それは、ゴセイジャーも巻き込んだ血祭のブレドランやマダコダマとの闘いが終わってから、一週間ほど経ったある日のことだった。 まだ一月とはいえ、暖かい日差しの降り注ぐうららかな午後。 志葉家は一見、一週間前の騒動などなかったかのような、穏やかな静寂に包まれていた。しかし、その静寂の中に、どこか張りつめたような空気が流れているのも、また真実だった。 そんな志葉家の屋敷の奥の、さらに奥。 長い廊下を、まるで泥棒か何かのように忍び足で歩く者がいた。 片手に長方形の箱。もうひとつの手には大学ノートまで持ったその者が、抜き足差し足で向かうのは、屋敷の奥へと繋がる渡り廊下。 渡り廊下を渡りきった所で、その者は壁に身体を寄せると足を止めた。そして辺りを窺いつつ、壁から少しだけ頭を出して、廊下の先に角度を持って繋がっている奥屋敷の縁側に目をやる。 しかし、その者が期待したような風景はそこにはなかった。奥屋敷に人の気配はなく、ただただ静かな空間が拡がっているだけだった。それでも、縁側の板間にも、その先の庭にも、暖かな日差しが余すところなく降り注ぎ、見ているだけでも平穏な気持ちになってくる。 しかし、この庭の主人は、こんな風景にも心癒されることはないのだろう。そう考えると、自らの胸のうちにも重い石が圧し掛かって来るような気分になる。 「はぁ」 思わずため息をついたその時、微かな風が、奥屋敷への侵入者の鼻をくすぐった。辺りを見回すと、中庭のロウバイがその名の通りに、蝋で作ったかのような繊細な薄黄の花を咲かせていた。その薫りは、重く暗い気持ちを僅かな間でも忘れさせてくれるような気がした。 この庭の主も………こんな香りに………ほんの少しでもいいから、癒されているのだろうか。 願わくば、そうあって欲しいと思うそばから 「でもきっと………ダメなんだろうなぁ」 侵入者はそう呟くと、ずるずると壁を背にしたまま、廊下に座り込んだ。 「………はぁ」 再び出てしまうため息。 幼い頃から育まれて来た、居心地の良い屋敷も。 呆れるほど良く手入れされた、花々の薫る美しい庭も。 そしてきっと、誰よりも何よりも、丈瑠を大事に思い、大切に接してくる志葉家に仕える人々の暖かな気遣いも。 今の丈瑠の心には、届いていないのではないか。 ただ、それだけが心配でならない。 「結局は、何が何だかわかんなかったけど………」 一週間前のことが頭をかする。 「それに、もちろん当り前だけど、丈瑠の意思ではなかった訳だし、敵の謀略でもあった訳で………」 その者は、廊下に座り込んだまま、手にしていた長方形の箱を、がさごそと開け始めた。そして、その箱の中に手を突っ込むと、ドーナツをひとつ、摘まみ出す。丈瑠の毒殺を怖れる彦馬の監視が厳しいために、巷の菓子など口にする機会のない丈瑠に、手土産として持参したそれだが、丈瑠は不在のようであり、もう意味をなさないのかも知れない。 「それでも、………志葉の殿さまが、外道に堕ちたってのは、やっぱヤバイっしょ。どう考えても」 ドーナツをぱくりと咥え込んだところで、また瞳が暗くなる。 「それって、やっぱ………そういう素養が………丈瑠にはあったってことなのかな」 ドーナツの箱を抱え込んだまま、うららかな日差しの中に足を投げ出し、壁にもたれ掛かると、天井を睨みつける。 一週間前。 闘いの中で血祭のブレドランに捉えられた丈瑠は、そのまま外道衆に連れ去られてしまった。 そして、丈瑠を取り返す策も術も持たないまま、次の闘いに臨んだ時、シンケンジャーとゴセイジャーは、とんでもない敵を目の前にすることとなった。 外道に堕ちた丈瑠。 にやりと口の端を上げて嗤った丈瑠。そして、その丈瑠が変身したシンケンレッド。 黒い陣羽織を纏ったシンケンレッドは、もう、その身にまとう空気からして、丈瑠のそれとは凄味が異なっていた。 ゴセイジャーには言わずもがな。自らの家臣に向かってすら、躊躇うことなく繰り出されるシンケンレッドの攻撃。そのモヂカラは、あり得ないほどの強さだった。どうみても丈瑠のシンケンレッドで、どうみても丈瑠のモヂカラで。