志葉家ver

我が征くは星の大河 18











 丈瑠は、剣道場を出たところに、立っていた。
 渡り廊下ではなく、剣道場の玄関の外の砂利敷きの前庭だ。その暗がりに、呆然と立ち尽くしていたのだ。
 やがて霧雨のような冷たい雨が振り始め、髪や肩がしっとりと濡れていっても、丈瑠はそれに気付かなかった。






 夜半の雨は、いつの間にか激しさを増していた。
 未だに立ち竦んだままの丈瑠の足元には、砂利敷きとは言え、水たまりができ始めていた。丈瑠は靴を履いていなかったので、靴下に冷たい水が浸みこんでくる。
 冬の突き刺すような冷たい雨に、頭も顔も身体も、足元さえぐっしょり濡れた丈瑠。本来なら、数分でも立っているのは辛いはずの、凍えるような寒さだ。それでも丈瑠は、微動だにしなかった。
 何を考えているのか、いないのか。ただ丈瑠は、そこにいた。

 突然、眩しい光が、丈瑠の姿を闇の中に浮かび上がらせる。
 暗闇に慣れた丈瑠の目は、何も見えなくなってしまう。あまりの眩しさに、目の前に翳した手。その下に見える、黒い人影。それを確認した瞬間、闇の中に太い声が響き渡った。
「殿!?」
 その切羽詰まったような声色は、どこか遠くの世界から、丈瑠を現実に引き戻した。
「殿!何をされておられる!?」
 丈瑠の姿を照らし出した灯りが、渡り廊下の床に置かれた。それでやっと、そこにいる彦馬の姿が、丈瑠にも見えるようになる。

 表屋敷から剣道場に渡るには、二つの方法がある。
 丈瑠がさきほど使ったのは、表屋敷の廊下奥から別棟に渡り、その別棟から剣道場に接続している長い渡り廊下を使う方法だ。これは、剣道場への裏道とも言うべき行き方であり、この行き方をする者は通常はいない。遠回りになるからだ。
 この渡り廊下は、別棟に宿泊した客が剣道場に直接行けるように設えてあるもので、武を重んじる志葉家らしい造りになっているのだ。先ほどの丈瑠は、彦馬の執務室の前を通るのを避けたため、めったに使わないこの行き方をするしかなかったのだ。
 一方、今彦馬が立っている渡り廊下は、丈瑠が通って来た渡り廊下ではなく、日常的に使われているものだった。表屋敷を貫く廊下を真っ直ぐ進むと、そのまま剣道場に向かう渡り廊下に入るようになっている。こちらの渡り廊下は、もうひとつの渡り廊下より幅も広い。
 この表屋敷の母屋から渡り廊下に足を踏み入れてすぐの場所で、彦馬は欄干から身を乗り出していた。後ろに、大きな盆を持った黒子二人を付き従えている。盆の上には、皿やお椀などが見えたので、剣道場にいる薫たちへの夜食を持って来たところなのだろうか。
 さきほど執務室にいた時は寝巻になっていたはずなのに、きっちりと着物に着替えた彦馬の姿がそこにあった。
「どうされたのです!」
 言うが早いか、渡り廊下の端にある数段の階段から地面に降り、足袋が汚れるのも構わず、激しい雨の中を丈瑠の方に駆け寄ってくる彦馬。その姿をぼんやりと眺めながら、丈瑠は思う。

 そうか。
 姫のために………爺は、こんな夜更けにわざわざ着替えてまで、やって来たのか。
 これから先、爺は、俺ではなく、姫のためにお仕えするのだから、当然か………

 そこまで思った時、丈瑠はいきなり鋭い痛みを胃に感じた。同時に激しい吐き気と頭痛が、丈瑠を襲う。思わず目を瞑り、身体を固くする丈瑠。
 しかしその直後、身体がふわりと暖かくなった。
「え」
 目を開けると、目の前に彦馬がいた。彦馬が、丈瑠の背に太い腕を回してきたのだ。そのまま強い力で、屋根が大きく張り出している剣道場玄関先の軒下へと、丈瑠は押し込まれる。彦馬の手に触れられた丈瑠の背中が、じんわりと温もってくる。

