「あんたたちねぇ………」 茉子は流ノ介を睨みながらも、その手は、台本のページを繰っていた。 「いや。姐さん。姐さんもさっき言ってたじゃん。これは、単なる劇なんだから………」 千明が、列に戻ってしまった茉子になんとか考え直してもらおうと、茉子の傍まで行くが 「ちょっと、待ちなさいよ!」 と言って茉子は、相手にしてくれない。 「何してるの?茉子ちゃん」 ひたすら台本のページをめくり、キャスト紹介を読んだり、台本部分を読んだりしている茉子に、ことはが尋ねる。 すると茉子は 「私にもっと相応しい役を探しているのよ」 と答えた。 「………姐さん」 千明は額に手を当てて、天井を仰ぐ。 文句を言うだけでなく、次の役まで探している茉子。 流ノ介とはまた違った意味で、手に負えない相手だ。 一番、キャスティングに文句をつけないだろうと思っていた茉子に、役から降りられてしまい、千明は本当に落ち込んでいた。 そもそも、千明のキャスティングに問題があるから、こんなことになるのだろうか。 しかし、千明にはそうは思えなかった。千明に言わせると、みんなが我儘過ぎるのだ。 がっくりしている千明の前で、茉子の表情が急に和らいだ。 「あっ!これ!これよ!!」 「どれだ?」 流ノ介が、茉子の持っている台本を覗き込む。 「この、『殿』の姉、『アンネローゼ・フォン・グリューネワルト』。これよ!私に相応しい役は!」 茉子は、キャスト紹介のページに戻って、『アンネローゼ・フォン・グリューネワルト』のところを指差した。 興味津々で、茉子の台本を覗き込む流ノ介とことは。しかし、千明は青くなっていた。 「………あっ、いや。それはちょっと困る………」 千明が呟くと、和やかな表情に戻っていた茉子が、また険しい視線を千明に投げかけた。 「何!?」 「………すみません」 思わず謝ってしまう千明。 一方、流ノ介は、茉子から聞いたキャスト名を頼りに、その紹介文を自分の台本で読んでいた。 「なになに?ラインハルトの年の離れた姉で、母親代わり………か。まあ……姉ってところは、それっぽいし。なんとかなるか…な?」 流ノ介がにやにや笑いながら呟くと、横から源太が口が出した。 「いやぁ。アンネローゼは、『姐さん』じゃなくて、『お姉さま』という感じだから、どうかねぇ。清楚で控えめ………って、そこにも書いてあるだろう」 「………えっ」 流ノ介は、源太に指摘された箇所を読むと 「なるほど。控えめ………ねえ」 と、横目で茉子を見る。それに、茉子が鋭い眼差しを返したので、瞬時に流ノ介は首を竦めて、顔を逸らした。そこで流ノ介と目があったのが、ことはだ。 「でも、流さん。このお姉さまは、芯は強いとも書いてあるし。茉子ちゃんもそうやろ」 ことはが、茉子を応援しようとするが 「いや。茉子は芯以外も強い。全部、強い」 と、流ノ介は顔の前で手を振る。流ノ介は、完全におもしろがっていた。 これほどまでに、茉子をからかう余裕のある流ノ介を、源太は見たことがなかった。そこに、源太は、一年という時間の流れを感じずにはいられなかった。 かつて、外道衆との闘いが続いていた頃は、いつ終わるとも知れぬ闘いの間ずっと、全員が一緒に暮らしていなければならなかった。あの頃から、源太はひとりだけ離れて暮らしていた。だからこそ、常に同じ屋根の下で暮さねばならない窮屈さを、痛感していた。明日も明後日も、同じ屋根の下で朝から晩までとなれば、思っても口には出せないことが多かっただろう。 また、いつ出陣するとも知れない時に、仲間と気まずい関係になど、なってはいられない。それで戦闘に僅かでも影響が出れば、それが即、命の危険に結びつくのだから。 一番年上で、侍たちのまとめ役を自認していた流ノ介が、自らその発端を作るような軽率なことは、許されなかった。それも、侍の中で、自分以外の唯一の年長組で、共にシンケンジャーを支えて行かねばならない存在の茉子が相手となると、尚更だ。