だから目の前のシンケンレッドが、偽物などではなく、志葉丈瑠そのものなのは確実なのだが、その強さが、今まで共に闘ってきた丈瑠とは、かけ離れた強さだったのだ。 丈瑠が敵になってしまった。 丈瑠を相手に闘えない。 そういう想いももちろんあった。 しかし、それと同じくらいに、すさまじいまでの強さのシンケンレッドを前に、誰もが呆然としてしまった。 容赦のないシンケンレッドの攻撃。 あの強さを見せつけられたら、なんだかもう全てがどうでも良くなってしまい、何もかもを諦めてしまいそうになった。 それほどの強さ。人を屈服させてしまうほどの圧倒的な力を、丈瑠はみなに見せつけたのだ。 丈瑠の攻撃がシンケンジャーに向かったあの瞬間。多分、シンケンジャーの誰もがそういう気分になっていた。 もういい。 もう、ダメだ。 そんな気分に……… 渡り廊下の天井は檜で網代に編まれていた。その意匠は、見た目にもどこか優しい雰囲気を醸し出している。 外道衆との闘いを使命とする志葉家に引き取られ、闘うためだけに育てられた丈瑠。その丈瑠の私室に向かうこの場所に、こんな意匠が凝らされた天井がある理由は、何なのだろう。 ぼんやりと考える頭に浮かぶ答えはひとつしかない。 この奥屋敷は、丈瑠が十八代目当主として志葉家に入る前に、丈瑠のために改装されたと聞いた。それも驚いたことに、それを指示し取り仕切ったのは彦馬ではなく、あの丹波だと言うのだ。彦馬が丈瑠の養育係に任命される前に、改装は済んでいたという。 そうだとしたら、これはきっと、この屋敷の人々が、どれだけ丈瑠を想っていたかということの証ではないのか?その想いは、志葉家十七代目当主が倒れ、丹波が薫の母と共に屋敷を去った後も、彦馬と黒子にしっかり受け継がれた。 そして丈瑠もそういう気持ちに応えたくて、幼い時から、どれだけ頑張って生きて来たことだろう。 それでも、あんなことになってしまったのだ。 十臓との闘いでは、危うい所でバランスを保った丈瑠が、今回ばかりは闇に引きずり込まれてしまった。 もちろん、それは敵の策略だった訳だけれども。 でも。 もしかしたら。 薫のモヂカラの力添えがなければ、丈瑠は外道から、元に戻れなかったかも知れない。 志葉家の本当の血統をひく者、志葉薫。薫だったら、同じ状況でも外道には堕ちなかったのだろうか。今回、丈瑠が外道に堕ちてしまったのは、丈瑠が本当の志葉家当主ではなかったからなのではないだろうか。 「………とか、丈瑠も考えてんだろうから………」 そこまで呟いた所で、何故か涙が滲んでくる。 「やっぱ………こんなんで、丈瑠の元気が出る訳ねえよなぁ………」 視線の先には、大学ノートがある。 「ダメか。やっぱ………」 ドーナツを掴んだ手の甲で、涙を拭う。それでも溢れてくる涙。そして鼻水。 「………っひっく」 今度は袖口で拭い、ドーナツの箱に入っていた油じみたナプキンで拭い、それでも溢れる涙と鼻水に収集がつかなくなった時だった。 「なーにをしておるんだ、お前は!?千明!!」 聞きなれた声に千明が顔を上げると、渡り廊下の向こうに彦馬が呆れ顔で立っていた。 黒子が持ってきてくれたおしぼりで、千明が顔と手を拭っている横で、彦馬は呆れ顔を変えないまま、立っていた。 「廊下を菓子くずだらけにするんでない!それも、どこの誰が作ったかもわからないようなモノを屋敷に持ちこみおって。まさか、これを殿のお口に入れようとしていた訳ではあるまいな!!たった一週間前に、殿がさらわれたばかりで、そういう迂闊な行動をして、また殿に何かあったら、どうする気だ!?それだけでなく、そもそもここは、立ち入り禁止の場所。本当にいつまで経っても、お前は落ち着かないな」 千明が謝る隙さえ与えずにまくし立てる彦馬。しかしそう言う彦馬の声は、決して険しくなかった。むしろ、喜んでいるようにさえ聞こえるほどの、明るい声だ。この違和感に、千明が恐る恐る見上げると、そこには豪快な笑みをたたえる彦馬の顔があった。思わず千明も、照れ笑いを返す。 「丈瑠は………」 彦馬の笑顔を見て、どこか安心した千明が、やっと聞けたこと。 「丈瑠はどうしてんの?熱、下がった?」 千明らしくない頼りない声音に、彦馬はゆっくりと頷いた。 