志葉家ver

我が征くは星の大河 12











 千明の胸の内には、怒りなのか脱力なのか、千明自身にも理解できない感情が渦巻いていた。しかし、明日が本番なのだから、早く話を進めねばならないのも、事実だ。

「じゃあ、改めて………」
 千明にしては珍しく、自分の感情を押し殺すと、丈瑠を再び、みなの前に押し出した。
「志葉丈瑠くん扮するのは、『志葉家』の『殿』さまになりましたんで、よろしく………」

 静かに感情を抑え込む千明。
 そんな千明を、丈瑠は見たこともなかった。だからだろうか。何か言わねばならない気がした。
「訳がわからないが………俺は………『俺』をやればいいのか?」
 その途端に、千明の形相が変わる。
「ちがうよ!『銀河帝国』の『ラインハルト・フォン・ローエングラム伯爵』だよ!台本にそう書いてあんだろ」
 叫ぶ千明の目尻には、滲んでくるものがあった。抑えつけている感情が、溢れそうなのか。
「単に名前を、変えさせられただけだ〜!!」
 声までも、しっかりと涙声。それを恥じることもなく、さらけ出す千明。
 思わず丈瑠は、千明から目を逸らし、座っている侍たちに視線を転じる。侍たちも、特に流ノ介だが、ばつが悪そうな顔をしているのかと思いきや、誰もが台本に目を落として千明の顔など見ていなかった。
「………そうか」
 誰に言うでもなく呟くと、丈瑠は千明を舞台の中央に残して、とぼとぼと侍たちの列の後ろに座った。座ってからも、丈瑠は千明の顔から目を逸らしたままだった。

 人前でも平然と涙する、千明や流ノ介。
 大分慣れてきたとはいえ、このような状況や雰囲気が、丈瑠はとても苦手だ。
 侍たちと関わるようになる前までは、このような状況に接することもなく、丈瑠は生きて来ることができた。なにせ、二年前までの丈瑠の生活は、戦闘時以外は、志葉屋敷の中だけに限られていた。その頃は、志葉屋敷内の全てが、丈瑠を中心に回っていたのだから。
 侍たちを招集してからは、幾度となく、このような場面に出くわすこととなった。その度に丈瑠は戸惑い続けてきた。もちろん、こんな場面で、相手を慰めるなんてことはできないし、する気もない。侍に、そんな気遣いは不要なはずだ。それでも、居たたまれない。
 丈瑠は俯くと、口の中でぼそっと呟いた。
「………まあ、いいか」
 それから丈瑠は、手にしていた台本をゆっくりと開き、それに視線を落とした。
 銀河帝国の帝国軍元帥、ラインハルト・フォン・ローエングラム伯爵。それが自分に与えられた役。千明は、どんな思惑があって、この劇をやろうとしているのか。そして、千明が、丈瑠をなぞらえる人物として選んだラインハルト・フォン・ローエングラム伯爵とは、いかなる人物なのか。
 丈瑠は、今初めて、それに興味を抱くのだった。






 一方、千明は拳で涙を拭うと、大きく深呼吸をした。
 それで気分を、すっぱりと切り替える。
 次の瞬間、千明の表情が明るくなった。
「じゃあ、次行くわ」
 千明のその声を待っていたかのように、全員が、台本から顔を上げる。その動作に、丈瑠はなんとも言えぬ感慨を感じた。