何を言うにしても、遠慮がちになって腰が引けていたとしても、仕方ないのかも知れない。 多分、流ノ介自身も意識しない内に、茉子に対しては特に、『公』の在るべき姿を優先させていたに違いない。 しかし今は、誰もが離れて過ごしている。何かがあった時には、必ずや丈瑠の下に馳せ参じる。その結束は固いけれど、その機会は、激減している。互いの存在は、距離に比例にして確実に遠くなっているのだ。 あれから一年。 互いの環境も、立場も変わった。 流ノ介の丈瑠への想いは変わらないのだろうが、それさえも、様々な変革を求められている今、それに付随する侍同士の関係性も、変わって当然なのかも知れない。 流ノ介の茉子に対する姿勢に、そんな思いを深くする源太だった。 「ちょっとぉーー」 しかし、茉子は相変わらず。いや、ますますパワーが増しているように感じるのも、この一年のハワイ暮らしの成果なのか。 「あ………いやいや。まあ、いいんじゃないか………」 茉子が再び険しい表情で流ノ介を睨むと、流ノ介はにやついた顔で、肩を竦めた。 もうすっかり、『アンネローゼ・フォン・グリューネワルト』をやる気になっている茉子だったが、千明としては、それは認められないことだった。 「おい!ちょっと待てよ!俺が考えたキャスティングだと、そこはだな………」 なんとしても茉子に考え直してもらいたい千明が、真面目に茉子と交渉しようとしている横で 「うっ!?これは………」 「ぶっ………そうだ。忘れてたわ」 いきなり、流ノ介と源太が、噴き出す。 流ノ介は千明を押しのけ、茉子に台本のあるページを示した。 「ダメだ、茉子。お前にはこの役は、ダメだ」 「なんでよ?」 台本を覗き込む茉子に、流ノ介が説明する。 「ほら、ここ。『殿』にお菓子を作って出すシーンがある。リンゴケーキだぞ」 これには、茉子も一瞬、返答に詰まった。しかしすぐに立ち直り 「………いいじゃないの。私、そういうのに憧れているし。リンゴケーキくらい、作るわよ!」 と返したが、流ノ介は大げさに首を振る。 「いや。茉子が『殿』に手作りのお菓子を出したら、それはこの場合、暗殺になりかねん。話がめちゃくちゃになる」 「おい!そんなはっきりと言わなくても………」 流ノ介のあまりに遠慮のない言葉に、さすがにこれはどうかと思った源太が、止めに入ろうとするが 「源太!お前もそのケーキのご相伴に与っているんだから、一緒に絶命するぞ」 とまで言われては、黙り込むしかない。 「とにかく、ダメだ!茉子の『アンネローゼ・フォン・グリューネワルト』は却下だ!」 流ノ介は、まるで自分が舞台監督かなにかのように、そう決め付けた。 その高圧的な態度に、気分を害す茉子。しかし千秋は、ほっとした表情で、首を垂れた。 キルヒアイスが流ノ介ではダメだったように、アンネローゼも、茉子ではダメなのだ。 アンネローゼは、キルヒアイスと同じように、ラインハルトにとって、唯一無二の、とても大切な存在なのだから。それはきっと、侍が演れるものではないのだ。 「でも、私はオーベルシュタインなんか、絶対に嫌よ!」 茉子が改めてそう断言した。 どんなに説得しようとも、茉子はもう決して、オーベルシュタインを演ってはくれないだろう。そう確信させるほどの言葉に、千明は、今度こそ本当に泣きたくなった。 「じゃあ、こっちはどうだ?もう一人の女性の役だ」 そんな千明の気持ちなどに関係なく、ただおもしろがっている流ノ介が、茉子に台本を差し出す。 「『ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ』。有能で美しい、伯爵令嬢だそうだ」 「………ああ。そういう手があったか………」 流ノ介の提案を聞いて、源太がぽんっと手を叩いた。これこそ、茉子にぴったりの役なのだ。