「ああ。ああ。こんなに濡れてしまわれて………」
 屋根の下に入ると、彦馬は懐から真っ白な手拭いを出し、丈瑠の顔にそっと当てようとした。その彦馬の手が、一瞬止まる。
 暗がりで見ただけではよくわからなかった。しかし、丈瑠の頬を濡らしているものは、果たして雨だけなのだろうか。そんな疑問が、彦馬の脳裏を掠めたのだ。しかし彦馬はすぐに、やさしく丈瑠の顔に手拭いを当ててしまう。確認などする必要はなかった。今の丈瑠がそうそう簡単に涙を流したりしないことを、彦馬は重々承知していたから。そしてこの目の前の丈瑠の様子、それだけで、彦馬には十分だったのだから。
 丈瑠の顔を拭き終わると、彦馬は次に手拭いを丈瑠の髪にあてがった。それから肩、胸と、濡れそぼった丈瑠を拭いて行く。込み上げる想いに、彦馬は、殊更やさしく丈瑠を拭って行く。
 そんな彦馬を、丈瑠は見下ろす。心配そうな彦馬の顔。何度も、何度も、小さい時から見てきた顔。彦馬はいつだって、こんな風に丈瑠を心配そうに見ていた。しかし、かつては見上げていたはずの彦馬の顔が、今はこんなに下に見える。そのことに丈瑠は、初めて気が付いたような気がした。

「殿?」
 様子のおかしい丈瑠の顔を、彦馬は覗き込んで来た。
「とにかく、まずはお部屋にお戻りください」
 彦馬は丈瑠を胸に抱くようにして、軒下伝いに、渡り廊下の方へと歩み出した。またしても彦馬の腕が、そして胸が、丈瑠を暖めてくれる。その暖かさは、幼い子供の頃から、丈瑠に惜しみなく与えられてきたもの。
 いつでもそこにあったはずの暖かさ。でも、今は泣きたいほどに懐かしい暖かさ。それは、一度は正気に戻った丈瑠の頭を、またもやぼうっとさせてしまうほどの心地良さだった。
 気付けば、吐き気も頭痛も、感じなくなっていた。

 積極的に動こうとしない丈瑠を、彦馬と黒子が廊下に押し上げる頃には、さきほどからいたのとは別の黒子が、廊下にやって来ていた。桶に張られた湯と真っ白なタオルが用意され、廊下に座り込んだ丈瑠の汚れを丁寧に清めてくれる。丈瑠はいつになく、黒子にされるがままになっていた。
 彦馬は、自分の汚れた足袋を始末しつつも、そんな丈瑠の背中を観察し続ける。彦馬に目配せされた黒子が、夜食を持って剣道場に向かうために立ちあがると、丈瑠の身体がびくりと震えた。何かを確かめるかのように、背中を振り返る丈瑠。そこで彦馬と目が合うと、丈瑠はすぐに目を逸らした。目は逸らしつつも、呟く。
「………爺は行かないのか」
 彦馬はそれに頷く。視界の端でそれを確認した丈瑠が、ほっとしたように肩を落とした。それに彦馬は、眉をひそめた。

 全身を湯で拭き清められ、浴衣に包まれたところで、いきなり丈瑠の腕が引き上げられる。
「殿、湯殿で温まって、話はそれからです」
 彦馬は言うが早いか、丈瑠をぐいぐいと屋敷の奥に引きずって行く。
「………話?」
 子供のように首を傾げる丈瑠を、彦馬が苦い顔で振り返る。
「この雨の中、何をされていたのか、ご説明を」
「………えっ」 
 思わず声を上げた丈瑠を振り返り、彦馬が苦笑いをした。
「とにかく、冷えたお身体を暖めなくては」
 丈瑠が説明などできないことを、彦馬は知っていた。何があったのかは知らないが、靴も履かず、雨の中に立っていることにも気付いていなかった丈瑠に、何を聞いても無駄だろう。まともな答えなど、返ってくるはずがない。言わないのではなく、言えないのだ。
 幼い頃からの丈瑠を知り尽くした彦馬だからこそ、判ることだった。