「次に紹介するのは、第二の主役と言っても良い、ジークフリード・キルヒ………」
「私だな」
 千明の言葉をまたもや遮ったのは、言わずもがな、流ノ介だった。
「………えっ」
 千明が、流ノ介を見つめる。流ノ介は呼ばれもしないのに、勝手に立ちあがると、千明の横にやって来て並んだ。
「………あー………えっとぉ?」
 千明の戸惑いの表情に、流ノ介が不思議そうな顔をする。
「なんだ?私だろう?第二の主役と言っても良い役!と言えば!」
 当然のように言う、流ノ介。
「あ。あ………っと?」
 内心呆れながらも、口籠るしかない千明。思わず、目の前に座る源太を見つめてしまう。源太は苦笑いをしていた。
「唯一の、踊りもある役だな!?素晴らしい!」
 千明と源太が見つめ合っている横で、流ノ介が嬉しそうに、足首、手首を回したりと、準備運動まで始めた。
「………ゆ、唯一?あー、そういう訳でも………」
 しどろもどろの千明に、源太が台本を指差しながら、必死で合図を送る。それに、千明は頷いた。
「あ、ああ。まあ、いいや。次は、ラインハルトの………」
「『殿』!だ!」
 紹介順番を変えようと思って口にした瞬間、流ノ介の訂正が鋭く入る。それにまた、頭に血が上りそうになる千明。千明は、歯を食いしばってでも、怒りを抑えるしかない。そうしないと、話が進まないのだから。
「………次は『殿』の部下の中でも、とても重要な位置を占める提督の役です。貴族階級出身で、戦闘に対する才能が豊か。功守のバランスに優れているため、どんな作戦でもそつなくこなします。『殿』の信頼も厚く、また、女性にもすごくもてる『オスカー・フォン・ロイエンタール中将』………を、池波流ノ介くん」
 千明は、殊更、美辞麗句を連ねて、ロイエンタールを紹介する。
「ははははは!まさしく私に相応しい役じゃないか!?」
 空気の読めない流ノ介は、高らかにそう言い放つと、横に立つ千明の肩を、バンバンと叩いた。どうやら流ノ介は、千明がどんな顔をしているのかも、気付いていないようだ。千明は、これ幸いと思うことにして、話を先に進めた。






「次は、今紹介した、流ノ介のロイエンタールと一緒に『帝国軍』の………」
「『志葉家』、だ!」
 瞬時に飛んでくる流ノ介の訂正。
 千明は顔を歪めながら、またも、怒りを呑み込むしかない。
「………ロイエンタールと一緒に、『志葉家』の双壁って言われている………」
「双壁!?とすると、私の他にもう一人、私並みに優秀な提督がいると言うのか?」
 既にロイエンタールと一体化しているかのような、流ノ介のこの発言は、質問ではなく、大きな独り言なのだろうか?それにしても、話を進めるためには、邪魔でしょうがなかった。
「くぅぅ〜」
 唸りつつも、千明は、流ノ介の一言一言に反応しないと、心の底で固く誓う。
「………もう一人の双壁は、『ウォルフガング・ミッターマイヤー中将』と言って、俺が演ります。艦隊戦で、ものすごい機動力を発揮する提督で、『疾風ウォルフ』の異名を貰っています」
「なんだと!?」
 相変わらずの流ノ介の大きな独り言を、無視したままで行こうとした千明だったが
「待て!私は………千明、お前と並び立つのか?まさか、踊りも一緒とか言わないだろうな!?」
 と、いきなり肩を掴まれて、流ノ介の方を向かされてしまった。
「文句…あんのかよ。踊りも一緒だよ!!振りは違うけどな!」
 さすがにここまでされては、流ノ介を無視できない。千明が睨むと、流ノ介も少しは考えたのだろうか。
「………なるほど。まあ、いい。所詮は、劇でしかない。現実と違っても仕方ないな」
 と引き下がる。
 しかし、今度は千明の方が、我慢できない。
「現実!って、何だよ!?それに、全然、仕方ない………って感じじゃないじゃないかよ!お前の言動は!」
 千明が突っかかって行くと、流ノ介はそれを
「まあ、踊りの見せ場で、差が付いてしまっても仕方ないな。許せよ、千明」
 と、さらりと受け流した。
「あ!俺だってなあ、踊りくらい踊れるんだぞ!」
 それを流ノ介は、薄い笑いで応える。
 散々、自分から突っかかって来ておきながら、千明が相手になろうとすると、ひらりと身をかわす流ノ介。その態度に、千明はやはり我慢ができなかった。
 たった数十秒前の固い誓いが頭から飛んでしまった千明が、
「流ノ介!お前なぁ!!」
 と、流ノ介の胸倉を掴もうとした瞬間
「はーい、はいはい!そんなのどうでもいいから、早く次行ってよ!本当に日が暮れちゃうわよ!ここ、灯りないのよ!?暗闇の中でやるのなんか、ゴメンだから!!」
 茉子の有無を言わせぬ声が、辺りに響き渡った。

 沈黙に包まれる能楽堂。
「………ああ。それじゃあ、灯りを持ってこさせるか」
 暫し後、その沈黙を破ったのは、丈瑠のこの間抜けな台詞。
「黒子に松明でも………」
 丈瑠が、存在感を消して能楽堂の隅に控えていた黒子に合図しようとすると、
「はぁあ!?」
 やはり、茉子に思い切り睨まれてしまうのだった。
「何言ってるの?趣旨が違うでしょ!いいわよ、そんなの用意しなくて!」
 茉子はそう断じると、千明に向き直る。そして、命令した。
「千明!ちゃっちゃとやっちゃって!」
 茉子は、よほど早く、家に帰りたいようだった。






