志葉家ver

我が征くは星の大河 2












 志葉家の敷地は広い。
 こんなに広い場所が、都心部のどこにあるのかと思えるほどの広さだ。かつての大名屋敷の多くがビルや公園などに姿を変えていく中、志葉家はその特殊性ゆえに、かつての姿のまま、未だに存続しているのだ。
 江戸時代から三百年の長きにわたり、志葉の屋敷と庭園は、それぞれの時代に即した手入れや修復を行いながらも、大きく姿を変えることなく代々の当主へと受け継がれて来た。
 十八年前。十七代目当主の時代に、ドウコクとの闘いで焼失した表屋敷の一部も、ドウコクが倒れてすぐに修復された。あの悲愴な闘いの面影は、屋敷にも庭にも、表に見える場所には残されていない。ドウコクとの闘いの傷跡は、ただ、志葉家の人々の記憶と記録にのみ、刻み込まれ、受け継がれて行く。
 このように、時の流れに逆らっているかのような志葉の屋敷と庭園だったが、これこそが、歴史の中で志葉家が担ってきた役目が、今も変わらず有意である証なのかも知れない。

 そんな、志葉家の在り方の証明の一端とも言える屋敷の前の広大な庭園を、千明は歩いていた。
 明治になってから取り入れられた芝生敷きに、アカマツや百日紅などの和風の樹木や雪見灯篭などが点在している、和洋折衷の庭だ。振り返れば、一年前まで毎日のように丈瑠や流ノ介、茉子、ことはと訓練をしていた稽古場が見える。
 再び庭に目を向けると、高台にもなっているその場所からは、庭木の向こうに、志葉屋敷の人々を養うに十分な水田、畑、果樹園なども見渡すことができた。さらに木々の影になっているため、そこからは臨めないが、畑の奥には、養鶏場や家畜小屋、馬小屋もあるはずだった。
 眺望の開けた開放的なその庭園から林の中に入り、高台の斜面を蛇行する小路を下って行くと、大きな池とそこから流れ出る小川を中心にした、江戸時代の伝統的な庭園様式である回遊式庭園が、木枝の間から覗き見えてくる。
「あ………」
 林の小路から見下ろした先。その回遊式庭園の隅に設けられた、幅二メートルにも満たないような、小さな川に掛かった小さな石橋の上に、千明は丈瑠の姿をみつけた。






 千明はゆっくりと小路を下りると、白い玉砂利が敷かれた回遊路もゆっくりと歩む。できるだけ、丈瑠の視界に自分が入ってくれるように願いながら。大きな池を廻り、ことさら玉砂利を蹴り上げながら、丈瑠に近づく。しかし橋の上の丈瑠は、千明に気付いていないはずがないのに、身動きひとつしなかった。
 石橋の低い欄干に両手をついて、川面をじっと覗き込んでいる丈瑠。俯いたままのその表情は、遠くからでは窺うこともできない。

 二年前に初めて丈瑠と出会った時も、その後も、千明は、丈瑠の心の底を知り得たことなどない。それは、今も変わりはなかった。一年前に互いの絆を確認し合った。一週間前にも、力を合わせて新たな敵を倒した。それでも、丈瑠の心の内には、千明などが踏み込めない一画がある。いや。踏み込んではいけない一画、と言った方が正しいのかも知れない。そしてその一画は、一画と言えども、丈瑠の心の殆どの部分を占めているのだ。

 外道に堕ちたってことを気しているのは、判るんだけど………

 千明はため息をつく。
 例え、それを気に病んでいようとも、丈瑠がそれを誰に相談するはずもない。丈瑠が悩みを相談する相手と言えば、千明には、彦馬くらいしか思い浮かばない。しかし、今回のような問題は、丈瑠を立派な志葉家当主に育て上げることだけを自らの使命として来た彦馬には、相談できないだろう。家臣であり、シンケンジャーである自分たちには、言わずもがな、だ。
 外道を討つための志葉家当主が、外道に堕ちたなんて話は、洒落にもならない………と丈瑠は考えるのだろうから。