 丈瑠は、彦馬と黒子に付き添われて、奥屋敷に向かった。






 聞こえるのは、屋根をたたく雨音と、潜めた息音ばかり。
 そんな張りつめた空気に満たされた剣道場に、突然、響き渡った声。
「………方針転換だな」
 さきほどから工具を置いて、腕を組んで考え込んでいた源太が、いきなり顔を上げたかと思うと、そう呟いたのだった。

 源太の横で、台本ページの入れ替えに勤しんでいた千明が、驚きのあまり手から台本を落とし、千明の作業を眺めながらペットボトルのお茶を飲んでいたアラタが、お茶を千明の頭の上に噴き出してしまう。
「あーー!ひっでぇーー!!」
 千明の苦情に、アラタが苦笑いをした。
「ごめん。だって、すっごい静かだったのに、いきなり声がしたから………ちょっと心臓に悪かった」
 能天気なアラタがそう言うほど、先ほどから剣道場は、とげとげしい雰囲気に包まれていたのだ。
 誰も口をきかないし、動きもしなかった。源太の怒りが、剣道場に充満しているような気がしてならなかったからだ。
 そんな状態だったせいなのか、薫も一言も発さないまま、ひたすら自分の書いた脚本の読みなおしに専念していた。
 いや。実際の所は、誰もが何も手に付いていなかったと言っていいだろう。剣道場に満たされた居たたまれない空気に、みな沈黙を守っていただけなのだ。

 剣道場にいる源太以外の誰もがそう思っていたのだが、源太は違っていたらしい。
 このとげとげしい雰囲気を作り出した張本人ともいうべき源太だけは、やるべきことをやっていたのだ。

 周囲の視線に気付いた源太が、ああ、と頭をかく。
「多分こいつら、ダイゴヨウもデータスも、壊れちゃいねぇんだよ」
 源太はそう言いながら、今まで使っていた工具類を片付け始めた。
「え?何?壊れていないの」
 源太のまとう空気が和らいでいることを知った千明が、源太のすぐ傍まで寄ってくる。
「ああ。こりゃ、そういう問題じゃねぇ」
「それじゃあ、どういう問題なの?」
 千明と同様に、源太の後ろに来たアラタが、頬を膨らませた。わざわざ志葉家まで来て、徹夜もして、何もしないで帰ったら、ゴセイメンバーに何を言われるか、わかったものではない。
 しかし源太は、前よりもむしろ、すっきりとした顔をしていた。
「こいつらが」
 源太は、手元に置いてあったダイゴヨウを抱き上げる。今も、ピクリとも動かないダイゴヨウ。
「最初から言ってた通りなんだろう、きっと」
「ああ」
 千明は、源太の言葉に合点がいったようだった。
「えっ?データス、何…言ってたっけ?」
 しかしアラタは違った。長い首を傾げながら、顎に人差し指を当てて、天井を見つめる。そこで、千明が指をパチンと鳴らした。
「壊れちゃいない。ただ計算しているだけだから、ほっとけ………って。だよな?」
 千明の言葉に、源太も頷く。しかしアラタは、目をパチクリさせたままだ。
「いや、それは言ってたけど。でも、おかしいのは、事実でしょ」
 アラタは、不満そうだった。
「計算しているだけって、こんなに計算していることなんて、今までないんだからサ。おかしくない訳ないよ」
「いや、だからさ。もう少しこいつらのこと信用して、様子見ようってことじゃねぇの?」
 そんなアラタの肩に、千明が腕を乗せて、アラタの耳元で囁く。
 しかしその提案は
「そんなのダメだよ!!」
 一言の下に却下された。
「俺たち、本当はのんびりしていられないんだよ!!マスターヘッドも天の塔も消えちゃうし。それなのにマトリンティスなんて、新しい敵は出てくるし。だから今の俺たちが闘うのに、データスは絶対に必要なんだ。データスがこんな状態じゃあ、俺たち、すごく困るんだから!様子見なんかしていられないよ!!」
 唇を尖らせて、自分の肩に腕を乗せている間近の千明に、文句をまくしたてるアラタ。
「え?あ………いや、そう………なんだ」
 思わず、アラタの肩から離れる千明。怒りをあらわにする行為は、アラタにはとても珍しかったのだが、千明はそれを知らない。
「でも、源ちゃんも様子見しかねぇって、言ってるし………なぁ、そんなに焦るなよ」
 決まり悪そうな顔で、源太に救いを求めた千明だったが、
「はぁ?俺は、様子見するなんて、そんなこと言ってないぞ」
 源太にも冷たくされてしまう。
「えっ?だって今、源ちゃん、方針転換って………」
「様子見………なんて、方針転換あるかよ!」
 源太がため息をつきながらそう告げると、アラタの表情が少しだけ明るくなった。