「昔から丈夫でいらっしゃるからな、殿は。どんな怪我でも、じきに治る」 「でも、護星天使の前では平気な顔してたのに、屋敷の門が見えた途端に、丈瑠、倒れちゃっただろう?」 それに彦馬は、困ったように微笑んだ。 「あれはまあ………良く知らぬ人たちの家にお邪魔したり、言葉を交わしたりしたので、お疲れになったのだろう。それと、エネルギー切れと言ったところかの」 千明は彦馬の言葉に、首を傾げた。 「人見知りの丈瑠が、護星天使相手にまともな対応しているな、と不思議に思ってはいたけど………でも、エネルギー切れ?」 彦馬は微かに視線を伏せると、千明に背を向けて中庭に身体を向けた。低い欄干のついた廊下の端まで寄り、そこに咲いているロウバイの一輪に手を差し伸べる。 「爺さん?」 それに、千明が不安そうな声を出した。彦馬はそれでも、ロウバイをみつめたままだった。 「………爺さん!?」 千明の泣きそうな声に、彦馬は仕方ないとでも言うように、肩を竦める。 「殿は、あの時、タガが外れたかのように………モヂカラをお使いになられていただろう」 それだけ言うと、彦馬は懐から生け花用のはさみを取り出し、ロウバイのひと枝に差し入れた。 「一週間も熱が下がらないのは、殿にしては珍しかった………それだけ、殿にとってもあり得ないことだったのだ」 「えっ………」 千明が息をのむのを聞こえないようにするかのように、彦馬がチョキンとはさみで枝を切り取る。 「が、今朝には熱も下がられた。まあ、今日一日は大人しくしているようにお伝えしてあるが、もう心配せんでも大丈夫だ」 そういう彦馬の背中が、着物の上から見ても一回り細くなったように見えることに、千明はその時、始めて気がついた。 「あ………」 そうなのだ。 千明よりも、流ノ介よりも。 丈瑠のあの姿に、あの状況に、心を痛めたのは彦馬に違いない。しかし彦馬はそれを表には出さない。出さずに、ただひたすら、流ノ介や千明たちを支えたのだ。それこそが丈瑠を取り戻す近道と信じて。 意識を取り戻した丈瑠が、屋敷に戻ってきて倒れてからの一週間。 もしかしたら彦馬は、ろくに寝てもいないし、食事も摂っていないのかも知れない。 いやいや。むしろ丈瑠のために、無理やりにでも食事をしていたのかも知れないが、それが栄養になることはなかったのだろう。 「………そ、か。だよな。だけど、俺………丈瑠が………あんなに強いなんて、知らなかったんだ」 切り取ったロウバイの枝を、後ろに控えている黒子に渡しながら、彦馬がちらりと千明を見た。千明は俯いて、考え込んでいる。 「もちろん丈瑠が強いのは………丈瑠が、俺たちより飛び抜けて強いってことは、理解している。だけど………あそこまでとは………思わなかった」 言葉を慎重に選びながら話す千明に、彦馬も頷く。 「わしもだ。殿には………いつになっても、驚かされる」 千明は、顔を上げて、彦馬を見る。 「志葉家の封印の文字は、みんなで発動させた。あの時は、全員スーパーシンケンジャーになっていたし、だから封印の文字も使えたんだと思う。そういう意味では、丈瑠も、姫よりはモヂカラは弱いのかな………とも思う」 懸命に話す千明を、彦馬はじっとみつめた。 「それはそうなんだけど………おかしくなっていた丈瑠の攻撃のモヂカラは………凄かった。あれはきっと………姫より凄かったんじゃないかって、俺は思う。いや、凄いなんてもんじゃなくて………すさまじかった。むしろ、怖かった。背筋が寒くなって、なんかもう丈瑠が………」 「とても人とは思えなかった………な」 言い淀む千明の後を継ぐように、彦馬が呟いた。 はっとして、目を見開く千明。暫し、二人はお互いの言葉を噛みしめる。そして、千明がゆっくりと頷いた。 「丈瑠が外道とか、化け物とかは………思わない。思いたくない!!だけど………丈瑠のあの時の力は………爺さんの言うとおり、人のものとは思えなかった」 言いながら、再び、鼻の奥が痛くなって来る千明だった。 「あれが………本当の、本当の、丈瑠なのか?」 そう言って、俯いて首を振る千明。 今度は、彦馬が眉を寄せた。 「どういう意味だ?