないのだから。
 一方で、黒子たちは、幼いころから丈瑠がどのようにして育ってきたのかも知っている。こんな風にしか、自分の気持ちを表現できない丈瑠のことも、黒子たちは認めるしかなかった。心の奥に様々な想いがあったとしても、丈瑠は、それを吐露することが許されない立場なのだ。「志葉家の当主」としては、どんなに揺らぐことがあったとしても、その葛藤を知られてはならない。そう彦馬に、徹底的に教え込まれてきた丈瑠。
 平和な日常では、丈瑠のこのような性格が互いの理解の支障になることも多々あろう。しかし、戦闘となれば話は違ってくる。それが厳しい闘いであればあるほど、丈瑠の言葉に、家臣は絶対服従しなければならない。それをさせるためには、丈瑠は日常から、自らの心の揺らぎを家臣に知られてはならないのだ。考えが揺らいでいたり、迷っていたりする者に、命を預けて闘える者はいない。丈瑠はそう信じている。
 今のシンケンジャーの侍たちに限って言えば、丈瑠がどれだけ揺らいでいても、そんな丈瑠だからこそ支えて行ってくれるのではないか。黒子たちはそう思っていたが、そんな進言が今の丈瑠にできる訳もない。
 何故なら。黒子たちは毎日の暮らしぶりから、否が応にも知っていたから。丈瑠が今、崩れそうな程に揺らいでいることを。

 様々な想いを胸に抱く黒子たちや流ノ介の前で、多少の傷を負いながらも、次々とナナシを斬り倒していく丈瑠。流ノ介が来る前の戦闘で、丈瑠がモヂカラをかなり使ってしまっていることを、流ノ介は知らない。その流ノ介から見ても、今の丈瑠には凄味があった。
 確かに、守らなければならない一般人がいないのなら、今の丈瑠ならば生身のままでも、ナナシなど敵ではないのかも知れない。そう簡単に信じてしまいたくなるほど、目の前の丈瑠は強かった。
 結局、丈瑠の代わりに周囲が迷い、揺らぎ、その間に丈瑠は、何もかもを独りで片付けてしまうのだ。その胸の内がどれほど揺らいでいるのだとしても、それを微塵も感じさせることもなく。

 やがて、殆どのナナシが丈瑠に倒され、あと数匹にまでなってしまった。これ以上、ナナシが湧きだしてくる気配もない。丈瑠に止められて動けない流ノ介も黒子も、どこか安堵の表情になる。
 このまま無事に戦闘が終わってくれれば。流ノ介も黒子も考えていることは同じだった。






「ふうん?」
 その時だった。
「ここに、強いのを感じた………はずだよなあ」
 闘う丈瑠が背にしている稲荷神社の小さな本殿。その中から、低くくぐもった声が聞こえてきた。ナナシと闘う丈瑠の足が、一瞬止まる。しかし丈瑠はすぐに、ナナシと対峙しながら、左足を引き、身体を少しずつずらしていく。そして視界の端に、神社の本殿、その鍵の掛かった扉を入れた。もちろん、そこを見ている訳ではない。しかし、視界の端で気配を探る。

 いる………か?
 ………今、あそこに現れたのか?

 丈瑠は、本殿の中に何者かがいるのを確信する。鍵のかかった本殿の中に現れるもの。それが外道衆でない訳がない。丈瑠がそう確信した時
「せっかくあっちから来てやったのに………おっかしいなあ」
 再び、低い声がそう呟いた。
 その声の主は、丈瑠が気配を感じ取っていることに、気付いていない。いや、そのような細かいことは気にしないのかも知れない。アヤカシによっては、そういう奴もいる。そうだとすれば、それはそれで丈瑠にとっては安心材料になった。今回のアヤカシが細やかな神経を持っていないのならば、先ほどの一般人と流ノ介の絡みを、どこかの隙間からのぞき見ている可能性は、著しく低くなるのだ。