 その時、ガタンという音が、剣道場の入口の方でした。
 剣道場の中にいた全員が、瞬時に入口の戸に目をやる。もちろん薫や裃黒子も同様だ。その戸がそろそろと開いて行くのを、みなが固唾をのんで見守る。やがて戸が開き、そこに姿を現したのは、二人の黒子だった。
 何故か、その瞬間、ため息を漏らす源太たち。何も知らない黒子たちは、剣道場内の異様な雰囲気に、怪訝そうにしながらも、お盆を持って道場内に入ってくる。

「え?何なにーー?」
 黒子の持っているものを見た千明が、すぐにドタドタとわざとらしい音を立てて、黒子たちの方に駆け寄って行った。
「うわお。おにぎりと、豚汁〜!!それも、ほっかほか。さすが爺さん、判ってるねぇ………」
 言いながら既に、黒子の持つ盆からおにぎりを取って、いきなり頬張り始める千明。黒子が制止する暇もない。
 一人の黒子が慌てて、別に用意されていた薫専用の盆を、薫の方へと届けに行き、裃黒子に渡す。千明に先に食べられてしまったのは不覚だったが、こればかりはどうしようもない。
 そんな黒子の焦りも知らない千明は、のんきにも、おにぎりをもう片方の手にも掴もうとしていた。
「ていうか、やっぱ丈瑠ん家の夜食は、こうでなきゃなー。丈瑠は、こういうモノしか食べさせてもらえませんっ………」
 しかしその千明の手が、途中で止まった。
「………あ、これって………丈瑠に持って来たのか?」
 再び、凍りつく剣道場の雰囲気。しかし黒子がそれに首を振って応えると、千明の顔が何かを探るように、黒子を見つめる。
「丈瑠………部屋に戻ってんの?」
 千明の口から出てきた疑問に、黒子は二人、顔を見合わせた。
「え?雨に濡れたから、風呂に入ってる?爺さんがそれに…付き添ってる?」
 はあ………とため息をついた千明は、後ろを振り返る。
「………だってサ。あーあ!」
 源太が苦い顔で、俯いた。アラタは、そんな源太の様子に首を傾げながらも、千明の隣に来て、黒子からおしぼりとおにぎりを受け取る。
「彦馬さんと一緒ってことは、さっきの誤解は解けてるんだね。良かったじゃない」
 アラタは千明にそう言う。さらには、遠くに座っている薫にもウィンクをする。しかし薫の顔色は冴えなかった。そんな薫を不思議そうに見つめるアラタのわき腹を、千明が肘で突いた。
「丈瑠は、そういうことは口にしないタイプなの。だから誤解は解けてないでしょ。残念なことに」
「えっ?そう………なの?」
「そっ。だから二人が一緒にいるってのは、もしかすると最悪かも」
 思わず黒子と四人で、顔を見合わせてしまう千明たちだった。