 流ノ介を座らせてから、千明は咳払いをした。
「じゃあ、その次です」
 若干、かしこまった口調になる。
「………次は、ものすごく重要な役だから、よく聞いてね。ラインハルトの幼な」
 その瞬間
「だからラインハルトはもう却下されたんだ!『殿』だ!『殿』!!」
 流ノ介が、叫んだ。
 千明は一瞬、唇を噛んだが、目を閉じて、深呼吸をして、怒りを鎮めた。
「………『殿』の幼馴染でもあり、殿と共に闘ってくれる『ジークフリード・キルヒアイス上級大将』は、梅盛源太くんが扮します」
 千明が源太に手を差し伸べようとしていると、台本を見ながら首をかしげていた流ノ介が、いきなり顔を上げた。
「は!?何だと!?上級大将?私より、源太の方が偉いのか!?」
 もうすっかり、ロイエンタールと一体化した流ノ介だった。
「ったくもーーー!!」
 しかし、千明は子供のように、足を踏み鳴らす。
「煩いんだよ!!いちいち、文句言うなってんだ!流ノ介は!!」
 ところが流ノ介は意外にも
「………判った」
 と、あっさりと引き下がったのだ。

 これには、千明はもちろん、千明の横に立つ源太も、拍子抜けした。
 しかし考えてみれば、流ノ介が引っ掛かってくる項目は、まだ説明していない。流ノ介が大暴れするのは、この後なのかも知れない。
 千明は源太と目配せして、キルヒアイスのより詳細な説明に入ることにした。
「それで、キルヒアイスは、ラインハルト………いや、『殿』の親友でもあり、『殿』にとっては、なくてはならない存在で、常に『殿』の傍に控えていて」
 詳細説明をしないままだったら、流ノ介もこれ以上、突っかかっては来ないだろう。しかし台本を読み進めば、必ずばれることであり、その段階になってから、揉めている時間はない。そうだとしたら、今ここで、揉め事は全て終わらせてしまわねばならないのだ。
 千明は、一呼吸置いて、一番大事なことを告げた。
「『殿』の陣営における、実力も見識も、ナンバー2と言われる人物です」

 能楽堂に、ダンッという大きな、しかしきれいに作られた音が響き渡った。
 流ノ介が、立て膝で、足を一歩前に出したのだった。よく仕込まれたその動作は、見事な音を、能楽堂とその周辺にまで沁み渡らせる。そのまま流ノ介は、右手を前に出して、首を大きく振りまわした。
「ちょーーーーと待てーーー!!」
 流ノ介が何か言ってくるのは判っていた千明と源太だったが、それでも、この流ノ介のどう見ても歌舞伎の動作だろ!というところまでは予想できていなかった。
 そのまま、流ノ介は立ちあがると、芝居がかった振りをしながら、片足けんけん状態で
「ナンバー2?殿のナンバー2だと!?」
 よく通る声を張り上げながら、千明たちの前まで出てくる。
「何だよ」
 ふざけているのか、本気なのか、それとも怒っているのか。さっぱりわからない流ノ介の態度。
 困惑する千明の前に、流ノ介は整った顔を突き出してくる。
「殿のナンバー2と言えば、私以外、有り得ないだろう!?」
 ここだけは、予想通りの、流ノ介の反応だった。
 予想していたから、千明も考えていた台詞で応酬する。とは言え、先ほどから、何度叫んだかわからない台詞でもあったのだが。
「いい加減にしてくれよ!これは、劇であって、現実とは関係ないんだ。お前は『ロイエンタール』なんだよ」
 さも呆れたという風に言うが
「いいや。これは黙っておれん」
 流ノ介は、芝居じみた動作と節回しでの口上を止めず、千明の気持ちなど、意に介さない。
「いいか」
 千明の前に指を突き出し、流ノ介は力説する。
「殿のもとでナンバー2などと称される者がいるとすれば、それは、私でなくてはならんのだ!」
 疲れた顔の丈瑠に、呆れ果てた顔の茉子。おもしろそうに見つめていることは。そして、あまりの予想通りの反応に、苦笑いしかできない源太。
「だ〜か〜ら!!今、『殿』って言ってるのは、ラインハルトのことなんだよ!丈瑠じゃねーっつーの!?」
 千明が拳を握った腕を、上下に大きく振りながら、流ノ介を説得しようとする。
「何を言う!『殿』は、殿だ!殿がお演りになるのだからな!!」