 だから、俺たちに任せると言われても………なあ
 爺さんと俺たちの立場って、違うように見えても、丈瑠から見たら、同じって気がするんだよな。

 彦馬の頼みは、千明には重たかった。もちろん、丈瑠を元気づけたいとは思う。そのために、今日だって訪ねて来たのだから。ある案まで練って。

 でもなあ………あんまり深刻になられていると………考えてきたことがアホっぽくて、言い出しにくいんだよな。
 こういうの、流ノ介なら、全然、躊躇わないんだろうけど。

 丈瑠が、今回の、自らの外道堕ちに対して、既になんらかの答えを、あるいは、割り切りを見い出したのか、否か。それすらも千明にはわからなかった。
 見たところ、機嫌が悪いままだから、答えを見つけていない、とも限らない。すっきりした顔をしていたとしても、それは、とんでもない答えを出してしまっているため、ということもある。
 そう。とんでもない答え。それが千明には、一番、怖かった。
 一年前、志葉家当主の任を解かれた丈瑠が、その後の自らの在り方について、とんでもない答えを手にしようとしていたことが、思い起こされる。

 こういう時に、丈瑠が何の気兼ねもなく、悩みを相談………じゃなくても、
 気持ちを吐きだしてしまえる相手って………
 それは、もしかしたら俺らとか爺さんとかじゃなくて………

 その相手として、千明の脳裏を掠ったのは、底冷えのするような、酷薄な目をした白い影。丈瑠をつけまわしていた、はぐれ外道。その怖ろしい考えに、千明は思わず身震いをすると共に、頭の中から、その怖ろしい思いつきを消し去ろうとする。でも、消そうとすればするほど、そうなのかも知れない、とも思えてくる。
 殿と家臣という主従関係。忠義に縛られた、あくまで侍としての生き方に拘る関係。この関係に立脚する限り、どこまで行っても、互いに腹を割れないこともあるだろう。ドウコクとの闘いを通して、それを超えた関係に自分たちがなれたのかと言われれば、千明としては口籠ってしまう部分が大きい。
 丈瑠にしても、そうだ。丈瑠は今も、あの時のままの丈瑠なのだろうか。それとも、正式な志葉家十九代目当主に就いて、一年の間に何か変わったのだろうか。
 こうして突き詰めて考えてみると、なんとなく判ったような気になっていたことも、千明には判らなくなってくる。
 けれど、さきほど彦馬にあのように言われたことを考えると、やはり丈瑠は、一年前から劇的な変化を遂げたという訳ではないのだろう。彦馬は未だに、丈瑠が心配で仕方ないのだ。






「丈瑠」
 丈瑠の横に立った千明が丈瑠に呼びかける。それでも丈瑠は振り向かなかった。
 丈瑠が見つめている水面には、千明の姿がくっきりと映っていて、丈瑠が気が付いていない訳はない。それでも丈瑠は無言のままだった。千明は肩を竦めると、丈瑠のすぐ横の欄干に浅く腰かけた。
「丈瑠、ここ、身投げ無理だから」
 水がよほど澄んでいるのだろう。川底の石ころ一つ一つまでもがくっきりと透けて見えるその小川は、多分、子供の膝ほどの深さしかない。そんな千明の冗談だったが、丈瑠はくすりとも笑わなかった。それでも丈瑠は、顔だけは千明に向けた。
 一週間、熱が下がらなかった丈瑠の顔は、少々やつれて見えた。そして、彦馬と同様に、幾分痩せて見えた。黒髪が顔に影を落としているせいなのか、表情も暗い。思わず眉を寄せた千明に、丈瑠は表情も変えずに、前方を指差した。
「………え?」
 千明が首を傾げると、丈瑠は自分が指差した方角に顔を戻した。
「その先」
 浅い小川は、丈瑠の指差す二十メートルほど先で大きく右に折れると、そこで行きどまりになっていた。そこは、直径五メートルほどの溜まり池のような場所だ。志葉屋敷の建っている台地の斜面下に張り付くようなその場所だけは、周囲の庭園とは様子が異なっていた。
 志葉の屋敷に一年もの間住んでいた千明たちだったが、屋敷の隅々まで知っている訳ではない。志葉家は、侍でも立ち入り禁止の場所が多かったからだ。庭も同様であり、千明は志葉家の庭に、あまり足を踏み入れたことがない。
 だから千明は、初めて見るその場所に、目を凝らした。光の加減なのか、そこだけ水の色がやけに濃く見える。それとも、周囲の緑もそこだけ深く、木がうっそうと生い茂っているから、光が届かずに、そう見えるのだろうか。
 そこだけが異次元空間のように、周囲と異なる空気を持っていた。