「あーー美味しかったーーー」
 丈瑠がどこで何をしていようと、頂けるものは頂く主義の千明。三つのおにぎりと豚汁二杯を平らげた後、お腹を抱えて板間に転がった。
「天使さまの口に合う料理だったかは、わかんないけどな。コンビニ菓子が美味いって思うんなら、大丈夫か」
 アラタが千明の横に立ち、千明を見下ろしながら微笑む。
「うん。おにぎりも豚汁も食べたことあるんだけど、丈瑠の家のはすごく美味しい。でも、それだけでもなくて、なんだかとっても暖かい感じがするね」
「お?そうだろ、そうだろーー」
 千明が床から起き上がった。
「彦馬の爺さんが作ってる訳じゃないんだけど、彦馬の爺さんと黒子ちゃんの丈瑠への愛情が、こう、たっぷり!ってカンジ、するだろ?」
 千明はあぐらをかいて、立ったままのアラタに熱弁をふるう。それに、食事の後片づけをしている黒子が、うんうんと頷いていた。
「そのせいかどうか知らねぇけど、この志葉家の食事を食べ慣れちゃうと、他での食事が、な〜んか物足りなく感じちゃうんだよね〜。非常によろしくないことに」
「え!?お前らも………そうなのか?」
 それまで黙って豚汁を啜っていた源太が、いきなり声を上げた。
「え?あ、ああ?源ちゃん。え?あれ?そういや、源ちゃんがここで飯食ったことって、あったっんだっけ?」
 千明は、源太との志葉家での食事風景を思い出そうとする。しかしそんな状況は、思い出すことができなかった。
「ああ。ここ最近は、この家の飯、食ったことねぇけどな」
 源太はそう言いながら、手にした豚汁のお椀の中を覗き込む。
 人参やゴボウ、大根に里芋、そして油揚げとしいたけ、長ネギ。野菜も豚肉もたっぷり入り、出汁と自家製の味噌、生姜のよく効いた栄養満点の暖かい汁。それは身体だけでなく、人の気持ちも、温めてくれるものだった。
「俺、子供の頃からここに出入りしていて、爺ちゃんには勝手に入って来るな!って、いつも怒られてばかりだったんだけど………」
 言葉を詰まらせながら語る源太に、千明は思い出す。源太の家は、夜逃げをするほどに、経済的に厳しい状況にあったのだ。
「けっこう何度も、爺ちゃんには、飯食わせてもらったんだ」
「へえ。そうなんだ」
 千明にも、その頃の源太の状況が、なんとなく分かるような気がした。
「丈ちゃんと一緒に食べたことはないんだ。けど、丈ちゃんが、何かの先生に教わってたりしていない時とか。寒い中、庭に隠れているのを見つかって、黒子ちゃんたちのいる部屋に連れていかれて、こたつにあたりながら、いろいろ食わせて貰ったんだ。飯だけじゃなくて、みかんとか、お菓子とかも……食わしてもらったよなぁ」
「うん。わかる!!爺さんならありそうだな」
 そこで千明は気付くのだった。

 怒られても、怒られても、丈瑠のもとに忍び込んで来ていたという、子供の頃の源太。
 その頃の源太が会いに来ていたのは、もちろん丈瑠というのもあったろうが、もしかしたら源太がそこまでしても、志葉家に来たかった理由は………