 何がなんでも、この役は流ノ介ではダメなのだ。
 流ノ介とキルヒアイスでは、絶対に、丈瑠=ラインハルトに向かい合う立ち位置が異なるのだから。
 だから、流ノ介がどれだけ切望しても、この役はあげられない。

 千明はそう思っていた。
「ちーがーう!『殿』は、殿じゃねぇっての!あ〜もう!ラインハルトを『殿』になんかするから、意味わかんねえよ!」
 しかし、流ノ介に向かって叫びながら、ふと千明は気付く。
 先ほどの源太の言葉。
『なんかな。俺、やっぱ判ってきたかも。俺とお前らとの違いが』
 その言葉の意味に。
『千明のキャスティング。それが意味していることだよ』






 千明が考えた、キルヒアイスが、流ノ介ではいけない理由。
 それは、丈瑠と流ノ介の間には、友情などないからだ。
 丈瑠と流ノ介の結びつきは、そういうものでは、絶対にない。そして、それは千明も茉子も、ことはも、同様なのだ。
 ここにいる丈瑠以外の五人の中で、源太だけが、丈瑠に対する立ち位置が違う。

 そして………
 だからこそ、侍たち五人が認めることのできない丈瑠を、源太は認めることができる。
 それは、ラインハルトとキルヒアイスの関係と同じ。

 そう思い当たった瞬間、千明の心臓が、きりきりと痛んだ。
 丈瑠をラインハルトとしたら、キルヒアイスが源太で、後の提督たちが侍なのだ。
 銀河英雄伝説になぞらえると、そうなる。






 千明がぼんやりと考えていた、キルヒアイスは源太でなければならない、という意味はそういうことだ。もしかしたら、これは、とても、とても大きな意味を持っているのかもしれない。丈瑠にとって。
 千明がそう思った瞬間
「意味ならよく判っているぞ!『殿』は殿だ!殿以外の何者でもない!」
 目の前の千明の顔色が変わっているのに気付かない流ノ介が、相変わらずのテンションで叫んだ。そして、丈瑠を振り返る。
「そうですよね!殿!?」
 突然、話を振られた丈瑠の反応も、前と変わらない。
「俺は知らん!全然、知らん!」
 千明は源太を振り返る。それに気付いた源太が、微笑み返してくれる。でも千明は、源太に笑い返せなかった。
「おい!聞いているのか!?」
 千明の前で、がなりたてる流ノ介に、千明は怖い顔で言い切った。
「これは、所詮、劇だって、さっきお前、自分でも言ってただろ!?これは、劇なの。だから、キルヒアイスは源ちゃんなの!!」
「いいや!それは、認められん!」
 睨みあう流ノ介と千明。

 迫力で勝敗がきまるなら、どう見ても千明が負ける。
 そう誰もが思った時、千明の横に立つ源太が、二人の間に入った。
「あー。あのなあ、流ノ介」
 源太が自らこの役を望んだ訳でないことは、誰もが知っている。だから流ノ介も、素直に源太を見た。
 源太は頭を掻きながら
「俺は、原作を知っているんだが、このキルヒアイスって、役なんだがな」
 流ノ介に、台本の後ろの方を指し示す。
「殿さまの陣営でのナンバー2とか、そういうのより、キルヒアイスの存在意義は、『殿の幼馴染』ってとこな訳よ」
「………むっ」
 これには、流ノ介も黙り込むしかなかった。
「だから、残念だが、流ノ介より俺の方が適役になるんだ」
 芝居の本筋とも言うべきところを無視して、枝葉末節に拘っているとは、流ノ介も思われたくないのか。
 それにしても、現実と劇は違うと言いながらも、実は現実をなぞらえてのキャストなのは、明らかだった。だからこそ、みな、現実と劇のキャストを混同して話してしまうのだ。
「それに、このキルヒアイスって役は、物語から言えば、最初の方で退場しちまう役だしな」
 これが、とどめになった。
 流ノ介は、黙り込んだ。

 決着がついても、何故か何も言わない千明。気まずそうに見つめ合う流ノ介と千明。
「はいはい。流ノ介も、そういうことなら、いいのよね。これは、劇なんだから、いちいちキャスティングに文句付けないでよ!次、次!早く行ってよ、千明」
 またしても、茉子が次への進行役になってくれた。