千明」 彦馬の戸惑いの声に、千明が顔を上げた。 「あの力が本当の丈瑠の力だとして………そうだとしたら丈瑠は、ずっと自分の力を抑えつけてたんだろ。でも、それで正解なんだと思う。あんな力は、人の力とは思えない。だけど、丈瑠、外道の時の記憶あるのか。あるっぽいよな。正気に戻った時、丈瑠、闘いの状況理解していたみたいだし。そうだとして、丈瑠が自分のしたこと、みんな判ってるとしたら、あんな自分が怖くない………かな」 千明の言葉を最後まで聞かずに、彦馬が悲痛そうな顔で、瞳を閉じた。 「………爺…さん」 彦馬の心配も、同じだったということだろう。 丈瑠は、操られていたにしろ、何にしろ、あの外道に堕ちた自分、その時の、躊躇うこともなく恐ろしい力を行使する自分を認識していた。そんな自分を今、丈瑠はどう思っているのだろうか。 「丈瑠………大丈夫かな。大丈夫、って身体とかじゃなくて。………俺、なんか、今回のことで、丈瑠が何かに目覚めちゃいそうな気がして………怖いんだ」 言葉を失くしてしまった二人。 やがて長い沈黙の後、彦馬が呟くように言った。 「どれほどに殿が、すさまじい力を持っていようとも………」 俯いていた千明が、再び顔を上げて、彦馬を見つめた。 「そしてそんな殿が間違った道に堕ちそうになっても、お前たちなら殿をお止めすることができる」 彦馬の言葉に、黙って見つめる千明。 そんな千明の横に、彦馬は跪いた。 「一年前も、そう信じていた。わしではできない。だが、お前たち侍にならできる」 「………爺さん?」 驚く千明に、彦馬は真剣な眼差しを向けた。 「だからあの時。一年前のあの時、お前たちに殿を託したのだ」 忘れもしない一年前のあの夜。 彦馬の悲痛な叫びに、丈瑠を探すために、全てを振り棄てて屋敷を飛び出した千明、茉子、そしてことは。後から流ノ介もやって来た。 確かに、あの時は、丈瑠を止めることができた。丈瑠が十臓と共に、どこか違う場所に行ってしまうのを、遮ることができた。 でも今はどうなのだろう。 あの頃の何十倍。いや、何百倍、何千倍もの力を秘めているかもしれない丈瑠。 そんな丈瑠に何かがあった時、自分たちは、本当に丈瑠を止めることができるのか。 「千明。殿を………頼む」 千明の前で頭を垂れる彦馬に、千明は何かそら怖ろしい予感を感じるのだった。 小説 次話 久々の更新が、前回の続きではなくて 本当に、申し訳ありません。 あっちの話はあっちで 丈瑠が怪我しっぱなしなので、とても心苦しいです。 とか言いつつ、違うのを書いてしまいました。 昨日、公開初日&初回上映で見て参りました 『天装戦隊ゴセイジャー VS 侍戦隊シンケンジャー エピック ON 銀幕』 と 1月14日に、青山劇場で見て参りました 『銀河英雄伝説 第一章 銀河帝国編』 (ラインハルトを殿が演っておられます) のコラボパロです A^^;) いやいや。 昨日までは、 『銀英伝』舞台のパロを書こうと思っていたのですが 昨日、VS見ましたら、もう!! 絶句ものの、殿無双と 意識が戻った時の殿のあまりの可愛いさと 家臣への甘えっぷりに ついつい、映画を混ぜてしまいました。 やはり殿はいいですねぇ。 久々に新しい殿にお会いできて、泣きそうなくらい嬉しくて でも、これでお別れかと思うと、本当に泣けてきました。 お話は、今回だけは深刻そうですけど、本筋はギャグですから。 それも、深い意味などなく もう、本当に題名そのままなので、深読みはなしです。 そこらへん誤解なさらずに、次回も読んで頂けると嬉しいです。 次回、多分、急転直下します(笑) しかしながら、次回更新時期、不明です。(←おいっ) ちなみに題名は、銀英伝ファンなら言わずもがなの映画です。 私はビデオはもちろん(捨てましたけど)、サウンドトラックのCDまで持ってます A^^;) 何か一文字違うような気がする方がいらっしゃるかも知れませんが、それはそれ。 殿が征くのは、宇宙ではないので、これでいいかな、とか?? ………って、どこの大河を征服するのか?いや、それはもちろん、あそこ……… A^^;) 2011.01.23 |