原作も何も知らない丈瑠も、みんなの後ろで、一人意味もなく頷いていた。これで話が丸く納まるなら、それに越したことはない。 「どれよ」 半信半疑で、茉子が流ノ介の台本を覗き込む。 「読めば読むほど、茉子にぴったりだぞ。さっきお前が望んでいた、貴族の令嬢だしな。怖ろしいほど頭が切れる、誰もが振り返るような美人だそうだ」 これで決まりだな、と頷きあう源太と流ノ介に、千明の唇が尖っていく。 「お前ら、勝手に話を進めるなよ」 けれど、そう言う声にも元気がない。 千明としては、茉子にオーベルシュタインを演って欲しい。茉子がどれほど拒絶しても、まだ、それがあきらめられないのだ。ましてや、アンネローゼと同様に、ヒルデガルトには、別の人物が既に割り当ててあるのだ。 「なあ、みんな、俺の話を………」 「何よ、これ!」 千明がみなに話しかけようとした言葉を、茉子が遮った。 「………美しいが、他の令嬢たちとは違って、花嫁修業には興味がない………って書いてあるわよ!?」 茉子は、自分の台本の『ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ』の説明を読んでいたのだ。 「ああ!そこも茉子にぴったり………違うか。茉子の場合は、修行しても、ダメなものはダ………あ、うご………」 流ノ介の最後の言葉は、源太の手で口を塞がれたため、音にならずに終わった。 「嫌よ!なんで、私がこんな役やらないといけないのよ!これも嫌!!」 台本から顔を上げた茉子の顔は、前にも増して、頬が膨らんでいた。 へそを曲げてしまっている茉子。このままでは、とんでもない事態になりかねない。今や余計なことしか口にしない流ノ介を後ろに追いやって、源太が茉子の隣に出てくる。 「なぁ、茉子ちゃん。他には、もうろくな役は残っていないし。ってか、この二人以外には、そもそも女性が出てこないし。ヒルダでとりあえず、手を打ってくれよ」 猫なで声で、なんとか茉子を説得しようとする源太。千明から見れば、本当に頼もしい源太だった。 「いやよ!!もうこうなったら、他の男でもいいから、とにかく役を変えてよ!」 しかし、残念ながら、茉子の気持ちを変えることはできなかった。 暗礁に乗り上げてしまった、オーベルシュタインのキャスティング。 このオーベルシュタインは、キルヒアイスと並んで重要な役であり、台詞も多い。丈瑠に核心の言葉を突き付ける役でもあるので、それなりの相手にしか任せられないのだ。 やはり、どうしても茉子にオーベルシュタインを演って欲しい。千明はそう思い、もう一度、茉子に説得を試みることにした。 「姐さん………聞いてよ」 千明は、茉子の前に、屈みこむ。 「姐さんの役、さっきはあんな風に言ったけど、実はすげえんだよ。『殿』の参謀役でもあるし、最終的に帝国元帥にまでなる、すげぇ役なんだ」 必死に説明する千明の様子にほだされて、茉子は、一応は説明を聞いていてくれた。その横で、源太が千明の説明を裏付けるように、大きく何度も頷く。 「むっ?」 そしてさらに、その後ろで、源太に追いやられた流ノ介が、聞き耳を立てていた。 「『殿』やキルヒアイスが、絶対に考え付かないような作戦を、オーベルシュタインは、『殿』に授けるんだ。それで『殿』の覇権はどんどん拡大して行って………」 「ちょーーーーーーと待てーーーー!!」 能楽堂に反響するような、とんでもない大声。気合いでもないのに、こんな大声が出せるのは、一人しかいない。 「何なんだよ!流ノ介」 またも話の腰を折られた千明は、忌々しそうに流ノ介の方を振り向いた。 「俺の話の邪魔すんなよ!!」 しかし、流ノ介の顔は、先ほどまでとはちがって、とても真剣だった。 「参謀!だと?」 流ノ介はそう言いながら、茉子の前に屈みこんでいる千明の横に、膝立ちのまま進み出てくる。 「『殿』の参謀!