「うちの親は商売していたから、一緒に飯とか食ったことあまりないんだ。おやつなんて発想もなかったしな。でもここに来て、ご飯食べさせて貰える時は、いつも誰かしら横にいてくれた。俺を見張っていたのかも知れねぇけど、そういう雰囲気もそれほどなくてな。学校であったこととか、TVの話とか………黒子ちゃん相手によく話していたんだ」
 源太が遠い目をする。
「爺ちゃんも、丈ちゃんの勉強や稽古に付き添わなくて良い時は、俺が食べ終わるまで、横に一緒にいてくれることが多かったんだ。なんか、それがまたすっごく嬉しくてナ。嫌いな野菜よけてたりすると、『駄目だ。食べろ』って、拳骨が落ちてくるんだけど、それでも嬉しかった………」
 遠い日の大切な記憶を語る源太の顔は、本当に幸せそうだった。
「………そっか。変わんないねぇ、今も昔も。俺もどんだけ、爺さんに叩かれたか………この家に来た最初の頃は、ホント泣けて来ちまったぜ」
 千明の言葉に、源太がうっすらと微笑む。
「俺、なんでだか、丈ちゃんがどれだけ爺ちゃんに叱られているところ見ても、夜中まで稽古させられている姿を見ても、爺ちゃんが酷い奴だとは思わなかったんだよな。むしろ………なんだか丈ちゃんが、うらやましいくらいだった」
 源太は、その頃の気持ちを噛みしめるようにして、話す。
「だから、丈ちゃんと同じように俺自身がどれだけ怒鳴られても、俺は爺ちゃんのこと嫌いにならなかった。いや、むしろ嬉しかった。丈ちゃんを叱るのと同じように言ってくれる爺ちゃんが、すごく好きだった」
 源太の言葉に、黒子たちが嬉しそうに何度も頷いていた。千明には、源太の気持ちも黒子の気持ちも分かる。自分もそうだったから。
 毎日、毎日、彦馬に叱られてばかりいた、志葉家に来たばかりの頃。
 でも、思い返せば、叱られる時は、叱られて当然のことをしていた。そして、彦馬は頑張れば褒めてもくれたし、拗ねれば慰めにも来てくれた。謝るきっかけすら、提供してくれた。
 怖いし、厳しい。けれど、暖かい。その上、ユーモアもある。彦馬は、理想的な教師であり、父親のような存在でもあるのだ。流ノ介や茉子のように、しっかりとした保護者に育てられたのでない者は、彦馬のような存在に、憧れて止まない一面があるのではないだろうか。
 そして、そのような彦馬の下に仕えることができる黒子たちもまた、丈瑠を誇りに思うのと同じように、彦馬を誇りに思っているに違いないのだ。

「丈瑠の力になりたい。
 丈瑠のために、共に闘いたい」

 それと同じように、千明は思う。

「彦馬の傍にいたい。
 彦馬の傍にいると、安心できる」

 千明が、先ほどの薫の嘘にいきりたって抗議したのは、丈瑠を思ってばかりではない。彦馬の気持ちも考えると、薫の提案は有り得ないと思えたからでもある。
 きっと源太も、同じなのかも知れない。

 しみじみと語る源太と千明を、アラタが優しい瞳でみつめていた。
 一方、離れた場所に座る薫は、聞きたくなくても聞こえてきてしまうその会話に、唇を噛みしめていた。
 多分、薫の育った屋敷の雰囲気と、彦馬が仕切って来た屋敷の雰囲気は、ずいぶんと違うものだったのだろう。今の話を聞いただけでも、それが分かる。
 確かに、彦馬の心遣いは、温かい。でも、だからこそ、丈瑠はこのままでいいのか?そう薫は、思わずにはいられない。そして源太は、薫と同じ懸念を持っているのに、丈瑠の絶対に発現させてはならない弱点を知っているのに、丈瑠はあれでいいのだと言い切るのだ。
 薫には、源太の気持ちが理解できなかった。






 おにぎりと豚汁を食べ終わり、黒子たちが食器と共に剣道場から去った後。
 アラタが改めて聞いてきた。

「ところで、さっきの話に戻るけど、源太はなにをどう方針転換するの?」
 それに、源太はこともなげに答えた。
「修理はしねぇけど、こいつらの計算能力を何百倍にもしてやるんだ」
「………えっ?何百倍?」
 聞き返してくるアラタに、源太は頷く。
「ああ。いや、何百倍どころか、もっとかもしんねえけどな」
 ふ〜んと、アラタは首を傾げながら考える。
「つまり、計算能力を上げて、早く計算を終わらせようと。そうすれば、ちゃんと動くようになるから?」
 これにも、源太は何回も頷いた。
「そういうことだ。こいつら、やっぱ計算しているだけなんだよ。何を計算していやがるのか知らねぇけど、何かとてつもない計算をしてるんだ。それも二人で同じ計算を」
「ふうん。じゃあさ、何の計算をしているんだ?二人で一緒に?」
 聞いて来たのは、千明だった。それに源太は力強く答える。
「わかんねえ」
「わかんねえって、それじゃあ………なあ?」
 千明が唇を尖らせて、傍らのアラタに話しかけるが、アラタはアラタで、腕を組んで何かを考えているようだった。
「………ねぇ、それって、もしかしたら、敵に関係しているのかな」
 やがてアラタが呟くと、源太が真面目な顔で頷く。
「そっか」
 アラタが顔を曇らせた。
「ウォースターや幽魔獣だったら、データスはすぐに、敵の出現も、その攻撃も、感知できるはずなんだ」
「分かってる。だから、それ以外の敵………なんだろうな。それに、何よりもこの計算を優先させたいって、データスも言ってるところからすると、やっぱ危険が迫っていることなんじゃねぇか………と俺は結論した訳だ」
 源太の言葉に、その場が、先ほどまでとは異なる緊張感に包まれた。