 一方、その声は、本殿から離れた鳥居のあたりに立っている流ノ介や、黒子たちには聞こえていなかった。しかし、ナナシに対して不自然な構えのまま、突然動きを止めた丈瑠に、流ノ介が目を見張る。
「………殿?」
 心配そうな顔で、丈瑠を見つめる流ノ介。
「あれ?あそこに突っ立てる奴………か?これ?」
 相変わらず、ぼそぼそと聞こえてくる声。しかし、そこで丈瑠の眉が寄る。
「この声………」
 丈瑠は戸惑った。話し方があまりに違うので、今まで気付かなかったが、その声は聞き覚えのあるものだった。丈瑠は、ほんの一瞬何かを考えるように、視線を下げた。
 その瞬間を狙ったように、一匹のナナシが丈瑠を襲ってくる。そのナナシを斬り倒すとすぐに、丈瑠は本殿を振り返った。
「はっ!」
 丈瑠はシンケンマルを頭の上に振りかぶると同時に、右足を大きく踏み出した。丈瑠が何をしようとしているのか理解できない流ノ介と黒子たちが、丈瑠の動きを見守る中、
「はぁぁーーー!」
 丈瑠がシンケンマルを振り降ろす。それと同時に、シンケンマルから閃光が走り出て、稲荷神社の正面の扉を突き破った。しかし丈瑠は、シンケンマルの構えを解くこともせずに、本殿に向いたままだ。
 丈瑠が何をしたのかわからないままの流ノ介と黒子たち。しかしすぐに、
「ぐへぇ!!」
 という呻き声と共に、本殿の奥から破れた扉の上に、よろよろと人影が現れた。
「!?」
 その人影は両手で胸を押さえ、俯いていた。そのため、顔は見えない。しかしその姿は、到底アヤカシには見えなかった。待機している黒子たちは、ぎょっとする。流ノ介も、思わず息をのんだ。丈瑠が本殿に隠れていた一般人を傷つけでもしたのかと、思ったのだ。内心焦りながらも、丈瑠が指示を出さないので、黒子たちは動くことができない。
 しかし丈瑠は、目の前の人間にしか見えない人影を見ても、動じた素振りは全くなかった。丈瑠は戦闘態勢を維持しつつ、瞳を細めて目の前の怪しい人影をじっと見つめる。
 その人影は、本殿の暗がりから、階段をよろめきながら下りて来る。明るい日差しの下で見れば、ますますその人影は、普通の人間にしか見えなかった。そしてその人物は、驚いたことに、きらびやかな着物を身に着けていた。
「あれは………」
 丈瑠は微かに首を傾げた。その着物にどこかで見覚えがあったからだ。
「………えっ」
 丈瑠の呟きとほぼ同時に、丈瑠の背中でも声が上がった。流ノ介だった。
「あの衣装………」
 それは、流ノ介にも見覚えがあるものだった。神社の中から出てきた人物が纏っていたのは、普通の着物ではなかった。歌舞伎の衣装。それも、あれは………
「私が………着ていた………」
 連獅子の衣装。それも、池波家に代々伝わっている由緒あるもので、流ノ介でも滅多に着ることはなかった。一年前、放りだした舞台で初めて、流ノ介が身に付けた衣装だ。
「何故それが………」
 流ノ介の驚きを余所に、その人物は階段を下りきる。丈瑠は背後のナナシに気を配りつつも、目の前の人物を鋭い視線で見つめ続けた。その人物が丈瑠の前を通り過ぎようとした時、
「待て」
 丈瑠が冷たい声を出した。俯いたままの人物が立ち止まる。
「お前をここから先には行かせない!」
 丈瑠はそう言うと、その人物にいきなり斬りかかった。その瞬間、それまでとは打って変わった素早さで、その人物は本殿の階段の上まで飛び上がる。
「芝居は止めろ!正体はばれているんだ」
 丈瑠はシンケンマルを肩に担いで、その人物を睨んだ。丈瑠の強い口調に、その人物が俯いたままの頭を微かに震わせた。
「ふふっ………」
 次の瞬間、その人物がぱっと顔を上げて丈瑠を見つめた。

 その顔。
 それは、流ノ介の顔だった。流ノ介と瓜二つ。いや、やはり流ノ介と言うべきだろうか。
 度肝を抜かれたのは、黒子たちだ。鳥居の下に立つ流ノ介と、丈瑠の前にいる流ノ介を、思わず見比べてしまう。流ノ介も呆然と目を見張った。いくら、池波家の衣装を着ているとは言え、まさかそれが、自分と同じ顔をした者だとは思わなかったのだろう。