だと」 相変わらず、意味もなく振りの大きな流ノ介は、そこで立ちあがった。 「………あ、ああ」 千明が見上げる流ノ介の表情が、先ほどまでの茉子と同じように険しい。 「流ノ介?お前、何を………」 何とも言えぬ危険を感じた千明は、とりあえず立ち上がった。すると流ノ介はそれを待っていたかのように、千明の前に、顔を突き出してくる。 「千明!!」 流ノ介はそう言うと、千明の持っている台本を指差す。 「なーーーーんで、『殿』の参謀が、私ではないのだ!?」 「えっ?」 すごろくで、振り出しに戻った気分の、千明だった。 「『殿』の参謀!と言えば、これは絶対に、私しかいないだろうが!?」 流ノ介の衝撃的なひと言で、みんなの頭の中から、茉子のキャスティングで揉めていたことが消え去った。どうやら、話は次の段階に行ってしまったらしい。みんなを置いて、流ノ介ただ独りで。 「え?あ、いや………」 千明の頭も、混乱する。説得する相手は茉子だったはずなのが、いつの間にか、流ノ介に変わってしまったのだ。 「このオーベルシュタインって参謀は、ラインハルト………『殿』やキルヒアイスでは考え付かないような作戦をたてられる、人の心理まで読んだ、冷静で冷徹な策略家………いや、むしろ裏の政治家って感じだから、流ノ介、お前とはちょっと………かなり違うっつーか」 面前まで迫ってくる流ノ介の身体を手で押し返しながら、千明は必死で言い訳をする。 確かに、オーベルシュタインが『参謀』という立場にあることから、流ノ介を当てることも、千明は考えてみた。しかし、丈瑠命の流ノ介。なにより教科書通りに、生きている流ノ介。そして誰よりも正義感に富んだ流ノ介。そんな流ノ介に、オーベルシュタインが務まるはずもないことは、たいして考えずとも判る。この役は、清濁併せのむ器量の人間にしかできないはず。 しかし、そこまで考えた千明のことなど、なんとも思っていない流ノ介は、 「何を言う!私も冷静かつ冷徹な策略を立てているぞ。三国志で言うところの諸葛孔明みたいな役でいいんだろうが!?私にぴったりではないか!?」 と言い返してきた。 これには、千明としても、流ノ介の真実を伝えるしかない。 「いや。なんて言うか、お前のは、珍妙な策?」 オーベルシュタインの深さとは、比べ物にならない………そう言おうとした千明だったが 「まあ、でも、俺には考えもつかない策を出してくれるのも、事実だ」 意外にも、ここで流ノ介の後押しをしたのは、キャスティングに入ってから、一切の自己主張をせずに座っていた丈瑠だった。 「花嫁誘拐の時や、恐竜折神を手に入れるためにマンプクの敵陣を突破した作戦。テンクウシンケンオーもそうだろう。人が考え付かない作戦を立てる………という意味では、流ノ介はまさしく、そうだ」 とんでもない場面での丈瑠の援護射撃に呆然とする千明の前で、流ノ介が嬉しそうな顔を丈瑠に向けた。 「殿!さすがは殿です!判っていらっしゃる!」 振り返って千明に、得意そうな顔をする流ノ介。 「と言う訳で、このオーベルシュタインは、私に決定だ」 流ノ介は、高らかに宣言する。 「お、おい!待てよ」 止めようとする千明を振り切って列に戻りかけた流ノ介は、その途中で、呆れ顔の茉子に告げた。 「茉子!お前は、私のやるはずだったロイエンタールをやったらいい。良い役だぞ」 それに、茉子はため息をついた。 この馬鹿馬鹿しいキャスティング騒動。傍から見れば、やはり、とんでもなく馬鹿馬鹿しいことに、改めて気付いたらしい。 「もうなんでもいいわよ。私やるわ、そのロイエンタールを」 千明の想いを余所に、ケリがついてしまいそうなキャスティング。これには、千明の方が慌てた。 「ちょっと待ってくれよ。流ノ介は、踊れる役が欲しかったんだろ?オーベルシュタインは踊らねぇよ」 「構わん!」 これまた意外な、流ノ介の返答だった。 「本当かよ!?