 キャスティングの最大の山場は乗り越えた。
 そう思っている千明の顔は、先ほどまでとは比べ物にならないほど明るかった。
 実は、そうではないことがすぐ明らかになるのだが、この時の千明、そして源太は、それを信じ、全く疑っていなかった。

「………えっと次は………」
 千明は台本を覗き込み、次に紹介したいキャストの名前のところを見て、黙り込んだ。
 千明は顔を上げて、誰かを探すかのように、能楽堂の周囲を見渡す。
「う〜ん」
 唸る千明に、ことはが首を傾げた。
「なに?どうしたん、千明?」
 肩を竦めて、千明が答える。
「爺さん、まだ来てないのか」
 後ろにいた黒子が頷くのを見て、千明は仕方ないなあ、と呟く。
「じゃ、抜かすしかねえな」
 これには、丈瑠も、他のメンバーも目を見開いた。

 確かに千明は、彦馬の許可を貰って、この劇をやると言っていた。
 丈瑠だけは、千明から
『爺さんも出演してくれるって』
 ということは、聞いていた。
 確かに聞いていた。
 しかしまさか、彦馬にまで本当に、キャストが振られているとは、思ってもみなかったのだ。せいぜい松の木とか、そういう役が振られていると思っていたのだ。

「なに?彦馬さんも出るの?台詞とかもあるの?」
 一番詳しく聞いていたのに、それでも驚いている丈瑠は、声がでないのか、何も言ってこない。代わりに茉子が、皆を代表するような形で、質問した。
「ああ。まあ、爺さんの役はかなり重要な役なんだけど。まあそれは、爺さんが来てからな」
 千明はそれ以上、話したくなさそうだった。
「爺さんには、先に話しておいたんで、ばっちり役作りしてここに来るって、言ってたから………な。遅えぇけどな」
 彦馬が来てからの、お楽しみ、という訳なのだろうか?

「彦馬さんの役って、なんやろ?」
 ことはが、茉子に囁く。
「さあ。今までのところだと、千明は結構、丈瑠との関係性を重視して配役しているみたいだから、彦馬さんだと、殿のお父さんとか、かな?でも、それって、皇帝ってことかしら?ラインハルトって、皇帝になるらしいからねぇ」
 茉子も想像で話す。
「ああ。それなら、ぴったりやね?彦馬さん、貫録あるものね」
 ことはは、彦馬の皇帝役を想像して言った。
 ことはが想像した、その皇帝は、和服を着ていた。






「次は………えーっと、白石茉子さん」
 源太が座ったところで、千明が弾んだ声を出した。
「はい」
 茉子が立ちあがる。
「茉子ちゃん、頑張ってね」
 ことはのエールを受けて、千明の横に立った茉子。

 誰もが、なごやかな顔をしていた。
 なにしろ、先ほどから、早く話を進めるように促している茉子なのだ。
 劇と現実は違う。ただのキャスティングに文句をつけるな!
 先ほどからそう言って、流ノ介をしかり飛ばしてくれている茉子なのだ。
 このキャスト紹介は、三十秒で終わる。千明はそう思っていた。

「えーと、姐さんの役は『パウル・フォン・オーベルシュタイン中将』です」
 しかし、そう告げた瞬間
「………え?」
 千明の横で、茉子が不審そうな声を上げた。
 え?
 茉子と同じように、不審そうな顔で、茉子を見る千明。それに、茉子が眉を寄せて詰め寄る。
「ちょっと待ってよ。なんか、それって、男みたいな名前じゃない?」
「男だけど………」
 千明は隠す気もなかったので、正直に答えた。
 しかし、その瞬間、茉子の顔が険しくなる。
「冗談じゃないわよ!なんで、私が男の役なんかやらなきゃならないのよ!?」
「………えっ。でも………ほら………」
 まさか、茉子がこんなことを言ってくると思わなかった千明は、何一つ言い訳が思い浮かばない。
「ちょおっとぉ!!千明、何考えてるのよ!!」
 美人の茉子が怒った顔は、整った顔の流ノ介が怒った時と同じで、本当に怖い。一年前より迫力を増している茉子に、その美しくも怖ろしい顔で詰め寄られたら、もう千明としては、硬直する以外になす術はなかった。