 千明が怪訝な顔で凝視していると、丈瑠がぽそりと呟いた。
「湧泉だ」
 千明が丈瑠を振り返る。丈瑠は、丈瑠が指した溜まりの水と同じような暗い色の瞳をしていた。
「………ゆうせん?」
「湧き水が出ている場所だ。あそこだけは深いまま。自然の地形が残っている」
 千明の顔が、瞬時に曇った。
「………どういう意味だよ」
 怒りの混じった声音に、丈瑠が初めて千明とまともに目を合わした。暫し、睨みあう二人。
 最初に目を逸らしたのは、丈瑠だった。ふいと千明から顔を背けると、丈瑠は千明がいるのとは反対の方向に、歩き出す。
「あ!おい!!待てよ、丈瑠!!」
 しかし丈瑠は、無視だ。
「待てって言ってんだろ!」
 千明は、石橋を下りて、小路を先に行ってしまう丈瑠の背を追う。
「丈瑠!!」
 ついに千明は、止まる気のない丈瑠の前に廻り込んで、丈瑠の足を無理やり止めた。丈瑠はそんな千明の怒った顔を、何の感情もない顔で見下ろした。
「丈瑠!!お前なぁ!」
 千明が丈瑠を殊更に睨みつけた瞬間、丈瑠は千明を腕で押しのけて、さらに千明の先に進む。その背中を見つめる千明が、堪らずに叫んだ。
「丈瑠!!!!」
 それでも二、三歩進んだ丈瑠だったが、そこで足を止める。僅かに俯くと、すぐに顔を上げた。
「子供の頃から、危ないから近づくな、と爺に言われてた」
 千明に背を向けたままそう言うと、丈瑠はため息をついた。
「それだけだ」
 そう言って、その小川の先の湧泉に向かって歩き始める丈瑠。丈瑠の考えていることがわからない千明は、丈瑠の後ろについて行くしかなかった。






 しかし、十数メートルも歩かないうちに、道は行き止まりとなった。
 玉砂利の道は枝分かれして、湧泉へと続く脇道もあるのだが、その進路が四つ目垣によって阻まれているのだ。小さな木戸がついているし、四つ目垣など超えるのは訳もないので、湧泉に行けないということはないのだろうが、丈瑠はそれ以上、前には進もうとはしなかった。

「丈瑠?」
 立ち止まったきり、動かない丈瑠に、千明が声を掛けた。すると丈瑠は、湧泉の方を向いたまま
「あの湧泉が、三途の川に通じているんじゃないかって、そこから外道衆が来たりするんじゃないかって………思っていた時期があった………」
 と言った。
「え?」
 戸惑う千明をよそに、丈瑠は淡々と話し続けた。
「そうしたら、爺が笑って、違うと言った。むしろあの湧水は聖なる水なのだそうだ。外道の攻撃も、三途の穢れた水も跳ね返す、とても清い水だそうだ」
「あ………ああ。そうなんだ」
 丈瑠がまた突然に、何を言い出したのか理解できない千明は、ただ、丈瑠の話に相槌を打つしかない。
「そう言えば………なんか、あったよな」
 千明は、どこかでその話に関連しそうなことを思い出す。
「丈瑠がおかしくなったと思った時あったよな」
「………おかしくなった?」
 間髪いれずに疑問を差し挟む丈瑠に、千明は思わず苦笑いを返した。
「あ。いや、えっと………イサギツネだっけ?ほら、源ちゃんが登場した時の。あいつの鏡映しの術も、水には通用しなかったんだよな。風呂に潜ったらアヤカシの気配がなくなるってんで、丈瑠はアヤカシの仕業だって気付いたんだろ?」
「あ、ああ。そうだ」
 千明は、丈瑠の同意に、得意そうな顔をする。
「だから、聖なる水なら、尚更、外道の力を跳ね返すってことだよな」
 それに丈瑠は頷いた。まさしく、あれが聖なる水の力だ。
「だから毎日、黒子があそこで汲んでくる。俺が使う水は全てだ。お茶の水も、食事の水も。風呂の水も………」
 初めて聞く話に、千明が目を見張っった。
「へえ?そうなんだ。すっげえじゃん………てか、細かいよな、黒子ちゃんたち。丈瑠の分だけ全てだなんて、ちょっと差別かよ」
「爺がやらせている」
 付け加える丈瑠に、千明は肩を竦めた。
「あ、そりゃわかってるけど。いや、別に俺の分も、それにしてくれとかは、言わねえし」
 それから千明は、四つ目垣に近寄り、木や草に埋もれて見えにくい、聖なる湧泉とやらを見ようと背伸びしてみる。丈瑠には見えるのかもしれないが、丈瑠より背の低い千明には、湧泉は、そこからでは見えなかったのだ。
「でも、聖なる湧水………ねえ。俺も汲んでお持ち帰りしちゃおっかな」
 おどける千明の背中に、
「でも………無駄だった」
 と言う丈瑠の自嘲気味な声が聞こえた。
「え?」
 思わず振り返る千明に、丈瑠は微妙な笑顔を見せる。
「無駄だっただろう」