 アラタはやはり考え込んでいる。
「でもね、最近闘ってる敵………マトリンティスだってデータスはちゃんと感知できるんだよ。時空計算だってできるんだ。そんなデータスが、こんなに結果出すのに時間掛かってる敵………って、何?」
 自問するアラタの肩を、千明が軽く叩いた。
「きっとゴセイジャー管轄の敵じゃないから、データスにはわかんないじゃないか?」
 自分で言っておきながら、千明は目を見張る。
「ああ!それってありかもよ?だってお前ら、丈瑠がさらわれた時、血祭のブレドランの居所わからなかったじゃん。つまり、外道衆なんじゃねえの、その敵って」
「外道衆ならば、三途の川からこの世に出て来る時に、必ず隙間センサーに感知される。ダイゴヨウやデータスに、情報を貰う必要はない」
 鋭い声が、千明の背中に飛んだ。
 千明が振り返ると、いつの間にか、すぐ傍に薫が来ていた。危険が迫っているという源太の言葉に、薫も知らぬふりをしていられなくなったのだ。
 そんな薫を横目で見ながら、アラタが千明の言葉を訂正する。
「血祭のブレドランは、外道衆じゃないよ。あれは、ゴセイジャーの敵だ」
 薫を見ていた千明が、アラタの言葉に、再び振り返る。
「じゃあ………お前らの敵でも、感知できない奴もいるってことか?」
「………そうだね。うん。考えてみればそうかも」
「つまり、ゴセイジャーの敵なのか、外道衆なのか、あるいは他の何かなのか………それはわからないが、何か危険が迫っていることは確実。それを感知することに、データスとダイゴヨウは掛かりっきりになってる………ということだな」
 みなの意見を薫が総括した。

「ああ」
「俺もそう思う」
「なるほど」
 源太、アラタ、千明はつぎつぎに頷いた。
 頷いたが、その直後に、千明が叫ぶ。
「………って、おい、待てよ。それって、やばいんじゃねぇの」
 いまさらのように言う千明に、アラタの冷たい視線が注がれたが、千明はそのまま源太の肩を揺さぶった。
「どうすんだよ、源ちゃん」
「だから方針転換だと言っただろ?こいつらの処理能力上げて、早く結果を出させるんだ。そうしたら、何か対策のしようもある」
「おお!そっか、さすが源ちゃん」
 さきほどから何度も言っていることを繰り返す、漫才のような二人のやり取りに、アラタはため息をついた。

 先日の闘いでは、シンケンジャーは、まじめ一方のように見えた。
 しかし個々人と話してみると、意外にそうでもない。丈瑠や薫は、確かにまじめだが、源太や千明は、どこかぶっ飛んでいる所もあった。

「でも、どうやって処理能力上げるの?データスは地球の科学でできている訳じゃないんだよ」
 再びアラタは、実行面の話に戻す。
「ああ。判ってる。秋葉原で最新CPU買って来ても、メモリ増やしても、意味ないからな」
「じゃあ、どうするの?」
 重ねて尋ねるアラタに、源太は再び、力強く答えた。
「モヂカラとゴセイパワーだ」