さっきまで、あんなに拘ってたのに!?」 言わずもがなの疑問に、流ノ介は、明快な答えをくれた。 「簡単なことだ。オーベルシュタインの役にも踊らせればいいだけのこと。踊る天才参謀のオーベルシュタイン!それで決定だ」 多分、もう……… 千明の考えている『銀河英雄伝説』なるものとは、かけ離れたものができることが決定したに等しい瞬間だった。 能楽堂は、かなり傾いてきた陽の光に照らされて、オレンジ色に染まっていた。 早くしないと、日も沈んでしまう。 「それじゃあ、花織ことはさん」 そう言う千明の声には、まったく張りがなかった。 ことはが苦笑いをしながら、千明の横に立つ。 「ことはには、『ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ』を演ってもらいます」 そう言った瞬間 「えぇぇぇーーー」 ことはではなく、侍たちの列から声が上がった。しかし次の瞬間、流ノ介も源太も、自らの口を押さえる。茉子はもちろん、そんな声はあげていなかった。丈瑠は、相変わらずの黙んまりだ。今や、目まで瞑っているので、傍からは寝ているようにも見えるほどだ。 「何だよ!ヒルダがことはで、どこがいけないんだよ!!」 流ノ介と源太に向かって叫ぶ千明に 「いけへんわ!」 と応えたのは、ことはの方だった。 千明がことはを見ると、ことはが泣きそうな顔をしていた。 「………ことは?どうして………」 「うち………怖ろしいほど頭が切れる役なんて、できるはずあらへん」 涙こそ流さないが、その顔は切ないほどに哀しげで、見ている方が辛くなる。 流ノ介が、そら見たことかという顔で、千明を睨む。千明は唇を噛みしめた。 「ことは。俺は、この役はお前にぴったりだと思うし、台詞は極力減らしてあるから、お前にできないなんてことは絶対にない………」 「そんな美人で頭が良い役、茉子ちゃん差し置いて、うち、絶対にできへん。うち、松の木の役でも、どっかの星の役でも、なんでもいいけど、この役だけは降りさせて頂きます」 ことははきっぱりとそう言うと、列に戻ろうとする。 先ほどまでの騒動を見ていれば、茉子大好きのことはから、こういう発言が出てくるのは、無理はないのかも知れない。意外と頑固なことは。ことはがこう言ったら、それこそ覆すのは難しい。 しかし 「ことは」 優しい声音で、ことはの足を止めたのは、茉子だった。 「ことは。私は、ことはがこの役演るの、見てみたいな」 茉子が優しく微笑みながら、ことはを見上げる。 「………えっ」 ことはは目を丸くしつつも、茉子に見つめられて頬が赤く染まっていく。 「でも、茉子ちゃん。この役はうちとは、かけ離れていて………」 俯きながら呟くことはに 「そんなこと、全然ないよ」 茉子は、これ以上ないほど優しく諭す。 「ことは。演ってみたら。きっと素敵な伯爵令嬢になると思う。ねっ」 茉子のこの一言で、納まってしまった、ことはのキャスティングだった。 千明は脱力感を感じつつも、最後のキャスティングに向けて、顔を上げた。 「………まだ爺さん、来ないのかよ」 能楽堂の前の広場を見渡し、誰もいないのを確認した千明。 しかし、その呟きのすぐ後で、どこか遠くから声がした。 「もうすぐ来るよ」 聞き慣れないが、どこかで聞いたことがあるような声。 千明が眉をひそめて、目を凝らすと、能楽堂の広場の横に拡がる林の中から、三つの人影が現れた。 「………へっ?」 思わず硬直する千明。 その千明の様子に、侍たちも何事かと、一斉に後ろを振り返る。 「待たせたな」 相変わらず、威厳と風格に満ちた、しかし初々しい振袖姿。 「こんにちは〜。あれ?もうそろそろ、こんばんは〜………かな?」 相変わらず、軽いノリの、その雰囲気。 そして、そんな二人の後ろに、苦虫をかみつぶしたような顔で立つ、年配の着物姿がもう一人。 「ひ、姫!?」 