 丈瑠の前の流ノ介と同じ顔をした者は、潤んだ瞳で丈瑠を見つめた。しかし黒子や流ノ介と違って、丈瑠は表情一つ変えない。
「はーっ!!」
 縋るような瞳で丈瑠を見つめる流ノ介の顔をした者に向かって、丈瑠は本殿の屋根の高さまで飛び上がると、何の躊躇いもなくシンケンマルで斬り掛かった。それをひらりと飛んでかわした相手は、今度は階段の下に着地する。そこから、本殿の階段の上に立つ丈瑠を見上げた。振り返った丈瑠のどこまでも冷えた瞳に、
「ふうん………なるほど?」
 歌舞伎の衣装を着た流ノ介の顔が、にやりと嫌らしい笑いを漏らした。
「問答無用………なんだ。随分とややこしいことで。でも、こういうのも、あり………かな?」
 ぼそぼそと流ノ介の声で呟く相手に、丈瑠が硬い声で告げる。
「目障りだ。いい加減、正体を現わせ」
 丈瑠のその言葉に、黒子たちがはっとして我に返る。そうなのだ。流ノ介が二人もいるはずもないし、ましてや、あのような格好で、神社の小さな本殿から人が出てくるはずもない。そのような現れ方をするとしたら、それはアヤカシしかいないではないか。
「これが、俺さまの正体なんだけどね」
 アヤカシはそう言うと、また、にやりと笑った。
「ついでに、俺さまが用があるのは、お前じゃないし」
 そう言うが早いか、流ノ介の顔をしたアヤカシの髪の毛が真っ赤になる。そしてその赤い髪を、連獅子の舞いのように振り廻し始めた。すると、たちまちにして赤い髪が長く伸び、丈瑠に襲いかかる。丈瑠はそれを切り捨てるために、無言でシンケンマルを顔の前に振るった。
 カシーン!!
 しかし、シンケンマルに切られるはずだったアヤカシの赤い髪の毛は、予想に反して、丈瑠のシンケンマルを激しい勢いで弾き飛ばした。天高くシンケンマルは回転しながら飛び、アヤカシを超えて、流ノ介の前の地面に突き刺さる。アヤカシは髪を元に戻すと、得意げな顔で、丈瑠を上目遣いに見た。
「如何でしょうか?私の舞いは?」
 声は流ノ介の声。
「上手いでしょう?」
 もしかしたら、言い方も流ノ介を真似ているのか?境内に響き渡る、流ノ介の声。丈瑠はシンケンマルを握っていた右手を左手で押さえると、そんなアヤカシを冷たい目で見下ろした。

「………あっ」
 鳥居の下にいた流ノ介が、再び息をのむ。丈瑠が押さえている右手の手首から甲にかけて。その押さえている部分から、赤い筋が垂れて見えたのだ。遠めに見てもはっきり見えるほどの、赤い筋。
「血っ!?」
 アヤカシの赤い髪の毛は、鋼鉄の針のように変化していた。それが、シンケンマルを弾き飛ばすほどの勢いで、丈瑠の手元に幾重にも突き刺さったのだ。
「と、殿!!」
 無数の鋼鉄の針に突きたてられた丈瑠の腕はやがて、真っ赤に染まって行く。だらだらと腕から流れ続ける血は、階段に血溜まりを作るほどだった。シンケンレッドになっていない丈瑠の身体は、アヤカシの攻撃には耐えられない。今の今までなんとか無事でいられたのは、相手がナナシだけだったためと、丈瑠がナナシの攻撃を直接受けずに避け続けていられたからだ。
「殿ーーーー!」
 流ノ介が丈瑠に駆け寄ろうとしたその時、アヤカシが流ノ介を振り返った。と、同時に赤い髪をぐるぐると振り始める。
「っ!?」
 丈瑠の顔色がその時、初めて変わった。

 間に合うか!!