「………はっ?」
 さすがのアラタも、この飛躍には付いて行けなかったようだ。
 しかし源太は、当然というように話を続ける。
「まずはダイゴヨウだが、こいつはモヂカラで動いてる」
 源太はそう言うと、白目をむいたままのダイゴヨウを抱き上げた。
「だから、俺がモヂカラのパワーアップエンジン作って、ダイゴヨウに接続して、ダイゴヨウをパワーアップするんだ」
 これには、アラタが反論してくる。
「データスはモヂカラで動いているんじゃないよ?」
「ああ、判ってる。データスの方には、ゴセイパワーのパワーアップエンジンを用意する」
「おおーー」
 力強い源太の言葉に、千明が感嘆の声を上げた。
「なんか、全然わかんないけど、すっげー!!」
 千明は源太の背中を叩く。
「さすが源ちゃん!!志葉家だけじゃなく、天使さまのエネルギーまで制御できちゃうってか!?」
 源太の天才的な頭脳と工作能力の凄さを、身に沁みて理解していないアラタと薫は、二人の会話にただ目を丸くしているしかなかった。

 源太が、アラタを振り返る。そしてアラタに向かって、右手を差し出してきた。
 アラタが怪訝な顔で、源太の顔とその手のひらを交互に見つめていると、唐突に源太が言った。
「そういう訳だ。ゴセイカード貸してくれ」
「………はっ!?」
 絶句するアラタだったが、源太は動じない。
「パワーアップエンジンには、それぞれに見合ったエネルギー源が必要なんだ。ダイゴヨウはもともと電子モヂカラで動いているし、秘伝ディスクも腹に貯め込んでいるから、追加エンジンのエネルギーはそれらとは別ってことで、折神にしようと思っている。同じようにデータスのゴセイパワーエネルギー源の方は、ゴセイカードにするつもりだ」
「ゴセイカードが、データスのエネルギー源になんかなるんだ!?」
「折神は千明に借りればいいが、ゴセイカードは、俺らは持ってねぇからな。とりあえず、いらないカードでいいから、貸してくれ」
 しかしアラタは、困惑した顔をしていた。
「………いらないカードってないんだけど。カードはひとつだから」
 そう言いながらもアラタは、バックルからゴセイカードを取り出す。
「これがないと変身もできなくなっちゃうし………渡すの抵抗あるんだけど」
 アラタは銀色のゴセイカードを握りしめたまま、源太を見上げる。源太もそれに理解を示すように、頷いた。
「分かってる。だからなるべく早く造り上げて、こいつらに接続してやって、計算を終わらせるんだ」
 それでもアラタは迷っていた。

 きっと本当に、何らかの危険が迫っているのだろう。その危険の正体を早く暴かなくてはならない。
 それは判るのだが、それでもゴセイカードを渡してしまうのには、躊躇せざるを得ない。
 アラタの迷う気持ちが理解できるので、千明も薫も何も言うことはできなかった。アラタの出す結論に従うしかない。

 しばらく考えていたアラタだったが、やがてためいきをひとつつく。
 そして、源太の差し出されたままの手のひらの上に、ゴセイカードを置いた。
「貸すことは貸すけど、その間、計算結果が出るまで、俺もここにいるよ。ゴセイカードをそのままにして帰ることは、絶対にできないし、何かあったらすぐに返してもらわないとならないから」
 源太はそれに深く頷くと、今度は千明に向かって、反対側の手を出した。
「………えっ?あっ?何?折神?」
 こうなっては、千明も出さない訳にはいかない。
 千明も腰のチェーンに付けていた熊折神のエンブレムを、源太の手の上に置いた。

「じゃあ、これから突貫でエンジン作るわ」
 源太はそう言うと、再び、剣道場の床に座り込むのだった。そしてその瞬間から、一心不乱に、作業を始めた。






 源太の背中を見つめることしかできない、千明、薫、そしてアラタ。さらには裃黒子たち。

 その者たちの心の中に
『危険が迫っている』
 源太の予言にも似たその言葉が、じわじわと沁み渡って行く。

 しかし今は、源太のパワーアップエンジンの完成と、その後の計算結果を待つしか、術のない彼らだった。
  










小説  次話





2011.08.27