誰よりも早く舞台から飛び降りて、薫を迎えに走ったのは、流ノ介だった。 「あらら。どうしてお姫さまがここに?」 茉子も立ちあがり、薫を迎え入れる場所に座布団がないか、黒子に目配せする。 「待たせたな………って?千明が呼んだん?天使さんも?」 ことはは、部外者であるアラタが、志葉家のこんな奥深くまで入って来たことが、気になるようだった。 「いや。あいつは、単に遊びに来ただけだろう。お姫さまと一緒ってのは、理解できないが」 午前中に護星天使たちに会って来たばかりの源太は、屈託なくアラタに微笑みかける。 確かに、千明の計画している『銀河英雄伝説』の舞台には、護星天使たちを招待してあった。しかし、それは明日の話だ。今日、薫はもちろん、アラタも招んだ覚えのない千明は、ただふるふると首を振っているだけだった。 その横で、丹波と同じように、苦虫をかみつぶしたような表情で立つ丈瑠。薫やアラタ、そして丹波にしても、慣れない相手には、どうしても構えてしまう丈瑠だった。 能楽堂のオレンジ色に染まる松の木を背にして、裃黒子が用意した御座にさらに座布団を敷いて座る薫。その横に丹波。そして、アラタが並んだ。 それに向かい合う正面に丈瑠が正座する。 一列下がって、流ノ介と千明。その後ろに、茉子とことは。そのさらに後ろに、遠慮がちに源太があぐらをかいていた。 「お久しぶりでございます。姫………いえ。母上」 丈瑠はそう言って、両手をついて、深々と頭を下げた。その奇妙な風景を、アラタが興味津々といった顔で見つめている。 「さらに、先日の外道衆との闘いでは、母上の絶大なるお力添えを頂いたと、お聞きしました」 「その通り!!」 薫より早く口を出してきたのは、丹波だった。 「まったくご当主殿には、もう少ししっかりして頂かないと、姫もおちおち隠居しておられ………」 バシッ 「そんな堅苦しい挨拶は抜きだ」 扇子で丹波の頭を叩いた薫は、丹波の話がなかったかのように、丈瑠に微笑みかけた。 「今日は、先日の御礼も兼ねて、アラタさんのところを訪ねたら、丈瑠がおもしろいことを計画していると聞いてな。ついでだし、来てみた」 「………えっ?いや?お、俺は計画していない………」 ぼそぼそした丈瑠の呟きを無視して、薫は袖から紙の束を取り出す。 「『銀河英雄伝説』の舞台を演るそうじゃないか。日下部に先ほど、台本とやらもコピーしてもらったぞ」 「………えっ!?何で、爺さん、そんな勝手なこと………」 千明も丈瑠の後ろで、青くなる。まさか、薫や丹波が、観客として見に来るなど、想像もしていなかった。ましてや、観客に、舞台を見る前に台本を渡してどうする!?という千明の疑問は 「いやあ。もらった………というか、無理やり、彦馬さんの持ってた台本、むしり取った………ってカンジ?」 というアラタの解説で、氷解した。 しかしアラタの言葉に、今度は丈瑠が、険しい目をアラタに向けた。 「………あっ、いや。むしり取ったのは俺じゃなくて」 丈瑠の責めるような表情に気付いたアラタが焦って、視線を薫に向ける。それに薫は鷹揚に頷いた。 「もちろん私が、コピーしてもらったのだ。私もその舞台に出演させてもらおうと思ってな」 この爆弾発言に、一番後ろに座っていた源太が、舞台から下の地面に落ちてしまうのだったが、誰もそれに気付かなかった。それほど誰もが、薫の発言に唖然としたのだ。 「あーーー。姫が、この台本を吟味した結果だが」 彦馬にコピーさせた台本は三部。薫もアラタも、そして丹波までもが、台本コピーを持っていた。 しかし、これで彦馬がなかなか、能楽堂に現れない理由がわかった。薫ら一行の突然の来訪、及び、台本よこせなどのやりとりで、時間を取られていたのだろう。 「姫は、姫であるからして、この舞台で一番偉い役、銀河帝国の皇帝『フリードリッヒ4世』をお演りになられる」 丹波は、台本を見ながらそう言ったが、それに誰もが、困惑の表情をした。 