 丈瑠の心の叫びと共に、
「はーーーーーーっ!!!!」
 丈瑠は素早くショドウフォンを出すと、渾身のモヂカラを宙に書き、アヤカシの背中に向けて放つ。それは炎となってアヤカシを襲った。
 アヤカシから流ノ介の立っている場所までは、距離があった。だから、丈瑠を襲った時より、アヤカシの髪を振りまわす時間が長かった。そのために、丈瑠の攻撃は間にあった。
「あつっ!つっつ!!」
 流ノ介の方に伸びかけていた赤い鋼鉄の針が、途中で止まる。丈瑠の炎に焼かれたそれは、前よりもさらに真っ赤になって、アヤカシの頭の上にそそり立ち、煙を上げた。アヤカシの顔が流ノ介だけに、なんとも微妙な光景だった。

 この攻撃で、残っていた全てのモヂカラを使ったに等しい丈瑠。立っていることもできずに、その場に跪いてしまう。しかし丈瑠は時間を無駄にしなかった。
「流ノ介!逃げろ!」
 叫ぶ丈瑠。しかし、こんな丈瑠を前に、流ノ介が逃げられる訳がない。
「殿!何を言っているんですか!!」
 流ノ介は頭を振った。

 もう、こうなったら仕方がない!
 後先のことを言っている場合ではない!!

 流ノ介がショドウフォンを取り出した、その時、アヤカシが再び戦闘態勢に入った。赤い頭を、連獅子よろしく振りまわし始める。
「流ノ介!!」
 逃げるどころか、シンケンジャーになろうとしている流ノ介を見た丈瑠は歯がみをする。
「やめろ!!変身するな!!」
 叫ぶと同時に、丈瑠は最後の力を振り絞るかのようにして、高く跳躍した。
 丈瑠のあまりの命令に、それでも一瞬、動作を止めてしまう流ノ介。
「しかし!殿!!」
「命令だ!!でないと、二度と志葉家の敷居はまたがせない!!」
 泣きそうな流ノ介の気持ちを無視した丈瑠は、アヤカシの振りまわしている鋼鉄の髪の上を跳び越えた。空中で回転しながら先ほど飛ばされたシンケンマルを抜き取ると、着地しながら前転して、流ノ介の前でシンケンマルを構えたまま、膝立ちになる。
 目の前に来た丈瑠の姿に、流ノ介は目を見張った。丈瑠の腕から流れ出る大量の血で、既に丈瑠の服は、ぐっしょりと濡れそぼっていた。着地した地面にすら、血糊がべっとりと跡を残す。しかし丈瑠は、それに全く構う気配もない。
「殿!」
 流ノ介の半泣きの叫びと同時に、アヤカシが鋼鉄の針を放った。その幾千もの針が、真っ直ぐに流ノ介を狙って来る。その前に、丈瑠はシンケンマルを構えて立ちはだかった。
「烈火大斬刀ぉぉぉぉーーーー」
 シンケンレッドにもなっていない姿での、烈火大斬刀の使用。ましてや、もうモヂカラなどないに等しい丈瑠の叫び。それに、鈍いながらもなんとか呼応できたシンケンマルが烈火大斬刀に変化する。それは、鋼鉄の針が丈瑠と流ノ介を貫くのと、ほんの紙一重の差だった。
 間一髪で助かったとは言え、鋼鉄の針の威力を跳ね返す烈火大斬刀を支え続ける力は、もう丈瑠には残っていなかった。丈瑠は、烈火大斬刀の後ろにずるずると崩れ落ちる。
「殿ーーー!!」
 丈瑠に縋る流ノ介。
「私が!」
 倒れこんだ丈瑠の前で、しゃがみこんだまま変身しようとする流ノ介。
 しかし、
「駄目だ!!お前は闘うな!!」
 あくまで流ノ介の戦闘を許さない丈瑠が、流ノ介のその腕を捉える。
「殿!!この期に及んで何を!!」
「絶対に、駄目だ」
 しかし、もうそれだけで、丈瑠には精いっぱいだった。流ノ介の腕に掛かっていた丈瑠の手が、地面に落ちる。烈火大斬刀がシンケンマルに戻る。

 その瞬間を狙っていたかのように、再び、アヤカシが鋼鉄の針を放った。











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2010.10.16