 丈瑠の見たこともないような微笑に、千明は思わず目を逸らした。足元の玉砂利を見つめながら、千明は唇を噛んだ。
「………無駄って、何だよ」
「無駄は無駄だ」
 丈瑠は淡々と応える。
「きっと丹波は、姫………いや、母上には、そんなことはしないだろうってことだ」
 まるで他人事のように。






 その瞬間だった。
 千明が丈瑠に何かを突き出してきた。
 普段からの反射神経で、考えなくとも身体がそれを避けようとした丈瑠だった。しかし丈瑠は、その攻撃をかわす動作を、咄嗟に、意志の力で止めた。それが何故なのかは、丈瑠にもわからない。ただ、今、千明が動いたこの瞬間に、一年前の千明の言葉が、丈瑠の頭の中に響いたのも事実だ。

『避けんなよ!!!』

 十臓との闘いの後、白んできた冷たい空気を裂くように、そう叫んで丈瑠に殴りかかって来た千明。
 あの時の千明と、今、目の前の千明が、どこかで重なる。

 しかし、千明が突き出してきたのは、あの時のような拳ではなかった。丈瑠の腹部に横一直線に突き刺ったもの。
「うぷっ」
 一週間、病床にあった者には、多少辛い攻撃だった。口に手を持って行きつつ、俯いた丈瑠の目に入ったのは、自分の腹部に押し込まれた大学ノートだった。

「これ!!俺が作って来たんだ」
 大学ノートを両手に持ったまま、丈瑠の腹部に突き出してきた千明。ついでに頭もめいっぱい下げているため、千明の顔が丈瑠には見えない。
「だから、一緒に演ろうぜ!!!!」
 元気に叫びつつも、千明が顔を上げないのには、何か訳があるのだろうか。
「や………やろうって、唐突に、何をだ?………というか、お前、今の俺の話を聞いていたか?俺は」
 言いながら丈瑠が、千明の突き出してきた大学ノートを手にした瞬間、
「いいから!!!!余計なことは、ぐちゃぐちゃ考えなくていいんだ!丈瑠は!!」
 という叫びと共に、千明の頭が勢いよく上がり、それが丈瑠の顎を直撃した。
「これ、丈瑠のために、俺が書いた脚本なんだから!!」
 しかし、顎に頭突きされた丈瑠は、アッパーカット状態となり、千明が顔を上げた時には、既に気を失っていた。











小説  次話






う〜ん A^^;)
最後にぎりぎり、次の展開にすべりこめた………ってところですか。
次回こそは、全編ギャグで………行きたいのですが。

VS映画!
二回目行ってしまいました♪
60分。1200円。
短くて安いと、気軽に行けていいですよね(^^)
ちょっとした空き時間に行くこともできますし。
その時々により、いろいろな映画館で見ています。

今週も、行けるといいなあ。
外道殿、格好良すぎて、たまりません。

2011.01.30