「でも皇帝は、彦馬さんが演るんじゃ………」 「彦馬さんの出番がなくなるのは、やっぱり寂しいわ」 そう言って、千明を見る茉子とことは。 それに、千明が困ったように頭を掻いた。 「い、いや………爺さんは皇帝役じゃねぇけど………」 千明の発言に、またもや茉子とことはが、意外そうに眼を丸くする。 彦馬が皇帝役でないとしたら、あとは、どんな役が残っているというのだろうか。 そんなことをみんなが考えている間に、流ノ介が余計なことを、告げていた。 「さきほど、みなと話しあいの末、『銀河帝国』では聞こえが悪いとのことで、『銀河帝国』は『志葉家』に名称変更となりました。また、『ラインハルト』も『殿』に変更になっておりますので、よろしくお願いいたします」 丈瑠が針のむしろに座るような気分でいることも知らず、流ノ介は突き進む。 「そうとなれば、『銀河帝国皇帝』は、『志葉家先代』という解釈もでき、まさしく姫の役に相応しいかと」 「そうか。そうだな。それでは『フリードリッヒ4世』あらため『志葉家十八代目当主』でもいいか?」 などと、耳を塞ぎたいような会話を、薫と交わしている。 ただ千明にしてみれば、それよりも気になることがあった。薫は『皇帝』を演るというが、そもそも 「皇帝役の出番って………台本になかったと思うけど」 なのだ。 人物紹介のところには書いてあるが、台本には『皇帝』は、登場人物の台詞の中にしか登場しない。 「大丈夫だ」 しかし薫は、そう言い切った。いつもながら、自信に満ち溢れた、力強い言葉だった。 「私が今晩中に、皇帝………いや、志葉家先代の出る場面を作って、台本に入れておく」 これには、侍たち全員が、絶句した。 しかし、いまひとつ状況が理解できていない丈瑠はきょとんとした顔だし、薫のやり方に慣れている丹波と、事前に話をされていたのであろうアラタは、平気な顔だった。 「………えっ!?でも………」 なにやら本当に、演ろうとしていた舞台から、はるか何光年も離れて行きそうな予感に、千明の頭もついて行かない。その横で、源太が尋ねる。 「お姫さま、銀河英雄伝説、知ってんのか?」 それに薫は、笑顔で頷いた。 「ああ。小説は丹波に買ってもらって、昔から読んでいたし、舞台も見に行ったぞ」 「えええーーー?」 のけぞる千明に、アラタがいたずらっぽい笑みを浮かべた。 「俺と見に行ったんだよね」 「えええええーーー」 流ノ介と、源太、そして千明の大合唱。それと丈瑠の絶句を、さも嬉しそうに眺めていたアラタだったが、薫が平然とした顔でそれを訂正した。 「それは少し違うな。私は丹波と見に行った。たまたま同じ日に、アラタさんも見に行っていたらしいが」 「うええええーーーー」 先ほどとは違う意味で、のけぞる流ノ介と源太と、千明。 そこで丹波が、咳払いをする。みんなが丹波に注目すると、丹波は重々しく口を開いた。 「わしの役は………」 「えーー?あんたも出るのかよ!?」 思わず叫んでしまう千明。そんな千明を睨みつつ 「皇帝のお付きの役じゃ」 と言う丹波。 その答えに、とりあえず全員が、黙り込んだ。これ以上はない役だったし、台詞もきっとないのだろうから、構わないだろう。 次から次へと侍たちに襲いかかる衝撃。 「俺は………」 最後に口を開いたのは、アラタだ。 みんなが固唾をのんで見守る中、アラタは大胆発言をした。 「ヤン・ウェンリー演りたいんだけど」 「はぁああ?出てこねぇよ、ヤン・ウェンリーなんか!」 千明が瞬時に怒鳴ると、アラタは嬉しそうに笑った。 「お姫さまが、出番作ってくれるって………」 もう絶対に。 千明の考えた『銀河英雄伝説』にはならないだろう。 誰もがそう確信した。 小説 次話 乱入者のお陰で、爺まで行きませんでした A^^;) 残念!! 次回こそは!! 2011.06.05 |