 こんな時に頼りになるのは、いつも源太だ。
 決して流ノ介ではないし、ましてや丈瑠のはずもない。
「あーー、そこはだな」
 源太が座ったまま、声を掛ける。
「何よ」
 千明に詰め寄った姿勢のまま、顔だけ源太に向ける茉子。
 その茉子の怒り心頭具合に、たじろぎつつも、源太は言葉を繋げた。
「ほら。宝塚とかでも、女性が男性を演るだろ?そういう感じだ」
 茉子の眉がぴくりと動いた。
「………オスカルとか、そういう感じな訳?」
「………んーー?」
 源太は、オスカルも知っている。そういうことに、源太は詳しいのだ。だからこそ、この質問に、うんとは言えない。いくらなんでも。
 その源太の表情から、真実を敏感に悟った茉子が、今度は源太を睨んだ。
「そいつ、名前は男だけど、実は女で、男装の麗人で、貴族の令嬢だったりする訳!?」
「まあ………へへ」
 助け船を出したつもりだったが、生半可なことでは、茉子は説得できないようだった。
「どんな役なのよ!そのオーベルシュタインって!はっきり言いなさい!!」
 どうにか誤魔化せないかと考えるが、台本を読めば、いやでも判ってしまう役。
「えっと………」
 流ノ介にキルヒアイスを納得させた時と同じように、真実を告げて納得してもらうしか、茉子を説得する方法はないだろう。

 千明は気を取り直して、嘘にならない『パウル・フォン・オーベルシュタイン中将』の、でも、耳触り良い説明をしようとする。
「なんて言うか………ラインハル………『殿』に対して、言い難いこととかをズバズバ…言っちゃう…ような………潔い役?」
 聞く人によっては、好感を持つかもしれないその説明。
「おや?」
 しかし、その説明に興味を引かれたのは、流ノ介だった。
「それで………『殿』に嫌な顔されながらも、味方なのに、どんどん『殿』を追い詰めてく………みたいな」
 茉子が気にいるような説明をしたいのだが、どうも、そうなって行っていない。そんな気がしてならない千明だった。
「はあ」
 源太が、千明の馬鹿正直すぎる説明に、頭を抱え込む。
「でも、何気で説得力あるんで、ついつい、『殿』もそれに従っちゃうような………そんな」
 しどろもどろに説明しながら、千明が俯き気味の顔を上げると、そこには、前にも増して怖ろしげな茉子の顔が待っていた。

「冗談じゃないわよ!!」
 茉子が叫ぶ。
「なんで、私が、そんな嫌味な役を演らなきゃならないのよ」
 何も知らないはずの茉子。
 しかし頭の良い茉子は、今の千明の説明で、的確に『パウル・フォン・オーベルシュタイン中将』の正体を見破ったようだった。
「え。あ………まあ、嫌みっていうか………嫌みな役なんだけど………」
 千明も、こればかりは肯定せずにはいられない。
「ぜーーーったいにゴメンだわ。そんな役!」
 茉子はそう言うと、千明の前から立ち去り、ことはの横に再び座り込んだ。
「え?そ、そう?俺は、この役、姐さんにぴったりかなぁ………って」
 実はラブリーなものが大好きな茉子。だから、男性役をやることに、多少の難色を示す可能性は、千明も考えていた。しかし、まさか茉子が、ここまで強固に拒否すると思っていなかったので、ただただ困惑するしかない。千明としては本気で、この役は茉子しかいないと思っていたのだ。

 一方、この状況を面白がっている流ノ介は
「このキャストこそ、まさしく地でいけるな」
 と、源太に話しかけた。
「………まあな。一年前までの日常、そのまま、だな」
 源太も、思わず本音を漏らしてしまう。そして、千明のキャスティングの妙に感じ入るのだった。

 しかし
「流ノ介。源太。今、あなたたち、何を言ったのかしら?」
 そう茉子に睨まれたら、それ以上、何も言えない。
「え?あ、はは。いや」
 肩を竦めて俯く源太の横で、空気を読めない流ノ介が、後ろを振り返った。
「あ、殿!どうです!?『パウル・フォン・オーベルシュタイン中将』!!まさしく、茉子にぴったりではありませんか?」
 そして、青い顔をしている丈瑠に、素直に話しかける。声を落とすこともなく。
 しかし、聞かれた丈瑠も、たまったものではない。
「俺は知らん!絶対に知らん!!」
 そう言って、硬直したまま、首をふるふる振るしかない丈瑠だった。











小説  次話






うわっ A^^;)
茉子ちゃんの所が終わりませんでした。
でも、次回で、キャスティングのそれに続く話は終わりたいです。
そして、次々回は、いよいよ舞台に行きたいですね。
単なる希望ですけど。


2011.05.28